今から50年ほど前、フレッド・スミスというイェール大学の学生が、「ハブ&スポーク方式」の原案をレポートとして提出しました。しかし教授から実現性を欠くとC(日本の大学では「可」)の評価をされます。これはハブ(Hub:中核)を設け、拡散している情報や物をスポーク(Spoke:車輪と軸を繋ぐ細い棒)によって、ハブに集中させ仲介・支援する方式でした。
この構想を航空貨物輸送で実現したのが、FedExという会社です。小荷物運送を始めるにあたり、飛行機でメンフィス(Hub)に全米の貨物を集め、選別して各地に飛行機を返す方法です。隣の州に行く荷物も全てメンフィスに集めるその手法は、当時は非常識と考えられていましたが、結局全米の小荷物を制覇しました。
広大な国土のほぼ全域で、オーバーナイトデリバリー(翌朝配達)を可能にしました。創業者は一ヶ所に荷物を集める合理性を知っていたのです。このFedExの創業者が、フレッド・スミスです。教授からCの評価をされたレポートは、現在もFedEx本社に飾られているといわれます。
メタル便はこのシステムを標榜し、推進してきました。創業から長らくは、関東地区限定での配送でした。主に浦安鉄鋼団地の鉄屋から小口鋼材を集荷して、自社のハブに集め、それを方面別に仕分けして、一台ごとのトラックに積み置きをして、翌日配送をする形態です。
小口をハブに集め分散配送するメタル便のシステムを是非取り入れたいと、大阪の運送業者が現れました。荷主から受ける荷物で、たまに小口があり、従来は大手の路線便に依頼していたが、一方的に断られて困っていたというのです。メタル便の社長は知り合いを介して、その大阪の運送会社の社長を紹介されたのです。
「困りごとで問題を共有出来る」、二人の社長は意気投合します。そして大阪の社長はメタル便関西を設立し、自らの困りごとを自覚しながら小口混載に特化して業績を伸ばしていきます。その後名古屋でも同じシステムを構築したい会社が現れ、メタル便中部が設立されます。しかし関東のメタル便も他の2社もその圏内だけの配送で、それぞれの会社として取引はありませんでした。
メタル便関東にも新たな転機が到来します。関東の既存の荷主や新規の先から、小口鋼材の長距離輸送の依頼や引き合いが入り始めます。当然、関東圏を走っているトラックでは配送は出来ません。例えばその小口が大阪向けであれば、メタル便関東のハブに集荷して、別のトラックで大阪に運んで、積み替えるなどして納入先まで再送しなくてはなりません。
大阪のハブまで運べば、大阪で積み替え再送している会社が、幸いにもメタル便関西として既に在るのです。東京から大阪への輸送は、小口の量が集まって、4トン車なり大型のトラックの荷物になれば、東京に上ってくる大阪の帰り便を使えば採算が取れます。
逆にメタル便関西からも、大阪から東京への小口配送依頼も増えてきて、大阪から小口を混載して東京に来て降ろし、そのトラックで東京から大阪への小口を混載して帰る。大阪・東京間の定期便として週何便仕立てるか、量が集まるかはもう時間の問題でした。
では東京から九州向けや四国向けはどうするか。メタル便関東からメタル便関西に持ち込んで一旦大阪に降ろして、大阪から九州、大阪から四国に積み替え輸送すれば一環配送は可能です。各地の拠点ハブをリンクしていくことにより、そして配送地域を更に拡大していけます。
このような発想で、メタル便関東の社長はある時点で、全国を網羅するネットワークが見えてきたのだと思います。荷主から小口鋼材の長距離輸送の地域の広がりの要望に呼応して、各地域でメタル便の信条に賛同する共同配送業者を探し求めることになります。 ~次回に続く~
この構想を航空貨物輸送で実現したのが、FedExという会社です。小荷物運送を始めるにあたり、飛行機でメンフィス(Hub)に全米の貨物を集め、選別して各地に飛行機を返す方法です。隣の州に行く荷物も全てメンフィスに集めるその手法は、当時は非常識と考えられていましたが、結局全米の小荷物を制覇しました。
広大な国土のほぼ全域で、オーバーナイトデリバリー(翌朝配達)を可能にしました。創業者は一ヶ所に荷物を集める合理性を知っていたのです。このFedExの創業者が、フレッド・スミスです。教授からCの評価をされたレポートは、現在もFedEx本社に飾られているといわれます。
メタル便はこのシステムを標榜し、推進してきました。創業から長らくは、関東地区限定での配送でした。主に浦安鉄鋼団地の鉄屋から小口鋼材を集荷して、自社のハブに集め、それを方面別に仕分けして、一台ごとのトラックに積み置きをして、翌日配送をする形態です。
小口をハブに集め分散配送するメタル便のシステムを是非取り入れたいと、大阪の運送業者が現れました。荷主から受ける荷物で、たまに小口があり、従来は大手の路線便に依頼していたが、一方的に断られて困っていたというのです。メタル便の社長は知り合いを介して、その大阪の運送会社の社長を紹介されたのです。
「困りごとで問題を共有出来る」、二人の社長は意気投合します。そして大阪の社長はメタル便関西を設立し、自らの困りごとを自覚しながら小口混載に特化して業績を伸ばしていきます。その後名古屋でも同じシステムを構築したい会社が現れ、メタル便中部が設立されます。しかし関東のメタル便も他の2社もその圏内だけの配送で、それぞれの会社として取引はありませんでした。
メタル便関東にも新たな転機が到来します。関東の既存の荷主や新規の先から、小口鋼材の長距離輸送の依頼や引き合いが入り始めます。当然、関東圏を走っているトラックでは配送は出来ません。例えばその小口が大阪向けであれば、メタル便関東のハブに集荷して、別のトラックで大阪に運んで、積み替えるなどして納入先まで再送しなくてはなりません。
大阪のハブまで運べば、大阪で積み替え再送している会社が、幸いにもメタル便関西として既に在るのです。東京から大阪への輸送は、小口の量が集まって、4トン車なり大型のトラックの荷物になれば、東京に上ってくる大阪の帰り便を使えば採算が取れます。
逆にメタル便関西からも、大阪から東京への小口配送依頼も増えてきて、大阪から小口を混載して東京に来て降ろし、そのトラックで東京から大阪への小口を混載して帰る。大阪・東京間の定期便として週何便仕立てるか、量が集まるかはもう時間の問題でした。
では東京から九州向けや四国向けはどうするか。メタル便関東からメタル便関西に持ち込んで一旦大阪に降ろして、大阪から九州、大阪から四国に積み替え輸送すれば一環配送は可能です。各地の拠点ハブをリンクしていくことにより、そして配送地域を更に拡大していけます。
このような発想で、メタル便関東の社長はある時点で、全国を網羅するネットワークが見えてきたのだと思います。荷主から小口鋼材の長距離輸送の地域の広がりの要望に呼応して、各地域でメタル便の信条に賛同する共同配送業者を探し求めることになります。 ~次回に続く~