『NHK特集 シルクロード』全12集を観終わって、過酷なロケを慣行したスタッフの人間力を感じました。シルクロードの幹線から外れ果てしない砂漠を、駱駝に乗って昔の城下の廃墟を数日かけて取材しますが、道に迷ったタイムロスもあり、水が枯渇し隊員の命が危ぶまれる場面がありました。
今から40年以上前の撮影なので画面が古臭く見えましたが、引き込まれる魅力でした。空撮の映像がかなりあり、ドローンもなかった時代ですので、当時はヘリコプターからの撮影です。この企画は日中共同取材、NHKと組んだ中国中央電視台は国営放送局であり、中国人民解放軍の取材への協力の様子も映し出されていました。
NHKはその三年後、『シルクロード第2部 ローマへの道』と題し、昭和58年4月から毎月1回全18回を放映します。初回の『NHK特集 シルクロード』は、中国長安を出発しパキスタンとの国境パミール高原までで終わりました。第2部は、そこから更に西域の、インド・中央アジア・アナトリア半島(トルコ:小アジア)・地中海・ローマへ至る道を紹介しました。
シルクロードは、一体どこからどこまでを(東西の起点)言うのでしょうか。因みにユーラシア大陸を挟んで、東洋と西洋を繋ぐ歴史的な交易路は三つあると言われています。北方の草原地帯のルートの草原の道、中央の乾燥地帯のルートであるオアシスの道、インド南端を回るルートの海の道、この三つです。最も古くから利用されていた、オアシスの道を指してシルクロードと言います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7b/fd/8b2060dfabbf0d4c57a568539a331799_s.jpg)
そのシルクロードの起点は、東は中国長安で西はアンティオキア(シリア)とする説もあり、中国側は洛陽で西側はローマとみる説もあり、日本が東端だったとするような説もあります。特定な国家や組織が統括していたわけではないので、そもそもどこが起点など明確に定められる性質ではないとの考えもあります。ローマから日本(奈良)までがシルクロードなら、全長1万5千キロです。
交易の他に宗教伝来に重要な役割を果たしたシルクロードです。玄奘三蔵(中国唐代の僧)は、シルクロードを行き来してインドから多くの経典や仏像を持ち帰ります。日本で最も流布しているのは「般若心境」で、これは玄奘の漢訳本です。当本に対応するサンスクリット本はインドや中国にも残っておらず、法隆寺に残るのが唯一です。そんな由縁もあり、その意味で私はシルクロードの東端は日本だと思います。『NHK特集 シルクロード』には、玄奘が辿った足跡が浮かび上がっていました。
ユーラシア大陸の真っただ中の乾燥地帯のルートを、どうして旅人(隊商)は行き交うことができたのでしょうか。そこはオアシスの道と言われる通り、オアシスが在ったからです。オアシスとは、砂漠の中で水が湧き樹木の生えている所で、疲れを癒し心の安らぎを与えてくれる場です。
更に言えば、この地帯は河川や雪解け水を水源とする大規模なオアシスがあり、農業が営まれ集落が形成され、隊商は水と食料を補給することが可能となったのです。史実上、シルクロードには多くのオアシス都市国家が存在し、覇権を競い合ったと言われます。そこで、このオアシスが出来る、「特殊な地形はどうして形成されたのか」の疑問が生じます。
㋁にNHKBSで『体感!グレートネイチャー SP「シルクロード絶景地帯をゆく」』と題する番組を観ました。この番組自体は、迫力ある大スケールで世界各地の大自然を、シリーズで紹介するものです。今回は東西に延びる山脈を縫うように繋がるシルクロードの絶景を訪ね、多色彩の奇岩の台地や泥の火山、空を映し出す白い湖、多彩な風景がどうして出現したのかが解明されています。この番組で、先ほどのオアシスが出来る、特殊な地形が形成される謎が解けました。
かつて旅人が行き交った東西の回廊もオアシスも、ヒマラヤの造山運動などによりできたというのです。東西に延びる幾つもの山脈が誕生して、その山肌を縫うように生まれたシルクロード。その造山は5000万年前にさかのぼります。 ~次回の続く~
今から40年以上前の撮影なので画面が古臭く見えましたが、引き込まれる魅力でした。空撮の映像がかなりあり、ドローンもなかった時代ですので、当時はヘリコプターからの撮影です。この企画は日中共同取材、NHKと組んだ中国中央電視台は国営放送局であり、中国人民解放軍の取材への協力の様子も映し出されていました。
NHKはその三年後、『シルクロード第2部 ローマへの道』と題し、昭和58年4月から毎月1回全18回を放映します。初回の『NHK特集 シルクロード』は、中国長安を出発しパキスタンとの国境パミール高原までで終わりました。第2部は、そこから更に西域の、インド・中央アジア・アナトリア半島(トルコ:小アジア)・地中海・ローマへ至る道を紹介しました。
シルクロードは、一体どこからどこまでを(東西の起点)言うのでしょうか。因みにユーラシア大陸を挟んで、東洋と西洋を繋ぐ歴史的な交易路は三つあると言われています。北方の草原地帯のルートの草原の道、中央の乾燥地帯のルートであるオアシスの道、インド南端を回るルートの海の道、この三つです。最も古くから利用されていた、オアシスの道を指してシルクロードと言います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7b/fd/8b2060dfabbf0d4c57a568539a331799_s.jpg)
そのシルクロードの起点は、東は中国長安で西はアンティオキア(シリア)とする説もあり、中国側は洛陽で西側はローマとみる説もあり、日本が東端だったとするような説もあります。特定な国家や組織が統括していたわけではないので、そもそもどこが起点など明確に定められる性質ではないとの考えもあります。ローマから日本(奈良)までがシルクロードなら、全長1万5千キロです。
交易の他に宗教伝来に重要な役割を果たしたシルクロードです。玄奘三蔵(中国唐代の僧)は、シルクロードを行き来してインドから多くの経典や仏像を持ち帰ります。日本で最も流布しているのは「般若心境」で、これは玄奘の漢訳本です。当本に対応するサンスクリット本はインドや中国にも残っておらず、法隆寺に残るのが唯一です。そんな由縁もあり、その意味で私はシルクロードの東端は日本だと思います。『NHK特集 シルクロード』には、玄奘が辿った足跡が浮かび上がっていました。
ユーラシア大陸の真っただ中の乾燥地帯のルートを、どうして旅人(隊商)は行き交うことができたのでしょうか。そこはオアシスの道と言われる通り、オアシスが在ったからです。オアシスとは、砂漠の中で水が湧き樹木の生えている所で、疲れを癒し心の安らぎを与えてくれる場です。
更に言えば、この地帯は河川や雪解け水を水源とする大規模なオアシスがあり、農業が営まれ集落が形成され、隊商は水と食料を補給することが可能となったのです。史実上、シルクロードには多くのオアシス都市国家が存在し、覇権を競い合ったと言われます。そこで、このオアシスが出来る、「特殊な地形はどうして形成されたのか」の疑問が生じます。
㋁にNHKBSで『体感!グレートネイチャー SP「シルクロード絶景地帯をゆく」』と題する番組を観ました。この番組自体は、迫力ある大スケールで世界各地の大自然を、シリーズで紹介するものです。今回は東西に延びる山脈を縫うように繋がるシルクロードの絶景を訪ね、多色彩の奇岩の台地や泥の火山、空を映し出す白い湖、多彩な風景がどうして出現したのかが解明されています。この番組で、先ほどのオアシスが出来る、特殊な地形が形成される謎が解けました。
かつて旅人が行き交った東西の回廊もオアシスも、ヒマラヤの造山運動などによりできたというのです。東西に延びる幾つもの山脈が誕生して、その山肌を縫うように生まれたシルクロード。その造山は5000万年前にさかのぼります。 ~次回の続く~
私はインドを訪れたことはありませんが、是非行ってみたい国です。
貴重な体験をされたこどでしょう。
コメントありがとうございます。