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平和のために

2016-07-01 | 読書
●やがて哀しき憲法九条/加藤秀治郎著/展転社/平成28年6月20日発行/1500円
 憲法改正の必要性、護憲派のまやかしが、凄く明快に論じられている。憲法制定の経緯、九条解釈の変化、先般の安保法制論議の実相を改めて冷めた目でとらえ直すことが出来る。
 残念なのは、私の周辺にも、この本をしっかり読んで欲しいなと思う人が大勢いることだ。かつて、わたしたちが共通認識としたことが忘れられ、護憲派の戯れ言に乗せられてしまっている者も多いと言うことである。
 最後に順番が大切だとあった。まさに、その通りで、法があっての私たちではなく、私たちの生命・財産、国民としての誇り等を守るための安全保障体制がどうあるべきかであって、そのための法でなくてはいけない。

猶も思ひは増鏡

2016-07-01 | 読書
 知人からの案内で、今度、能「葵上」を観る。
 それで、読み直した。
 源氏物語にある六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)の生霊が、葵上を苦しめるという話である。
 六条御息所は、光源氏の早い時期の恋人。
 光源氏は、彼女の気位の高さに嫌気をさし、逢瀬も避けるようになったという。
 葵上は、光源氏の最初の正妻だが、相性はよくなかったようである。
 六条御息所の生霊が、葵上に祟った直接の因は、賀茂祭の折の車争い。
 見物の場所争いで、葵上が、その権勢をバックに、六条御息所の牛車を壊して、恥をかかせたというものである。
 ここらの話は、謡曲「葵上」にあるわけでなく、当然知っていることとしている。
 以下、六条御息所の語るところ。
 「昨日の花は今日の夢と、驚かぬこそ愚かなれ」
 「月に戯れ色香に染み、華やかなりし身なれども、衰へぬれば槿の、日影待つ間の有様なり」
 「かかる恨みを晴らさんとて、これまで現れ出でたるなり」
 「あら恨めしや」
 「思ひ知れ」
 「夢にだにかへらぬものを我契、昔語になりぬれば、猶も思ひは増鏡、其面影も恥かしや。枕に立てる破車、打ち乗せ隠れ行かうよ、打ち乗せ隠れ行かうよ」

浮きぬ沈みぬ

2016-06-29 | 読書
 謡曲「鵺」を読んだ。
 源頼政の矢に射られて退治された鵺の亡霊が舟人の姿で現れる話である。
 現れるのは、芦屋の浜。
 鵺は、頭は猿、尾は蛇、足手は虎のごとしという怪物である。
 殺された鵺は、空穂舟に押し入れられて、淀川に流された。
 旅僧に弔われる。
 鵺の亡心の裡をのぞいてみたかったが、ザッと読んだだけだったので、よく分からなかった。
 地謡で、「浮む力となりたまえ」「なき世の人に合竹の・・・」「浮きぬ沈みぬ」。
 鵺の亡霊の語りで。
 「我悪心外道の変化となって、仏法王法の障りとならん」
 「思へば頼政が矢先よりは、君の天罰を当りけるよと、今こそ思ひ知られたれ」
 そして、次のようにしめられる。
 「朽ちながら空穂舟の、月日も見えず暗きより、暗き道にぞ入りにける。遙かに照らせ山の端の、遙かに照らせ山の端の、月と共に海月も入りにけり、海月と共に入りにけり」
 鵺はどうして、そう言う宿命となったのか。

秘すれば花

2016-06-28 | 読書
●世阿弥の世界/増田正造著/集英社新書/2015年5月20日発行/760円
 著者は、あとがきで、「能や世阿弥に興味を持たれた方の『索引』の役にもなろうと心がけました」と書いている。能や世阿弥への関心は、以前からあり、謡曲や関連書籍は何冊も読んでいる。能楽の舞台も観ている。そうではあるが、本書は、改めて、能や世阿弥への間心をいや増さしめるものであった。
 まさに、索引の役を果たしてくれた。興味あることが書かれたページは角を折っておいた。そして、謡曲の「半蔀」「戀重荷」を初めて読んだ。
 角を折ったページに記されていること。以下、忘れないためのメモ。
 ・ポール・クローデル著「朝日の中の黒い鳥」(講談社学術文庫)
 ・スポンサーに阿ろうとしなかった能
 ・瀬戸内寂聴作「秘花」(新潮社)、「鵺」
 ・「離見の見」
 ・「散るからこそ花は美しい」
 ・「老いの美学」
 これだけではないのだが。
 結局、世阿弥の精神の姿勢、世の見方に魅かれるのだろうか。孤高を仰ぐ。
 一般的に言えば、世阿弥の作品と生涯についてのガイドブック。

恋の重荷Ⅱ

2016-06-28 | 読書
 岩波書店発行の謡曲集上巻に「恋重荷」が所載されていた。
 以前、発行されていた本である。
 そこには、本文で、恋をした男のことを、「山科の荘司と申して、菊の下葉を取る老人の候ふ」としていた。
 同じ個所、有朋堂文庫では、「山科の荘司とて賤しき者の候、いつも菊の下葉を取らせられ候」であった。
 老人、やはり「老いらくの恋」でいいのか。
 女御は、皇妃。
 かなわぬ恋である。

恋の重荷

2016-06-27 | 読書
 謡曲「戀重荷」を有朋堂文庫で読んだ。
 老いらくの恋の怨念が表現されているとのことで読んでみた。
 庭掃除の身分賤しき者が、女御に恋をする。
 それが、白河院の臣下の知るところとなる。
 男は、掃除の怠りを責められ、女御への恋心を問われる。
 女御は、庭にいれば、わたしに会うこともあろうよとの思いやりを示す。
 女御の姿を見るには、荷を持って、百度千度と庭を廻ればいいとの措置がとられる。
 それは、さげすみ、からかい、いじめ、みせしめのような措置とも、男の乱れ恋の心を鎮めんとの思いやりの措置とも言えた。
 持てと言われた美しく包まれた荷は、きわめて重いものだったのだ。
 「重荷なりとも逢ふまでの、戀の持夫にならうよ」と。
 「重くとも、思ひは捨てじ・・・・いかにも軽く持たうよ」と。
 男は、戀の虜となり、所詮かなわぬ戀であるという冷静な判断はできなくなっている。
 「恋のやっこ」になった男は、その苦役にたえず死んでしまう。
 男が元気な若者でないことは、明確には記されていないようだが、「此程所労仕り」等で伺い知ることはできる。
 女御は、「戀と申すことは、高き賤しき隔てぬ事にて候へども・・・」と、ふびんに感じる。
 恋路の闇に迷う男の話である。
 いにしへのギリシアの詩にもあった。
 「歳をとっても、なお、身を苦しめるのが色恋」と。

花蔭の美女

2016-06-26 | 読書
 謡曲「半蔀」を読んだ。
 源氏物語の夕顔の上の亡霊があらわれる。
 僧が夕顔の上の御亡心を弔う。
 光源氏と夕顔の上の恋の機縁は夕顔の花。
 夕顔の花を扇にのせて、源氏に贈ったのである。
 夕顔の上は、「扇を手に触るる、契りの程のうれしさ」と懐かしむ。
 ここのところ、謡曲を読みたくなっている。
 小学館、岩波書店の謡曲集新旧版。新潮社、有朋堂のもの。
 和田萬吉編の「謡曲物語」等、いつでも手に取れるようにしている。
 小学館の「謡曲集」旧版は、先日、古本市で入手。

日本近現代史史料

2016-06-07 | 読書

【本の紹介】
歴史と私/伊藤隆著/中公新書/2015年4月25日発行/880円
 日本近現代史を研究し、史料収集、整理、出版、保存などに関わった著者の回想録。為してきた作業とそれに関わった人たちのことが記されている。研究対象とした人物の多さ、驚くべき仕事量である。よく知っている人の名も多く出てきて、興味津々で読んだ。中味にふれると、とりとめなくなりそうで、避けておく。
 民社党を歴史にとどめるべく、先輩諸兄が中心となって進めている作業がある。わたしも、その端くれで関わっているが、なんだか桁が違うと感じた。


辛い赤とんぼ

2016-06-07 | 読書

【本の紹介】
トウガラシの世界史/山本紀夫著/中公新書/2016年2月25日発行/928円(税込み)
 著者は、本書を通じ、トウガラシの魅力、役割、歴史を知っていただきたいと言う。
 トウガラシは、中南米原産。大航海時代以降、世界に広まった。まず、植物学的見地から、トウガラシに関する基礎知識が語られている。生存戦略として、普通の動物には、敬遠されるも、鳥とは協力関係にあると。鳥は、その辛さをいとわず、実をたべ、発芽を促すということである。その種類や辛さの因についても。
 それから、トウガラシにまつわるあれこれの知識を地域別(中南米、ヨーロッパ、アフリカ、東南アジア・南アジア、中国、韓国、日本)にまとめている。
 ヨーロッパでは、スペイン、イタリアという南部で利用されている。ラテン系で好まれ、ゲルマン系では好まれないという感じである。また、ハンガリーのパプリカ料理のこと。世界各地のトウガラシ料理のことも語られており、その地へ旅行で行ったら是非食べたいと思わせる。
 以下、記されていたなかで、幾つかのおぼえておきたい知識を列挙。
 ・日本の漬け物生産量第一位はキムチ。
 ・辛さのもとは、カプサイシン。辛いのは胎座の部分。
 ・ブータンは世界一の激辛地で、スパイスでなく野菜としても食べる。
 ・カレーには、トウガラシ、ウコンが利用。
 ・韓国のキムチ(漬け物)に、トウガラシが使われるようになったのは250年ほど前。その歴史は、そんなに長くはない。赤色を魔除けとして歓迎する信仰がバックにあった。
 ・トウガラシは、朝鮮半島には日本から、安土桃山時代に伝わったとする有力説。
 ・加賀の千代女の句「トウガラシ羽ねをはやせば赤とんぼ」


「神曲」

2016-05-05 | 読書
 所用で出かけた銀座の本屋で、ダンテの「神曲」を買う。
 と言っても、イーストプレス発行の「まんがで読破 神曲 ダンテ作」。
 これまで何度か、活字で読もうとしたが、途中で投げ出していた。
 それで、漫画ならばと思った。
 新宿から乗った帰りの電車の中で読み終えた。
 「神曲」の大枠・あらすじ・構成はつかめたような気はした。
 キリスト教の教義に関わる記述、「信・望・愛」のことなども。
 ただ、やはり、しっかりした本で読んだ方がいいだろう。
 そうは思うが、おそらく、なんでこんな字面を追わなきゃいけないのかと言うことになろう。
 この種の本で、ミルトンの「失楽園」なども読みたいと思っているが、おそらく、「神曲」と同じことだろう。

はたと射る

2016-03-01 | 読書
 岩波文庫の保元物語上巻をとりあえず読み終えた。
 白川殿夜襲の戦のさまがとてもリアルに描かれている。
 読解力の乏しさでよく分からないにもかかわらず、惹きつけられるものがある。
 武将達の駆け引き、矢の刺さり方・・・・馬のいななきが聞こえるような。
 ともかく多くの人名も出て、戦う両サイドのどちらかわからないままにも読んだ。
 少し、頭の中を整理して、もう一度読もうと思う。

老子はいいけど

2016-01-17 | 読書
【本の紹介】
●老子のことば/楠山春樹著/斬文会/平成15年7月30日発行/\1500
 孔子より老子のスタイルが好きだ。世俗的な価値観に翻弄されて暮らすのはいやだ。心の平静が得られない。だからと言って、隠者の暮らしに徹底することなど出来そうもない。そのことをしみじみ思った。
 これまで、老子に関する本を何冊も読んできた。これで、一応、おしまいにしよう。だいたい分かったような気分になれた。格別に新しい驚きがあるわけではない。一文字に多くの宇宙をもつ書に接するのは、疲れる。そう言うことで。

ユダも神の御業か

2015-12-26 | 読書
【本の紹介】
●ユダとは誰か/荒井献/講談社学術文庫/2015年11月10日発行/\960
 聖書に登場するイスカリオテのユダである。イエスの十二弟子の一人であり、イエスを「裏切った」ユダについて書かれている。
 新約聖書のマルコ、マタイ、ルカ、ヨハネの四福音書、それに使徒行伝も含め、それぞれの作者が、ユダをどうとらえていたか、その表現から比較される。また、作られた年代が新しくなるほど、ユダが悪く表現される傾向も示されている。ユダの死因についても、同じ新約聖書といっても、首吊り自殺、転落死とされて、見なし方が異なる。改めて、聖書との対し方を考えさせられる。
 いずれにしろ、「神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るべき唯一の正典なり」(日本基督教団)とされる聖書のことで、なんとも興味深い。
 さらに、正典からはずされている「ユダの福音書」も取り上げられて、ユダ像が追いもとめられる。
 ユダの所業は、神の意のうちにあったのか、悪魔に入り込まれてのものであったのか。神学的知識に乏しい私には、断定的なことは言えない、言って、識者から不審視されるのも不本意である。
 ただ、神を全能とすれば、ユダの「裏切り」も、神の御業のうちととるのが、自然のように思う。また、人間ユダは、他の弟子に較べ、より思惟深く、知的で、誇り高かったのではとの印象を強くした。

【本の紹介ついでに】
ここのところ読書量が減っている。
読書後に本の内容をコンパクトにまとめておくこともやっていない。
なんだか、目先のことに追われすぎているようだ。
それでも、本を手に取らないわけではない。
●イタリア「色悪党」列伝/ファブリツィオ・グラッセッリ著/文春新書/2015年7月20日発行/\780
●2045年問題/松田卓也著/廣済堂新書/2013年1月1日発行/\800
●さらば、資本主義/佐伯啓思著/新潮新書/2015年10月20日発行/\740
以上は、それなりに読んだもの。その他、友人の本も読んだ。本棚を点検、手に取っただけのものは、まだまだあった。

「古九谷夢譚」

2015-09-23 | 読書
 先般、幼なじみの東出甫国が著した「古九谷夢譚」という小説を読んだ。
 掲載誌を贈ってくれた。
 古九谷が、17世紀半ばに現れ、数十年後に歴史から忽然と姿を消した経緯を書いている。
 著者は、その原因を当時のキリシタンに対する政治措置に求める説によって小説を作っている。
 古九谷は、石川県生まれのわれわれにとって、郷土の誇りのひとつである。
 友が、それを題材にしているのがとても嬉しかった。
 古九谷の皿の絵柄に、隠れキリシタン説を推測する文を読んだことがあるが、それが何だったか忘れた。
 また、彼に、坂口安吾の「イノチガケ」を薦められて読んだことを思い出した。
 キリスト者の殉教をあつかった小説である。
 わたしたちも齢ととってきた。
 少年の日々がなつかしい。 
 たまたま、仙人草の写真。その十字形。

占領下に生まれた

2015-08-04 | 読書
 戦後70年だからと言う訳ではない。
 たまたま、人に薦められたりして読んだ。
 一冊は、福永文夫著の「日本占領史1945~1952」。
 もう一冊は、アンネッテ・ヴァインケ著・板橋拓己訳の「ニュルンベルク裁判」。
 いずれも、中公新書である。
 私の幼なかった時代の日本とドイツのこと。