一ヶ月程前の日曜日ですが、殆ど一日中自宅で、WOWOWのテレビ映画を見ていました。その週は色々忙しく、金曜日ある会合が終わってからの懇親会及び二次会でお酒も飲み過ぎ、それがたたり日曜日は会社に行って仕事をする意欲が湧きませんでした。
何気無く見始めた映画ですが、面白く見入ってしまいました。中井貴一が清水の次郎長を演じ、マキノ雅彦(津川雅彦)が監督をした『次郎長三国志』でした。
祝言を挙げたばかりの恋女房を故郷に置いたまま、渡世修行の旅に出掛けていた次郎長親分と、大政、小政、森の石松等の子分衆が3年振りに清水に帰還。かつては駆け出し者のしがない博徒だった次郎長は、今や東海道中にその名を知られる名親分となっていた・・・。そんなストーリーから始まり、義理と人情の厚さでは誰にも負けない次郎長が「大馬鹿者でござんす」と名乗り、向こう見ずな一途さでひたすら突っ走る。個性豊かな次郎長一家のキャラクターを、エピソードを盛り込みユーモラスに描いていました。
そこで次郎長について調べて見ました。前半生を「義理の人、博徒とその大親分」とするならば、後半生は「人情の人、信念を持った社会事業家」です。後半は正に大転身し、人を愛し人に尽くした半生だったようです。
その後半生は明治維新の最中、政府の要人との関わりの中で花開きます。徳川幕府の軍艦であった「咸臨丸」が、新政府の官軍によって清水港内で攻撃を受け沈没します。次郎長は傷つく徳川方の軍人を官軍の目の届かぬよう密かに逃がし、湾内に浮遊する屍を拾い集め手厚く供養し葬った。この経緯を聞いた山岡鉄舟は痛く感服し、鉄舟が亡くなるまで親交が続きました。
山岡鉄舟、榎本武揚らの知遇を得た次郎長は、その後様々な社会活動を行いました。地元地域での開墾、架橋、油田発掘、外交の時代と英語教育も始めました。その他に蒸気船の必要を力説し、自らも所有して清水港とその発展に尽力し、そして明治26年74才で大往生を遂げました。
出合った運命により無宿渡世の門をくぐったとは言え、人を束ねられる人徳と、大きな器量を備えた、社会事業家としての晩年の次郎長からは多くを学びます。
何気無く見始めた映画ですが、面白く見入ってしまいました。中井貴一が清水の次郎長を演じ、マキノ雅彦(津川雅彦)が監督をした『次郎長三国志』でした。
祝言を挙げたばかりの恋女房を故郷に置いたまま、渡世修行の旅に出掛けていた次郎長親分と、大政、小政、森の石松等の子分衆が3年振りに清水に帰還。かつては駆け出し者のしがない博徒だった次郎長は、今や東海道中にその名を知られる名親分となっていた・・・。そんなストーリーから始まり、義理と人情の厚さでは誰にも負けない次郎長が「大馬鹿者でござんす」と名乗り、向こう見ずな一途さでひたすら突っ走る。個性豊かな次郎長一家のキャラクターを、エピソードを盛り込みユーモラスに描いていました。
そこで次郎長について調べて見ました。前半生を「義理の人、博徒とその大親分」とするならば、後半生は「人情の人、信念を持った社会事業家」です。後半は正に大転身し、人を愛し人に尽くした半生だったようです。
その後半生は明治維新の最中、政府の要人との関わりの中で花開きます。徳川幕府の軍艦であった「咸臨丸」が、新政府の官軍によって清水港内で攻撃を受け沈没します。次郎長は傷つく徳川方の軍人を官軍の目の届かぬよう密かに逃がし、湾内に浮遊する屍を拾い集め手厚く供養し葬った。この経緯を聞いた山岡鉄舟は痛く感服し、鉄舟が亡くなるまで親交が続きました。
山岡鉄舟、榎本武揚らの知遇を得た次郎長は、その後様々な社会活動を行いました。地元地域での開墾、架橋、油田発掘、外交の時代と英語教育も始めました。その他に蒸気船の必要を力説し、自らも所有して清水港とその発展に尽力し、そして明治26年74才で大往生を遂げました。
出合った運命により無宿渡世の門をくぐったとは言え、人を束ねられる人徳と、大きな器量を備えた、社会事業家としての晩年の次郎長からは多くを学びます。