エデンの園の蛇

2006-10-03 | 【断想】神々
 エデンの園で、イブに語りかけた蛇。画家達によって様々に描かれているが、旧約聖書では、その蛇がどんな姿をしていたかは記述されていない。蛇と言うんだから、蛇だ、と言えばそれまでだが。ただ、蛇とは言わず、悪魔ということもできたろう。悪魔が取り憑いた蛇とも。ただ、悪魔としてしまっては、あまりに直截的で、イメージに膨らみがなくなってしまうかなあとも思う。聖書には、他の部分で悪魔も登場するが、ここでは、あくまで蛇である。
 いずれにしろ、蛇が、神に「お前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものになった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう」と言われたことによる後世への影響には、はかり知れないものがある。蛇にとっては、受難の日々が続くことになる。
 旧約聖書「創世記」には、「神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった」と記されている。そして、蛇がイブに語りかけたのは、二言であった。
 はじめに、「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか」と問いかける。
 イブは、園の中央の木の果実だけが、神に禁じられていると応える。
 蛇の二言目は、「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ」というものである。これだけでは、単なる説明であるとも言える。
 この後に、「神は、人間に知恵がつき、神と肩をならべるようなことになることを嫌われている。また、人間は、知恵がつくことによって、不幸を招くことになる。だから、食べることを禁じられている。神の命令は絶対である、背いてはならない」と、言葉を続けることもできるのである。
 決して、食べろと、はっきり誘っているわけではない。そこが狡猾といえば、狡猾なのだが、取り方次第だ。
 しかし、美味しそうで、食べると神のように知恵がつくという果実を前に我慢することかなわず、イブは食べ、神に罰せられることになる。
 果実の秘密を知り、言葉たくみに、イブをそそのかしたとされる蛇とはいったい何なのだろう、その姿はどうだったのか、「生涯、地を這うもの」とされた蛇は、この神の裁断の前、どんな姿をしていたのかと思わせるところがあるのである。ゆえに、多くの画家が、その蛇を描いている。蛇そのものとして、頭部が人間の顔になっているものとして、また人間部分がもっと大きいものとして、さらに、翼をつけた人間として。
 私が、たくみに絵筆をふるえるとしたら、どう描くだろうか。聡明そうで清純な中性的な青年、天使のような純白の翼をひろげていてもいい。
※文中、聖書からの引用は、日本聖書協会・新共同訳
※参考:画家たちが描いたエデンの園の蛇
 ミケランジェロ:大蛇・膝うえ裸の若い女
 マゾリーノ:蛇の頭部が若い女の顔
 フース:小柄な女、背中がトカゲ風
 デューラー:大きめの蛇
 モロー:蝶のような翼をした妖精風
 スタンホフ:目つきの悪い青年の顔をした蛇
 ティツィアーノ:幼子
 マビューズ:中くらいの蛇
 ランブール兄弟:腹からうえが裸の乙女の蛇
 ルソー:蛇

大洪水・ノアの方舟

2006-10-03 | 【断想】神々
 旧約聖書に、大洪水・ノアの方舟の話があるが、これは、実際に起こった大洪水が後世に伝えられ、記されたものと見られるようになってきた。
 およそ6300年前に気候変動があり、それによる大洪水が何度も発生していたことが、メソポタミアの地層の研究等から明らかになってきている。
 旧約聖書以前の記録である「大洪水伝説」(シュメル語・粘土板)、「アトラ(ム)・ハーシス物語」(アッカド語・粘土板)、「ギルガメシュ叙事詩」(アッカド語・粘土板)、「バビロニア史」(ギリシア語、バビロンの神官:ベロッソス著)に洪水のことが書かれている。
 そのストーリーは、神の意志がはたらいた大洪水の発生、選ばれた者だけが生き残るということ、水がひいたことを鳥を放つことによって知るということ等、旧約聖書に通じる内容となっている。
 そして、そこに出てくる神は、聖書のように唯一絶対の神ではない。洪水をめぐり、神々が相談したり、仲違いをしたりしているようだ。