八つ代にをいませ

2010-06-19 | 【樹木】ETC
 万葉集巻第二十より、あぢさゐ(味狭藍)を詠み込んだ一首。
  紫陽花の八重咲く如く八つ代にをいませわが背子見つつ思はむ(左大臣橘卿)
 あぢさゐの花は色をかえとりどりに咲きほこります
 あなたがいつまでもお元気であることを願います
 あぢさゐの花を見るたびにそう思いましょう
 今、紫陽花の花言葉に、「移り気」「心変わり」などがある。
 これが、紫陽花のイメージに大きな影響を与えている。
 もし、万葉の時代に、この花言葉があったら、上記の歌はなかったろう。

「蜻蛉日記」一九

2010-06-18 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・一九/野分の後の日
 野分のあった後、すぐにお見舞いの文がなかったと兼家を咎めている。
 当時は、風や雨などが顕著にあった後は、お見舞いの歌をおくる慣習があったそうだ。
 「どうしてすぐに見舞いがなかったのかしら。つれないこと」との問いへの兼家の返歌。
  ことのはは散りもやするととめ置きて今日はみからもとふにやあらぬ
 木の葉が吹き飛ぶように、文が風に飛ばされないように、今日みずからこうしてやって来たのだと。
 ここの「ことのは」は、「言葉・文」であり、「木の葉」。

生々しい臭い

2010-06-18 | 【樹木】ETC
 生々しい臭いと言えば、そうでもある。
 一般に好まれないようだが、俺の鼻には、単なる木の臭いの一首として感知される。
 鼠黐(ネズミモチ)の花が放つ臭いである。
 道を歩いていて、その臭いを感知し、見ると、白い粒々が開いていた。

黄色い花芯

2010-06-17 | 【草花】ETC
 君は、北アメリカ生まれのニワゼキショウ(庭石菖)か。
 花芯の黄色が目立つね。
 六枚の花びらは、白だったり、淡紫だったり。
 白い花びらにも紫の線があるね。
 それで、中心部分は紫。
 アヤメ科だそうだね。
 葉がサトイモ科のセキショウ(石菖)に似ていて、その名だってね。

白から紅に

2010-06-16 | 【樹木】ETC
 葉を見ると、アジサイ(紫陽花)に似ている。
 同じユキノシタ科の植物かと思う。
 名前は、ニシキウツギ(二色空木)。
 ウツギ(空木)は、ウノハナ(卯の花)で、ユキノシタ科である。
 しかし、ニシキウツギは、スイカズラ科である。
 ニシキウツギは、その花が、黄をおびた白から紅に変わる。
 それで、その名となった。

「蜻蛉日記」一八

2010-06-15 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・一八/前栽の花を見やりて
 庭先に咲き乱れる花々を、横になったまま眺めての歌のやり取りが記されている。
 気まずい空気がただようなかでとのこと。
 また、帰り支度をしようとする兼家に、「つれないのね。あなたが、何処かに行くのを止めるなんてできないわね」と。
 兼家は、そう言われて帰れなくなったと。
 二つの歌の贈答を通じて、二人のしっくりしない関係のことが語られている。
 この日記では、そのことが強調されているが、実際は、その時、男と女の交わりもあったのでないかと推測される。
 男と女、別れの予感はあっても、会ってしまうと交わりももってしまうということ、よくあることだと思う。
 一つめの贈答に植物が出てくる。
 兼家の歌。
  ももくさに乱れて見ゆる花の色はただ白露のおくにやあるらむ
 これに対する返歌。
  みのあきを思い乱るる花の上の露の心は言えばさらなり
 思い乱れる気持ちのことを歌っているが、なんだか色っぽいところも感じられる。

山法師のじみな花

2010-06-15 | 【樹木】ETC
 4枚の白い花びらのように見えるのは、総苞片。
 その中心にある小さな玉状の部分がほんとうの花。
 その玉は、20~30個の粒で成り、それぞれが花となる。
 そして、やがて、赤い実となる。
 ミズキ科のヤマボウシのことである。
 高架を走る電車の窓からは、空に向かって総苞片をひろげる白色が目立った。
 いまは、その盛りも過ぎようとしている。

間のびした顔

2010-06-13 | 【草花】ETC
 なんだか間のびした顔のカキドオシ(垣通し)の花。
 でも、美しい。
 蔓状に茎が延び、垣根も岩も通り越す、それで、この名。
 シソ科カキドオシ属の多年草。
 このブログで野草を取り上げだして、1年半くらいか。
 ある試験を受けようと思って、知識をひろげたかった。
 野草と言っても、ほとんど普通に歩く道端に見かけるもの。
 まだ、関心を持続している。
 気にすれば、いろいろあることを知った。

「蜻蛉日記」一七

2010-06-11 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・一七/花すすきの贈答歌
 険悪なムードが続くなか、夫の兼家から、文が届いた。
 「来てもいいと言われれば、行くんだけど、どんなもんだろう」と。
 無視しようかと思ったのだが、侍女たちが、「それも情がない」と言うので、歌をおくった。
  穂に出でていはじやさらにおほよそのなびく尾花にまかせても見む
 すすきが風になびくように、なりゆきのままにと思っておりますと言うところか。尾花を兼家に喩えて、あなた次第ねの意か。
 この歌に対する兼家の返歌。
  穂に出でばまづなびきなむ花薄こちてふ風の吹かむまにまに
 はっきりいいよと言ってくれると、すすきもなびきやすいんだけど、と。
 この返歌には、すぐに、次の歌で対応。
  あらしのみ吹くめる宿に花薄穂に出でたりとかひやなからむ
 穏やかならぬ風が吹いている折柄、花薄に、こちらになびくように言うのは詮ないことですわ。
 この歌のやり取りは、二人の間に流れていたすきま風をしずめたようで、兼家が訪れてきたとある。
 ここでは、尾花ことすすき(薄)が出てくる。

兜の前立か

2010-06-11 | 【草花】ETC
 先日、散歩をしていて、淡いピンク色の花びらを見つけた。
 その野の花の名前は知らなかった。
 とりあえず、写真を撮っておこうと思った。
 昨夜、「里山図鑑」(ポプラ社)を手にした。
 そして、たまたま開いたページに、その花が載っていた。
 「これだ」と思った。
 常日頃、気にしていれば、こういうこともあるというわけだ。
 その野の花の名前は、クワガタソウ(鍬形草)。
 ゴマノハゲサ科クワガタソウ属の多年草である。
 図鑑に次の説明があった。
 「渓流釣りのときなど、ときどき目にするが、山歩きするだけでは、めったに出会うことがない花だ」
 なんだか、嬉しかった。
 俺が見つけたのは、そんな花だったのかと。
 沢沿いなどの湿地を好むそうだ。
 見つけたのは、そんなところではなかったような気がするが、よく覚えていない。
 名前の由来については、こうあった。
 「扇形の種子のさやを支えるがくの形からきたもの」と。
 別の図鑑(野草・雑草観察図鑑/成美堂出版)では、こうであった。
 「1本の雌しべと2本の雄しべを兜の鍬形状の前立に見立てたもの」と。
 よく分からぬが、まあいい。
 その名前が分かっただけで、充分満足だ。

「蜻蛉日記」一五

2010-06-10 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・一五/町小路の女、兼家の子を産む
 上村悦子の解説によれば、「この項は蜻蛉日記中一つの山場をなしている個所・・・・・いずれにせよ上巻中でも白眉の文である」と言うことである。
 兼家と町小路の女が、同じ車で派手やかに屋敷前を通過したことに、筆者はほとんど逆上。
 兼家が、町小路の女の出産で、暫く来られなかったとの言い訳に頭にくる。
 筆者の激しい気持ちが吐露されている。
 「ただ死ぬるものにがな」「いみじう心憂し」

「蜻蛉日記」一六

2010-06-10 | 読書
 ・蜻蛉日記/上村悦子全訳注/講談社学術文庫
 ・一六/仕立物を送り返す
 七月末頃、夫の兼家から、着物の布が届く。
 自分の着物に仕立てくれということである。
 筆者は、「見るに目くるるここちぞする」と、腹を立てる。
 母も、「あちらさん(町小路の女のところ)には、できる人ないのかしら」と言う。
 侍女たちも「こちらでやってあげたにしても、きっとあらさがしをされるだけよ」などと言っている。
 それで、生地を送り返した。
 兼家の方も、まずいと思ったのか、二十余日、訪れなかった。
 ここでは、そんなようなことが書かれている。
 植物は出てこない。

月の桂の蔭

2010-06-10 | 【樹木】ETC
 卯の花の垣根ならねどほととぎす月の桂の蔭に鳴くなり(新古今和歌集・前中納言匡房)
 ガビチョウの声の流麗さ。
 ヒヨドリのけたたましさ。
 これらに較べると、ホトトギスの声はうたかた。
 これは、私の住まい近くでの今頃のこと。
 その声は、すぐ消えて、「月の桂の蔭」とも言いたくなる。