梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

セールス三原則 

2016年10月29日 10時07分28秒 | Weblog
ある方から“セールスの三原則”を教わりました。その方は若い時に車の販売代理店に勤めていて、慣れない飛び込み営業で相当な苦労をされたそうです。事情があってその代理店を辞めることになったそうですが、それまでに実力がついて、退職する月には過去最高の販売台数を達成したと仰っています。

最初から営業で良い実績を上げることは、誰しもが至難の業です。その方も人から教わった原則を実直に実践したので、成績が後で付いてきたと話されています。営業マンの心得としては、これ程完結なものはないと思います。以下、教わりました三原則です。

1.営業は断られた時から始まる
2.一人でも多くの人と出逢う
3.商品を売る前に自分を売る

わが社は今期、販売先で40社新規開拓を大目標として掲げています。勿論既存のお客様との関係を大切にして、所謂深耕開拓も怠らない方針で臨んでいます。この大目標が達成出来るか出来ないかではなく、どうしたら達成出来るかを模索していた矢先でしたので、この三原則は貴重な指針となります。

限りある営業員ですので、外を回ることを優先してなくてはなりません。しかし新規のお客様から見積もりが入って、その訪問した営業が社内にいなくて、取次に時間が掛かったりいなければ他に見積もりを出されたり、折角のチャンスも逃がしてしまうケースもあります。

ではある程度社内に、営業がスタンバイしなくてはならないことになり、新規開拓の戦力は低下してしまいます。二律背反する問題を如何に工夫して進めて行くか。その対処策としては社内で留守を預かる業務部門の対応力も必要で、臨機応変に対応することが今のわが社は求められています。

例えば、同業他社に無い特殊なサイズの素材を在庫して販売を開始する場合です。これもある意味では新規開拓と同じで、一人でも多くの人と出逢うではありませんが、この商品を広く知らしめることが先決となるでしょう。

その為には、チラシを作ってダイレクトメールで手当たり次第に配るとか、業界紙に大々的に広告を載せるとか、方法は色々あります。しかしそのような方法と取ると、これを見たお客様はどう感じるかを良く考えなくてはなりません。また順調に売れる前に、同業他社に情報を先取りされるリスクもあります。

冒頭の方は営業に行った先で、車は買ってくれなかったが何故か仲良くなり、行けば必ずコーヒーはご馳走になったそうです。そして数年後に念願の初注文にこぎ着けたと、そんなケースも多々あったと話されました。

私達の商売の基本は、一軒一軒足で回ることです。断られることを苦痛と感じてしまったら多くを回れません。多くを回ってこそその中で本来のお客様と出逢う。その姿勢が自分を売ることに繋がると思っています。
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良く噛むこと

2016年10月22日 06時58分21秒 | Weblog
私の歯は随分長い間治療を続けてきましたが、幸いにも自分の歯が全部残っています。10年前に前歯が欠けて、会社の近くの歯科医院に飛び込んで、その際歯並びを整える大治療も受けましたが、何年か経って歯根が痛みだしました。その後とても優秀な歯医者さんに出逢い、全て治療し直してもらい今日に至っています。

以前このブログにも書きましたが、私の食事の時間は人の三倍位掛かります。食べ物をじっくりと味わうこともありますが、良く噛んで食べているからです。最低でも30回は噛んでいます。歯が全部残っていることが、良く噛める大きな要因となっています。

噛めば噛むほど満腹感がありますので、結果として腹六分位の量で足りてしまいます。ここ何年も私の体重は減りも増えもしていませんので、この食事量で良しとしています。会社であれば、あまりコストを掛けずに収益は出ている状態となるのでしょうか。

ある雑誌で“健康寿命を伸ばす/脳科学が証明したボケない秘訣”題した企画で、多くの紙面を割いていました。その中に「噛む力で認知症を防ぐ」とのテーマの記事があり、要約すると、今残っている歯の数と認知症の発生に関連性があることが見えてきたと言うのです。

「8020運動」との啓蒙運動があって、80歳になった時に自分の歯が20本以上残っていることを目標とするもので、本来人間には上下28本の歯があり、この内少なくとも20本残っていれば、生理的にも最低の咀嚼能力を維持することが可能と考えられると言うのです。これが認知症予防にも役立つことが、最近の研究でわかってきたと紹介していました。

歯の根っこにある歯槽骨と歯の間には歯根膜と言うのがあるそうです。歯と歯茎のクッションの役割も果たしていて、人がものを噛む時は常に同じ力で噛んでいるわけではなく、硬さや大きさ質や量など瞬時に計算し適度な力が脳から指令がきて確実に噛み切ることが出来き、最初にその詳細情報を脳に伝えるのが歯根膜だそうです。

そして、歯根膜は歯と一緒に失われるとのことです。これは脳の刺激、活性化に大きな損失だと言うのです。

その記事には、良く噛んでとか噛む回数までは書いていませんでしたが、噛むことが認知症の予防に繋がることが分かりました。歯と健康が密接に関係しているようです。

私の場合空腹を感じて食事をします。腹六分位の量なので当然のことですが、お腹が空いている時は何を食べても美味しいです。逆に胃もたれするような時の食べ物は、美味しい物でもその美味しさをあまり感じません。

私は薬は飲まない主義です。健康は睡眠と運動と食事からだと思いますが、少なくとも良く噛んでの食事はこれからも実践して行きます。
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重い腰を上げる

2016年10月15日 09時36分15秒 | Weblog
一ヶ月半前のブログに“突然に備える”と題して、4年間使っている私のパソコンの異常について書きました。それはバッテリ関係で、私の初歩的な認識不足によるもので問題が無かったのでしたが、本体は何時壊れるか分からないので、それに備えなくてはならないとお伝えしました。

遂に、そのPC本体が作動しなくなりました。この間の三連休、出先で使っていた時のことです。通常の方法でシャットダウンしようとましたが、突然、背景が無い文字だけの怪しげな画面が出て来て、何をどうしても消えません。

しかたがなく、電源のボタンを押して強制終了させました。今までこの方法で終わらせても、再起動しても問題がありませんでした。しかし今回は電源のボタンを押しても、再度立ち上がりません。二度三度やっても全く反応がありません。壊れたと思いました。

私の力ではどうしようもなく、休み明け出社して、会社でIT関係の管理運営を委託している業者にお願いして、見てもらうしかありません。完全にPCが壊れて買い替えなくてはならない場合、その間通信はどうするのか、データはどうなるのか。

全く作動しなくなった瞬間、数分悩みましたが、直ぐに肚を括りました。PCが壊れたとして、最低何が困るのか考えました。暫くはこれから受信するメールが開けない。PCを買い替えたとしても、登録してあるメールアドレスが消滅してしまうのか。毎週末に発信しているこのブログはどうなるのか。等々でした。

壊れたPCにあるその他のデータに関しては、全て消滅を覚悟しなくてはなりません。絶対に残して置きたいデータは、私はUSBメモリー等には落としています。一ヶ月半前に、もっともらしく“突然に備える”と言っておきながら、日々使っているデータのフェイルセーフは完全ではありませんでした。

休み明け出社して、先ずは、社内で詳しい人に立ち会ってもらい電源を入れました。運命の時です。これで作動しなければ、諦めて、業者さんを呼ばなくてはなりません。二日ぶりに電源を入れました。何と、うんともすんとも反応が無かったハードディスクランプが点滅し出して、再起動したではありませんか。私にとっては奇跡に思えました。 

幸いメール関係では緊急のものはありませんでした。しかし、内蔵していたデータを改めてチェックすると、無くなっては困るものが結構ありました。携帯の端末もそうですが、便利に普段使っているだけに、壊れたり紛失したりするととても不便で大変困るものです。

PCも機械である以上、何時かは壊れ、そのXデイは必ずやって来ます。だからそれに備える、フェイルセーフも中途半端にしてはいけないと、肝に銘じました。頭では分かっていますが、やっとこれで重い腰が上がりました。 

因みに、何であの時作動しなくて、二日後再起動したのか、いまだに分かりません。私のPCの知識はこの程度です。
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“しっぺ返し”

2016年10月08日 04時32分22秒 | Weblog
会社から市川の自宅に一旦戻って、電車で乗り継いで、ある会社の一階の入口で社員と待ち合わせをしました。その会社と午後3時半から会合があり、その後の夜は先方の皆さんと飲み会があるので、私は車を自宅に置いて向かいました。

その会社の最寄りの駅は東銀座。3時15分位に着くには、自宅の最寄りの京成の鬼越駅を2時25分の電車に乗って、京成線が乗り入れている都営浅草線で行けば間に合います。今はスマホで電車の乗換案内は直ぐに検索が出来るので、それに従って行動すれば簡単です。

何となく自宅を早めに出ました。そして10分前の一本速い電車に乗ることが出来ました。青砥に着く前に車内放送があり、その先の押上から都営浅草線に繋がる、大門駅構内で人身事故があり、押上から浅草線は全面不通となったとの案内でした。

急遽青砥からそのまま京成線で日暮里まで行き、JR山手線乗り換えて有楽町まで行き、そこで降りて少し歩いて日比谷線の銀座から地下鉄に乗って、東銀座に向かい予定の3時15分ピッタリに着きました。遠回りをしましたが、一本速い電車に乗ったのが幸いでした。時間に着いたので、待ち合わせていたわが社の社員は知らず仕舞いです。

一転して大阪での話です。大阪の八尾という処で用事が終わって、東京に帰る時の話しとなります。八尾から新幹線の新大阪駅に出るには、主に二つの経路があります。八尾から天王子に行くまでは選択肢は一つです。天王寺の同じホームでJR環状線に乗って大阪に行ってJR東海道本線に乗り換え新大阪に行くか、天王寺駅を一旦出て地下鉄御堂筋線に乗り換え新大阪に行くか、選択肢は二つです。

私は後者を選びました。理由は、JR天王寺駅から一旦降りて御堂筋線に乗らなければならないけれど、後は一本だからです。前者は大阪で乗り換える時、大阪のホームが何時も酷い混雑となるからです。(これは大阪に行った人でないと分からないかもしれません)

そして、御堂筋線の天王寺駅に停まっていた電車に乗り込みました。するとその直後、車内アナウンスがあり、その二つ先の大国町駅構内で人身事故があり、次の動物公園前までしか運行しないとのこと。そこから他の地下鉄で新大阪まで行けないことはありませんが、相当時間が掛かりそうです。結局またIRの天王寺駅に戻って、前者のルートで行くことにしました。

一旦入場した駅を出るのですから、多くの人で改札は大混乱。当初から後者の選択肢を選んでいたら、この20分位のロスは無かったでしょう。人と待ち合わせをしていたら、間に合わなかったでしょう。

人身事故で電車が不通になるアクシデントが二回続きました。東京では“ついている”と思いましたが、大阪ではその“しっぺ返し”が来たようです。思い上がりや慢心はいけせん。よく考えたら、大阪のケースは自分の思惑が入っていたようにも感じます。
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諸説あり!?(その2)

2016年10月01日 09時28分14秒 | Weblog
前回の続きとなりますが、NHK大河ドラマ“真田丸”。9月25日に放映されたテレビを、固唾をのんで見守りました。関ヶ原で敗軍の将となった昌幸と幸村の真田親子が、直に九度山に幽閉されたのか、それとも一旦高野山のお寺に入ったのかどうか。

前回では出て来なかった蓮華定院が、ひょっとしたら今回の冒頭に描かれているのかとも想定していましたが、遂にその場面は出て来ませんでした。しかしです、番組最後に流される、毎回出て来るゆかりの場所などを紹介する“真田丸紀行”に、何とそのお寺が登場しました。

番組中のナレーションでは「真田家と懇意にしていたお寺」とだけ、紹介されました。念の為にホームページの方の“真田丸紀行”を開いてみると、「和歌山県高野町。1200年の歴史を持つ高野山に、真田家とゆかりの深い寺があります。蟄居の身となった真田親子が頼った寺です」、とのコメントが書かれていました。つまりどちらも、最初に入ったのが高野山で、一時期滞在してから、許しを得て九度山に降りたとは紹介されていません。

それはさておき今回の“真田丸”第38話は、戦国時代を駆け抜けた百戦錬磨の武将、波乱に満ちた昌幸を、九度山で再び知略をめぐらす野望を抱きながらも、最後まで武田信玄への想いを貫きながら亡くなる描写で終わりました。

そのドラマの中で昌幸は死期を悟ると、幸村に、九度山で10年掛けて考えた徳川と豊臣が激突した場合の秘策を授けるシーンがありました。これも諸説ありの世界になるのでしょうが、この逸話は実話ではなく、後世になってから作られた創作とも言われています。

NHKオンデマンドでもう一度、第38話を観直しました。番組冒頭で、綺麗な紀州九度山村の遠景が映し出されている場面に、「慶長六年(1601)正月」との文字が浮かんでいました。直後場面が変り、親子は九度山の仮住まいで、監視役の和歌山藩の藩主浅野家家臣から蟄居中の注意事項を受けます。

関ヶ原の戦いは慶長五年(1600)九月です。その慶長五年九月から慶長六年正月まで、真田親子は高野山の蓮華定院に幽閉されていたとしても、その間僅か。私の推測ですが、九度山に慶長六年正月には親子は居たとの検証をした上で、NHKとしてもドラマとしての面白さや大筋を考えて、カットしたのではないでしょうか。

前にも書きましたが「歴史は勝者によって書き換えられる」との言葉、またある歴史家は「敗者の史実も資料(文献)も残らないものだ」とも表現しています。諸説ありの検証は、専門の歴史家に任せていいと思っています。

真田昌幸を演じた草刈正雄さんは私と同世代です。ドラマでの圧倒的なその存在感からしても、正にハマリ役を感じました。検証されるべき史実も大事ですが、三谷幸喜さんの描き方や、草刈正雄さんの演じ方を学びたいです。
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