梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

時代は移ろい2

2008年09月27日 05時02分44秒 | Weblog
その外材の扱いの切欠を作ってくれた、金町で会食したTさんとはどんな人だったかと言いますと、当時は鉄鋼業界紙の記者でした。

そのTさんは、わが社にたまに来られては市中の状況をヒヤリングしていました。先代がまだ存命の時でした。先代は取材に来たその記者を掴まえて、三ヵ月後の市況予測を書いていってくれと、そんな無理難題を言っていたのです。

ある時そのT記者より、ブラジルのウジミナス製鐵所の対日窓口の商社を紹介したい旨の話が舞い込みました。その外商は関東地区で販路を拡大したいので、その記者にも協力を仰いでいたのです。

わが社は当時スポット的に外材を買っていましたが、直接契約などは考えてもいませんでした。紹介された外商と早々に面談の機会を得ましたが、LC決済(銀行信用状決済:ほぼ前金決済)と先物契約(入着は半年先)が条件でした。

色々クリアーしなくてはならない課題はありましたが、取引は開始され、その後約10年は継続しました。ウジミナスの営業や技術者が来日し、定期的にわが社にも来てくれるようになりました。

平成に入り鉄鋼不況は長引き、国内メーカー品が値下がりし、更に店売りへの売り圧力も加わり、特に遠国物の外材は魅力を失いました。ついにその外商も東京事務所を閉鎖し、以来ブラジル材は姿を消しました。

ところでそのTさんですが、その後業界紙を辞め、経済雑誌の編集長などを経て、現在はシニア世代向けの情報紙の取材編集の仕事をしています。お付き合いを始めて20年経ちました。

何時しか家族ぐるみのお付き合いとなり、折々に近況報告など交わしていますが、Tさんの奥様は現在私小説を書きながら将来作家を目指しています。

わが社の販売力はこの外材扱いで実力が付き、現在の大手国内メーカーとの取引に繋がりました。Tさんはそんなわが社を微笑ましく見つめてくれています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時代は移ろい1

2008年09月21日 09時17分26秒 | Weblog
あるご夫婦と私ども夫婦で会食をしました。金曜日の夜、葛飾金町の南欧料理の店にて。話が盛り上がり料理も美味しかったこともありましたが、気か付けばワインが三本空いていました。

わが社の15年前は、鋼板の素材販売において外国材の扱いが最盛期を迎えていました。その仕入先はブラジルで、四半期で2,000トンはコンスタントに輸入契約をしていました。

日本のマーケットにブラジル材が入りだし、定着したのは20年ほど前ではないかと思います。当時ブラジルの鉄鋼ミルは外貨も乏しく、日本の市場には魅力を感じていていました。実際、安価でそれなりの品質であれば国内では売れました。

わが社は昭和50年より厚板販売を始めましたが、高炉メーカーの発生品や市中の残材を仕入れて、全リストを作り定価在庫販売する形態が長く続きました。ニッチの商売に先代は目を付けたのですが、逆に実績もない会社ですのでメーカーからは一級品は買えませんでした。

昭和59年ある電炉メーカーが厚板に準ずる新商品の生産を開始して、高炉メーカーが供給出来ない市場に進出をしましたが、わが社がその製品に飛び付くまでそんな時間は要しませんでした。

昭和のバブル経済崩壊まで、わが社もその製品の販売量は伸び続け、一ヶ月でその商品だけで2,000トンを超える記録を打ち立てたのです。

しかしその後不幸なことにその製品に品質問題が発生し、また高炉メーカーの店売り市場への見直し強化などもあり、その商品はみるみる販売数量を落して行きました。

そんな中わが社では、主力になる商品として外材の潜在ニーズが必然的に生まれていたのです。その外材の扱いの切欠を彼、会食したTさんが作ってくれたのでした。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

花火・牧場・座禅

2008年09月13日 15時47分50秒 | Weblog
一週間前の土曜日、長野県諏訪で花火大会を見ました。諏訪湖の湖上で4万発の花火が打ち上げられる新作競技大会でもあり、毎年40万人ほどの人が集まります。

わが社は岡谷市に本部がある異業種交流を目的とした協同組合の会員となっていますが、その組合が今年創立30周年・改組20周年を迎え、9日諏訪で記念式典がありました。

その祝賀会としてその花火大会を見学したのです。湖岸に建つ旅館の屋上が特設の見学席でした。湖上の打ち上げ用ステージが目と鼻の先にあり、これ以上の場所は無いところで、二時間夜空の大輪に圧倒され続けられました。

翌日明け方は4時に諏訪湖を後にしました。10日の日曜日は、江戸川地区業界団体の“鉄栄会一日バス旅行”だったのです。毎年恒例となっている会員の社員及び家族の慰安旅行で、今年は千葉のマザー牧場へ行く企画でした。

都営新宿線船堀駅7時45分集合に、何とか間に合いました。今回も100名以上が集まるバス二台満席の盛況振りです。会長挨拶が昼食時にありましたので、朝の集合に間に合わなければ、現地に諏訪から直行しなければなりませんでした。

天気予報による午後からの雨を覚悟していましたが、暑さが戻る位の好天で救われました。しかし前日4時間しか寝ていない私には、この暑さとスケジュールはこたえました。

11日月曜の午前中は浦安事業所で業務。週末土日で自分の仕事の整理が全く付いていないまま週のスタートになり、辛いところです。

その日の午後からは参禅をしました。社員研修で礼儀作法や食事(和食)マナーを教わった私塾で、この度座禅の研修会を始めましたので参加しました。その座禅中、ほとんどが居眠りになってしまったことは言うまでもありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

発表会を終え

2008年09月07日 06時43分18秒 | Weblog
8月23日、わが社の第42期経営方針発表会を終えました。この発表会は、前期の結果を棚卸して今年度の利益目標を設定する、年度の大事な区切りです。

その後慌しく二週間が過ぎようとしています。発表会の直前まで準備に追われ、普段の仕事は後回し。終わると放心状態の中で、その溜まってしまった仕事に追われています。

今期の利益目標は鉄鋼需要などの外部環境を考えると、ハードルは低くはありません。前期と同じことをしていたのでは、また計画した方針や戦略を本気で実践しなければ、達成は不可能です。

前期末に八年間在籍した役員の退任もあり、今期は組織を再編しました。それにより私は浦安の溶断加工事業に深く係わることとなました。

従来は葛西本社、成田の近くの千葉溶断工場、浦安事業所の三箇所を均等に回りながら仕事をしていましたが、当然のことながら浦安事業所での仕事が主になりました。

わが社は素材販売事業と溶断加工事業が柱ですが、最近外注仲介業務が増えています。と言うのも自社加工が忙しく出来ない場合や、自社で持っていない素材や加工の仕事を依頼される時に、外注に出して繋ぐのです。

お客様からすると価格の折衝もありますが、何処かにやってもらいたい、断られると困ると言うのが本音です。直近の傾向としては、特にグレードが高い規格材が市中で逼迫していて、どこを探しても無いケースもあります。

依頼があったら極力お断りしないをモットーにしているわが社としては、当然社内の業務は混乱しますが、この繋ぐ商売は今期の利益を支える重要な戦略です。

そんな業務も営業の外注先の政策と社内業務の連携があってこそ、浦安事業所で、私もその調整に時間を掛ける必要を感じています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする