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“ヴィーナスの片思い”

2024-10-25 | 読書

 プラトンの「饗宴:シュンポシオン」を中澤務訳で読むことにした。
 2013年9月20日発行の光文社〔古典新訳〕文庫である。
 紀元前4世紀の作品で、題名の「饗宴」は、当時の宴会で、男たちがクリネという寝椅子に身を横たえ、ワインを飲みながら行われた。
 プラトンの「饗宴」は、高尚な宴会のさまをなし、そこでは、“エロス”について語り合われる。
 いわゆる猥談、エロ話のようなものではなく、愛の神である“エロス”をどのようにとらえるかである。
 “エロス”賛美が展開される。
 これから、読み進めるのはいいが、一般的に“エロス”と言ったとき、どのように捉えるのがいいか、基礎的なことを確認しておきたい。
 ギリシア神話では、12柱の神々が、オリュンポス山の山頂に住んでいると伝えられていた。いわゆる「オリュンポス12神」である。その神々は、通常以下の通りである。
 ・ゼウス
 ・ヘーラー
 ・アテーナー
 ・アポローン
 ・アプロディーテー
 ・アレース
 ・アルテミス
 ・デーメーテール
 ・ヘーパイストス
 ・ヘルメース
 ・ポセイドーン
 ・ヘスティアーorディオニューソス
 そして、エロスは、アフロディテから生まれたとの記述にも接する。
 そういうことなのだろうが、“饗宴”では、次のように記されている。
 第2章で、カオスから、ガイア(ゲー)とエロスが生まれたとある。最も古い神のひとりとある。
 末尾で、以下のようにまとめられている。
 「・・・・ようするに、エロスは神々の中で最も古く、最も尊い神であり、人間が勇気と幸福お手に入れようとするときには、生きているときであれ死んでからであれ、最も大きな力になってくれる神なのです」
 第3章では、エロスは二人いる、アフロディテとエロスは一心同体、アフロディテも二人いる、アフロディテは〈天のアフロディテ〉と〈俗のアフロディテ〉・・・とある。
 ここらのこと、視覚デザイン研究所編「ヴィーナスの片思い・神話の名シーン集」に分かりやすくあったと思って開いてみた。
 カオスからガイア(大地)が現れ、ガイアは、ウラノス(天空)とポントス(海)を生む。ガイアは、息子のウラノスと交わって、大勢の子供たちを生む。
 このように、ややこしい出生がつづく。
 とても、面白いが、何が定説なのかと迷うことになる。
 さて、プラトンの「饗宴」は、あれこれ思わず、そのままを素直に読んだ方がよさそうである。

 


“中性的な少年”

2024-10-25 | 読書

 先日、田中英道氏の「日本美術全史」(講談社学術文庫)で、興福寺の阿修羅像のことに触れている箇所を読んだ。
 阿修羅像の顔貌、肢体のことであろうが、“中性的な少年の姿”との記述があった。
 そこに、プラトンの「饗宴」にある“人間は二人で一人”という人間のとらえ方が紹介され、阿修羅像の姿のことが語られていた。
 それで、プラトンの「饗宴」を読んでみようかと思った。


“ギリシア・ローマの哲人”

2024-10-23 | 読書

 高校生の頃だったと思う。確か、田中美知太郎の著作だったと記憶しているが、人間の歴史に輝きを放つ聖人、哲人を紹介したものを読んだ。
 以来、その手の本を時に手に取る。
 今、手元にあるのは、ロジェ=ポル・ドロワ&ジャン=フィリップ・ド・トナック著 / 中山元訳の「ギリシア・ローマの奇人たち・風変わりな哲学入門」(2003 紀伊國屋書店)、山本光雄著「ギリシア・ローマ哲学者物語」(2003 講談社学術文庫)。
 これらが、面白いのは、哲学者たちの思想よりも、その思想にもとづいた言動に焦点をあてて述べられているところにある。
 はじめ、「ギリシア・ローマ哲学者物語」を手にしたのは、エピクロスをもっと知りたいと思ったからだった。
 本は、著者が、若い学生に、哲学者の言論と行動を夜語りすることで紹介するスタイルがとられている。
 前編15夜、後編14夜で構成され、きっと全編を読むことはなかろうと思ったが、読み出すと面白く、一通り読み切った。
 読んだのは、しばらく前のことで、忘れたことも多いが、印象に残ったのは、後編第八夜に取り上げられた「X氏」である。
 その「X氏」は、この本で取り上げられた人物の中で、ただ一人、哲学者ではないのである。
 キリスト教のパウロである。
 哲学と信仰は別である。そのことを思いながら読んで、いろいろ考えさせられるところがあった。
 今回は、前編第13夜の「プラトン」を読み直した。
 今さらとの思いを抱きつつ、プラトンの「饗宴」を読み出したので、余りに正統派のイメージが強くて、興味がわかないプラトンであるが、一応、目を通しておこうかと。
 ただ、プラトンについては、沓掛良彦訳「ビエリアの薔薇・ギリシア詞華集選」(平凡社)で、数編の詩を読んでいて、かつてのプラトンのイメージを改めた方がいいかなとの思いもあった。


新古今和歌集 巻第十

2024-10-18 | 読書

 【新古今和歌集 巻第十 羈旅歌】
 羈旅歌からは、五首。
 紫式部 かき曇り夕立つなみの荒ければ浮きたる舟ぞしづごころなき
 赤染衛門 ありし世の旅は旅ともあらざりきひとり露けき草まくらかな
 大納言経信 み山路に今朝や出でつる旅人の笠しろたへに雪つもりつつ
 大納言経信 夕日さす浅茅が原の旅人はあはれいづくに宿をかるらむ
 入道前関白太政大臣 日を経つつみやこしのぶの浦さびて波よりほかの音づれもなし
 旅となると、不安やさみしさがつきまとうことに・・・。
 そんな歌が多いように感じた。


新古今和歌集 巻第九

2024-10-11 | 読書

 【新古今和歌集 巻第九 離別歌】
 離別歌からは、一首だけ。
 藤原顕綱朝臣 色深く染めたる旅のかりごろもかへらむまでの形見とも見よ
 新古今和歌集は、巻第二十まである。
 ほぼ半分に目を通したことになる。
 もっと早く、投げ出すことになるかと思っていたが、第九まできた。


新古今和歌集 巻第八

2024-10-11 | 読書

 【新古今和歌集 巻第八 哀傷歌】
 哀傷歌より七首にチェック。
 和泉式部 ねざめする身を吹きとほす風の音を昔は袖のよそに聞きけむ
 前大僧正慈圓 ふるさとを戀ふる涙やひとり行く友なき山のみちじばの露
 東三條院 水底に千々の光はうつれども昔のかげは見えずぞありける
 上東門院 逢う事も今はなきねの夢ならでいつかは君をまたは見るべき
 紫式部 誰か世にながらへて見む書きとめし跡は消えせぬ形見なれども
 加賀少納言 亡き人を忍ぶることもいつまでぞ今日の哀は明日のわが身を
 藤原清輔朝臣 世の中は見しも聞きしもはかなくてむなしき空の煙なりけり
            ◇
 和泉式部の“身を吹きとほす風の音”と言う表現が印象に残った。
 上東門院は藤原道長の子である彰子。
 歌にある“君”は一条天皇のことで、崩じたのちに詠まれた。


新古今和歌集 巻第七

2024-10-09 | 読書

 【新古今和歌集 巻第七 賀歌】
 賀歌より三首。
 この巻は、歌の数も少ない。
 賀歌を詠めるというのは、恵まれたことだ。
 古い歌には、おおらかさがある。
 仁徳天皇御歌 高き屋にのぼりて見れば煙たつ民のかまどはにぎはひにけり
 紀貫之 木綿だすき千年をかけてあしびきの山藍の色はかはらざりけり
 式子内親王 天の下めぐむ草木のめもはるにかぎりも知らぬ御世の末々
          ◇
  式子内親王の歌、漢字を多くして書いてみた。
 天のした 恵む草木の 芽も張るに 限りも知らぬ 御代の末々
 これでいいのか、分からぬが。
 長くつづくことは、賀することなんだなあ。

 


新古今和歌集 巻第六

2024-10-09 | 読書

 【新古今和歌集 巻第六 冬歌】
 冬歌より六首。
 もっと侘しくなるかと思ったが。
 藤原清輔朝臣 冬枯の森の朽葉の霜のうへに落ちたる月のかげのさむけさ
 守覚法親王 立ちぬるる山のしづくも音絶えてまきの下葉に垂氷しにけり
 紫式部 ふればかくうさのみまさる世を知らで荒れたる庭に積る初雪
 赤人 田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
 和泉式部 かぞふれば年の残りもなかりけり老いぬるばかり悲しきはなし
 皇太后宮太夫俊成 今日ごとに今日や限と惜しめどもまたも今年に逢ひにけるかな
            ◇
 和泉式部の歌、彼女にしては、余りに単純。何歳の歌なのだろうか。
 「垂氷」は、”たるひ”とよむようだ。

 


“・・・呪縛の塔”

2024-10-09 | 読書

 澁澤龍彦による「佛蘭西短篇飜訳集成 Ⅰ(S57.2.27 立風書房)」より、マルキ・ド・サドの「ロドリゴあるいは呪縛の塔」を読んだ。
 長らく書棚にある本で、以前に読んだのかも知れぬが、まるきり覚えていなかった。
 夜、それなりの読みものをと思って取り出したのだ。
 ロドリゴなる暴君が主人公である。
 “悪行”に明け暮れ、国庫が底をつきそうになり、戦争資金の調達のため、いわるる地獄巡りの旅をするというような話だ。
 後段では宇宙を翔る中で“神”の声を聞いたりする。
 人の悪徳と美徳についてのサドの思いがあれこれ綴られていると言えよう。
 悪徳と美徳が交錯する人の世界においては、確固とした道標は立てがたいとのことであろうか。


新古今和歌集 巻第五

2024-10-07 | 読書

 【新古今和歌集 巻第五 秋歌 下】
 秋歌の下より、六首選んで記した。
 わたしに、和歌を選別する素養があるとは思っていないが。
 寂蓮法師 野分せし小野の草ぶし荒れはててみ山に深きさを鹿の聲
 善滋為政朝臣 郭公鳴く五月雨に植えし田をかりがねさむみ秋ぞ暮れぬる
 藤原雅経 みよし野の山の秋風さ夜ふけてふるさと寒くころもうつなり
 式子内親王 千たびうつ砧のおとに夢さめてもの思ふ袖の露ぞくだくる
 花園左大臣室 九重にうつろいぬるとも白菊のもとのまがきを思ひ忘るな
 源俊頼朝臣 故郷は散るもみぢ葉にうづもれて軒のしのぶに秋風ぞ吹く
            ◇
 「軒のしのぶ」は、古い家の軒などに生えるシダ科の植物。“偲ぶ”がかけられている。


新古今和歌集巻第四

2024-10-04 | 読書

 【新古今和歌集 巻第四 秋歌 上】
 秋歌の上より、なんとなくいいと思った九首をピックアップした。
 風や夕暮れの空などに秋の到来を感じてのもの、荻や萩、女郎花、七夕の天の川、月・・・が詠み込まれている。
 曽禰好忠 朝ぼらけ荻のうは葉の露みればややはださむし秋のはつかぜ
 山部赤人 この夕べ降りくる雨は彦星のと渡る舟の櫂のしづくか
 式子内親王 ながむればころもで涼しひさかたの天の河原の秋の夕暮れ
 待賢門院掘河 たなばたの逢瀬絶えせぬ天の河いかなる秋か渡り初めくむ
 寂蓮法師 さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮れ
 藤原定家朝臣 見渡せば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕暮れ
 和泉式部 秋来れば常磐の山の松風もうつるばかりに身にぞしみける
 和泉式部 たのめたる人はなけれど秋の夜は月見て寝べき心地こそせね
 左京太夫顕輔 秋風にたなびく雲の絶え間より漏れ出づる月の影のさやけさ
      ◇
 和泉式部の「たのめける・・・」、特別いいとは思わないが、彼女らしい歌だと思った。
 間違っているかも知れないが、以下のように解した。
  秋の夜
  訪ねてくれると頼みにしていた人はやって来ない
  今夜はさみしくひとり寝かしら
  頼りになるのは空のお月さん
  わたしを訪ねてくれるのはお月さん
  お月さんを見て
  お月さんと一緒に寝よう


新古今和歌集巻第三

2024-10-01 | 読書

 【新古今和歌集 巻第三 夏歌】
 民部卿範光 郭公なほひとこゑはおもいでよ老曾の杜の夜半のむかしを
 皇太后宮太夫俊成 わが心いかにせよとてほととぎす雲間の月の影に鳴くらむ
 式子内親王 聲はして雲路にむせぶほととぎす涙やそそぐ宵のむらさめ
 皇太后宮太夫俊成 今日はまた菖蒲のねさへかけ添えて乱れぞまさる袖のしら玉
 惠慶法師 わが宿のそともに立てる楢の葉のしげみに涼む夏は来にけり
 式子内親王 窓近き竹の葉すさぶ風の音にいとどみじかきうたたねの夢
 西行法師 道の辺に清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちとまりつれ
     ◇
 以上、夏歌七首を書き写してみた
 夏歌の中には、蝉・ひぐらしなども出てくる
 老曾の杜:滋賀県安土町東老蘇の奥石神社の森
 皇太后宮太夫俊成の歌の「今日」は、端午の節句の五月五日

 菖蒲のね:あやめの根:平安時代には、菖蒲の根の長さを競う“根合わせ”という遊びがあった
 あやめ(菖蒲):しょうぶの古名:葉の剣のような形、強い香気から、邪気を払うとされ、軒や車にさした


新古今和歌集巻第二

2024-09-29 | 読書

 【新古今和歌集 巻第二 春歌 下】
 式子内親王 はかなくて過ぎにしかたを数ふれば花にもの思う春ぞ経にける
 山部赤人 ももしきの大宮人はいとまあれや桜かざして今日もくらしつ
 伊勢 山さくら散りてみ雪にまがひなばいづれか花と春にとわなむ
 皇太后宮太夫俊成女 風かよふ寝ざめの袖の花の香にかをるまくらの春の夜の夢
 式子内親王 八重にほふ軒端の桜うつろひぬ風よりさきに訪ふ人もがな
 藤原家隆朝臣 さくら花夢かうつつか白雲のたえてつねなきみねの春風
 左近中将良平 散る花の忘れがたみの峰の雪そをだにのこせ春の山風
 式子内親王 花は散りその色となくながむればむなしき空に或る覚めぞ降る
 厚見王 かはづなく神なび川に影見えていまや咲くらむ山吹の花
    ◇
 神なび川は、神南備川で、飛鳥川でないかとされている。
 かわづは、声のいい“かじか”と考えられる。
 日頃の親しみのせいか、式子内親王の和歌がよく思える。
 単純な感動を歌ったものより、人の心のなかに入り込んだものの方がよく感じる。


新古今和歌集巻第一

2024-09-28 | 読書

 「新古今和歌集」は、後鳥羽院の院宣によってなった第八番目の勅撰和歌集。
 建仁元年(1201)に下命、元久二年(1205)に成る。
 その後5年くらい改訂作業が続いて、今日に伝わるかたちになる。
 選者:源通具、藤原有家、藤原定家、藤原家隆、藤原雅経の5人に後鳥羽院。
 政治の実権が源氏から北条に移る時代に成っている。
    ◇
 何か読もうと思った。あれこれ考えた末、「新古今和歌集」にした。
 世界的な名作に触れようかとおもったが、翻訳物より、和文の方がいいだろうと。
    ◇
 ともかく、巻第一からはじめて、気に入ったものがあったら書き写そう。
 【巻第一 春歌 上】
 摂政太政大臣 み吉野は山も霞みて白雪のふりにし里に春は来にけり
 式子内親王 山深み春とも知らぬ松の戸にたえだえかかる雪の玉水
 西行法師 岩間とぢし氷も今朝はとけそめて苔のした水道求むらむ
 惟明親王 鶯の涙のつららうちとけて古巣ながらや春を知るらむ
 藤原定家朝臣 春の夜の夢の浮橋とだえして峰に別るる横雲の空
 皇太后宮太夫俊成女 梅の花あかぬ色香も昔にておなじ形見の春の夜の月
 式子内親王 ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな
 式子内親王 いま桜咲きぬと見えて薄曇り春に霞める世のけしきかな
 読人しらず 臥して思ひ起きてながむる春雨に花の下紐いかに解くらむ


“和泉式部の和歌”

2024-09-06 | 読書

 和泉式部の和歌について感じていることを記しておこうかと思った。
 もとより、わたしに和歌に関する素養があるわけでなく、古文の知識があるわけでもなく、あくまで素人の感想でしかないだろうが。
 ただ、和泉式部には惹かれるものがあり、岩波文庫の「和泉式部和歌集」を持ち歩いて、通勤の電車の中で開いていたこともあった。
 まとまった関連書籍では、馬場あき子著の「和泉式部(河出書房新社、1990年)」、沓掛良彦著の「和泉式部幻想(岩波書店 2009年)」を読んだことがある。
  どこまで読み込めたかかは別に、両著とも、詩情への理解深く、ハイレベルなものとの印象をもった。
 今回、笠間書院の“コレクション日本歌人選”の一冊、高木和子著「和泉式部」を読んだ。
 50の和歌をピックアップし、一首見開き2ページで解説したものである。
 私にとっては、和泉式部の和歌を理解するうえで、とても参考になった。
 かねてより、和泉式部の和歌は、その意味・詩情を理解しにくいものが多いと感じていた。
 単体で素晴らしいと感じるものが少なかったのである。
 詞書きが付いていても、それだけでも分かりにくかった。
 その和歌がつくられた周辺事情を知ることなしでは、意味がとりにくいこと、贈答歌が多く、お互いにどのような言葉を使ったか、そこらを知ると、理解が深まること、高木著を読んで、いくらか分かるようになった。
 言葉の選択の妙、リズムのこと、詩情の地平を広げたことも説明されていて、なるほどと思った。
 そして、いくらか理解が出来るようになると、改めて、和泉式部の詩人としての凄さを感じた。どれもこれも激烈である。
 容易にまねの出来ないオリジナリティを感じた。
 例えば、帥宮挽歌群の次の一首。
 うちかへし思へば悲し煙にもたち後れたる天の羽衣
 「うちかへし思へば悲し」で切れており、その意味は、“あらためて思うと悲しい”となる。
 「煙」は、愛した人の荼毘の煙であり、“死”を意味する。
 よって、「煙にもたち後れたる」は、“愛した人は死に、遺体は燃やされ煙となってしまった。わたしはとは言えば、ともに死ぬことなく、遅れをとってしまった”となる。
 「天の羽衣」、この「天」は、「尼」でもあり、自分のことであることをにおわせ、煙とともに天に昇る羽衣もない、“死の世界へ昇ることができず、ただ取り残されている”そのような意味となる。
 そこには、死をものぞむ、激しい愛のさまがある。悲鳴をあげている女がいる。
 和泉式部の色恋は、そんな激しさをともなう。
 満たされないときのもの思いも、魂の深淵をのぞくものとなる。
 確か、藤原道長は、和泉式部のことを「うかれ女」と呼んだ。
 現実の和泉式部は、外から見れば、そう言われても仕方ないところがあったのだろう。
 ただ、彼女の心のうちには、内へ、底へと向かう情動が常にあったのだと思う。
 それに、贈答歌の妙を思うと、人の心情への理解と、そこに相手の魂を突き刺さんばかりの剣が秘められていたことを感じる。
 さて、そんな和泉式部であるが、同時代を交流しながら過ごした紫式部はどう見ていたのか。
 この二人には、詩人と小説家の違いのようなものを感じてしまうが。
 《紫式部日記に記された和泉式部評》※以下は、このブログ記事の再掲。
 【原文】
 和泉式部といふ人こそ、おもしろう書きかはしける。されど、和泉はけしからぬかたこそあれ。うちとけて文はしり書きたるに、そのかたの才ある人、はかない言葉の、にほいも見え侍るめり。歌は、いとをかしきこと、ものおぼえ、うたのことわり、まことの歌よみざまにこそ侍らざめれ、口にまかせたることどもに、かならずをかしき一ふしの、目にとまるよみそへ侍り。
 【私訳1】※いささか勝手に
 和泉式部という方は、男性ととてもすてきな歌のやりとりをしました。それはいいのですが、男性にちやほやされていなと気がすまないようなところがあって、しかも、すぐさまからだの関係もできてしまう困ったところがありました。何か節度が欠けているのです。さりげなく、さらっと風雅な歌を詠む才がありました。そのなかにきらりと光るものがあるのです。ところが、歌論的な素養がなくて、本格的な歌人とは言い難い方でした。
 【私訳】※なるべく原文に近く
 和泉式部というひとは、すてきに歌を交わしました。ですが、けしからぬところがありました。さりげなく、さらっと文を書くと、才がきわだち、その言葉に香りたかさがありました。歌は風雅でしたが、歌の知識や理論には足りないものがあって、まことの歌人とは言えません。思いつくままの即興にも、必ずすばらしいところがあって、目を引くものが含まれています。