梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

全てに意味がある

2014年05月30日 05時50分32秒 | Weblog
4月5日付のこのブログ上で、勉強仲間のお父様が3月の末に急逝された事をお伝えしました。翌月の4月の中旬に、親子でその勉強会に参加されていた方のお父様が亡くなられました。更に5月に入った先週のことですが、同じくその勉強仲間のお父様が亡くなられました。

二ヶ月の短い間で、親しい勉強仲間のお父様が、相次いで三人も他界されました。それぞれお父様や息子さんの年齢の違いはありますが、共通している点があります。

お一人はこれを機に専務から社長なり、お一人はこれを機に違う仕事からお父様の会社を継ぐことを決意して、お一人はお父様が会長で本人は既に社長となっている方でしたが、親の会社を継承している(継承した)点がいずれも共通点です。

既に社長となっていた方には、会長のお父様は、息子の経営に対しては一切口出しをしなかったそうです。その分社長は、創業者である会長の口に出せなかった遺志をしっかり継ぐ決意をされました。社長とその息子さんはちょっとしたことで行き違い、確執がありましたが、お爺さんである会長の今回の死が、社長と息子の絆を修復したそうです。

後のお二人のお父様の会社を引き継ぐ息子さんは、まだ三十代ですので、経験も実績もお父様には及びません。お父様は現役で、これからしなければならないことも多くあったでしょうが、言わば道半ばで息子さんにバトンを渡すことになりました。

しかし若いお二人だからこそ、お父様が出来なかったことを、手を付けられなかったことを、実現する可能性があります。実際お二人からお聞きするところ、未解決の問題も多くあったそうです。お二人共にお父様の死を前向きに受け止め、そのような契機と捉えて、改革の志に燃えています。

三人のお父様の死は、早かったのか遅かったのか。その時の状態が、それぞれの会社の環境が良かったのか悪かったのか。しかし人間の死やタイミングにおいても、つまり全てのものには意味があると捉えることが、懸命であると私は思います。

物でも人間の体でも、繋ぎ目は大切です。骨折をして骨が付く箇所は、何も無かったところより硬いと言われます。会社は次の世代に後継されて存続するものです。その繋ぎ目にも、大切な意味があると思います。
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本日は和歌山へ(その3)

2014年05月24日 05時43分36秒 | Weblog
 (宿坊の朝は寒かったです)

迎えに来てくれた友人は、和歌山県箕島の出身。大学卒業後は総合商社に入社し、南洋材や靴等を輸入する業務を経験し、18年間の商社マン生活を終えて実家に戻りました。同県人の特有だそうですが、ざ・じ・ず・ぜ・ぞ、がはっきり言えないらしいです(友人は気をつければいえると言っています)。

串本町(トルコ記念館)、那智大滝、熊野速玉大社、熊野本宮大社、湯の峰温泉(入浴)、高野山(宿泊)、九度山町(真田幸村隠棲の地)、岩出市(根来寺)、和歌山城、南海市(酒蔵見学)、広川町(稲むらの火の館)。以上が、二日間で主に訪れた処です。

私は、和歌山は35年振りの二度目。一度目は沿岸線をほぼ素通りしただけです。今回は特に高野山の宿坊を楽しみにして来ました。「紀伊山地の霊場と参詣道」として、登録された世界遺産を堪能しました。因みに来年は、高野山開創1200年に当たるとのことです。

友人は、奥さんのお兄さんが経営されている道路舗装業を長年手伝っていました。しかし60歳を機にそこも辞めて、以来悠々自適の生活をエンジョイしています。奥さんはそこで働いている為、休みも取れず、友人は一人旅に出る機会が増えたと言います。

いやそのようなことがしたいから、一旦仕事から遠ざかったようです。海外にも数回行ったとのことで、誰にでも気軽に話し掛け、旅慣れています。でもそのような生活も最近は考え直し、バイトでもいいのでまた社会復帰を考えている、と伝えてくれました。

二日間色々な事を、互いに話し合いました。今までの友人の知らない側面も発見しました。学生の頃は好きな山に登って純粋な気持ちで語り合っていたのが、社会人になり家庭を持って価値観も変わります。悪い意味ではなく、40年の重みを感じます。

ちょっと話は変わりますが、実は私の母方の母親は、今回訪れた広川町の出身です。お醤油の発祥地である、湯浅町と隣接をしている処です。江戸末期、地震による津波から稲を燃やして住民を救った濱口梧陵は、祖母の親戚筋に当たります。

私の父方の父親は戦前にシヤリング業を営んでいました。私の父は戦後、同じ鉄でも製鉄原料を扱う会社を興しました。引き継いだ私の代になってシヤリング業に進出しました。祖父が行っていたシヤリング業の組合に今般入会して、その初総会が祖母の生まれた地で行われている。この巡りあわせに奇縁を感じざるを得ません。
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本日は和歌山へ(その2)

2014年05月22日 17時19分14秒 | Weblog

16日南紀白浜で開催された、全国厚板シヤリング工業組合の第39期通常総会には、メーカーや商社などの賛助会員と本組合員を併せ52社が出席しました。今回は3期6年を務めた理事長に代わり新理事長が選任され、他の役員の入れ替わり等もありました。

「当面の鉄鋼実需は底堅く、現在取り組んでいる建材分野での商取引適正化(適正な利潤の確保・注文書や契約書の取り交わし)を更に進め、汗をかいた分の努力が報われる業界を形成しよう」。総会後の懇親会冒頭の挨拶でも、力強い発言が目立ちました。

賛助会員の中にはお取引があったり、組合員の中でも他の業界で顔見知りであったりした方々はいました。しかし今回初対面の方も多く、かなりの名刺を交換しました。ブッフェ着席形式の懇親会でしたが、時間の多くは他のテーブルを回っていました。

その翌日の土曜日です。前日初めて知り合った九州支部の方と意気投合して、外に出て飲み直し、ホテルに戻ったのは夜中の12時をとっくに回っていました。睡眠不足と二日酔いの状態の私を、大学時代クラブの同期が、早朝ホテルまで迎えに来てくれました。 ~次回に続く~
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本日は和歌山へ

2014年05月16日 07時54分47秒 | Weblog
全国約160社で組織化されている、シヤリング業の組合があります。昭和51年に設立され、「中小の厚板シヤリング業の改善発達を図るための必要な事業を行い、会員の公正な経済活動の機会を確保する」、を目的としています。

その全国厚板シヤリング工業組合に、わが社はこの度入会を致しました。実は3年程前にも入会のお誘いがありましたが、わが社のシヤリングの業歴は浅く、お断りを致しまた。しかし、今年初め改めて東京支部よりお話を頂戴し、入会を決めました。

その定時総会が本日16日、和歌山県の白浜で行われる為に出席を致します。総会と懇親会が本日終わり、明日は地元でゴルフが企画されています。私は、ゴルフはしませんので、明日は友人を訪ねます。

大学時代のワンダーフォーゲルクラブの同期で、和歌山が実家の親友です。以前から彼の誘いがありましたしので、もう一泊して和歌山を案内してもらおうと思います。そのような内容も含めて、また来週、このブログ上で報告させてもらいます。
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癌にならない秘訣!?

2014年05月10日 10時44分00秒 | Weblog
私の父は65歳で他界し、死因は大腸癌でした。半年前から腰が痛いと訴えていましたが、その痛さは癌の痛さだったと後で判明しました。腰の痛さを治すのだと温泉に行って、かえって痛さが倍増して、山梨の温泉地から病院に直行して、手術もしないまま亡くなりました。温泉に出掛けて、一か月後のことです。

肉もお酒も好きで、50歳位までは煙草も結構吸っていた父です。私は結婚するまでは、父と一緒に住んでいました。当時、酒を飲んで食事をした後に、寝る直前におにぎりを母に作らせ食べていた、そのような父の様子が目に浮かびます。

戦前戦後の、食糧難だった時代に若かった父にとっては、肉が最高の贅沢な食べ物であったのでしょう。学生相撲を取っていた父ですので、大食漢が染み付いていたことは事実です。さすがに50歳を過ぎた頃から、健康に留意して体重を落としましたが、長年の食生活やライフスタイルは、大幅には変えられなかったと思います。

肉食系の欧米人に比べて、日本人の腸は倍も長いので途中で腐ってしまい、本来我々には肉は適していない。その肉を多く食べ、お酒も飲み続け、寝る直前に満腹にして、更に喫煙が習慣で、その上ストレスを発散出来ない人は、癌になる典型と言える。

知人から健康の話しを聞きました。両親を早く癌で亡くし、本人も若い時に無茶苦茶な食生活を続け、ある時期にその間違いを悟って、自ら癌にならない勉強を重ねた人です。癌になる典型の事例の話しを聞き、父の姿が重なってしまいました。

癌は遺伝するのではなくて、同じ気質が癌を誘発する。癌気質としては、内向的、頑固、仕事が大好き、そのような事項を挙げています。その方の言っている、仕事が大好きは、何事もバランスが大切で、気持ちの切り替えも大切であると、私は解釈しています。

現代の西洋医学や食品添加物などの、利得が絡む医薬業界や食品業界の裏の話しに及び、それが真実とすると恐ろしさすら感じます。“医師に金を払うより味噌屋に払え”江戸時代の諺だそうです。食育、人は口にするもので健康が維持出来るとの戒めだそうです。

伺った話は、私には全てを検証する術はありませんが、その方の人格で納得できる内容でした。食べる物と、その人の性格や気質が、大きな要因を占めていることは確かです。「癌になる人はその様な所業をしている。癌は自分が作っている」、と私は受け取っています。
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後味がよい懇親会に

2014年05月03日 11時06分17秒 | Weblog

わが社の創立60周年記念式典を行って、五ヶ月が経ちます。直前まで社員は準備に追われ、社員で行う出し物の調整では当日のリハーサルで舞い上がり、いざ本番は無我夢中で、あっという間に終わった60周年行事でした。

嬉しいことに、お客様の中には、お会いするといまだに話題にされる方がいらっしゃいます。当日出席下さった会社の方が、先日ご自分のところで30周年行事を行うことを決定されたそうで、わが社の60周年が刺激になったと仰っていました。

わが社は久しぶりに、6月に一泊旅行を企画しました。行先は名古屋に在る、取引先の電炉メーカーとなりました。60周年の式典で、主賓でご挨拶を頂戴したのが、その電炉メーカーの社長でした。わが社の社員の殆どが、製鋼メーカーの工場を見学したことがなく、そのメーカー見学をしたいと意見がまとまりました。

一泊旅行は通常どこかの温泉地に行きますが、今回は工場見学をした後、名古屋駅近くのホテルに泊まり、夕食は外で地元の名物料理でも食べたいと思っています。翌日は一緒にブランチをして解散、後は自由行動をして帰路につく。その様な計画です。

自由行動で、社員の何人かは伊勢神宮に行きたいと言っています。私は以前参拝したこともあり、明治村に行くか、歴史のあるお城でもゆっくり見たいと思っています。

社内には社員同士の慶弔慰や懇親などの規約があり、それに則って僅かですが各自月々貯金をしています。その運営は“親和会”と称して、幹事が二人選任されます。従来、社内の懇親会は総務経理で企画してきましたが、最近は親和会の幹事に一任しています。

昨日、社内バーベキュー会を楽しみました。この行事も親和会幹事主体で、この時期に行うことが恒例となりました。買い出しや準備や実際の焼き番、通常の仕事を離れて、共同作業することで皆は盛り上がります。

私は、餃子を焼く係りに徹しました。去年は進んでその役を買って出ましたが、今年は幹事から正式に頼まれました。この私の役回りは、今後定着しそうです。

社内でやる行事は、楽しくなければ意味がありません。それには、ルールをあまりきっちり作らない方が得策です。やりたい人がやりたい事をやるのでも、いいのかもしれません。終わった後の清々しさは、今回も残ったように感じました。
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