梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

一泊の社内旅行

2017年06月23日 21時44分20秒 | Weblog
わが社には、社員同士の親睦を目的にした会があります。“親和会”との名称で、社員全員が入会し、社員で運営しています。主な行事としては旅行や懇親会となりますが、会の規定により社員及び家族への慶弔見舞い金等を出しています。毎月給料から一定の額を天引きして会費を徴収します。

社員の中で、二人の幹事が二年の任期で選ばれます。予算の関係で一泊旅行は毎年行えませんが、会社より補助を出すなど、経費負担は都度対応しています。旅行や懇親会(夕食会やバーベキュー)は、企画から全てその幹事が担ってくれます。

一週間前の週末、その親和会の一泊旅行がありました。訪れた場所は千葉県九十九里にある『太陽の里』というスパ・リゾート施設です。前回同様、初日の午後3時現地集合、翌日の午前10時現地解散です。気の合った仲間と、その前後は自由に行動が出来ます。

何と言っても、最大のイベントは初日の夜の宴会。食べ物やお酒で皆が満足した後は、ビンゴ大会となります。最初にビンゴになり豪華な景品をもらう人、最後まで景品をもらえない人、誰がそうなっても盛り上がります。

幹事が二次会でカラオケルームも用意してあり、全員参加となりました。皆が持ち歌を唄って、二曲三曲唄う人も出て、カラオケが終わったのが11時半。それでも話は尽きず、三次会に二次会の半分程が参加して、深夜2時近くにようやくお開きとなりました。

わが社ではここ数年で若手が入社して、社員の若返りが進みました。その20代前半の5人と、そして最近入社した40代の1人とが、今回全員参加となりました。この旅行は彼らが主役となって、終始ムードは明るく、他の社員も彼等に引き込まれました。

新聞に掲載されていた、ある調査機関が実施したアンケートです。「仕事帰りに部下・上司と飲みに見に行きたいか」、の回答結果です。部下と飲みに行きたいと思う上司は、49%。一方の部下側は、上司と飲みに行きたいと答えたのが25%、行きたいと思わないが75%だったというのです。若い世代でプライベートな時間を尊重したいと思う傾向が表れている、と解説していました。

わが社の親和会の親睦行事は強制ではなく自由参加です。残念ながら、家族の都合やその他の理由で、参加しない社員はいます。勿論私としての理想は全員参加です。参加の人達には、残念ながら参加しなかった人達の分まで、思う存分楽しんで欲しいと思っています。今回は特に、参加者全員の一体感を肌で感じました。

件のアンケートの結果は、上司と部下との飲み会に行きたい・行きたくない、のミスマッチが明らかで、若者が個人の時間を尊重したい気持は確かにあるのでしょう。しかし、意義ある飲み会にする責務は上司側にもあるように感じます。若者がそのような会が楽しいことを知ることによって、このギャップが縮まることを期待したいです。

人間には表も裏もあります。飲み会で飲み過ぎて失態をするかもしれません。でも会社で長い時間皆と仕事をするのですから、互いにもっと理解して、自分をさらけ出すことも必要です。今回の旅行の話を、その後数日皆が社内で面白おかしく語っていたことを、私は聞き及んで嬉しく思いました。

 (これから更に料理は出ましたが、私は全部食べられませんでした)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前からの約束で

2017年06月17日 09時52分49秒 | Weblog
前からの約束があって大阪に行ってきました。今回の怪我を理由に先方にお断りして先送りする選択肢もありましたが、行くことにしました。怪我から二週間は過ぎて、ギリギリで何とか行けるまで回復して約束が履行出来ました。

大阪で一泊することもあって、ビジネスバックに荷物は最小にしたものの、パソコンや電源も入れましたので結構重くなりました。新幹線の行き帰りやホテルでは、仕事をするにはパソコンが必要なので致し方ありません。

二日間で歩いたのは一万歩を超え、それまでの二週間殆ど歩いてないこともあり、腰に負担が掛かりました。身体が大事ですので、他の人の邪魔にならないようゆっくり歩き、見た目などの恥も外聞もありません。お陰で、高齢者や歩行が困難な方の気持がよく分かりました。

怪我をして二日目に病院に行っただけで、その後通院はしていません。医者に相談したら止められたかもしれません。あくまで自己判断です。伺った先では、私の様子を見れば当然分かります。怪我の最中での訪問を歓迎して下さいました。

その大阪からの帰り、横浜で行われた通夜に参列致しました。大阪行きの二日前に訃報が入りました。大学のワンダーフォーゲル部の二年先輩で、肺線維症を長年患っていたとのことです。享年68歳でした。

肺線維症とは、様々な原因により肺胞(間質)が炎症を起こすと、肺は線維化して、硬くなって縮小するためガス交換が難しくなる疾患。肺が十分にふくらまなくなり、ガス交換がうまくできずに、酸素が不足し息苦しくなるとのことで、難病とされています。

その先輩とは卒業してからあまり音信は無く、今回始めて知りましたが、この難病と9年間戦ってきたそうです。その同期は、OBとなってからも山登りや旅行を盛んにしている代です。その先輩は肺線維症を患ってからは、一泊の宿だけとか限定して参加をされたそうです。

その旅行で車から降りて宿の部屋に入るだけでも、呼吸が苦しくて何分も時間を掛けていたと、通夜で同期の先輩から伺いました。そんな身体を押してまで、皆さんと逢いたがっていたと言うのです。現役時代からの、同期仲間の強い絆を感じました。

私が知っている高齢者の方で、近しい方の訃報が届いてもある時期から葬儀には一切参列しない、とおっしゃる方がおられます。亡くなった方には申し訳ないのだが、自分の身体の方が大事だと、理由を話されます。それも一つのポリシーであることは確かです。

私の怪我の最中での大阪行きと、先輩が難病を患っても同期の会に参加されたのと、比較してどうのこうのと話す気持は全くありません。しかしその先輩には、身体の辛さや無理を通しても、仲間を大事にして、自身もしっかり生きていこうとされる人間の尊厳のようなものを感じました。

当初私は大阪に行くだけで、通夜は失礼をしようかと考えていました。その通夜が終わり近くの別の処で、先輩方を中心に20名程が集まり偲ぶ会となりました。私が自宅に辿り着いたのは深夜となりましたが、通夜に参列をさせてもらってよかったと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気の緩み(その2)

2017年06月10日 10時14分43秒 | Weblog
油断や侮り、今回の怪我は詰まるところ私の気の緩みです。ここに書くことで、恥をさらし、自分への戒めとしています。階段から落ちる直前までそのようなことを予期すらしていませんでしたが、事が起こった次の瞬間、落差はそれこそ天国と地獄でした。

このブログを書いている時点で怪我をしてから12日経過しています。その途中で、怪我から一週間後に会社へ行き朝顔だけ出し、また帰宅して(息子に行き帰りは運転してもらい)、自宅療養を続けました。そして3日前に、ようやく会社に復帰しました。

薄皮を剥ぐように、とはよく言ったもので日に日に回復はしています。しかし肋骨のひびは簡単に治る訳でもなく、他二箇所打撲した痛みも残っています。その痛みで車の乗り降りも時間が掛かりますし、手の動きも不十分でハンドルもやっと回せる状態です。

結局会社を9日間休みました。自分の身体の治り具合を出来るだけ客観的に観ながら、色々貴重な体験をしたと思っています。これほど会社を休んだのも稀ですが、自宅にずっと居て飽きることはありませんでした。迷惑を掛けた家内は、大変だったでしょうが。

当初は腕が思うように上がらず、足も上がらず、方々の痛みもあり、服を着せてもらうのもベッドに横たわるのも家内に介護をしてもらうしかありませんでした。私がもっと歳を取って、もし身体が動かなくなったら、介護を受けたり老人養護施設に入ったりしたら、このようになるのだろうなと想像しました。

家内の介護は感謝しかありません。しかしそれが段々当たり前になると、身体が動かない分、口が出ます。痛みがピークの時は思考も停止します。しかし徐々に元気になってくると、周りが気になり、余計な注文を出してしまいます。老後退職して、もし家にずっと居たら、このようになるのだろうと想定しました。

私が家に居て退屈しないのは、一つはテレビの前に座っていたからです。今回お陰で、時間が無くて観られなかった沢山の録画番組を観終えることができ、すっきりしました。映画もじっくり観ていると、必ず何か訴えているものが伝わってきます。

今回特に実体験したのが、身体の機能(使い方)と治癒力です。大よそ一週間は、身体は方々に痛みが走り、通常の動きはとれませんでした。その分散していた痛みも集約されてきたものの、ひびが入った肋骨の部分をカバーする為か、動かす度に脇腹の筋肉が収縮して、痙攣状態になり今までに無い痛みに襲われました。

しかし冷静に自分の身体を観察してみると、痛みを避けようと逆に力んでいるのです。他に力を分散すると、例えば下腹だとか足だとか他でカバーする部分に意識を持っていけば、痛みが薄らいでいくことに気が付きました。

怪我をして翌々日に行った病院からは、湿布薬はもらいました。鎮痛剤をもらって来ない、このあたりが身内から頑固と言われている所以です。耐えられない激痛であれば私は痛み止めを出してもらいますが、あらゆる薬には副作用があり、本来は薬に頼らない生き方をすべきだと私は思っています。

緊急措置としての外科手術も私は受け入れます。しかしながら人間には自然治癒力も兼ね備えています。それを引き出すのも自分です。自分の身体を実験台として、身体の使い方や自己回復力にも向き合いたいと、今回の怪我で考えたことです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気の緩み

2017年06月03日 09時26分31秒 | Weblog
瞬間自分でも何が起こったか分からない状態で、ド~ンと音がして、その後背中と腰に激痛を感じました。階段の途中でスリッパに足元を取られ、手摺に手を掛けたのも遅かりし、真後ろに倒れ、上り口の床に身体を叩きつけてしまいました。自宅で夕食を終え、暫くして2階の寝室に上がろうとした時の出来事でした。

お酒は入っていましたが飲み過ぎた訳ではなく、昔怪我をして筋力が弱い左足につっかけていたスリッパが抜けた途端です。言い訳はともかく、その夜は疲れていたことは確かです。家内曰く、履いていたスリッパが階段の五段目に残っていたと。

その夜は、全く寝返りは出来ない状態で、それでも無理やり寝ました。翌日会社に行こうと試みましたが、とても無理です。目が覚め、動けば動くほど、全身に痛みを感じ歩行すら困難です。強く打ったのは、右の肩甲骨、左のわき腹、左のでん部です。

翌日病院に行こうにも、身体を曲げれば痛みが走り、車に乗れません。二日目の朝やっと病院行きますが、肋骨にひびが入っていて、後は打撲との診断です。先生がおっしゃるには、ただ安静にするしかなく、この二日間が痛みはピークでしょうとのことでした。

両手に力が入らず、手が上がらない、歩行も殆ど出来ません。日中椅子に座っても背中と腰が痛み、ソファーに横たわろうとしても寝そべる際また起き上がる際に激痛があります。三日間はただひたすら、長い時間が過ぎるのを待つだけでした。

自分の身体ですので、痛みに対して意外に冷静な見方もします。当日にしても翌日にしても、じっとしていても耐えられない痛みであれば、骨が折れて内臓に刺さっているとかが考えられますが、そうではありません。夜は何とか眠れました。

しかしそれはあくまで自己判断です。身内からしたら一刻でも早く病院には行って欲しいものです。即翌日に病院に行かないことだけで、身内は心配が募りますし、私が頑固と取られてもしかたありませんが、身体が動けないのです。

二日目にして病院に行ったものの、大変に難儀でした。息子に半日会社を休んでもらい、病院の送り迎えをしてもらいました。車の出入りにとても時間が掛かり、病院の中ではずっと立ったままでした。安静にするのが処置、それを聞いた家内は一安心の様子。

杖を突けば何とか歩けます。幸いトイレも自分で出来ます。しかし、腕が思うように上がらず、服は家内に着せてもらうしかありません。椅子に座りっぱなしでも、身の回りの世話は家内にしてもらうしかありません。

会社でのスケジュールは、このような事は稀ですが、この週は外出予定も来社予定もありませんでした。会社からパソコンを自宅に取り寄せ、在宅で急ぐ仕事はしましたので、支障はありませんでした。

このブログを書いている時点で怪我をしてから4~5日経ちます。分散していた痛みは三箇所に集中して来てはいますが、椅子に座る時やベッドに横になる時に、変な力を入れてしまうので違う痛みを感じます。  ~次回に続く~
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする