「つまづいたっていいじゃないか にんげんだもの」
「そのうちそのうち べんかいしながら日がくれる」
これらは誰が作った詩かわかりますか。
そうですあの相田みつおさんの作品です。独特の言い回しと書体で、最近は知らない人はほとんどいない位有名な人となりましたが、その実像を知っている人は少ないかもしれません。
実は最近“相田みつお美術館”の館長、相田一人(かずひと)さんにお話を聞く機会を得ました。名前からしても想像出来るでしょうが、相田みつおさんの長男です。
もともとみつおさんは書家でした。書を書いて生計を立てていたそうですが、けして暮らしは楽ではなかったそうです。しかし妥協を一切しない方で、満足出来るまで書き続け、使った紙は膨大となり、息子さんが小さい時毎日の日課はその紙を風呂の焚き火としたことだったそうです。
みつおさんは平成3年67歳で既に他界されています。息子さんはそれを機に、従来の職を辞して父の作品を世間に広める仕事に従事する様になったとのことです。
親が作ったものを子が売る(広める)、お話を聞いていて、息子さんの強い使命を感じ、相田みつお作品は親子セットなのだとの感慨を持ちました。
初めからみつおさんの書体は今の書体ではなく、分かりやすい文字で同じ言葉を何十回、何百回、何千回---、と永年書くうちに独特な書体となった様です。しかし若い頃は書展で何回も優秀な賞をもらうほどの腕前だったそうです。
一見すると誰でも書けそうな字体ですが、相当な基礎があると言うことです。自分をとことん見つめたので、その生き方が他人にも影響を与えました。物事の道理や本質を見たような気がしました。
「夢はでっかく 根はふかく」私はこの詩が深く心に残りました。
「そのうちそのうち べんかいしながら日がくれる」
これらは誰が作った詩かわかりますか。
そうですあの相田みつおさんの作品です。独特の言い回しと書体で、最近は知らない人はほとんどいない位有名な人となりましたが、その実像を知っている人は少ないかもしれません。
実は最近“相田みつお美術館”の館長、相田一人(かずひと)さんにお話を聞く機会を得ました。名前からしても想像出来るでしょうが、相田みつおさんの長男です。
もともとみつおさんは書家でした。書を書いて生計を立てていたそうですが、けして暮らしは楽ではなかったそうです。しかし妥協を一切しない方で、満足出来るまで書き続け、使った紙は膨大となり、息子さんが小さい時毎日の日課はその紙を風呂の焚き火としたことだったそうです。
みつおさんは平成3年67歳で既に他界されています。息子さんはそれを機に、従来の職を辞して父の作品を世間に広める仕事に従事する様になったとのことです。
親が作ったものを子が売る(広める)、お話を聞いていて、息子さんの強い使命を感じ、相田みつお作品は親子セットなのだとの感慨を持ちました。
初めからみつおさんの書体は今の書体ではなく、分かりやすい文字で同じ言葉を何十回、何百回、何千回---、と永年書くうちに独特な書体となった様です。しかし若い頃は書展で何回も優秀な賞をもらうほどの腕前だったそうです。
一見すると誰でも書けそうな字体ですが、相当な基礎があると言うことです。自分をとことん見つめたので、その生き方が他人にも影響を与えました。物事の道理や本質を見たような気がしました。
「夢はでっかく 根はふかく」私はこの詩が深く心に残りました。