昨夜はN野先輩を講師にお招きしてのセミナーを受講した。久しぶりの指導力系セミナーで、為になるばかりでなく、率直に面白かった。
さて、目標達成のために五感を使うとよい、という話があった。紙に書いて見えるようにする。視覚を使う。声に出して読む。それで聴覚で自分の声を聞くことになろう。しかし、触覚、嗅覚、味覚はあんがい難しいな、ということであった。点字ならさわって分かるということもあるだろうが、これは読む行為である。ちょっと感覚としては難しいというのはそうかもしれない。しかし、実はけっこうあるんじゃないかという気がした。
すぐに思い出したのは「臥薪嘗胆」である。本来は復讐心を忘れないためであるが、薪の上に座る痛みであるとか、熊の苦い肝の味であるとかいうものを使って気持ちを持続する。これは立派な目標へ向けての方法である。触覚、味覚はクリアできた。修行は、立派な目標達成のための方法である。
さて嗅覚のほうである。匂いを感じるというのは、記憶と密接に関係しているという話は聞いたことがある。脳の比較的古いところで嗅覚は感知するらしい。原始的というか、機能的には動物として根本的な能力なのかもしれない。
匂いをかいで懐かしいという感覚は、けっこうあるような気もする。ある匂いで情景がぱっとひらめいたりする。これは工夫次第でやっぱり使えるのではないか。「時をかける少女」のラベンダーの香りのように、インスピレーションを喚起させる匂いという方法はあるように思える。
具体的には、お香なんかもある。精神統一に匂いを利用しているとも考えられる。
そのように考えると、仏教などの修行は、理にかなっていることのように思える。悟りを開くという目的のために修行をしているのだろうが、目的達成には修行が合理的であるということなのだろう。僕らは悟りという目標ではないので、どうしよう。
まあしかし、日常を送ることに目標達成の鍵があるのは確かだ。成功の習慣などというものが、よくビジネス書などに出るのはそういうことだろう。
新潮社の「波」という雑誌で長谷川滋利(元マリナーズ投手)の本が紹介されていて、彼の目標に向う真摯な姿勢を紹介していた。大きな目標を掲げて努力するというのは勿論だが、なにより大切なのは、今日という一日をよかったという充実したものにする(大意はそうだったような気がする)ことなんだそうだ。
長谷川って偉大な人なんじゃないかと思えてきた。我慢して修行するだけじゃない魅力を感じますね。単に僕がズボラなせいなんだろうけど、いい一日のための努力なんてしてなかった。長谷川方式お勧めです。