カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

投票と墓参り

2006-09-25 | 雑記
 僕は不在者投票をしたかったのだが、つれあいはなかなか付き合ってくれない。一人で行動するには寂しいので、仕方なく当日に投票に行くことになった。不在者投票と当日の運転手なら二度手間である。だから先に済ましておきたかったのに、イケズである。僕としてはどちらの陣営から勧誘があっても、投票は済ませましたといいたかっただけなのだ。
 ひょっとすると用事ができたりしたときに慌てないよう備えておくことは大切だ。休日と分かっている場合、何か行動するというのがなんだかもったいない。たとえそれが投票といえども、誰かのために体を動かすのが億劫だ。何しろ僕は民主主義も選挙も大嫌いだ。一票の力が社会を動かすということがあっては、人は幸福にはなれないだろう。少なくともそういう政治の力の必要な時代というのは、どう考えても不幸なのではあるまいか。まあ、長くなるので後は端折る。しかしながら権利と責任は果たす。だから投票には当然行く。気に食わないからといって逃げるのも性に合わないからである。因果なものよ。
 近所の投票所には多くの人だった。車の出入りも多くて混雑している。ちょっとした流行のようだ。市議の方はK村君の真似を(まあ、趣旨に賛同して)して白票白紙を投じる。用紙をもらってそのまま箱に入れる。お袋に言わせると態度が悪いようである。確かに受付の人と目が合って、彼は僕から視線をそらした。見てはいけないものを見てしまったというように…。

 選挙にいったついでに、本家(というのか。僕は分家ではないんだが…)の墓参りに行こうかということになる。いろいろ事情があって、親戚づきあいは疎遠である。つれあいは行った事がないという。彼女は墓参りが好きなので気になるのかもしれない。僕は墓石には興味がないのでいきたくないが、どこかに行くのは好きなので付き合ってやってもいい。父の墓には朝嫌々行ってきた。ついでに先祖に参るのも道理にかなうのかもしれない。日差しが強いので蚊も少ないだろう。その上、中日を過ぎているので誰にも会わないだろうというので、同意した。
 ところがいってみると先祖の墓あたりで人だかりがある。おじさんたちがちょうど来ていたのである。何年ぶりかの再会である。いとこの子供も大きくなっていて、見違えてしまった。これではちょっと分からない。まあ、出会ったものは仕方がない。
 おじさんは相変わらず病院通いらしく、益々老いてしまった。それでも父よりヤクザな雰囲気は健在で、やはり幾分若い人なのであろう。それでも父の死んだ歳ぐらいのはずだから、あんがいしぶといようである。今後付き合いが戻って頻繁に会うことになるとは思えないが、死ぬ前にもう一度会うこともあるのだろうか。まあ、墓で会うぐらいなら別に会ってもかまわないが…。
 別段これが運命だとは思わない。僕には墓参りの信仰はまったく理解できないけれど、恐らくこういう付き合いの意味合いもあるのであろう。わけの分からないものは時には大切にしてもいい。いや、良いことだとか悪いことだとかいうことではない。こういうことは、時にはあってもいいということである。僕にはそれ以上の感慨はないけれど、これでよかったのではないかという気持ちはある。それは感謝ということなのかもしれない。誰に向ってという方向がないだけで、感謝という感情があるということである。
コメント
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