梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

一年一年の長さ

2014年12月27日 06時48分33秒 | Weblog
年末忘年会などで、「今年は色々ありましたが、振り返ってみるとあっと言う間の一年でした」と言うような挨拶は、よく耳にします。実際にそう感じているのでしょうし、皆が言っているから、無意識に使っている言葉なのかもしれません。

一年が早く感じるのは、自分の年齢のスピードで走るから、と言っている人がいます。例えば、二十歳の人は時速20キロ、六十歳の人は時速60キロで走っているので、六十歳の人は二十歳の時の一年を、三分の一にしか感じられないと言うことになります。

“ジャネーの法則”というのがあります。19世紀フランスの哲学者、ポール・ジャネが、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を心理学的に説明しました。その時間の心理的長さは、年齢に反比例するとの説です。

つまり、上記の“自分の年齢のスピードで走る”はこの法則を具体的に表した言い方でしょう。そして、一見してこの現象を、自然の老化と片付けてしまう傾向がありそうです。しかし、そこには落とし穴もありそうです。

人間は大よそ、最初は難しいことでも、努力して習慣化することで、ミスも防ぎ時間の短縮を図ろうとします。つまり、物事ルーティンワークをする習性をもっていると思います。それ自体は悪いことではなく、次々に新たなことを習得することは、喜びでもあります。

しかし反面この身に付いたルーティンワーク化は、頭を使わず、心が感動を呼ばない、単なる作業にしてしまう恐れもあります。言わば、慣れて、ダレてしまうことです。私はこのジャネーの法則は、それに対する警告ではないかと受け取っています。

例えば新鮮な頭を使うのであれば、毎日の通勤の経路を変えてみるとか、外に出て時間があるならば画展や美術館に行ってみるとか、自分の好みとは違った音楽を聞いてみるとか、方法は色々とあります。何事にも興味を持つこと、それが頭や心の老化防止の方策かもしれません。
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数々の示唆と助言(その3)

2014年12月20日 09時31分29秒 | Weblog
物事はやると決めて、先ず動くことが大切だと思います。そうすると、少なからず道は開けます。U氏からの提案で、課題であった二つの件がその後解消します。

紆余曲折があった経緯は省略します。外へ出て行ったら現在使っている葛西の倉庫はどうするか、弟の運送会社で使ってもらうことになりました。どこから岸壁の倉庫を借りるのか、U氏の商社が長年付き合っている大手の乙仲に紹介してもらって、市川に借りました。

わが社とその商社の何千トンもの在庫を岸壁の倉庫に移動して、梶哲は新体制で動き出しました。在庫の持ち方のコンセプトも変わり、コストの見直しも出来て、わが社の商売の選択肢も広がりました。この体制は、葛西の本社を移転して浦安に自社倉庫を建てる時まで、12年間続きました。

一方U氏は、わが社が新体制になった2~3年後に、その商社を退職します。アメリカの大学に自費留学されると言うのです。語学を身に付け、資格を取って、再度自分の実力に挑戦してみたいと話されました。その後無事留学も終え、日本に戻って、外資系の会社の就職が決まります。現在は40代の半ばで、役員となられています。

U氏が帰国直後わが社を訪ねてくれました。未だ葛西に会社が在った頃です。それから何回かお会いしたのですが、またわが社に、示唆と助言をされました。前々から私も考えていたことですが、葛西の移転問題です。

わが社の将来を考えると、葛西の土地柄や既存の建物は、何かにつけて限界でした。ラッキーなことに最大の課題であった自社在庫の機能は、葛西には既に無いのです。葛西の売却、代替え地の取得、それに絡む諸問題の、シミュレーションをU氏は私と一緒に考えてくれました。そして浦安への移転が実現したのです。

今振り返ってみると、自分の考えは視野が狭いことを認識します。当事者は自分が見えないことも多々あります。故に、信頼出来る他人の意見の貴重さが分かります。「私はアドバイスは出来ますが、判断して決行するのは社長です」。U氏の言葉です。
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数々の示唆と助言(その2)

2014年12月13日 07時50分05秒 | Weblog
「梶哲さんは、過去から端板を在庫していてノウハウもあり、中小溶断業者にきめ細かく販売していることは評価出来ます」、「しかし、仕入れ価格とか内部コストは下げる余地があり、それが課題です」。U氏からの指摘はそのようなものでした。

経営者とは傲慢なもので、自分は理解していても他者から進言されると、カチッと来るものです。ましてわが社は利益を出しているとの自負があります。折角提言されたU氏には今から思うと失礼な話ですが、その言葉は素直に受け取ることが出来ませんでした。

しかしそれから二年後のわが社の決算は赤字に転落します。市況の乱高下による影響もありましたが、常に仕入れと経費を下げる努力を怠ったことは否めませでした。予言されたことがその通りになると、U氏に対して理屈はもう通用しませんし、逃げ場がありません。素直になることを思い知らされした。

当時わが社は葛西に本社倉庫があって、国内メーカー以外にも、外国材も直に輸入して在庫販売をしていました。国内メーカーはわが社の倉庫持ち込渡しです。一方外材は東京付近の埠頭に船で入り、乙仲によって水切りされ保管されそして内陸輸送する訳です。それらの費用はわが社が負担し、数量が多くなればそのコストはバカになりません。

それを踏まえた上でのU氏の提案はこうです。「梶哲さんは、外材が入る岸壁で倉庫を借りて、そこで店を開いたらどうか。わが商社も店売り用の在庫を保有しているので、梶哲さんが借りた倉庫に全部移す。当然保管料や荷役料は払う。コストは軽減出来る」

つまり、仕入れに掛かる不要なコストは極力低減して、他社の在庫も預かり、副収入を稼ぐ。そして預かった商社の在庫は、あたかもわが社の在庫として活用出来るし、自己負担の在庫も削減出来る。言い換えれば、鋼材の販売業であり倉庫業です。

このような発想は私には絶対浮かびません。奇想天外とも言えるアイデアでした。今までのやり方を全部ご破算にして、本質を捉えて、自由な考えを貫いた提案でした。しかし、どこから岸壁の倉庫を借りて、そして自社で使っている倉庫をその後どうするか、また新規倉庫賃料と自社倉庫収入の見合いはどうなるのか、課題は残っていました。 ~次回に続く~
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数々の示唆と助言

2014年12月06日 09時55分54秒 | Weblog
U氏と一年振りにお逢いしました。再会はわが社の60周年行事以来となり、お互いの近況や将来的なこと等、夕食をしながら話し合う時間が持てました。

そのU氏と最初に出逢ったのは今から20年も前で、その方が20歳半ば、私が40歳になったばかりの頃でした。第一印象としては、鉄鋼の商社には似つかわしくなく派手なワイシャツを着て、頭の回転が良くストレートに物事を言われる方でした。

当時わが社は厚板の素材販売の拡張を目指していましたので、仕入れソースの選択肢も広げる必要を感じ、仕入れ先になるであろう新規の商社にアプローチをしました。全くの面識も無い商社に、“飛び込み営業”を仕掛けました。先方の事情も知らずに。

その一社が、U氏が店売り担当であった商社です。わが社の名前は知っていました。当然のことながら、既に同業他社と取引をしていました。けんもほろろに断られると思いきやわが社に関心を示してくれて、その突飛性を買われたかもしれません。

それから暫く経って、その商社はわが社のことを調べに来ました。わが社は手形で買わせてもらうのですから、商社としての与信管理は大事です。スポット的な商売でしたが、取引が開始したのは、飛び込んでから長い月日は掛かりませんでした。

U氏から大分後で聞いた話です。既に取引をしている会社とは、反りが合わなかった様子で、タイミングが良かったとも言えます。今では商社が厚板の在庫を自ら抱えることは稀になりましたが、この商社は当時かなりの在庫を保有していました。

或る時期を境に、U氏はわが社に頻繁に通ってこられるようになります。わが社が在庫販売する目的で、鉄鋼メーカーに先物として毎月注文する取引も始まり、その窓口商社として関係も深まりつつある時期でした。

U氏はどちらかと言うと、目先の商売の話をする方ではありませんでした。その眼は何かを考えて常に先を見ているようでもありました。その若さにして凄い方です。そして、わが社の体質について、ズバリ切り込んで来ることになりました。  ~次回に続く~
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