梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

忙中閑あり

2009年12月26日 12時09分29秒 | Weblog
年の瀬も迫り、今週は年末の挨拶でお客様を回りました。仕入先鉄鋼メーカーやその窓口商社または販売先に、アポを取って伺うところアポなしで伺うところまちまちでした。

そこで交わす会話ですが、前もってストーリーがある訳でもなく、相手様の話しによって場の雰囲気に応じて話すのですが、結構これは奥が深く大事だと受け止めています。

値決めとか見積もりとか商談中心の場合でも、行きなり本題には入れません。人間の心情としては、やはり心の準備やゆとりが必要です。そんな意味合いで、落語で言う“まくら” があるのでしょう。前振りとか、イントロとかがそれです。

差しさわりが無いものに天候の話題がありますが、これはイントロのイントロです。その次に話すまくらが重要です。相手の方が振ってくれるのか、こちらが提供するのか、微妙な間合いを読まなくてはなりません。

ここで如何にお互いに心が打ち解けるか、出来れば笑いが伴うものが、馬鹿話しのたぐいのほうが尚更いいと私は思います。やはりユーモアのセンス、右脳の活性化は必要です。

最近私は、この手の話を自分から振るように心掛けています。敢えて私から砕けた話題を提供します。しかしここで調子に乗らないで、いい加減なところで止めます。そして本題に移るその導入部分を、相手の方から切り出し易い様にしてもらいます。

一般論でお客様との会話では、相手側が話すのが70%で、こちら側が30%と、以前どこかで聞いたことがあります。中心はあくまでもお客様です。タイムリーな質問も、それを増幅するものです。

気が付けば、二時間以上もその販売先の社長と話しをしていました。この師走に、忙中閑あり。その会社の在り方とその社長の人生が一致する、貴重なエッセンスを聞く事が出来ました。
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どんな年?

2009年12月19日 06時05分36秒 | Weblog
今週の初め東京地区業界の団体である、東鉄連(東京鐵鋼販売業連合会)の理事会と忘年会がありました。今回は少なめの参加で20社ほどでした。

この理事会は年に4回位開催されますが、毎回この席上参加者の即席アンケートを取り集計し、会の最後に発表します。アンケート内容は、出席各社の売上や収益など、また労務関係や時事に関しての10項目程度です。

その質問の最後に、「今年はあなたにとってどんな年でしたか?」の設問がありました。用意された回答は「1.悪い年だった」「2.どっちとも言えない年だった」「3.良い年だった」以上三つでした。

事務局から最後の項目の発表があり、1.の回答が圧倒的で、2.の回答が多少で、3.の回答が一社のみでした。3番の回答発表の時会場がどよめき、誰だ!その会社はとの声が上がりました。

その後忘年会に移行し、酒が入れば、直前の理事会の暗い話し一辺倒から和やかなムードに。今年は早く忘れ、来年は良い年にしようとの会話で盛り上がりました。宴もたけなわ、締めの時間となりました。

事務局から私に締めをとの依頼。それも宴会の終了5分前に指名。新任の副会長に仕事をとの温かい配慮?!「最初から聞いてないよ!」と内心思いましたが、笑顔で素直に引き受けました。

『え~先ほどのアンケート、今年は良い年と答えたのは私です! やせ我慢や格好付けたのでは無く、本当にそう思っています。わが社も業績は非常に厳しいです。でも中途半端に儲けをあせる時期では無く、先ずは会社を生き残らせることが先決。勝とうとするより今は負けない態勢を作るべきです。大幅な経費削減もわが社はしましたが、これ等も如何に能動的にするかが求められ、最後はトップの“勢い”に掛かっていることを自覚すべきだと考えます。この大不況は色々なことを気付かせてくれる、またと無いチャンスと捉えます』

そんなことを言ってしまいました。酒の勢いとは恐ろしいもの。締めた後、「梶さん今の話し良かった!俺もそう思ったよ」と言ってくれた人がいました。
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200回目

2009年12月12日 11時50分24秒 | Weblog
~本日は大安です。
わが社のホームページを更新するにあたり、今後『梶哲日記』として、
会社の出来事や鉄鋼流通の将来について語っていきたいと思います。
恐る恐るグログを作りました。本日は記念すべき日です。~

2006年2月8日にこの様な第1回目のブログを書き出して、今回この投稿で200回目を迎えます。鉄鋼流通の将来について語ることはあまり無くなり、“鉄鋼流通業社長の日々”とサブタイトルを変えましたが、よく続いたものです。また見て下さっている方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。

当初のブログを書く目的は、会社のホームページに載せる都合上仕事関係のことを書いていくことでした。それが私的なことが中心となり日々の思いや考えを例えば子供達に残す記録となればとなり、現在は週一回何かを書く訓練を継続しそれ公開することが目的となりました。

私は別に週一回出すことを誰かと約束した訳ではありません。私はブログを毎日必ず書いている人を知っています。恐らくその方も自分に規律を課しているのでしょう。何があっても毎日書くことの大変さは十分理解出来ますし、そんな方を尊敬します。

自分で決めたことを実行する。これはた易いようで、なかなか難しいものです。中断する理由は幾らでも見つかります。止めても誰からも注意は受けません。しかし止めてしまった妥協癖や軟弱さはずっと自分に残るものです。

ですから公開することは、継続することにおいては結構重要なファクターかもしれません。誰かが見ています。その継続性を見られているかもしれません。そう考えると、もう中途半端には止められません。

こんなブログでも、たまには生みの苦しみとなることがあります。しかし書いた後の清々しさは、苦しまないと分からないかもしれません。

ブログ如きでちょっと硬い話しになってしまいましたが、これは私と読んで下さる方との接点であり、私の週一回のアクセントになっていることには確かです。
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荒川の清掃

2009年12月05日 09時18分38秒 | Weblog
先週の土曜日、地元江戸川区のロータリークラブが主催し実施した『荒川クリーンエイド』と言う清掃活動がありました。私は一年半前にロータリークラブは辞めましたが、昔の仲間に誘われて参加しました。
 
『荒川クリーンエイド』とは1994年、荒川放水路通水70周を記念して始めた運動で“ゴミを拾って荒川の自然環境を守りましょう”のスローガンを掲げた市民運動とのことでした。参加し初めてこんな団体の存在も知りました。

地下鉄新宿線の船堀橋近くの河川敷に約200名が集まり、午前10時に開会式。約1時間に亘り清掃活動、その後ゴミを集約し感想文を提出して写真撮影をして、12時少し前に解散そんなスケジュールでした。

しかし本音を言いますと、参加する前までは乗り気ではありませんでした。誘われて断り切れず、「ボランティア賛同!」ぶって参加する私の姿も見え隠れしていました。

それにしても何とゴミの多いことか。中でもビニール袋の多さ。買い物時は、マイバック持参の必要性を痛感しました。また驚いたのは、注射器が何本も棄てられていることでした。これ等のゴミは、我々皆が捨てたものです。当日は快晴掃除日和の中、無心にゴミ拾いをしていると、うっすらと気持ちの良い汗も出てきました。

1時間を掛けこんな大勢の力で清掃しても、広大な荒川全流域からしたら、今回の面積と収穫物は知れています。しかしこの活動は微力ではありますが、無力ではありません。また一人より二人、二人より五人、五人より十人、・・・、多くの人が集まった活動には勢いがあります。終わってみると、そんな貴重な体験をしました。

ゴミを捨てる人と、ゴミを拾う人は世の中で自ずと分かれます。ゴミを拾う人は、絶対にゴミは捨てないでしょう。またゴミを捨てる人は、ゴミを拾うことはないでしょう。

ゴミを拾わずとも、ゴミを無意識に捨てる人を、捨てなくすることは可能かもしれません。この様な活動は、そんな効果は確実にあるでしょう。
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