梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

親友と中庸(その1)

2021年02月13日 04時53分22秒 | Weblog
「友人らしきひとは何人かいますけど、本当の親友が僕にはいません。どうしたら、親友が出来るのでしょうか?」。ある男子高校生の悩みです。そんな悩みに、世界の哲学者が丁寧に人生相談に乗ります。

素朴な人生の悩みを一流の哲学者に打ち明けて、その哲学を紐解きながら、司会者やゲストの自分たちの経験も踏まえ、一緒にヒントを考えていこうとするテレビの番組です。それはNHKの『世界の哲学者に人生相談』という番組で、今回は「本当の親友が欲しい~アリストテレス」とのタイトルでした。

アリストテレスは、古代ギリシャの哲学者です。アリストテレスは、プラトンの弟子であり、プラトンの師はソクラテスであり、ソクラテスやプラトンと共に西洋最大の哲学者と称されます。また、マケドニアのアレキサンダー大王の家庭教師であったことでも知られています。

番組には、若手の哲学者(大学教授)もアドバイザーとして登場していて、悩みの解決をサポートします。「そもそも友人と親友の違いとは何か?」「では、親友を得るための条件とは何か?」。アドバイザーは二つの設問をゲストや司会者に投げかけながら、アリストテレスであればどう答えるか、偉大な哲学者の考えを展開していきます。

一つ目の設問「友人と親友の違いとは?」について、先ずアリストテレスは、フィリア(友情)には三つのタイプがあると考えたと伝えます。形成の動機に基づいたもので、有用ゆえの友情、快楽ゆえの友情、善ゆえの友情、です。初めの二つが「友人」で、最後が「親友」であると分類し、それぞれの友情について説明していきます。

有用ゆえの友情とは。物的な何かを得るためとか、また何か人に助けを求めるための、関係のもの。自分の利益のために他者を使うということで、自己本位の友情です。他者への敬意なども生じない、実利で繋がった浅い関係です。新たな動機がない限り、利用し合うその動機が失われると、直ちに関係性は消滅してしまいます。

快楽ゆえの友情とは。よく知られている友情で、純粋な楽しみで繋がっている関係です。学生の時であれば同じ趣味で遊ぶとか、大人になってからでは一緒に酒を飲むとかの仲です。しかし互いの価値観が違ってくると、この関係は諸刃の剣となります。楽しい時間だけの共有ですので、その意味を失えば友情は消え去ります。

善ゆえの友情とは。最高で理想的な友情といえます。友から何かを得ようとしているわけではなく、人生を共有して、互いに必要な時に肩を貸してあげられる存在です。この友情には寛大さがあり、徳に基づくものです。この関係が出来るのは稀でしょうが、深く繋がり裏切られることなく、時間や距離で壊れることがないものです。

テレビを観ながら、私に親友はいるのかと考えさらせれました。アリストテレスが活躍したのは2400年前のギリシャで、小さな都市国家(ポリ
ス)が1000以上あったといわれます。その中でアリストテレスは、共同体の倫理をすごく重視していたとされ、だからこそ人と人との結びつきを解明しようとしたのです。その友情論は現代にも通ずるものがあり、永遠のテーマです。

続いて番組では、どのような状況下で親友が形成されるのかを考えてもらいます。アリストテレスの考えは、「塩を一緒に食べた後」に築かれるです。古代ギリシャでは塩は貴重なものだったようで、その貴重なものを一緒に食べることによるとの意味です。アドバイザーの教授は、「苦楽を共にして、長く時間を過ごしたこと。ずっと一緒に過ごせば、色々な出来事が必然的に起き、それを共に乗り切った間柄が親友となり得る」、と解説していました。正に、同じ釜の飯を食った仲間です。

次に番組では、設問の二つ目「親友を得るための条件とは?」に移ります。それは「中庸である」が答えです。アリストテレスは人の態度を三つに分類します。何事もやり過ぎの「超過」、ほど良い「中庸」、どこか物足りない「不足」です。中庸の態度こそ、親友を得る条件だと説いたのです。ゲストや司会者からは、「う~ん、言っていることは分かりそうだが、すごく難しそうな気もします」との声が上がりました。 
~次回に続く~
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 言葉使いと話し方(その2) | トップ | 親友と中庸(その2) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事