梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

日本人が知らない歴史(その3)

2022年03月26日 05時43分19秒 | Weblog
ロシアがウクライナに侵攻して一ヵ月経ちました。長期化しているということは、短期決戦を目論んだロシアが苦戦していることが窺えます。ロシアが自国兵だけではなく傭兵の手を借りたり、生物・化学兵器を使用する恐れも広がったり、むしろ追い詰められている現状があらわです。また、日本とロシア間の平和条約交渉の中断にまで飛び火しています。ウクライナと同様日本も海を隔ててですが、ロシアと隣接していて、歴史的に難しい問題を抱えていることを再認識します。

日本人が知らない歴史として、今ウクライナの独自性が注目を集めていると感じます。新聞の本の広告で、『物語 ウクライナの歴史/ヨーロッパ最大の大国』に目を引かれました。「不撓不屈のアイデンティティはどのように育まれてきたのか」「ロシア帝国やソビエト連邦のもとで忍耐を強いられながらも、独自の文化を失わず、有為の人材を輩出」「キエフ・ルーシ公国の隆盛、コサックの活躍から、1991年の新生ウクライナ誕生まで、この地をめぐる歴史を俯瞰」。この様な示唆が並びます。

歴史には、史実をどのような観点で捉えるのかの「歴史観」があります。列強の侵略にさらされながら他国に屈しなかった、ウクライナ人の見据える歴史観は、上記のような確かなものだと思います。一方ロシアのプーチン大統領には、「ウクライナはロシアの一部だ」とのプーチンなりの歴史観はあるのでしょうが、武力で他国を制圧しようとする姿勢は他国から容認されません。独裁者が偏った歴史観をもってしまうと、世界を巻き込んで、向かう行く末まで歪めてしまう危険性があります。

さて話は変わりますが、話題を日本に移します。日本人の日本に対する歴史観はどのようなものなのでしょうか。本郷和人著『歴史をなぜ学ぶのか』の本を最近読みました。本郷氏は東京大学史料編纂所教授、文学博士。専攻は日本中世政治史、古文書学です。東京大学史料編纂所は、古代から明治維新期に至る、前近代日本史関係の史料を対象とし研究する所とのことです。この本では、歴史の専門家だけではなく私達一般人が歴史を学ぶ意義を説きます。

「歴史資料を読み解き、歴史研究者が現代人にもわかるようなかたちで編纂したものは、言ってみれば歴史を学ぶ上で材料に過ぎない。問題は、そうした材料をどう組み合わせていくかなのである。その組み合わせを考えることこそが、その人なりの歴史を学ぶことなのである。その意味では、歴史研究を専門にするかしないかは関係なく、誰でも歴史を考えることができる」。このように氏は、私達に新しい歴史像を是非考えてもらいたいと促します。

「そして歴史を学び考えることを通じて、研究者が書く歴史を吟味する目を育ててもらいたい。吟味する目を持つということは、歴史を学ぶ時だけに限らず、実生活に於いても十分役に立つ。これ等を見につけられた時、私達は自分の“来し方行く末”、つまり自分の存在はいったいどこから来てどこへ行くのか、要は自分が生きている現代を深く学ぶことができるようになる」。と、過去だけではない歴史の視点を示します。

学生の頃の私は、歴史の授業は好きではありませんでした。日本史にしても世界史にしても試験に向けて、とにかく暗記一辺倒だったからです。一夜漬けで覚えたものは残りません。私が歴史に関心を持ったのは50歳を過ぎてからです。人に誘われ、歴史を学び語る会に入ったことにも切っ掛けとなりました。歴史には多くの教訓があり、経営や人生にも生かせるのではと思えるようになったのも、ある程度の歳月は必要でした。今やNHKの大河ドラマは欠かさず観るようになりました。ドラマであり純粋な歴史番組ではありませんが、興味をそそるのはストーリー性があるからです。

「現代の日本史の教科書は、実証的な客観性に基づく学問である以上、それは非常に大切なことである。しかし、読み物としてはあまりに無味乾燥な文体で面白くない。歴史的事実には原因があり、結果があるはず。それを無視して事実だけを羅列する。だから暗記するしかない科目になっているのではないか。若い人たちの日本史離れの傾向を変えるには、歴史って面白いと思ってもらうことが先ずは重要で、そのためにはある程度の物語性があってもいいのではないか」。本郷氏は教科書の執筆者に選ばれた時、それを実行しようとしました。けれども高校の先生に無駄が多過ぎると反対され、教科書を作る情熱が萎んでいくのを感じたそうです。

私の体験でも、歴史って面白いと感ずることが先決だとの共感があります。因果の物語から見えてくるものがあります。   ~次回に続く~ 



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日本人が知らない歴史(その2)

2022年03月19日 06時20分55秒 | Weblog
今回のロシアによるウクライナ侵攻によって、ウクライナでは国外へ脱出する多くの難民が出ています。この難民に関して、また日本人が知らない歴史があると思いました。国境を海で囲まれた日本にとって、他国からの難民は大きな問題ではないかもしれません。しかし大陸の中で国境を接する国にとって状況は全く違ってきます。例えばウクライナは何故ポーランドに向かう難民が多いのか、その疑問がわきます。

その疑問を解くためにはウクライナの歴史を知らなくてはなりません。今回色々調べ勉強してみましたが、複雑で中々頭に入ってきませんでした。しかしごく簡単に記すならば、こうなります。9世紀にキエフ大公国が繁栄。モンゴル帝国に侵攻された後は弱体化し、14世紀にはポーランド・リトアニアの支配を受ける。18世紀にロシア領となり、ロシア革命の時独立したが、ソビエト政権が成立してソ連邦を構成する社会主義共和国となった。1991年ソ連が崩壊し分離独立。2014年からクリミア半島、ウクライナ東部を巡りロシアと激しく対立している。

ウクライナの国旗は青と黄色の二色ですが、上は青空、下は小麦をイメージしています。それだけ小麦の産地であり、「欧州のパン籠」と呼ばれるほど肥沃な国土を持っているのです。肥沃な土地だからこそ、周辺の侵略を受けやすい環境にあったともいえます。欧州の中央にあって広大な面積を有するウクライナを、どこが支配するかで状況が大きく変わってくることも分かります。その複雑な歴史のくり返しなのでしょう。

なかでもロシアにとって、ウクライナは特別な土地となります。ロシアの語源になった「ルーシ」は、9世紀には現在のウクライナに存在していた国家です。キエフが中心であり、それでキエフ大公国と呼ばれていたのです。モンゴルの侵略を受け滅亡状態になると、生き残った勢力はモスクワに移ってモスクワ大公国になり、やがてロシア帝国に発展します。つまりロシアのルーツはウクライナです。故にロシア国内には、自国のルーツであるウクライナを手放したくなく、従来の東欧諸国のように西側の緩衝地帯とし手元に置きたいという一方的思いがあるのです。

さてウクライナの難民がどうして、他の近隣の国より圧倒的にポーランドへ向かうのか。前述の歴史で14世紀にはポーランド・リトアニアの支配を受けましたが、ウクライナは政治情勢が安定して300年以上にわたって繁栄の時代を迎えたといわれます。その後一旦はポーランド領から離れますが、第二次世界大戦以前はウクライナの一部は、またポーランド領に組み入れられていました。長い歴史のなかで、隣国の両者は切っても切り離せない関係にあるのです。

そのポーランドもかつてのソ連に侵略された歴史があります。第二次世界大戦後ポーランドはソ連の支配下となります。ソ連主導の共産圏とアメリカ主導の自由主義圏との対立の東西冷戦が終わったのは、大戦終結46年も経った1991年のこと。大戦で勝者となった正義の側に立ったとされたソ連は実は悪であり、戦後46年間もポーランドの内政に干渉し、言論を弾圧し人権侵害を繰り返してきたのです。前回のブログで書いた通りです。ウクライナとポーランドはロシアに共に蹂躙された同士といえます。そしてロシアから離れ共に独立したいと戦ってきたのです。ポーランドへのウクライナ難民を、私はこのように受け止めています。

私は4年前ある勉強会の集まりで、海外の研修旅行に参加したことがあります。訪れたのはアウシュヴィッツ強制収容所です。そこはポーランドの国でした。首都ワルシャワから南に約300キロ離れた所に、クラクフという美しい古都がありました。アウシュヴィッツ強制収容所はクラクフから近くの所でした。その地続きの直ぐ先にウクライナがあったのです。恥ずかしながらその時は、ポーランドの隣国がウクライナであることを知りませんでした。ポーランドで飲んだお酒がウオッカでした。何故ロシアの酒がポーランドでよく飲まれているのか、その認識もありませんでした。

列強の侵略にさらされた歴史を、ウクライナとポーランドの国民は経験しています。また侵略による紛争には、罪もない多くの犠牲者が出ます。旧ソ連による民主化弾圧の悪夢が強烈に心に刻まれているからこそ、同じような多くのウクライナの難民をポーランドが受け入れる寛容さが窺えます。ポーランドの現地に行っても、点でしか見ていない私です。日本人が知らない歴史を痛感しています。   ~次回に続く~

 難民は15日時点で計300万人を超えたが、その6割がポーランドへ。
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日本人が知らない歴史(その1)

2022年03月12日 06時34分28秒 | Weblog
一ヵ月ほど前、書店で手にした本の表紙の文字に惹かれてその本を買いました。タイトルは『日本人が知らない近現代史の虚妄』。「インテリジェンスで読み解く第二次世界大戦」「最新研究による近現代史の見直しで国際社会の常識が変わる!」、などサブタイトルや帯にそのような文言が並びます。著者の江崎道朗氏は、永田町で政治家の政策スタッフとなり、外交、安全保障、インテリジェンス(秘密工作の意味)に関する研究と立案を担当されてきた方でした。本の序章は次の様なものです。

ヨーロッパとアメリカで、第二次世界大戦を中心とする近現代史の見直しが進んでいる。この大戦においてアメリカとソ連は正義の国であり、ドイツや日本は侵略を行った悪い国だとされてきたが、果たして本当にそうだったのか。ビジネスにもあるように、歴史認識にもグローバルトレンドがあり、アップデートされた新たな事実が判明し、この通説の近現代史を見直さざるを得ない。その背景にある二つの大きな要因は、1991年のソ連邦の解体と東西冷戦の終結にある。

第二次世界大戦で自由主義圏のアメリカは勝利する。しかしヨーロッパでは、ドイツは分割されポーランドを含む中・東欧諸国はソ連の支配下となる。これによって、ソ連主導の共産圏とアメリカ主導の自由主義圏との対立、つまり東西冷戦が始まる。この冷戦が終わったのは大戦終結から46年も経った1991年のこと。その切っ掛けとなる2年前の1989年ベルリンの壁崩壊、その後雪崩を打ったように、戦後ソ連の支配下だった中・東欧諸国の民主化が巻き起こる。そして最終的にソ連の解体とバルト三国の独立で、いわば脱共産主義化の影響で、ソ連の戦争責任を追及する動きが急速に広がる。

大戦で勝者となった、つまり正義の側に立ったとされたソ連は実は悪であり、戦争中も戦後もドイツやポーランドやハンガリーの内政に干渉し、言論を弾圧し人権侵害を繰り返してきたことが公開される。もう一つの動きは、大戦から50年経った1995年を契機に、欧米諸国が大戦に関する機密文書や秘密工作など公開される。このように近現代史をめぐる世界の動向は大きく変わってきている。欧米諸国がグローバルトレンドにあって、日本人だけが世界の動向から取り残される危険性がある。

このような主旨でした。第二次世界大戦の戦後の混乱に乗じて、連合国に加わった正義の国を装ったソ連の、戦後の悪行を多くの日本人は知らないのです。本書では、近現代史の認識変化について実例を挙げながら、従来の通説と現在の見直しをはっきり明記しています。欧米の捉え方がここまで変化していることを私は知りませんでした。

そこに2月24日ロシアのウクライナ軍事侵攻が始まりました。正に本を読み始めた頃からです。タイムリーにもその本による歴史観が無ければ、目の前で起こっている歴史的事件は、私の浅い知識だけでは理解出来ていなかったと思います。本の発刊は去年12月なので、今回の侵攻は書かれていませんが、ソ連からロシアになった国が蛮行をはたらく原因をズバリ採り上げていました。それは、ソ連は戦後公で裁かれていないということです。以下その内容です。

第二次世界大戦勃発80年にあたる2019年、欧州連合(EU)の一組織である欧州会議が「欧州の未来に向けた重要な欧州の記憶」と題する決議を可決した。そこでは、ドイツと同じくソ連もまた侵略国家だとして、ソ連の侵略は戦後も続き(先述した通り)、幾つかの欧州諸国は、自由、独立、尊厳、社会的経済発展を半世紀の間奪われ続けたと明記した。

ナチスドイツの犯罪はニュルンベルク裁判で審査され罰せられたものの、スターリニズムや独裁体制の犯罪に対し、法的審査を行う喫緊の必要性が依然としてある。この裁判で不問にされた、ソ連・共産主義体制による人権弾圧について徹底的に調査し、いかに危険なものなのかを欧州の人々に伝える義務が我々にはある。1945年から始まったニュルンベルク裁判において、ソ連の戦争犯罪も追及されるべきだったと、欧州会議は指摘した。

私はこの欧州会議すら知りませんでした。この欧州会議の決議には当時のプーチン大統領は当然反発していたようです。もしソ連が過去裁かれていたら今回のウクライナ侵攻はなかったのか。歴史にイフはありませんので分かりません。しかしながら、武力で独裁的に振る舞う過去のソ連のしたたかさが復活しています。グローバルトレンドの視点を据えアップデートされた新事実が判明して、歴史観が歴史を変えていくことを願うばかりです。     ~次回に続く~


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傾聴(その7)

2022年03月05日 05時38分43秒 | Weblog
二日間の講義で山場となるのが、レッスン6:気持ちをたずねる/質問、レッスン7:気持ちを共有する/伝え返し、とでした。前回も書きましたが私にとって、意外だったのが質問で、難しかったのは伝え返しでした。傾聴において、質問とは事柄ではなく気持ちを引き出さない限り意味をなさず、伝え返しとは単なるくり返しとは違い相手の感覚とずれていないかの深い確認でした。

質問について結論は、聴き手に自信がなく中途半端ならしない方がいい、でした。質問は話し手に自己理解を進められる場を提供するものであって、相手が自分を見つめている時は、細心の注意を払い、先に行かない、深追いしないことが大事。分かったつもりの質問はむしろ逆効果である。「そう言われてどう思いましたか?」「『たぶん』というと?」「『困る』」というとどんな風に困るの?」、などのように気持ちをフォーカスして訊くことはとても有効でした。

伝え返しの要点は、話し手が主に訴えている感情(主訴)を、こちらが受け止めたことが相手の感覚とずれていないか言い返して点検をすること。例文が出されその中で、あるいはロールプレーイングで相手の話しから、この主訴を一言でいい表す練習が大変でした。主訴には表面と根っこがあり、聴き手が感じ取った会話の根っこの主訴を短く伝え確認をすることで、基本的には「~でしょうか」と尋ねる疑問形(伝え返し)、でした。

さて最後の講義、レッスン9:傾聴で聴き切る/まとめ、となります。前日より講師(協会の会長)から、「梶さんの話しを聴かせてもらいます」と言われていました。テーマは「今一番気になっていることは?」です。私は15年間続けて一年前に辞めた勉強会の話しをしました。その会の先生や生徒たちに対する違和感などの話しでした。会長に聴き手となってもらい、自分では20分くらい話したつもりが、気が付けば40分経過していました。

不思議な体験でした。自分ではこれで終わりと思っても、聴き手の寄り添うような支えと、上手な引っ張り出し方で、もっと話してもいいのだとなり、次から次へと話が止まらなくなりました。聴き手の講師は真新しい手法ではなく、三日間の講義の手法をさりげなく駆使しています。正に、聴き切ってもらった感覚でした。自分の中に内在していたものが、他者を介して顕在したような感動です。この体験だけでも、講義を受ける前果たしてどんな内容か疑心暗鬼になっていた私でしたが、参加した甲斐があったと思いました。

受講を終えて、後日協会から“傾聴サポーター認定証”が送られてきました。この認定証は当講座を修了したことを証明するのであり、公の資格ではありません。傾聴に近い資格としては、キャリアコンサルタントがあります。これは、主に新卒者や転職者の職業選択にまつわる進路相談を行う相談員の国家資格です。当協会でも、キャリコン試験対策講座を行ってるようです。

ともあれ、傾聴に特化した資格はないようです。セラピストやカウンセラーやコーチングなどは、国家資格や民間資格としては知名度があります。本来資格とは、その専門分野で仕事するためには必要なものです。TOEICなどの英語能力を問われる公の評定は、大企業では職種に関わらずこれから必要となるでしょう。資格オタクは別として、例えば転職に際してまたは社内異動では、資格に救われることもあるでしょう。

では私は。今回の講座を足掛かりに、何か資格をとろうとは現在は考えていません。前にも述べましたが、資格やその制度は権威を感じさせてしまいます。専門分野での資格者が、その恩恵を受ける側の人にとって、必ずしもよい働きをしているとは限りません。その協会の会長は、自らキャリアコンサルタントの資格を持っていますが、世の中からコンサルタントをなくしたいといいます。その真意は、資格が仕事をするわけではなく、有資格者の仕事をみると多々そう感じる時があるとのことです。

傾聴は体系化しづらく、属人的なデリケートな世界で、資格だけでは括れない分野かもしれません。講義で言われたことです。「職場では傾聴で、事柄だけでなくもっと気持ちを引き出す努力が必要ですね」「家族は傾聴の練習相手としては、不向きなことが多いので無理しないで下さい」。難しい課題をもらったのと同時に、振出しに戻ったような感じですが、私としては傾聴に関心を持ち続けていきます。


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