梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

顧客の困りごと(その2)

2019年04月27日 09時47分43秒 | Weblog
今から50年ほど前、フレッド・スミスというイェール大学の学生が、「ハブ&スポーク方式」の原案をレポートとして提出しました。しかし教授から実現性を欠くとC(日本の大学では「可」)の評価をされます。これはハブ(Hub:中核)を設け、拡散している情報や物をスポーク(Spoke:車輪と軸を繋ぐ細い棒)によって、ハブに集中させ仲介・支援する方式でした。

この構想を航空貨物輸送で実現したのが、FedExという会社です。小荷物運送を始めるにあたり、飛行機でメンフィス(Hub)に全米の貨物を集め、選別して各地に飛行機を返す方法です。隣の州に行く荷物も全てメンフィスに集めるその手法は、当時は非常識と考えられていましたが、結局全米の小荷物を制覇しました。

広大な国土のほぼ全域で、オーバーナイトデリバリー(翌朝配達)を可能にしました。創業者は一ヶ所に荷物を集める合理性を知っていたのです。このFedExの創業者が、フレッド・スミスです。教授からCの評価をされたレポートは、現在もFedEx本社に飾られているといわれます。

メタル便はこのシステムを標榜し、推進してきました。創業から長らくは、関東地区限定での配送でした。主に浦安鉄鋼団地の鉄屋から小口鋼材を集荷して、自社のハブに集め、それを方面別に仕分けして、一台ごとのトラックに積み置きをして、翌日配送をする形態です。

小口をハブに集め分散配送するメタル便のシステムを是非取り入れたいと、大阪の運送業者が現れました。荷主から受ける荷物で、たまに小口があり、従来は大手の路線便に依頼していたが、一方的に断られて困っていたというのです。メタル便の社長は知り合いを介して、その大阪の運送会社の社長を紹介されたのです。

「困りごとで問題を共有出来る」、二人の社長は意気投合します。そして大阪の社長はメタル便関西を設立し、自らの困りごとを自覚しながら小口混載に特化して業績を伸ばしていきます。その後名古屋でも同じシステムを構築したい会社が現れ、メタル便中部が設立されます。しかし関東のメタル便も他の2社もその圏内だけの配送で、それぞれの会社として取引はありませんでした。

メタル便関東にも新たな転機が到来します。関東の既存の荷主や新規の先から、小口鋼材の長距離輸送の依頼や引き合いが入り始めます。当然、関東圏を走っているトラックでは配送は出来ません。例えばその小口が大阪向けであれば、メタル便関東のハブに集荷して、別のトラックで大阪に運んで、積み替えるなどして納入先まで再送しなくてはなりません。

大阪のハブまで運べば、大阪で積み替え再送している会社が、幸いにもメタル便関西として既に在るのです。東京から大阪への輸送は、小口の量が集まって、4トン車なり大型のトラックの荷物になれば、東京に上ってくる大阪の帰り便を使えば採算が取れます。

逆にメタル便関西からも、大阪から東京への小口配送依頼も増えてきて、大阪から小口を混載して東京に来て降ろし、そのトラックで東京から大阪への小口を混載して帰る。大阪・東京間の定期便として週何便仕立てるか、量が集まるかはもう時間の問題でした。

では東京から九州向けや四国向けはどうするか。メタル便関東からメタル便関西に持ち込んで一旦大阪に降ろして、大阪から九州、大阪から四国に積み替え輸送すれば一環配送は可能です。各地の拠点ハブをリンクしていくことにより、そして配送地域を更に拡大していけます。 

このような発想で、メタル便関東の社長はある時点で、全国を網羅するネットワークが見えてきたのだと思います。荷主から小口鋼材の長距離輸送の地域の広がりの要望に呼応して、各地域でメタル便の信条に賛同する共同配送業者を探し求めることになります。  ~次回に続く~

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顧客の困りごと(その1)

2019年04月20日 06時04分10秒 | Weblog
他社と競合しない。同業他者と連携ができる。販売価格が通る。そしてお客様から喜ばれる。このような会社は実際存在しづらく、いわば理想的な会社です。これから紹介します企業は、少しでもそれに近づこうと努力した会社の軌跡でもあります。
 
2000年の12月に、鋼材の小口混載・共同配送サービスを専業として立ち上がった運送会社があります。その社名は“メタル便”です。元々母体の運送会社があり、そこは鋼材輸送の他、建築資材や貿易貨物など保管配送も行い、地方からの帰り便を利用し全国への運送斡旋業務を併せ行なっていました。その母体の会社名は“総合トラック”です。

総合トラックの社長(梶大吉:私の弟)は、浦安鉄鋼団地の懇意にしている経営者から、輸送における鉄屋の悩みや困りごとの相談を長年受けていました。それは、小ロットの配送です。請け負っている運送会社は、一車満載で一箇所降ろしなら喜んで引き受けますし、荷主もそれなりの運賃も支払うことが出来ます。

しかし小ロットを何軒もの納入先に降ろしていく配送となると、手間や時間が掛かりますので、運送会社はそれなりの運賃はもらいたいところです。まして一箇所だけ飛び離れた納入先となると、なにがしかの割り増し運賃を貰ったところで中々ペイはしません。

一概には言えませんが、力関係からすると鉄屋の荷主の方が運送会社より上位に立ち、運送会社の運賃交渉は難航してきました。反面、長年の取引だからとか、貸し借りを繰り返し一回で清算をしなとか、荷主と運送会社の運賃設定は「なあなあの世界」でもありました。

小ロットの遠隔地でも、納期を十分もらえれば配送もやり易くなります。厄介なのは小ロットでも納期がありますので、はっきり言って運送屋からしたらやりたくない仕事です。しかし鉄屋は小ロットでも、売上に寄与するためだとか、普段量を買ってもらっている得意先なので繋ぎの商売として、売りたい心情も理解出来ます。

鉄屋が自社社員の運転手で自社所有のトラックで、一ヵ月のコストとしてその運賃を管理しまえば、小ロット配送は何とか解決します。しかし鉄屋と運送屋との配送形態となると運賃が跳ね返り、これが潜在的な悩みや困りごとになっていました。

19年前にメタル便が発足する前は、鋼材の小口混載・共同配送サービスを専業とした会社はありませんでした。似た機能を有する会社はあったようですが、使い勝手が悪かったようです。この小ロットを多くの鉄屋から、鋼材の種類・形状は問わず積極的に集めて、その方面に一車満載を追求しようとしたのがメタル便です。当初は関東地区に限定して、前日の夜までに荷物を出荷してもらえれば、翌日配送を可能としました。

そして画期的だったのが、分かりやすい運賃表を開示したことです。縦軸は重量(kg単位)、横軸は距離(エリア単位)、そのマトリックスの料金設定です。これに当てはまれば、どの荷主も同一です。荷主は運賃交渉する手間も省け、納期も気にせず、その運賃を基に小口販売の損益を判断出来ます。

商売は何でもそうですが、創業して採算に乗るまではリスクを負います。メタル便の場合は、一定のトラックを用意しますが、その方面への荷物が集まるかです。逆に多く集まり過ぎれば更に一台チャターしますが、そのトラックが満載になるか、つまりコストの補償はないのです。

いずれにしてもメタル便は、そのような顧客の困りごとを解消するユニークな会社を興しました。専業の他社が存在しなかったということは、市場がニッチ過ぎたのか、それまでの運送会社の取り組み方が違っていたのか、メタル便はそれを実践しながら、問題解決を試みました。そしてその後は、意外な展開となっていきます。 ~次回に続く~


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話が長い!?

2019年04月13日 06時35分16秒 | Weblog
「最近、○○さんの話が長くなった」。社内で、社員からそのような声が上がるとすると、その人には一つの理由がるように思われます。仕事で責任を持たされ、人前で話すことが多くなると話が長くなりがちです。朝礼や会議などで、そのように話が長くなればなるほど、他の人は聞いてくれず嫌悪を抱きだします。

それは熱心さのあまり、色々伝えたいとの思いからでしょうが、話が長くなれば聞き手はつまらなくなり逆効果です。厄介なことは、話している人自身は気が付かないということです。そこで、私なりに話が長くなってしまう人の理由を考えてみました。

・そもそも一定(与えられた)の時間に収めようとしていない
・事前に話す内容を整理し把握していない
・話の途中で軸がぶれるあるいは脱線する
・話すことに少なからず自信がある
・聞いている人の反応を感じようとしない

他にも理由はあると思いますが、少なくとも一方的に話していることが問題です。その話が長く内容がつまらない典型は、社長です。何故社長の話が長くつまらなくなるか、社員が黙って聞いてくれるからです。そんな社長の話に、社員は建前上聞いている振りをしているだけか、場合によってはヨイショしてくれているからです。

海外経験の長い人が書いたものを、以前読んだことがあります。海外では時間は自分の為に使うので、無駄な時間に対してはシビア。結婚披露宴のスピーチでも、例え友人の上司でも話が長くつまらないとなれば、携帯に手を伸ばしたり、タバコを吸いに離席をしたりするというのです。つまり、はっきりと態度で示すとのことでした。

これも人から聞いた話です。同じく披露宴で、新婦の親戚の人が祝辞を頼まれマイクの前へ立ちます。しかし何かを探しているようで言葉が出ません。祝辞のメモを探していたのですが見つからず、汗びっしょりになり、無言の状態で会場は静まり返り、遂に諦め「○○ちゃん、結婚おめでとう!」。割れんばかりの、満場の拍手で終わったそうです。

このような例で言えることです。相手がどのようなことを聞きたいか探っていない。そして相手の気持ちが掴めるかどうかです。同じ時間でも、話す人によって長く感じてしまう原因は、ここにあると私は考えます。相手の聞きたいことを探りながら、相手の気持ちを掴もうと努力すれば、話す時間が長くても長く感じさせないものです。

話が長くなることを改善するなら訓練も必要です。ある勉強会で、毎回参加者が一分間スピーチを行なっています(一分経過するとチャイムを鳴らします)。初めから一分間と決っているのに、エクスキューズをしながら二分間近く話をする人がいます。話す内容と話す長さを事前にチェックしていないと取られても仕方ありません。

時間の制約がなくても、話したいことが5あれば3位で押さえ、敢えて完結にした方が受入れられると認識した方が得策です。また人前で話すことに関連したことですが、話の中に、「あの」「その」「え~」「まあ」等の言葉が頻繁に入ってしまうと、概してその人の話は長くなります。

上の人の話が上手くなったと思わせるなら、極力無駄な話を慎むことです。あるいは短くユーモアも取り入れ、雰囲気作りをして固さを壊すことも必要かもしれません。普段からペラペラ喋らなければ、たまに話す一言が効果的なこともあります。もっと書きたいことがありましたが、テーマがテーマだけに、今回はここで終わりにします。
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改元の本質

2019年04月06日 09時37分08秒 | Weblog
4月1日に政府は「平成」に代わる新しい元号を「令和」に決定しました。4月30日の天皇陛下の退位に伴い、皇太子さまが新天皇に即位する5月1日に、この「令和」に改元されることになります。

改元は現在の元号法によって、皇位の継承(天皇の代替わり)があった場合に限り政令で定めると規定されています。この一世一元は明治期以降からであり、それ以前は、大災害や世の吉凶の兆しなどでも不定期に改元されていました。一世一元を定めた旧皇室典範は、戦後GHQの統制化に置かれると、元号に関する規定がなくなり元号は法的根拠を失います。

法的根拠を失った状態が続けば「昭和」限りで元号がなくなる、との懸念を強めた民間団体の運動が広がり、そして1979年に現在の元号法が成立します。戦前まで元号は天皇の勅定事項でしたが、同法により決定権が政府に移行しました。今終わろうとしている「平成」は、正に初めて政府が定めた元号となりました。

その元号法が成立する34年前に、「昭和」そのものがなくなる一大危機があったことを、現代の人々の認識が薄らいでいるように思います。それは昭和天皇の存在の危機であり、先の大戦で日本がアメリカに負けたことによるものです。

日本が敗戦した年、昭和20年の9月27日昭和天皇はアメリカ大使公邸を訪れ、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーと会見します。会談内容については、当事者である昭和天皇は終生語りませんでしたが、一方マッカーサーは後の回顧録で披露しています。

それによると、昭和天皇は「私は、国民が戦争遂行にあたって政治、軍事両面で行なった全ての決定と行動に対する全責任を負うべき唯一の者です。あなたが代表する連合国の裁定に私自身を委ねるため、ここに来ました」と、発言したとあります。それを聞いたマッカーサーは、自らに帰するべきでない責任をも引き受けようとする勇気と誠実な態度に、骨の髄まで感動したと記します。しかしこのマッカーサーの回顧録は、多くの誇張や思い違いや自惚れがあるようで、史料的な価値は低いとの指摘もあります。

マッカーサーの専属通訳者のバワーズ少佐は(会談には同席していない)、マッカーサーから聞いた話として、「巣鴨刑務所にいる人に代わり、私の命を奪って下さい。彼等の戦争中の行為は私の名においてなされた。責任は私にある。彼らを罰しないでほしい。私を罰して下さい」と、昭和天皇が語ったと証言しています。その会談の直前アメリカ議会では、昭和天皇を戦犯として裁く決議案が提出されていました。昭和天皇は極刑をも受ける覚悟でした。

今回の改元は概して明るいニュースとして国民に受け止められています。その明るい話題に水を差すわけではありませんが、元号由来の万葉集の地に観光客が押しかけたり、元号を印字した商品が早速提供されたり、元号を交流や消費の手段として楽しんでしまう、その気軽な受け止め方に私は少し抵抗があります。

元号の変遷には「昭和」のような、天皇の存続すら危ぶまれた時代もありました。この機会に、天皇の存在を再認識して、その昭和の戦争を顧みることも必要かもしれません。現在は天皇があっての元号であり改元です。新元号の公表に沸くだけでなく、その歴史や本質を学ばなくてはなりません。

かくいう私はこれら大半の知識は、最近読んだ本や昨今の新聞を読んでのものです。4月1日から数日経ち、その新聞も普通の記事に戻りました。私にもある、熱しやすく冷めやすい一過性の性質も考えなくてはなりません。
 

 
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