カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

畑が気になる人は…

2012-05-04 | net & 社会

 確かに悪い癖だとは思うが、ふっと時間が空くと、やはり何となく気になって抑えられないという感情があるようだ。ついつい携帯を取り出して(いい加減スマホにしてもいいんだけど)FBの画面を開いてしまう。携帯から「いいね」を押すとまた最初の画面に戻ってしまうので「いいね」はほとんど押さないのだけど、せっかくだからという気分もあって押したくなってウズウズしてしまう。今ある状況を短くレポートしてみたくなるが、まずはお友だちが何をしていたか気になるということか。実際には特定の誰彼が何をしているということに特段の興味は無いのだけれど、FBの画面が変化しているのを確かめたくなるというのが真相であるような気がする。変化していないと、たぶんがっかりするからだ。
 そういう訳で、特に周りに人がいなければ取り出してしまうのだけど、最近は人が集まっている時でも、この画面を見ている人というのもそれなりにいるようである。話している人もおり、見ている人もおり、という混在である。
 先日これを見ていて、やはり不快に思った人があったようで、このような状況が人との付き合いを希薄化し、ひいては凶悪犯罪など人を人と思わないような事件が多発するようになったのだという話をしておられた。ご怒りはもっともだとは思うものの、事実認識は誤っているようだ。まあしかし、確かに態度として褒められたものではなかろう。
 またゲームなどに熱中する人の気がしれないというようなお話まで展開されておられたのだが、たぶんそれもかなり無関係ではあるだろう。このようにお怒りの人であっても、ひとたびゲームに手を出してみると、やはり気になってやってしまうのではないかとも思える。もちろんそうとも限らないけれど、やるかやらないかのハードルの高さが違うだけで、経験した後の気分というのは似たようなものになるのではあるまいか。もっともそのスキルにおいて差があるので、やはり慣れるまではそれなりの忍耐は必要だろうけれど。
 僕はこのようなネット依存やゲーム依存というのは、実は農業などの土いじりによく似ているという気がしている。土いじりや庭いじりが好きなような人は、恐らくネットやゲームとは相性がいいのではあるまいか。
 そう言うと予想通り怪訝な顔をされるのだけれど、実際にネットゲームなどでは野菜作りをするようなものもあって、やっぱりそのものだもんな、と思ったことがあるのである。
 野菜や花などは植える前にも準備はいるものの、基本的には植えた後はひたすら観察するようになる。今日は芽が出たとか、育ちが悪いと追肥しようかとか、雑草を抜かなきゃな、とか、いろいろ手を掛けるようになる。いきなりどんどん変化する訳ではないが、子細に見ると実際に手を掛けることは山ほどにある。ある程度は適当にしなければならないが、それなりに手を掛けるとやはり収穫も大きい。そうすると面白くなるので、畑が気になって仕方が無くなる。そういうサイクルにハマると、いわゆる一種の中毒に似たようなものになるのではあるまいか。そういう習性があるから、人はネットやゲームにハマっていくのである。だからたぶんゲームやネットにハマる人は畑仕事にハマるような人とよく似ているのである。
 畑仕事の好きな人は、その分その時間は人との関係を断っているのだけど、そのせいで犯罪予備軍とは言われない。ネットやゲームの人がそのように言われるのは、やはりバランスが著しく悪いという気がする。畑だと収穫したものなどおすそ分けをするようになり人間関係がよくなるという反論もあろうが、ネットではやはりそのために友人がむしろ増えたりするので、そういう違いは大きいものではあるまい。
 習慣上よく分からないものについては、そのように自分の一方的な偏見から物事を考えてしまいがちである。その上面白く思っていないから、さらにマイナスの評価を下してしまう。それは人間の攻撃性のくせのようなものだ。怒りの発散にはそれなりに効果的な面もあるのかもしれないけれど、社会を歪めてみてしまうことに違いは無い。そういう偏見でものごとをとらえ過ぎると、実際にやらなければならない行動にも間違いを犯してしまうことにもなりかねないのである。
 まあこれは自分への自戒でもある訳だけどね。
コメント (2)
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