[ブログを拝見させていただきました。懐かしくて、全部読んでしまいました。私は、梶哲さんの西側15mほどの所に、昭和44年頃まで居た者です。空き地を挟んだ土建屋です。生年月日からご推測すると、3,4歳年の離れた弟さんが、いらしたかと思います。当時は、近所には民家もほとんどなく同年代の子供といえば、牧場の子と梶哲さんの御兄弟ぐらいでした。そんな訳で小学校低学年の頃はたまに遊んでいただきました。前の川の対岸に残土の山、裏は牧場、その奥葛西駅方面はただの草っぱらだったような気がします。今では川は道路になり、マンションが立ち並びすっかり変わってしまいましたね。当時の情景が鮮やかに思い出せました。懐かしい記事、ありがとうございました。]
1月17日にこの様なコメントを頂きましが、見落としていました。大変申し訳ありませんでした。何故葛西の土地にやって来たかなどを、3年前に書いた『葛西の地』シリーズ5回分を読んで頂き、懐かしく思って投稿下さったのですね。
そう言えば、一緒に遊びましたね。確かに弟は三つ下です。当時本当に近隣に家が無く、遊び相手は殆どが弟でした。そうですね、その残土の山には使わなくなった建材が棄てられていて、我々にとっては宝の山の様でしたね。
小学校の頃、私の同級生が遊びに来るのですが、何時も弟は一緒。高学年家に帰ると私には、進学の為の勉強が待っていました。そんな時私の友人が遊ぼうと尋ねて来るのですが、むげに断ることもしばしば。いつしかその友人は「てっちゃん遊ぼ!」ではなく、「だいちゃん遊ぼ!」に変わっているのです。そうです、私の弟は大吉と言う名前なのです。笑ってしまいます。
私は地元の学校に通っていたのは、小学校までと言うこともあり、当時の友達は殆どが音信不通です。あそこに行けば、恐らく居るだろうなと所在が分かる人も2~3人です。今回のコメントは、それだけに懐かしく感じました。
“葛西小僧さん”は今どちらにお住まいか分かりませんが、近くにお越しの際は是非お訪ね下さい。前回・前々回このブログでも書きましたが、浦安に本社は実質移転しますが、会社のホームページから調べて頂ければ浦安の所在も直ぐ分かると思いますので。
1月17日にこの様なコメントを頂きましが、見落としていました。大変申し訳ありませんでした。何故葛西の土地にやって来たかなどを、3年前に書いた『葛西の地』シリーズ5回分を読んで頂き、懐かしく思って投稿下さったのですね。
そう言えば、一緒に遊びましたね。確かに弟は三つ下です。当時本当に近隣に家が無く、遊び相手は殆どが弟でした。そうですね、その残土の山には使わなくなった建材が棄てられていて、我々にとっては宝の山の様でしたね。
小学校の頃、私の同級生が遊びに来るのですが、何時も弟は一緒。高学年家に帰ると私には、進学の為の勉強が待っていました。そんな時私の友人が遊ぼうと尋ねて来るのですが、むげに断ることもしばしば。いつしかその友人は「てっちゃん遊ぼ!」ではなく、「だいちゃん遊ぼ!」に変わっているのです。そうです、私の弟は大吉と言う名前なのです。笑ってしまいます。
私は地元の学校に通っていたのは、小学校までと言うこともあり、当時の友達は殆どが音信不通です。あそこに行けば、恐らく居るだろうなと所在が分かる人も2~3人です。今回のコメントは、それだけに懐かしく感じました。
“葛西小僧さん”は今どちらにお住まいか分かりませんが、近くにお越しの際は是非お訪ね下さい。前回・前々回このブログでも書きましたが、浦安に本社は実質移転しますが、会社のホームページから調べて頂ければ浦安の所在も直ぐ分かると思いますので。