梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

工場の近況(その1)

2018年10月27日 06時11分40秒 | Weblog
「単なる欠員の補充では、その人が辞めたら、また振り出しに戻ってしまう」「余裕をみて多く採用してくれたら、その分は稼ぐ」。8ヶ月程前、わが社の工場長が発した言葉でした。

3年前新卒で採用した20歳代前半の社員と、去年中途採用した40歳代の社員とが、年末まで相次いで退職しました。当然のことながら、直ぐ補充の為の募集をしますが結果が出ません。事務・営業職も緊急的に現場を手伝いながら、暫くは現有社員で何とか切り抜けて来ましたが、苦しいやり繰りが続きました。

新卒者を採用するにしても、1月から3月の時期は最悪です。諦めたらそこで終わりですので、あらゆる手段を講じ募集活動を続行しました。そのような中、シルバー世代の働き手も検討して、ハローワークを通じて、今年の夏までにパート社員2人の採用を決めました。

人材の増員は固定費の負担を意味します。経営的な観点からしたら、よっぽど仕事があり将来も受注増が見込めるのであれば、余裕を持った人材の採用は踏み込めます。余裕がなければ何も出来ないとの、工場長の言葉は理解出来ますが、どれだけ増員するかは難しい判断となります。一方で世間は、慢性的な求人難です。

諦めずあらゆる手段を講じたことが奏功したのか、7月に23歳、8月に22歳、10月に32歳の社員が入社することになりました。5年前に1人、去年私の息子も含め2人の20歳代が入っていますので、これで20歳代から30歳代前半の社員が6人となりました。現在わが社の社員の総勢は25名です。

話は変わりますが、7月からスタートした今期より、新たな会社の方向性を示しました。“他社が行わない加工や技術力でオンリーワンを目指す”です。その加工とは主に開先(鉄同士を溶接で繋ぎ合わせるために、角の部分を斜めにそぎ落とす加工)です。

最新鋭で開先機能が付いた、6kのレーザー機を導入して3年が経ちました。本来垂直稼動だけの火口トーチが傾斜し、ワンカットで開先加工ができ、それも曲線の開先が可能です。今日まで種々様々な開先の仕事をこなしながら、その受注は最近除々に増加しています。

またガス溶断加工における厚物の開先も、他社がやらない加工も少しずつですが増えてきました。一般のNCガス溶断機では出来ない開先でもあり、ポータブルや簡易機械を使っての、現場の熟練作業員の技に頼るものです。

そのような状況変化もあり、自動開先機の導入を決定しました。ガス溶断で垂直切断した切板を後から、自動制御で回転する刃先で研磨して開先を取る機械です。長い直線物や量産物に適した機械で、納期は来年の5月頃となります。

他社が追随しない世界を目指すことは険しい道ですが、本来のわが社の進む独自の道が見えてきたと、私は感じています。しかしこの会社の最近の方向性が、新たに入社した若手の向う道と、これほど重なるとは私自身も思いませんでした。 ~次回に続く~

 ガス複合開先

 レーザー曲線開先
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不思議な出来事

2018年10月20日 10時10分26秒 | Weblog
二週間位前のことになります。夕方銀座で会合があり、車を会社から自宅に置いて、電車に乗って向おうとしました。ところが家内曰く、京成電車が不通とのこと。数日前の台風24号の記録的な暴風による塩害の影響で、最寄りの駅を通る京成線が全線不通となっていました。

仕方が無く、京成の駅から倍ほどの距離にある、本八幡駅よりJR総武線で秋葉原駅へ行き、山手線に乗り換えて有楽町駅を目指しました。ところが電車に乗ると、やけに混んでいます。普段見掛けない、大きなスーツケースを携えた人達が目立ちました。

次の市川駅でも結構な人が乗ってきます。そこで気が付きました。京成電鉄が不通なので、スーツケースを携えた人達は、本来なら京成線に乗ろうとした成田空港からの人々です。千葉県西部の或る区間では京成線とJR総武線は互いに近くを並行して走っていますので、振り替えてJRに乗ってくるから、異常に混雑していたのです。

市川駅を過ぎた時、ドアー直ぐ脇の席に座っていた女性が、私に席を譲ろうとするのです。「私は大丈夫ですよ!」と言うのですが、その人は「イエ、ドウゾ」と、親切に譲ろうとしてくれているので、「そうですか、ありがとうございます!」と言って座ることにしました。

何故私に席を譲ろうとしたのか、年寄りに見られたのか。少し考えて分かりました。その人は、私の身体の動きがぎこちなかったので、足が悪いと読み取ったのです。確かに私には左足の不自由はあるものの、歩き方はそう見られないよう努力をしていたつもりです。しかし折角の好意ですので、躊躇なく受け入れました。

その女性とは、歳は私とほぼ同じ、話し方からすると中国人のようです。同性の連れがいました。より一層車内は混雑してきましたので、その女性が背負っているリュックサックを、私が持ちましょうかと話し掛けましたが、返答は「ダイジョウブ」と。

私は暫くして女性に「どこで降りるのですか?」と尋ねました。すると秋葉原とのことです。それから数分後、無言で女性はリュックサックを私の膝の上に置くではないですか。タイムラグで、今度は私の好意を受け取ってくれたのか、心が通じる瞬間でした。

秋葉原に着きましたので、その女性に丁重に御礼を告げました。女性二人はもみくちゃにされながら降りて行き、私は皆が降りた頃を見計らって最後に。ところが私の脇の手摺にビニール傘が置き忘れてありましたので、よもやと思い咄嗟にそれを掴んで降りました。

ホームは他のドアーからも降り立った人たちで溢れています。私は最後に降りたので、その二人は見当たりませんし、山手線に乗り換えたのかも分かりません。階段を下りて、山手線のホームに向いました。一本電車は出た後、探しても見当たらないので諦めかけたところで、ばったりその女性と遭遇しました。

尋ねればビニール傘は、その女性の物ではないと判明。確率にすればゼロに近く、とても不思議な再会でした。本人の傘ではなくとも、確認できたことは幸いでした。

ビニール傘はその後どうしたか、です。その日は小雨の空模様でしたので、私は折り畳みの傘を持っていましたが使わず、二次会までビニール傘を使わせてもらいました。二次会が終わった時雨は止んでいて、そこに置き忘れました。
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運転免許の更新

2018年10月13日 04時52分57秒 | Weblog
10月は私の誕生月であり、3年前運転免許を更新して書き換えの通知が来ていましたので、先週千葉運転免許センターに行ってきました。3年目の更新ですので、直前の免許証の色はブルーでした。今度の免許証は、この間無事故・無違反でしたので、晴れてゴールドの色になります。

前回は違反運転者として2時間の講習を受講しました。その時は講義の冒頭で、“自己診断安全テスト”を受けました。情緒不安定性、自己中心性、神経質・過敏性、安全態度、などの項目で自己採点によるチェックでした。

しかし今回の講習は30分。事故や違反の再発防止目的のドライバーと、安全運転を心掛けたドライバーとは、扱いが違うのは当たり前かもしれません。ゴールドの書き換えは5年後と更新期間も2年猶予され、それらの恩恵を受けると、改めてその合理性に納得しました。

運転免許センターに行ったのは、金曜日の午後です。相当な数の人達が訪れていました。最初に申請書をもらって印紙納税するまではスムーズですが、混雑するのはそれからの視力検査です。3列に並ばされ、どれも長蛇の列。先ずはこの難関を通らなくなりません。

20分ほど並んでやっと私の番です。他の列の検査員は女性、私の所は男性でした。右目から始め、検査表の上から三番目(視力0.4)を最初に指され、そこでつまずいてしまいました。私が「右です」答えると、検査員は「えっ右、そうですか?」と優しく、「すみません、下です」と私。なんとか正解。その男性検査員の列でホッとしました。

実は私の視力は、左目は1.2ですが、右目は確かに0.4位が限界です。学生の頃は両方とも1.5でした。これは恐らく、左足を怪我して40年以上、身体の右側でかばってきた後遺症だと思っています。50歳頃を境に、右目の視力が年々低下してきました。

視力検査は左目がカバーして、無事通過です。後はスムーズに流れ、免許証再交付の前に30分の講習です。最近の道交法の改正点や、千葉県下の死亡交通事故などの説明を受けて講習も終わり、久しぶりのゴールド免許の交付を受けました。

前回の120分の講習にしても今回の30分だけの講習にしても、免許の更新をする為に義務的に受けなくてはならないと、大半の方は受動的です。中には居眠りをする人も多く、講義をする教員の方は大変だと思います。

私はこの講習を、受講する方達の人間観察の場と捉え、自分が教員だったらどう講義をするかの視点で受けることにしていますので、今回の30分はアッという間に終わりました。話す内容も多く、どうしても教員は早口になり、私としてはもう少し長くてもいいのではないかと感じました。

ゴールドの人もブルーの人も事故の危険性は同じくあります。ゴールドの人でも、たまたま事故を起こさない、違反をしてもたまたま捕まらないケースも多くはるはずです。ゴールドの人は事故や違反しない責任を負っているのだ、との認識を新たにしました。

従いまして次回の更新は5年後、私は71歳になっています。そのような歳になっているのかと感慨深い思いはさておき、免許の更新の前に高齢者講習を受けなくてはならない歳になります。視力がこれ以上落ちていないことを願います。
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食品ロスについて

2018年10月06日 09時35分06秒 | Weblog
環境省によると、まだ食べられるのに捨てられた食品は国内全体で年間約646万トンにも及び、国連調べで2015年の世界全体の食料援助量は323万トンに達するそうです。つまり日本一国で、世界で援助を求めている量の二倍の食料廃棄をしていることなります。国内では最近、この食品ロスの課題に取り組むスタートアップ企業が増えていて、今年は「食品ロス元年」とも言われているようです。

先日地元の江戸川区のFM放送で、同区がこの食品ロス問題に取り組んでいる様子を耳にしました。江戸川区の家庭からは年間1.4万トンの食料廃棄がされていて、おにぎり一個で換算したら1億2千個分になるとか、それが捨てられているのです。

“フードドライブ”と称して、7日に行なわれる江戸川区民まつりで、家庭で余っている食品を持ち寄ってもらい、広く地域の福祉団体や施設などに提供する活動を紹介していました。区の職員の方が、「先ずは、余分なものは買わない!」この心構えが、大切だと話をされていました。

息子夫婦がアパートを借りて、実家から出て行って一ヵ月経ちました。残った私達は、食事の作り過ぎを修正して、余分なものは作らない習慣が定着しました。私自身も、最近は小食が根付いてしまい、食欲旺盛だった最盛期から比べると腹六分ほどです。

私は会社にはお弁当を持参します。昼の外食は滅多にありませんが、それでも外食でお店に入ると、店員さんに「ご飯の量は半分でいいですから」と伝えます。大体のカット率は三割程度で、思い切って減らしてくれません。どうしても多い場合は、おかずもそうですが、もったいないので常に持参しているジップロックで持ち帰ります。

“食事五観の偈(ごかんのげ)”なるものがあります。典拠は中国唐の南山律宗開祖の道宣による鈔本ですが、食事作法すらも仏道とする禅宗と強く結び付き、日本においては曹洞宗の開祖道元によって広められました。食事の前に唱えられる五つの偈文です。

その一つ目に“計功多少、量彼来処:功の多少を諮り、彼の来処を量る”があります。つまり「この食事はどうしてできたかを考え、食事が調う(ととのう)までの多くの人々の働きに感謝をいたしましょう」、との意味となります。私はこの食事五観の偈を、毎月参加している、一泊二日のお寺を借りての勉強会で、食事の都度唱えています。

お米は実るまで八十八回の手を加えると言われ、それで私達が食べられるのです。それを考えたら、一粒のお米も残すわけにはいきません。食べ物を粗末にはしていけない、の心です。日本人には古来より、生命維持に不必要な動物の殺傷をしない倫理観がありました。肉を食べ残し廃棄するのは、無益な殺傷をしたことになります。

その日本において戦後目覚まし経済発展を遂げ、私達の食生活は豊かになりました。経済の現場では、食品加工は生産性を上げるため量産をしてコストを下げます。また昨今食品の安全性が叫ばれ、消費期限を気にします。しかしその食品を棄ててしまうことは、どれだけ無駄なエネルギーを使い、貴重な資源を廃棄していることか。食品輸入も含めると、既に日本は地球規模のロスの当事者です。 

わが社の扱っている鋼材は、幸いにもロスは起こりません。鉄板を加工して製品が取れた後は、スクラップとして処分し代金はわが社の収入となり、そのスクラップは電気炉で溶かされ素材にまた生まれ変わります。わが社の素材で売れ残ったものは、賞味期限もありませんので、在庫負担は覚悟しなければなりませんが、いずれ売れます。

アパレル産業でも最近は、売れ残ったものの廃棄が問題となっています。食材で余分なものは買わない、残さず食べる。食品ロスは、私達一人ひとりが改善できる問題です。

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