ロシアがウクライナに侵攻して一ヵ月経ちました。長期化しているということは、短期決戦を目論んだロシアが苦戦していることが窺えます。ロシアが自国兵だけではなく傭兵の手を借りたり、生物・化学兵器を使用する恐れも広がったり、むしろ追い詰められている現状があらわです。また、日本とロシア間の平和条約交渉の中断にまで飛び火しています。ウクライナと同様日本も海を隔ててですが、ロシアと隣接していて、歴史的に難しい問題を抱えていることを再認識します。
日本人が知らない歴史として、今ウクライナの独自性が注目を集めていると感じます。新聞の本の広告で、『物語 ウクライナの歴史/ヨーロッパ最大の大国』に目を引かれました。「不撓不屈のアイデンティティはどのように育まれてきたのか」「ロシア帝国やソビエト連邦のもとで忍耐を強いられながらも、独自の文化を失わず、有為の人材を輩出」「キエフ・ルーシ公国の隆盛、コサックの活躍から、1991年の新生ウクライナ誕生まで、この地をめぐる歴史を俯瞰」。この様な示唆が並びます。
歴史には、史実をどのような観点で捉えるのかの「歴史観」があります。列強の侵略にさらされながら他国に屈しなかった、ウクライナ人の見据える歴史観は、上記のような確かなものだと思います。一方ロシアのプーチン大統領には、「ウクライナはロシアの一部だ」とのプーチンなりの歴史観はあるのでしょうが、武力で他国を制圧しようとする姿勢は他国から容認されません。独裁者が偏った歴史観をもってしまうと、世界を巻き込んで、向かう行く末まで歪めてしまう危険性があります。
さて話は変わりますが、話題を日本に移します。日本人の日本に対する歴史観はどのようなものなのでしょうか。本郷和人著『歴史をなぜ学ぶのか』の本を最近読みました。本郷氏は東京大学史料編纂所教授、文学博士。専攻は日本中世政治史、古文書学です。東京大学史料編纂所は、古代から明治維新期に至る、前近代日本史関係の史料を対象とし研究する所とのことです。この本では、歴史の専門家だけではなく私達一般人が歴史を学ぶ意義を説きます。
「歴史資料を読み解き、歴史研究者が現代人にもわかるようなかたちで編纂したものは、言ってみれば歴史を学ぶ上で材料に過ぎない。問題は、そうした材料をどう組み合わせていくかなのである。その組み合わせを考えることこそが、その人なりの歴史を学ぶことなのである。その意味では、歴史研究を専門にするかしないかは関係なく、誰でも歴史を考えることができる」。このように氏は、私達に新しい歴史像を是非考えてもらいたいと促します。
「そして歴史を学び考えることを通じて、研究者が書く歴史を吟味する目を育ててもらいたい。吟味する目を持つということは、歴史を学ぶ時だけに限らず、実生活に於いても十分役に立つ。これ等を見につけられた時、私達は自分の“来し方行く末”、つまり自分の存在はいったいどこから来てどこへ行くのか、要は自分が生きている現代を深く学ぶことができるようになる」。と、過去だけではない歴史の視点を示します。
学生の頃の私は、歴史の授業は好きではありませんでした。日本史にしても世界史にしても試験に向けて、とにかく暗記一辺倒だったからです。一夜漬けで覚えたものは残りません。私が歴史に関心を持ったのは50歳を過ぎてからです。人に誘われ、歴史を学び語る会に入ったことにも切っ掛けとなりました。歴史には多くの教訓があり、経営や人生にも生かせるのではと思えるようになったのも、ある程度の歳月は必要でした。今やNHKの大河ドラマは欠かさず観るようになりました。ドラマであり純粋な歴史番組ではありませんが、興味をそそるのはストーリー性があるからです。
「現代の日本史の教科書は、実証的な客観性に基づく学問である以上、それは非常に大切なことである。しかし、読み物としてはあまりに無味乾燥な文体で面白くない。歴史的事実には原因があり、結果があるはず。それを無視して事実だけを羅列する。だから暗記するしかない科目になっているのではないか。若い人たちの日本史離れの傾向を変えるには、歴史って面白いと思ってもらうことが先ずは重要で、そのためにはある程度の物語性があってもいいのではないか」。本郷氏は教科書の執筆者に選ばれた時、それを実行しようとしました。けれども高校の先生に無駄が多過ぎると反対され、教科書を作る情熱が萎んでいくのを感じたそうです。
私の体験でも、歴史って面白いと感ずることが先決だとの共感があります。因果の物語から見えてくるものがあります。 ~次回に続く~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7a/f6/0ee9c3b428a489c1296a9c0d44ca5506_s.jpg)
日本人が知らない歴史として、今ウクライナの独自性が注目を集めていると感じます。新聞の本の広告で、『物語 ウクライナの歴史/ヨーロッパ最大の大国』に目を引かれました。「不撓不屈のアイデンティティはどのように育まれてきたのか」「ロシア帝国やソビエト連邦のもとで忍耐を強いられながらも、独自の文化を失わず、有為の人材を輩出」「キエフ・ルーシ公国の隆盛、コサックの活躍から、1991年の新生ウクライナ誕生まで、この地をめぐる歴史を俯瞰」。この様な示唆が並びます。
歴史には、史実をどのような観点で捉えるのかの「歴史観」があります。列強の侵略にさらされながら他国に屈しなかった、ウクライナ人の見据える歴史観は、上記のような確かなものだと思います。一方ロシアのプーチン大統領には、「ウクライナはロシアの一部だ」とのプーチンなりの歴史観はあるのでしょうが、武力で他国を制圧しようとする姿勢は他国から容認されません。独裁者が偏った歴史観をもってしまうと、世界を巻き込んで、向かう行く末まで歪めてしまう危険性があります。
さて話は変わりますが、話題を日本に移します。日本人の日本に対する歴史観はどのようなものなのでしょうか。本郷和人著『歴史をなぜ学ぶのか』の本を最近読みました。本郷氏は東京大学史料編纂所教授、文学博士。専攻は日本中世政治史、古文書学です。東京大学史料編纂所は、古代から明治維新期に至る、前近代日本史関係の史料を対象とし研究する所とのことです。この本では、歴史の専門家だけではなく私達一般人が歴史を学ぶ意義を説きます。
「歴史資料を読み解き、歴史研究者が現代人にもわかるようなかたちで編纂したものは、言ってみれば歴史を学ぶ上で材料に過ぎない。問題は、そうした材料をどう組み合わせていくかなのである。その組み合わせを考えることこそが、その人なりの歴史を学ぶことなのである。その意味では、歴史研究を専門にするかしないかは関係なく、誰でも歴史を考えることができる」。このように氏は、私達に新しい歴史像を是非考えてもらいたいと促します。
「そして歴史を学び考えることを通じて、研究者が書く歴史を吟味する目を育ててもらいたい。吟味する目を持つということは、歴史を学ぶ時だけに限らず、実生活に於いても十分役に立つ。これ等を見につけられた時、私達は自分の“来し方行く末”、つまり自分の存在はいったいどこから来てどこへ行くのか、要は自分が生きている現代を深く学ぶことができるようになる」。と、過去だけではない歴史の視点を示します。
学生の頃の私は、歴史の授業は好きではありませんでした。日本史にしても世界史にしても試験に向けて、とにかく暗記一辺倒だったからです。一夜漬けで覚えたものは残りません。私が歴史に関心を持ったのは50歳を過ぎてからです。人に誘われ、歴史を学び語る会に入ったことにも切っ掛けとなりました。歴史には多くの教訓があり、経営や人生にも生かせるのではと思えるようになったのも、ある程度の歳月は必要でした。今やNHKの大河ドラマは欠かさず観るようになりました。ドラマであり純粋な歴史番組ではありませんが、興味をそそるのはストーリー性があるからです。
「現代の日本史の教科書は、実証的な客観性に基づく学問である以上、それは非常に大切なことである。しかし、読み物としてはあまりに無味乾燥な文体で面白くない。歴史的事実には原因があり、結果があるはず。それを無視して事実だけを羅列する。だから暗記するしかない科目になっているのではないか。若い人たちの日本史離れの傾向を変えるには、歴史って面白いと思ってもらうことが先ずは重要で、そのためにはある程度の物語性があってもいいのではないか」。本郷氏は教科書の執筆者に選ばれた時、それを実行しようとしました。けれども高校の先生に無駄が多過ぎると反対され、教科書を作る情熱が萎んでいくのを感じたそうです。
私の体験でも、歴史って面白いと感ずることが先決だとの共感があります。因果の物語から見えてくるものがあります。 ~次回に続く~
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