梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

10年間の学び

2016年04月30日 10時25分16秒 | Weblog
長年社外で携わってきた二つの役職から降りて、一つの区切りがついたとの安堵感を、今味わっています。業界団体である、江戸川鉄栄会と東京鉄鋼販売業連合会でのことですが、幹事や理事の役をこの4月を以て退職させてもらいました。

どちらも年度末は3月で4月には実質仕事は終わるのですが、5月になってから東鉄連の年次総会があり、それが最後の任務となります。江戸川鉄栄会の年次総会の方は、先週無事に終わりました。どちらも相談役としては残りますが、それは名ばかりで、また一会員として戻ることになります。

10年前に地区団体の江戸川鉄栄会の会長に選ばれ、他8地区団体の会長同様、上部団体の東鉄連の常任理事に就任致しました。以来、江戸川鉄栄会と東鉄連のそれぞれの会運営の仕事を携わってきました。特に東鉄連では、地区や会社規模や扱い品種を超えて、多くの皆さんと接することが出来て、貴重な体験をさせてもらいました。

20年前、私は江戸川鉄栄会で当時会長だった方のサブのような役割をしていました。しかしその会長が、会員から信用を失う行為をしたことによって辞任に追いやられました。私はそれを事前に見抜けなかったのです。その反省は大いにありましたが、人間不信にも繋がりました。

そのような理由で、私は業界団体の活動に積極的になれなかったのが正直な心境で、江戸川鉄栄会や東鉄連の行事にも殆ど参加しなくなりました。その辞任した会長の後、急遽会長になられた方は、会をまとめる為に大変な苦労をされたことと思います。

そしてその会長が約10年経った頃、私が次期会長へとの誘いがあり、何回もお断りしたのですが最終的にお引き受けすることとなりました。私にとってみると、自分勝手に団体活動から距離を置いてしまったのですから、そのお誘いは大変に有り難いものでした。

この10年間を振り返って一つだけ明確に言えることは、自分の価値観や判断で物事決めてはいけないということです。人間の好き嫌いにしても、全て自分の尺度です。自分が嫌いな人にこそ、縁があり、自分の生き方を変えるチャンスがあるのかもしれないということです。

物事全てやってみなければ分からないし、物事は考えようと感じ方であると。この10年間でそのような事を学びました。
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不動産は動産(その2)

2016年04月23日 06時18分59秒 | Weblog
葛西の土地を売却して、移転先を新たに求めようとしたことは、今から振り返ると正に綱渡り。葛西の土地を、その総合建築会社がほぼ取得してもらえる段階でも、何処に移るかは実際決まっていなかったからです。何故なら、この話はある段階から急速に進んだからに他なりません。

そもそも久しぶりにお会いしたその方は、30年前は銀行に勤めていて、わが社はその銀行と取引をさせてもらっていて、担当者でもありました。その方はその後銀行を退職されて、件の総合建築会社に再就職をされました。そしてその方が15年前、わが社を懐かしく思って訪ねてくれたのです。

15年前に再会してから、しばらく時間が経過して、またお会いするような関係でした。葛西の都市化の動きは増々加速してわが社も移転の決断も迫られていました。その会社もマンションを建てて分譲するという事業が本格化していました。

ある時その方から、「もしよければ、梶哲さんの土地をわが社に売却する考えはないか」との提案がありました。当時の私は先代が10年前に急逝して、自分の考えや価値観で会社を運営してきたものの、全ては上手く行かず、悩んでいた時期でもありました。

そして他人の助言を聞けるような心境の変化もありました。自分の考えや価値観は絶対ではなく、例えば自分が不得意な分野は、信頼できる方の見方の方が正しいのです。一つでもそれが納得できれば、受け入れる抵抗感はさほどありません。

最後の段階では、他社も入札することで、その会社は同意してくれました。その方の元の銀行の関連の不動産会社なども入ってもらって、コンペをしてもらった結果、その会社に売却することが決定しました。

その会社とって、当時最大の供給戸数となるマンション用地を広告塔として欲しかった事情も内々は伝わっており、思い切った価格を提示してもらいましたことは、何より幸いでした。浦安を取得するに至った経緯も、予想を超える展開もありましたが、今回は省略します。

わが社が現在浦安の地で、私の弟の運送会社と共に、周りをはばかることなく日々商売を行なえるのも、その方のご縁と、多大な支援によるものです。久しぶりにお会いして、過去の恩義をあらためて感謝致した次第です。
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不動産は動産

2016年04月16日 09時38分23秒 | Weblog
「不動産とはいうものの、不動産は動産かもしれませんね」このような事を、その方は話されました。わが社は江戸川葛西の地で長らく操業をしてきましたが、13年前その土地を売却して、新たに土地を取得して現在の浦安に引っ越すことになり、その葛西を取得して下さった会社の方が、そのようなことを仰いました。

その方と久しぶりにお会いしました。その会社は鉄骨加工業としてスタートして、現在は総合建築会社として、例えば土地を取得してマンションを分譲するなどの事業も行なっています。現にわが社の前の葛西の土地は、マンションが建ってその会社が管理しています。

不動産とは、動産と違って本来動かせない意味で使われています。取得した土地でも、その後周りの環境が変化して法令等が変ったら、建ぺい率や容積率も違ってくると、その方は言われます。つまり時間の経過と周りの空間が変化することによって、その不動産の価値が変る、価値は不動ではなく動くと言うのです。

土地を取得するにしても、本当の真価は、5年や10年では判断出来ないとも話されました。言い方を代えればリスクもある不動産業は、長いスパンでトータルとしての見方が出来る、しっかりとした企業が行わないと長続きしないと言えます。

わが社が葛西から他へ移ろうとしたのは、都会化した葛西では、これ以上将来に亘って商売が出来なくなるとの理由です。その時点で移転先が決まっていた訳ではありません。土地を買い替える、税法上のメリットが適用できるのは、売ってから買うまで二年間の期間となっています。

一方で、土地を売る・土地を買う、その条件やタイミングの良し悪しは確かに存在します。つまり高く売れて安く買えるかは、とても大きな問題です。しかしそれは、全ては計れるものではありませんし、結果によるところが大です。

「土地を移転する時は、どちらかと言うと売ることが先決です」、とその方は言われました。移転先が安く買えるから、それだけを当てにして、売却する条件を緩めては駄目とのこと、保険を掛けるなとの意味なのです。他にも色々解釈出来ますが、一つを真剣に行なえ、肚を固めろ、長い目で見よ、と私なりに捉えています。

「梶さんの会社は、その意味では良かった事例ではないですか」と、その方は仰いました。 ~次回に続く~
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最後の仕事 

2016年04月09日 06時04分48秒 | Weblog

東鉄連の“第53回鉄鋼新人・中堅社員教養講座”が、6日と7日にかけて開催されました。新たに鉄鋼流通業で実務に携わる人を対象に、必要な鉄鋼基礎知識を修得して、ビジネスマンとして身に付けるべく一般教養を学ぶことを目指しているのが、この講座です。今年は総勢130名程の参加者、わが社の中堅社員も2名参加しました。

15年間この講師を務めて下さっている先生と、講義の前に少しお話を致しました。今まで他の業界団体の講師を引き受けたこともある先生は、このような講座が53年も続いている業界も珍しく、毎年これ程多くの受講生が熱心に参加する団体も稀です、との感想でした。

去年、このブログ上で書かせてもらったことです。講座は朝から夕方まで、多くの講師の方が話されて、ちょっと詰め込み過ぎで午後どうしても疲れて睡魔に襲われるので、能動的な参加型の講座もあってもよいのではないかとの提起です。私もこの講座を運営していく理事の一人なので、今年は少し改善を試みました。

午後一番の講義で、「ビジネス活動はコミュニケーション活動」のテーマの箇所で、それを体験するために、全員参加の伝言ゲームを行いました。12名のチームを作って、会社で日常よくある伝達事項を、メモは取らずに一人40秒で伝言を続け、最初の内容と最後の人が聞いた内容をチェックするゲームです。

結果は、やはり内容を削除・歪曲しています。だからこそ、メモを取りしっかり聞いて理解して、正確に伝えることの大事さを学ぶことになります。更なる能動的な講座や、もう少し他社の社員との交流があってもよかったかもしれませんが、次年度以降の課題です。

実は私東鉄連の常任理事を、今年度限りで退任することになります。江戸川鉄栄会の会長に選ばれ、10年前に上部団体の東鉄連に派遣され常任理事となりました。7年前に東鉄連の副会長を仰せつかり、長らくその任に就かせてもらいましたが、江戸川鉄栄会の会長も今期で退任が決まりましたので、同じく東鉄連の副会長も退任を申し出ました。私の頭の中には潮時との文字が浮かんでいます、長くやり過ぎた感も否めません。

従いまして来年の新人・中堅講座の改善や運営は、理事としては違う方が携わります。東鉄連専任の事務局の方もおりますので、私としては憂えることはありません。この講座が更に進化発展して、同期の桜となる年度ごとの新人が明日の業界をしっかりと支えてくれることを願うばかりです。

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バイトで働いた息子

2016年04月02日 05時51分11秒 | Weblog
2月から3月にかけて、息子がわが社の現場でバイトとして働きました。彼はこの4月から大学四年生になりますが、この春休みを利用して、ほぼ毎日出社して社員と一緒に、慣れない仕事ながらも約40日間務めました。

彼に出来ることとして、加工製品の片附けや手直しのサンダー掛けがメインとなります。実は去年の夏休みにも一ヶ月間同じ経験をしましたので、今回はクレーンの操作もこなしたようです。一日サンダー掛けをしていると、手や腕の感覚が無くなると言っています。

私の車に同乗して通勤をしていますので、行き帰りはその日の仕事や会社に関することなど、話し合う良いチャンスとなっています。私は色々と聞き出したりするのではなく、彼から自然と話したいような場作りや質問があれば答えることを心掛けています。

彼の感じ方や一つの見方なのでしょうが、それでも私が知らない色々な会社の情報が入ってきます。息子の捉え方がよっぽど間違っていれば修正します。しかし、基本的に私は聞き置くに留め、むしろ彼がどのような着眼点で、どのようなことに関心をもっているか、冷静に観察しようと努めています。

息子に集まる情報は、それは正しいかもしれませんし間違っているかもしれません。一番避けたいのは、私がそれを鵜呑みにして上から粛清することです。そのようなことをしたら、会社はおかしくなるし、息子が親父のスパイ役として社員から信用を失います。  

週の初めの月曜日は憂鬱そのもの、週の中盤になると明るさが見えてきて、週の終わりの金曜日になるとルンルン、その繰り返し。分かりやすい彼の心情パターンです。それでも一緒に仕事をしている社員を気にして、二ヶ月ほぼ間休みを取りませんでした。

現在わが社には20歳代前半の正社員が三人います。息子はその一番年下の社員より更に一歳若く、そのような同世代が居合わせたことが、互いに刺激になった事は確かで、息子も仕事を続ける励みになったことは事実で、私としては嬉しい限りです。

彼のバイトは3月30日で終わりました。翌日は大学関係の用事があったようですが、翌々日は朝から家を出て行って、目いっぱい自分の自由な時間を謳歌して、夜中に帰宅しました。息子の若さとバイタリティに圧倒されます。未熟でしょうが、休まないで務め上げた彼を、素直に褒めてあげようと思います。
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