カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

あまりにも皮肉的だ

2006-09-05 | 時事
 指名手配中の19歳少年は、少年法により名前や顔写真などを公表できないという。法律が逃走を幇助する結果となる場合の責任は誰が取るのだろう。また、犯人逮捕ということもだが、時間の経過と共に犯人の生命の危険も増えるのではないか。もし少年法を無視して顔写真を報道したとしても、仲間のジャーナリズムぐらいしか非難するものはないのではないか。加害者の両親が訴えることもないだろう。結局は報道機関の怠慢と、杓子定規的な自己保身なのではないかという疑問が湧く。
 被害者は顔写真付で堂々と連日報道され、加害者(と思われる)少年は、青のバイク程度のことしかみんな知らない。報道の正義とはそういういじめのことなのである。

 毎日新聞で携帯電話で投票できるアンケート「日本のスイッチ」という欄がある。その設問で、「早実の斉藤投手、「ハンカチ王子」の愛称は」という問いの80パーセントが「やめてあげて」である。意外と大衆には良心があるようだ。しかし、彼は既に優勝した事実を後悔しているのではないか。
 同じく「「業務用」シュレッダーで幼児に配慮した設計は」→「必須でない」が52パーセントである。この国はアメリカナイズされているが、かろうじて米国ではないということだ。日本人は米国人より少しだけ大人なのである。

 大衆には良心が残っているにもかかわらず、報道は大衆的支持を得ていると判断するのは、それでもそういう方向の問題提起なり、悪ふざけなりするほうがお金になるということなのだろうか。編集方針というか、現場の感覚が行き過ぎた興味を選択する心理が今ひとつ理解できない。
 ひとつの面は正義がなく、もうひとつの面は節操がない。それが人間の姿だというのは、皮肉以外の何者でもない。実際には道徳的良心が世相を支えているのではないかと思われるが、大衆は自信を失いつつあるようにも感じる。そういう弱いところを攻撃したい報道関係者の心理に惑わされているのではあるまいか。そういう悪意がすべてとは言わないが、それでも選択できるほど良心的なメディアがまったくといっていいほど少ないわけで、平穏を保つなら、結局は情報を遮断するしかないのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする