梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

清水の次郎長

2010年06月26日 10時34分51秒 | Weblog
一ヶ月程前の日曜日ですが、殆ど一日中自宅で、WOWOWのテレビ映画を見ていました。その週は色々忙しく、金曜日ある会合が終わってからの懇親会及び二次会でお酒も飲み過ぎ、それがたたり日曜日は会社に行って仕事をする意欲が湧きませんでした。

何気無く見始めた映画ですが、面白く見入ってしまいました。中井貴一が清水の次郎長を演じ、マキノ雅彦(津川雅彦)が監督をした『次郎長三国志』でした。

祝言を挙げたばかりの恋女房を故郷に置いたまま、渡世修行の旅に出掛けていた次郎長親分と、大政、小政、森の石松等の子分衆が3年振りに清水に帰還。かつては駆け出し者のしがない博徒だった次郎長は、今や東海道中にその名を知られる名親分となっていた・・・。そんなストーリーから始まり、義理と人情の厚さでは誰にも負けない次郎長が「大馬鹿者でござんす」と名乗り、向こう見ずな一途さでひたすら突っ走る。個性豊かな次郎長一家のキャラクターを、エピソードを盛り込みユーモラスに描いていました。

そこで次郎長について調べて見ました。前半生を「義理の人、博徒とその大親分」とするならば、後半生は「人情の人、信念を持った社会事業家」です。後半は正に大転身し、人を愛し人に尽くした半生だったようです。

その後半生は明治維新の最中、政府の要人との関わりの中で花開きます。徳川幕府の軍艦であった「咸臨丸」が、新政府の官軍によって清水港内で攻撃を受け沈没します。次郎長は傷つく徳川方の軍人を官軍の目の届かぬよう密かに逃がし、湾内に浮遊する屍を拾い集め手厚く供養し葬った。この経緯を聞いた山岡鉄舟は痛く感服し、鉄舟が亡くなるまで親交が続きました。

山岡鉄舟、榎本武揚らの知遇を得た次郎長は、その後様々な社会活動を行いました。地元地域での開墾、架橋、油田発掘、外交の時代と英語教育も始めました。その他に蒸気船の必要を力説し、自らも所有して清水港とその発展に尽力し、そして明治26年74才で大往生を遂げました。

出合った運命により無宿渡世の門をくぐったとは言え、人を束ねられる人徳と、大きな器量を備えた、社会事業家としての晩年の次郎長からは多くを学びます。
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新規のお客様

2010年06月19日 07時06分42秒 | Weblog
我が社の経営計画書の、お客様に対する方針の最初のところに、『お客様の四大本質』として、「本来来て下さらない、我がまま、黙って去って行く、我々より敏感」と謳ってあります。これはイトーヨーカドーの創業者である伊藤雅俊氏が、創業当時苦労された体験をもとに、成長発展した時にも、慢心の戒めとして残した言葉です。

血の滲む努力をして獲得した顧客でも、本来お客様は我がまま勝手であり、何か気に食わないことがあると何も言わず去って行き、我々売り手より数段商品やサービスに対しては感性が研ぎ澄まされている、との内容です。

こんな時節ですが、このところ我が社では、何軒かの新規の販売先とお取引が出来ています。本当にありがたいことです。そのお客様の既存の取引先があるにもかかわらす、何故我が社を選んで下さったのか、真摯に考えて見る必要があると思います。

価格、品質、納期、付帯サービス、その他にも色んな要因があり一概に限定は出来ませんし、複数の要素が絡み合っていることあります。また我々が知る由もない要因があるかもしれません。しかし営業的には、出来るだけ把握して、活かさなくてはならいと思います。

仮に価格や品質が同条件としたら、あるいは殆ど遜色が無いとしたら、何がお客様の選択の用件となるのか。営業マンの質や人間性なのか、我が社の姿勢なのが、正確に自社では分らないだけに難しいかもしれませんが、これは高め、正す、そんな努力は常に怠らないようにしたいと思います。

取引が始まる要因としては、お客様が更なる仕入先を探していて、我が社を何らかの方法で知って下さるケースも稀にあります。しかし我が社の営業は外に出て行き、新規を開拓するのが基本姿勢ですので、先ず行動ありきとなります。

同じく我が社の経営計画書には、『我が社の営業マンの4大姿勢』の項目としては「信用、求道、完遂、感動」と明記してあります。自ら立てた行動指針は、実践して行くことを優先したいと思います。
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お客様回り

2010年06月12日 11時25分41秒 | Weblog
今週の前半、延べ二日間をかけて、販売先のお客様を6軒ほど訪問致しました。その主な目的は、新規取引先で、まだ私が先方の会社に伺っていないところの表敬訪問でした。余談ですが、北関東を中心に回ったその日は、一日で400キロを車で走りました。

いずれの会社も、ここ数年の間に経営者が世代交代を済ませ、社長の年齢としては若い方が殆どでした。その若手の経営者がその感性で、現況や将来に備え、従来の仕入先の見直しなどした結果、「梶哲を新たに起用してみようか」、そんなチャンスに我が社は恵まれたのかもしれません。

経営者後継育成とか世代交代とか言葉では簡単に言ってしまいますが、容易でないことは明らかです。「企業は何があっても存続させねばならない」の立場からすると、後継者育成は会社の最大の使命です。現在はいくら素晴らしい会社でも、後継問題でおかしくなる会社は後を絶ちません。

今回訪問させて頂いた会社は、先代の息子さんが後を継いでいる会社が殆どでしたが、先代が会長としてまだ居る会社、また社長の就任暦についてもまちまちでしたが、こんな世相ですがどの会社もとても活気がありました。

私も最近は実務から離れ、商売の細部の話は出来ませんが、むしろその方がいいのかもしれません。その社長と腹を割って、本音で色々なことが話せました。どの会社とも私としては、長いお取引をさせて頂きたいと強く感じました。

話題の振り方や、話の流れなどもあり、その経営者のポリシーや会社を将来どうしたいのか、核心的な部分を全て受け止められる訳ではありません。しかしこちらから心を通わせようと努力すると、全ては分らないまでも見えてくるものがあります。例えば、その会社が何故安売りをしたくないのか、またその必要が無いのかなど、話しをじっくり伺えば伺う程、私自身納得するものがあります。

理想を言えば、商売の前に、商品を売ったり買ったりする以前に、心の共有が出来れば素晴らしいことではないかと感じました。
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省みています

2010年06月05日 12時14分18秒 | Weblog
二十年来の付き合いをしている人と、縁が切れかけています。正確に言いますと、私の方で縁を切ってしまった状態です。以下その経緯です。

その人とは、鉄鋼関係の方ですが、取引は現在ありません。しかし独立して鉄鋼関係の仕事をされているので、互いの情報交換を目的に、二ヶ月に一回位はお会いして話をして来ました。会う場所は、都心の何時も決まった喫茶店です。そして、先日お会いしました。

実は前回お会いした時、不愉快なことがありました。その方は遅れて来て(それはそれでいいのですが)、会談中にその方の携帯電話が鳴り、そして電話に出て、何と7~8分話しをしたのです。私の目の前で。

電話が終わり、業界紙の記者からだとその方は弁明し「記者とは情報交換をしっかりしておかなくては」と言ったのでした。その言葉は、見栄とも格好付けとも取れますが、長電話をしての私に対する配慮が全く見られませんでした。恐らくその方の行動に、そんなことは当たり前のことであり、今までそんな行為に対し誰も何も言わなかったのかもしれません。

そして今回。時間にぎりぎりに来られ、またその方の携帯電話が会談中に鳴り、電話に出られ、先方には今の状況を説明もせず5~6分話しをしたのです。私にとっては、突然話を中断され待っている、それはとても長い時間に感じました。

気が付いたら、私はこんなことを言っていました。「○○さん。私は年下で、この様なことを申し上げたら生意気ですが。前回もそうでした、今回も同じことをされているので敢えて言わせて頂きます。電話の方と、私と、今どちらが大切ですか。その様なことが今後もあるならば、私にとっては時間を作りお会いするのは無意味です」と。その方は固まってしまい、詫びも言訳も言葉はありませんでした。そしてその場を離れ、喫茶店から出て行っている自分がありました。

その後その方から、連絡はありません。私も2~3日考えました。その時言った内容は、間違ってはいません。しかしその方に、そのことを受け止める時間を与えたのか、その方の為に気配りをしたのか、今考えています。
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