子供という言葉は複数形なのに、特定のものを指す場合もそのまま子供という言葉が定着してしまったという話を聞いた。なるほど。子といっても差支えないはずなんだけど、語呂というか何となくおさまりが悪いのかもしれない。この子であるとかうちの子という具合に一人を指していう場合はかまわないが、やはり対象を広く言うと子供というしかない気がする。少子化とはいえ、子供はたくさんいるものという情景は、そんなに大きく変わっていないのかもしれない。
大人と子供という場合にも、大人には達をつけなければ、ある程度個人を指している(または個人の自覚とか)気がするのに対して、子供はやはり世間一般の多数を指していそうな感じがする。普段は何気なく使っているんだけど、なかなか不思議な言葉である。
ただしかし、現代においてはかなり個人的な響きをも含んでいるにもかかわらず、相変わらず使用する単語が複数形であることで、何となくいびつさを醸しているかもしれないとも考えられて、そういうところが子供問題を語る場合、ある種の悩ましいものを生み出している可能性もあるのかもしれない。もちろん言葉だけの問題ではないにしろ、その複数形のニュアンスが、上手く当てはまらなくなりつつあるのかもしれない。
子供の問題と言いながら、自分の子供だけの視点しか持たない感覚が随所に見られるように感じられて、僕などは早く引退したいなあ、と思うのかもしれない。いや、もうだいぶ大きくなったんで、ホッとしてるんですけどね。