梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

今回は明言を

2010年04月24日 12時25分42秒 | Weblog
前々回のブログでは、食べ物屋の店員さんの言っていることは正しいが、その伝え方次第では、お客さんは嫌悪を抱くと書きました。そんなことは店には言わなかったけれど、私は二度と行く気にはならないと。ニュアンスはちょっと違いますが、ズバリ思ったことを最近言ってしまっていた自分がありました。

先週江戸川鉄栄会の総会が終わり、JR市川駅近くのスナックに何人かで二次会に行きました。実はその一週間前に、私はその初めてのお店を下見していました。今回は二人の来賓の方をお連れしようとしていましたし、例年役員で二次会に行っていたからです。下見の時、店長も感じがよく、お店の雰囲気も悪くは無かったのでそこに決めたのです。

お客様は先に帰られ、いざ勘定となりました。気を利かした一人の役員が、既にクレジットカードで支払いを済ませていたのです。念のため金額を確認したところ、高いのです。事前に聞いていた料金より高いので、店長に内訳を聞いたら、何と勘定を間違っていたと言うのです。

私は怒りました。その店長に食って掛かっていまいした。金を払った人がもしかして気が弱く、言い切れなかったどうなるかと。事前に下見をして、店長を信頼して利用させてもらったのにと。そのお店のママも平謝りで、差額の現金二万円は返してもらいまいた。

翌朝私の携帯に店長からメールが入っていました。「私は店長の○○です。入店から今までに半年の所に全てミスが無かったです。しかし今日こんな事件起きってしまって、本当に心からお詫びします。ちゃんとしっかり反省します、許してもらいませんか。最初、社長の顔に見てすごく優しいと思いました。会って、私たち縁がありますから、正しいの人間関係を作りたい。全て私の無責任で起きってしまって、本当にごめんなさい。もしこの日本語を見て分らないならお許し下さい」そうなのです店長は日本人では無く、中国人なのです。

私は返信のメールを出しました。今回初めてのミスだったこと、十分に納得したと。しかし良心的お店だったら勘定はどんなことがあっても間違えてはならないし、それがお店の信用ですと。また店長から、深く反省していると返信が来ました。きつく言ってしまいましたが、分ってもらえて何よりです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

空気的存在?

2010年04月17日 06時54分49秒 | Weblog
「空気みたいな存在だ。有る時は何も感じないが、無くなるととても困る」と誰かが言っていましたよと、東京鉄鋼販売業連合会(東鉄連)の事務局の方が、この業界団体を表現する言葉として伝えてくれました。

一昨日、江戸川鉄栄会の第44回定時総会があり無事終わりました。今回は総会に引き続き、業界紙の記者の方を招いて、『鉄鋼流通業の現状と課題』をテーマに勉強会を企画しました。そんなこともあり会員数33社中、22名の昨年を上回る参加となり、その後の懇親会ではかなりの盛り上がりを見せました。

団体が行う行事や活動も内容や参加者によっては、恒例で行って来たものでも、そのつど様子は違います。そこにマンネリ化もありますし、また参加者の目的意識も明確でないと低迷します。常に空気を意識しないと、何も感じなくなる恐れが潜んでいます。

その前の日、江戸川鉄栄会の上部団体である、東鉄連の常任理事会が開かれました。一ヶ月前にこのブログでも書きましたが、現在会員の中にも業界存続の危機を強く感じているところが多くあります。鉄鋼流通を代表するこの東鉄連の、例えば国に対する働きかけにしても、危機を脱する為の団体としての力にも限界を感じるし甘さがあるのではと、会員から指摘されている、その話しに及びました。

実は僭越ながら、事務局の方で予定の議案が全て終わり、その他何も議案がなさそうな終わり方をするので、私の方からこの問題の提起をさせて頂きました。久しぶりに、常任理事から多くの意見が出されました。

その内容はこの紙面で多くは書き切れませんが、前向きな話しとしては、団体が現在行っている活動を再認識して、地味な活動でも大切なものは全会員に業界紙などを通じてPRして行くことや、今後このテーマは継続討議していく必要性などは話し合われました。

ズバリ言えば、団体の役員や理事などは、任期を大過なく満了すればそれでよしとする気持ちが奥底にあります。私もその一人です。しかし団体が存続し、役を引き受けている限り、それに疑問を持ち続けないと空気もよどみます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ものの伝え方

2010年04月10日 11時32分16秒 | Weblog
ものごとを誰かに伝える場合、その言い方によって受け手は、好感を持つかそれとも嫌悪を抱くかは分かれます。たとえその内容が正しくとも、言葉のままとってくれないこともあるので注意したいものです。

先日お客様がわが社を訪問してくれました。葛西の本社に寄りたいとのこと。既に浦安に本社は引っ越した旨を伝えたのですが、浦安の地理も不慣れとのことで葛西にて待ち合わせしました。事務所は未だ賃貸契約の期限が来ていないので使えないこともないのですが、もぬけの殻です。

そこで直ぐ近くのイタリアン・レストランに入りました。午後一時、お客様も食事は済ませたとのことで、飲み物を注文しました。名古屋からのお客様で後は帰るだけ、他に回る予定も無いとのことでしたので話しは弾み、気か付いたら二時を回っていました。

そこに店長がやって来て、指で×のサインを出し、昼の営業時間が終わると告げるのです。その上、お昼は食事をする人に飲み物は出すが、食事をしない人には基本的には出さないと言われました。店長は私の顔は知っている、何回か利用した店なのです。

先週末家内と、初めてのラーメン屋さんに入りました。ちょっと遅いお昼だったのですが、ビールを頼みました。食事も終わり掛けたところ、友人から携帯に電話が入りました。状況を話して切ればよかったのですが、他にお客さんも居なかったので、少し話し込んでしまいました。

店員さんは、家内に昼の営業時間が終わると告げたのです。私は早々に電話を切って、その終わる時間直前に食事を済ませたのですが、何と私たちが席を立つ前に、店員さんはお皿を片付けていくのです。

どちらの店も決めた時間で営業が終わりたいのも事実なのでしょう。当然お客さんにも帰ってもらいたいのも正しいのでしょう。それを伝えるのも必要です。

しかしその伝え方や、言葉ではない仕草は、工夫のしようがあるのではないでしょうか。少なくとも私は、このお店に再度行こうとは思いません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先代の命日

2010年04月03日 10時29分34秒 | Weblog
3月28日は私の父である、先代の命日です。平成2年に亡くなりましたから、今年ちょうど20年経ちました。その28日の日曜日は勉強会で自宅に帰ったのは深夜になってしまい、数日前までは覚えていた命日を当日はすっかり忘れてしまいました。

実は一週間前から、どうも家に“ねずみ”がいそうなのです。家族では誰も見てはいないのですが、玄関を開けっ放しにした際に、隙をねらって入ったのでしょうか。仏壇に供えてある林檎が、かじられていたのです。

父は大正13年生まれ、干支の、つまり十二支では子(ね=ねずみ)年です。そう、命日を忘れてしまった息子に対しての叱責でしょうか。誠にもって、出来過ぎです。今日土曜日、これから浅草に家族で墓参りに行こうと思います。

振り返って見てこの20年は、私にとってはとても密度の濃い人生とでも言いましょうか、墓前でその総括を報告するとこんな内容になるのでしょうか。

「20年間、何とか後を引き継ぎここまでやって来られました。母さんは大分体は弱りましたが気力はまだあり、姉や弟とも協力し介護を続けます」「先代が50年程前に買い求めた江戸川区の葛西の土地は売却し、そして隣の県の浦安に移りました。葛西はどんどん都市化され、この先長くは鉄の商売は出来そうになく決断しました」「そして7年前に、溶断加工事業を開始しました。当時うちの素材の販売先が破綻し、その事業を継承したのです。結果的に、おじいさんが戦前やっていたシャーリング業をやることになったのも、不思議な縁です」「創業時のスケールやスクラップの商売は完全に撤退しましたが、鋼板の素材販売事業の方では、先代が生前念願だったあの高炉メーカーさんとも取引が出来ました」「この地区の鉄鋼流通の団体の会長に、4年前に押されました。社外の団体の“長”は引き受けてならないとの諭しを破ってしまいましたが」「先代が亡くなり4年後に長男が産まれ今年高校二年生になり、お陰様で、色々見守ってもらって本当に感謝しています」・・・こんな格好付けた報告は、実際には言えないでしょう。

でも確実に言えることは、当時37歳だった私は今57歳になり、65歳で他界した父の胸中は歳を重ねる毎に分って来た様に思う、と言うことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする