梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

葛西小僧さん

2010年01月30日 11時12分34秒 | Weblog
[ブログを拝見させていただきました。懐かしくて、全部読んでしまいました。私は、梶哲さんの西側15mほどの所に、昭和44年頃まで居た者です。空き地を挟んだ土建屋です。生年月日からご推測すると、3,4歳年の離れた弟さんが、いらしたかと思います。当時は、近所には民家もほとんどなく同年代の子供といえば、牧場の子と梶哲さんの御兄弟ぐらいでした。そんな訳で小学校低学年の頃はたまに遊んでいただきました。前の川の対岸に残土の山、裏は牧場、その奥葛西駅方面はただの草っぱらだったような気がします。今では川は道路になり、マンションが立ち並びすっかり変わってしまいましたね。当時の情景が鮮やかに思い出せました。懐かしい記事、ありがとうございました。]

1月17日にこの様なコメントを頂きましが、見落としていました。大変申し訳ありませんでした。何故葛西の土地にやって来たかなどを、3年前に書いた『葛西の地』シリーズ5回分を読んで頂き、懐かしく思って投稿下さったのですね。

そう言えば、一緒に遊びましたね。確かに弟は三つ下です。当時本当に近隣に家が無く、遊び相手は殆どが弟でした。そうですね、その残土の山には使わなくなった建材が棄てられていて、我々にとっては宝の山の様でしたね。

小学校の頃、私の同級生が遊びに来るのですが、何時も弟は一緒。高学年家に帰ると私には、進学の為の勉強が待っていました。そんな時私の友人が遊ぼうと尋ねて来るのですが、むげに断ることもしばしば。いつしかその友人は「てっちゃん遊ぼ!」ではなく、「だいちゃん遊ぼ!」に変わっているのです。そうです、私の弟は大吉と言う名前なのです。笑ってしまいます。

私は地元の学校に通っていたのは、小学校までと言うこともあり、当時の友達は殆どが音信不通です。あそこに行けば、恐らく居るだろうなと所在が分かる人も2~3人です。今回のコメントは、それだけに懐かしく感じました。

“葛西小僧さん”は今どちらにお住まいか分かりませんが、近くにお越しの際は是非お訪ね下さい。前回・前々回このブログでも書きましたが、浦安に本社は実質移転しますが、会社のホームページから調べて頂ければ浦安の所在も直ぐ分かると思いますので。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議な事

2010年01月23日 06時52分21秒 | Weblog
前回本社引越しの話しをしました。会社の関係では、葛西を出て行き浦安に移っても全く支障は無いのです。ただ一つあるとすれば、5年以前にあった本社の近くの駐車場なのです。葛西でわが社は、駐車場経営をしていたのです。それも他人の土地を借りて。

詳しく説明します。以前の本社は二階半分が屋上で、広い駐車場でした。地上から長いスロープがあり、乗用車なら30台ほどは停められました。ある時期から、近隣の人が車を置かしてくれなかとの要請があり、何台か預かることになりました。自社だけでは使いきれず賃料も入り、ラッキーでした。

そして当時は自社所有の土地以外に、近くに資材置き場として、地元の地主さんから土地を借りていました。スクラップや市中から発生する端板も扱っていた最盛期はトラックも多く、自社の土地だけでは足りなかったのです。

そして5年前本社を解体し移転する際、屋上で預かっていた車の契約者に他に移ってもらう交渉をし、当然地主さんから借りていた土地も返還する予定でした。

その話しを地主さんにしたところ、別に使う当ても無いので引き続き借りてくれとのことでした。それではその借地を駐車場として、預かっていた車を移し、駐車場運営をわが社がする許可を得たのです。

それから5年間、安い地代の設定のお陰で収益も上げられました。しかし今回本社を移転するに際しては、収益は魅力ですが、実際浦安からの不動産管理には限界も感じていました。

ところが先週地主さんから、一年毎の賃借契約の更新を二月で打ち切りたいとの申し出があったのです。わが社が浦安に移転することを、知らせる前に。不思議なことです。タイミングが良過ぎます。葛西を出て行き、実体の無い運営となることを天が見ていたのでしょうか。吹っ切れました。

地主さんは将来発生するであろう相続などの問題で、早めに手を打った様です。そして話し合いの結果、駐車場としてそのまま、わが社は管理を委譲しました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本社の移転

2010年01月16日 06時59分43秒 | Weblog
今年の2月上旬に、江戸川区中葛西にある本社を浦安の事業所に移転して集約します。その理由や背景は多々ありますが、簡単に言ったら会社機能の一体化と経費の削減です。

5年前わが社は長年いた東葛西から本社営業所を引越しました。倉庫と営業部門は現浦安に移転して、本社部門はすぐ近くの同じ葛西に残したのです。私の実母がその東葛西の本社の建屋に自宅が組み込まれていて、同じく葛西に長年住んでいましたので、この地を離れ難かったのです。

たまたま一階がテナントで二階からマンションの建物の、両方空室がある物件が見つかりました。そこでその一階に本社が、その三階に母が引っ越す形で今日に至ったのでした。今から考えれば、その時本社も浦安に一緒に引っ越しても良かったのかもしれません。

この移転は、対外的には住所変更案内は出さないつもりです。何故ならば、本社登記は浦安に移さないからです。従来の本社が、母の自宅と同じ住所ですから、そこを引き続き本社としておきます。代表電話も(下四桁が1111で非常に良い番号です)、浦安に転送されるとのことですので。

そう考えると5年間無駄だったのかもしれませんが、ワン・クッションは必要だったと思い割り切っています。高齢の母ですが、当面は一人暮らしでも問題なさそうです。何よりも葛西は交通も便利で、現本社は地下鉄の葛西駅から徒歩たった2分でしたから。頭は直ぐには切り替わりませんでした。

現本社には総務経理部と私が居ますので、それが浦安に移転する訳です。本来総務経理部は、現場や現業と一緒であるべきでしたが、これで漸く一体化が出来ます。元々浦安の事務所スペースは、十分な空きが有りましたので問題はありません。

もっとも私は、以前から浦安にも私の席がありました。ですからこれで私の席は一つになったと言うことです。しかし従来は、朝は必ず葛西の本社出勤でしたから、私の行動パターンは変わります。実質的には、長年いた葛西から会社は離れます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある決意を

2010年01月09日 09時18分46秒 | Weblog
前回のブログで正月休みの間、損害保険代理店の研修とその確認テストを、インターネット上で受講しなくてはならない話しをしました。そのテストの結果が惨憺たるものだったのです。自動車保険・火災保険・傷害保険と三科目のテストで、いずれも70点以上取らないと合格ではないのですが、全てにおいて合格点は取れませんでした。お恥ずかしい話しです。合格点を取れるまで勉強して再テストなのです。

この2~3年損保会社代理店においては、研修会やこの様な確認テストが頻繁に行われる様になりました。その背景には、コンプライアンスとか料率の見直しだとか、保険契約者からの保険会社や代理店に対する厳しい目があることも大きな要因です。

そもそも私は16年前、取引があった損保会社から代理店となることを勧められ資格を取得しました。当時わが社は海外から厚板をLC決済で購入し海上積荷保険も掛けていましたので、自分で代理店でもすれば手数料も入る、そんなメリットもあったのです。

しかし所詮、保険代理店は私の副業でした。多少知り合いの方のもありましたが、自社及び弟の会社の自動車や火災保険が殆どでした。これは保険会社から毎年変わらない契約書が送られて来て契約更新して集金と、そんな業務の限りでした。

ですから専門的に代理店をされている方と違って、新規の募集をしたり常に専門規約を行使し契約したりする必要が無いので、当然のことながら私の知識は忘却されることは自然の摂理です。

そこで今回決意しました。代理店を辞めることを。昨日保険会社の担当の方と話しました。更新テストを受けなくては、資格は消滅して行くことは避けられず、その意向が明らかであれば受理すると。

慣れないテストを受け続け、若干の業務とても手を煩わします。その時間を大切に使おうと決心しまし。収入は無くなります。でも自分の時間を何に有効に使うか、選択と優先順位は間違わない様にしたいと思いました。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新年を迎え

2010年01月02日 10時36分36秒 | Weblog
新しい年、2010年がスタートしました。引き続き今年も一週間に一回、週末に更新して行きますのでこのブログもよろしくお願い致します。

年末は29日から年始は3日まで会社は休みです。しかし会社は休みでも、今年私はやらなくてはならないことが多過ぎて正月休みが足りない位なのです。社内研修会や外部勉強会を録音した、所謂テープ起こしのそのまとめがあるのです。その上損害保険代理店の研修とその確認テストを、インターネット上で受講しなくてはならないのです。

要するに正月ゆっくりやろうとした、付けが今廻って来ているのです。大晦日も元日も、半日はその仕事をやっていました。家内からぶうぶう言われています。それでも大晦日は久し振りに神戸から戻って来た長女達と浅草へ墓参りに行き(写真は浅草寺です)、元日には母が居る葛西に私の姉と弟の家族も集まり新年を祝いました。

話は変わりますが一年前、2009年が始まる時、その年の目標を立てました。積極的な自分を目指し、自分をさらけ出すことの壁に挑戦することでした。具体的には否定的な言葉は使わない、そして一年間小冊子を毎日朗読することでした。

この朗読については何回かこのブログ上でも紹介しましたが、積極人間への変身の為の小冊子です。継続し行っている勉強会での課題でしたが、去年一年間365日、毎日の朗読は欠かさずやり遂げました。

はっきり言って、過去自分で立てた年頭の目標は、ことごとく中途半端に終わっていました。年頭に目標も立てたことすら忘却の彼方、そんな年も多くありました。マラソンの有森祐子選手ではありませんが、“自分で自分を褒めてあげたい”そんな心境です。完遂出来た自信は大きいものがあります。

さて今年の目標は。昨日考えて決めました。ここで公表することも、実行へと追い込む一つの方法でしょうが、自分の心に留めておきます。しかしここまで書いたのですから、一年後結果の報告はしなくてはならないでしょう。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする