梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

江戸川鉄栄会は今

2012年04月28日 06時03分35秒 | Weblog
創立は昭和42年10月1日、新小岩の割烹「有田」で発会式をあげている。会員数27社だった。東鉄連への加盟は構成する9団体のなかで一番おくれて昭和48年9月。ただそれ以降東鉄連への団体加盟はなく、言ってみれば都内各地域における鋼材販売業者の組織化が終了した。

平成17年に東鉄連が創立50周年を迎え、記念誌“鉄流”を発刊しました。その中に江戸川鉄栄会が紹介さています。その冒頭のくだりが上記の文章です。

第二次佐藤内閣が成立し、フーテン族やゴーゴー喫茶が話題となり、本では「頭の体操」がベストセラーとなり、歌謡曲では「夜霧よ今夜も有難う」がヒットし、そしてグループサウンズが流行り出した。そんな世相が昭和42年でした。

その年に生まれた赤ん坊は、今や45歳。働き盛りで油が乗り切っている、今の世の中を引っ張っていく中堅です。現在当会には32社が所属しています。世代交代が近年進み、それよりもまだ若い年齢の経営者が多いのも当会の特徴です。

私はこの会の8代目の会長として、5年前に任命を受けました。前会長は、任期二年を五期、つまり10年間勤められました。長期に及んだ理由としては、はっきり言って、後任で会長を引き受ける人が居なかったからに他なりません。

当会45年の歴史で会長選任にあたっては、私も多くは知りませんし先輩から聞き及ぶ限りです。会長候補が複数いて選挙を行った時期や、副会長が自動的に会長になった時期もあり、鉄屋さんの栄枯盛衰や世代の交代そして考え方の変化など、時代反映そのものではないかと、私は考察しています。

兎にも角にも最近の傾向は、会長を進んで引き受ける人が益々少なくなってきているのも事実です。それは東鉄連傘下の他地区団体でもそうですし、東鉄連自体の会長職についても同じことです。

こう書いてきている私も5年前は、前会長からバトンタッチンの話があった時固辞した張本人です。それが一転して会長をお引き受けした経緯は、以前このブログに記述した記憶がありますので、今回は省略致します。

45年間の伝統もあり、若手の台頭が目覚しい当会が過日定時総会を行いました。
(次回に続きます)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠らせないように(その2)

2012年04月21日 11時16分04秒 | Weblog
私自身としても、この初日の鉄鋼新人・中堅社員教育講座を始めから終りまで通して聴講したのは、今回が初めてでした。聴講する側の発言としては、ちょっと詰め込みすぎという感じがしました。

朝9時20分からスタートして夕方5時まで、6人の講師が演壇に立つのですから、幾ら業界や専門分野を違えても、内容は面白くとも、一方的に受身で聞くには辛いものがあると思いました。

私は午後最初の講義を受け持ちましたが、それ以外は一番後ろの席で聴講していました。後方に座る受講者ほど、睡魔には負けていました。意欲的に参加する人は前のほうから座る。これなどは積極的に参加しているかどうかの問題なのかもしれません。

しかし主催者側の工夫も、一考する余地がありそうです。参加意識を出すのは、受講者が発言する場などあれば、受身はかなり解消するはずです。午後の時間帯に、参加者を小グループに分けて、自己紹介をして、テーマを決めて討論の時間を作っても良いのかもしれません。

よくある話ですが、会社で社員を社外の研修に出す際に、社長は一度もその研修に参加していないケースです。時には社員と共に学ぶ姿勢も、社長には必要であると私は考えます。

かく言う私も、この講座を一日通して聴いたのは初めてです。わが社の場合は中途採用者となりますが、過去何回か入社して間もない社員には、この講座には参加してもらいました。実際自分で参加して見ると、色々気付くことがありました。

理想を言えばそのグループ討論の場に、まとめ役や相談役として、各会社の経営者が参加していただくことです。特に新人はこれからの職場に、期待もあるでしょうし、不安や疑問も同時にあるはずです。そんな場があれば、他社の新人同士が、情報を交換し共有できるチャンスもあります。

よりこの講座が活用されることを望んでいる、これは私の一つのアイデアですが、次回の東鉄連常任理事会で発言をしてみたいと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠らせないように

2012年04月14日 10時29分52秒 | Weblog
東京鉄鋼販売業連合会と鉄鋼新聞社の共催で、今年第49回を数える鉄鋼新人・中堅社員教育講座が二日間に亘り開催されました。初日は座学で浦安鉄鋼会館にて行われ、二日目は製鉄所見学として住友金属工業鹿島製鉄所を訪れました。

新たに鉄鋼流通業界に携わる新入及び中堅社員を対象として、各企業の社員教育の一助にする目的で、他三団体の協賛の下で毎年行われてきた伝統ある勉強会です。今年は151名の受講者に達しまた。

去年は3月11日の東日本大震災の直後でもあり、実際に浦安鉄鋼団地の殆どの会社が大なり小なり液状化の被害を受け、当会館も上下水道が寸断され建物の一部損壊もあって、残念ながら中止となりました。

さて今回初日午前中の講座は、東鉄連会長の挨拶に始まり、“業界の先輩として若き鉄鋼マンに贈る”と題し高炉メーカーの部長が、次に“商社マンから見た鉄鋼流通”と題し商社の役員が、それぞれ講演をされました。

午後一番の講座は、“新人の皆さんに贈る言葉”をテーマに、我々流通仲間の社長が話しをするのが毎年の恒例となっています。今回は、不肖私が勤めることとなっていました。去年中止にならなければ、その際私がやることが決っていましたので、今年断る理由も無いままお引き受けした次第です。

一ヶ月前から話す内容については考えていました。しかし幾らしっかり原稿を作ったとしても、当日それを上がらないで、上手く伝えられるかどうかは別問題です。そして私は話すことはプロでもなんでもありません。プレッシャーは当然重くのし掛かってきてはいました。

「本日はとっても良い時間帯を頂戴致しました。午後食事の後は睡魔に襲われますので、皆さんはその睡魔と闘って下さい。私は皆さんを眠らせないように頑張りますので」。そんなことを、私は冒頭に話していました。

話した内容をここで書くつもりはありません。原稿は一切見ないようにして、極力皆さんの顔を見て、早口を押さえながら話すように心掛けたつもりです。目を合わせうなずきながら真摯に聞いてくれた受講者もいて、本当に感謝しています。全部の講座が終ったのは午後五時、受講者の皆様お疲れ様でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりの再会

2012年04月06日 19時11分27秒 | Weblog
先月末に、大学のワンダーフォーゲル部同期の会合がありました。今まで東京で不定期に集まっていましたが、同期15名の中でも東京以外の者もいて、4~5名集まれば良い方ですが、今回は8名も参加しました。

去年その同期の中で、福島県南相馬市で3月の東日本大震災で被災したもの、そして和歌山県日高町で9月の台風12号で水害に遭ったもの、そんな二人が出てしまいました。二人には我々は見舞金を送って応援をしました。

その和歌山のN氏が今回参加すると言ってきました。道路舗装工事会社を経営していて、資材置場やアスファルトプラントが被害に遭いかなりの損害額になったようですが、生活は水害前に戻ったと言うのです。

その上彼は、3月の初旬にマレーシアのキナバル山(標高4,095m)に登頂して来たと言うのです。マレーシアに移住した商社時代の大先輩に誘われて、会社のワンダーフォーゲル部の仲間三人と登ってきたとのことでした。

一方その福島のK氏からは、「Y氏の久々のアメリカからの帰国の機会でもあり、私も駆けつけたいのですが、まだ余裕と機会を作ることができません」と、早々とそんなメールが届きました。 

「私の地域はまだまだ不安定で、原子力発電事故の影響が震災復興を妨げています。電車も無い高速道も無い、全く不便な街で暮らしている現状です。秘蔵のお酒を飲み会の店に送ります」と、コンビニと酒屋を経営しているK氏からのメッセージでした。

そして今回卒業後初めて再会するH氏が参加しました。二年生から入部して、体力に自身が無かったのか、他にやりたいことがあったのか、三年生の途中で退部してしまった彼でした。

実は和歌山のN氏も三年生になる前に退部しているので、そんなH氏とは馬があったのか、長い付合いが続いていたのです。中途退部は、多少後ろめたさも、本人には残るものです。そんな過去のことは、今の我々にはどうでもいいことになっています。福島のK氏を、今度は是非交え再会をしたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする