梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

他団体の催し物

2012年07月27日 16時30分42秒 | Weblog
今週は東鉄連(東京鉄鋼販売業連合会)傘下の、他団体の催しへの参加が重なりました。協同組合京橋鐡友会主催の絵画教室と、東京鋼管会主催の暑気払いの会に参加致しました。

京橋鐡友会は東鉄連傘下9団体では一番歴史が古く、創立は昭和26年になります。その鐡友会が一年前から絵画教室を開いて、今回で9回目となるその教室に理事長から誘われ、部外者の私も参加させて頂きました。



茄子とほうずきを描く水彩画に挑戦しました。あっという間の二時間半でした。今まで私は絵画を習ったことはあしません。高校時代に美術と音楽の選択では、音楽の授業を取りましたが、絵を描くことには前から興味はありました。

9名の生徒さんがプロの先生に指導を受けましたが、それぞれに個性は出るものです。水彩画というと絵の具をかなり水で溶かす淡いイメージを持っていましたが、しっかりと色付けをする手法を教えて頂き、それが新鮮でした。

東京鋼管会の発足は昭和33年、創立は当江戸川鉄栄会よりも9年も前になります。毎年この時期にアロハシャツを着た暑気払いを、錦糸町の東武ホテルレバントで行ってきていて、今年で9回目となるそうです。



東鉄連の会長がこの暑気払いに毎年招待されていましたが、今回会長の都合が悪く、副会長の私が名代として初めて出席させて頂きました。受付でその会で用意してくれたアロハシャツを手渡され、別室で着替えて本番です。

70名程の参加者が全てカラフルなアロハシャツ。もうそれだけで気分はハワイです。“豪華料理をカジュアルムードで楽しむ”、 そんな主旨で行われてきて、鋼管会でも申込みに定員を設ける位の人気の行事だそうです。

今年から東京スカイツリーを眺められる、屋外のブライダル会場が新設され、バーベキューはそこで行われました。ライトアップされたスカイツリーの姿を目の当たりにして、最高のお酒と料理を頂いて参りました。

何故か今回は、“9”が多く出てくる文章となりました。
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素材と加工の一体(その2)

2012年07月21日 11時51分27秒 | Weblog
わが社の溶断加工の10年前は、その切り板の用途としては金型と建築がメインでした。金型向けは墨田区八広の工場(破綻した会社の工場を暫らく賃借し営業をしていました)で、建築向けは成田工場で切断していました。

金型向けは特殊鋼業者からの注文で、わが社の生材(普通鋼)と特殊鋼をセットで、その特殊鋼業者は金型メーカーに納めます。建築向けは高炉メーカー系の溶断業者からの受注で、その元請けの業者は自社で切ったものも含め、鉄骨加工業者に納めます。

金型向けはその先で削り加工があり寸法精度はシビアーではなく、その代りに今日注文を受けて明日納品のものが殆どで短納期の仕事でした。建築向けは量の確保は出来るものの波もあり、使う鋼種は建築用で多岐に亘り在庫管理は煩雑となりました。どちらも一長一短はありました。

それから10年を経過し、金型の汎用品は大よそ海外で造られるようになり、民間の建築需要はピークを過ぎ、国内需要は往時の勢いはありません。一方この間鉄鋼業は、中国五輪がきっかけとなった国内特需の恩恵に与り、その後のリーマンショックでそれを喪失するという大きな波に翻弄されました。

鉄鋼メーカーは原料高で前代未聞の値上げをし、ユーザーに一方的に転化したものの、その後の仕事の激減と鋼材価格の暴落。わが社もこの潮目を読み切れず、高い在庫を処分するまで一年以上を費やし、大いなる失策をしました。

しかしそれがあったからこそ溶断加工は今日があります。リーマンショック後受注量は半分を下回りましたが、徹底して現場の技能向上を目指し、切断の寸法精度を上げる努力をしました。また従来行っていた、端材処理や短納期による残業や配送体制なども見直しました。

その結果、今日の溶断加工の新たな販路があります。現在、金型関係はほぼゼロ、建築関係では自社加工する量は相当減りました。以前より手間を掛ける仕事ですが、リピート性の仕事が増え短納期に追われることは少なくなりました。

以前のものを一旦捨てなければ新たなものは入ってこない。そんなことを実感しています。再生した溶断加工と素材販売を社員と共に一体化していきます。
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素材と加工の一体

2012年07月14日 12時25分53秒 | Weblog
10年前わが社は溶断加工に進出し、加工事業として、従来の素材販売とは別部門にして採算を管理してきました。従事する社員の人件費やその他の経費もそれぞれに分けて、月次の決算をして把握してきました。

とは言うものの、それぞれ専任の社員なら問題はありませんが、例えば二つの部門にまたがる営業や総務経理の人件費については、正確には按分しきれた訳ではありません。

また溶断加工部門で加工する素材は、ほぼ全量が素材販売部門からの支給となり、その仕切り価格については、過去色々と議論はありました。つまりこの社内販売において、素材部門で口銭を取ればそこの利益となり、取らなければ加工部門の方の利益となるということです。

今までこのような問題点はありましたが、部門別の月次を管理する上では、確かに効果はありました。しかし働く社員のモチベーションや社内の一体化からみたら、果たして効果的であったかどうかです。

そこには知らず知らずのうちに“セクショナリズム”が働いていたかもしれません。常に二つの部門が利益を出している訳ではありません。どちらかが長期に低迷すれば、一方からはその部門が会社の足を引っ張っていると見られがちです。

わが社は、ここ数年で葛西本社も成田工場も全て浦安に集約しました。しかし同じ屋根の下に居ながら、現場においても事務においても部門を越えた一致協力体制が、なかなか出来なかったのも事実です。

わが社は、6月が決算期ですので7月から新年度となります。新年度より組織を変えました。素材販売部門と溶断加工部門との括りを廃止しました。月次においても売上や粗利は従来通り管理しますが、経費は一括計上して部門ごとの採算は出さずに、経常利益は会社全体としての算出をします。

破綻した会社の商権を引き継いでわが社が溶断加工を始めたのは、丁度10年前の7月です。素材と加工とに分けてきた部門が今一体となり、感慨深いものがあります。名実ともに社員の一体化を目指します。
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我慢の人生?

2012年07月07日 11時08分53秒 | Weblog
「子供の頃からずっと親の言うことを聞いて我慢してきました。これからも何に対しても我慢していくんだろうと思っています。我慢の人生はよいのでしょうか」。ある雑誌にこんな見出しの記事が載っていました。三十歳前半の主婦の質問です。そしてあの脳科学者の茂木健一郎氏が答えているものです。

そこで茂木氏は言っています。私達人間は理性を持つ存在とは言いながら、生き物である。動物である以上、様々な衝動や欲望を持つことは当たり前。そんな時に「我慢する」というのはとても大切な脳の働きであると。

具体的には、前頭葉が「こうしたい」という衝動を抑えている。それはとても大切な前頭葉の働きであり、生きる上で役に立つ。何事も衝動的にやってしまうより、我慢が出来ることの方が尊いはずだ。そのように説明しています。

とは言いつつも質問者の心境を、「親の言うことを聞いて我慢してきた自分を変えたい、親との関係を見直したい」のであろうと、茂木氏は受け止めて、徐々に自分で判断することを習慣にすることも大事だと、アドバイスをしています。

そこで重要なのが、人間は社会的な動物であり、「文脈」に依存しているという見方です。人間の性格形成や生き方は親が与える影響が圧倒的と思われがちだが、この圧倒的なものは唯一なものではない。

つまり家庭での親との向き合いは一つの文脈で、学校では友達や先生、社会に出れば上司や同僚、その外に、人には多くのステージでの交流がある。人は様々な文脈で関係を結び、影響を受け、それによって親といえども、この世に関る多数の人々の一部であるに過ぎないことを知る。以上が茂木氏の回答です。

私の父親は私が37歳の時に亡くなりました。私もそれまでは、ずっと親の言うことを聞いて我慢してきた人生と言えるでしょう。しかし、私に多少なりとも忍耐力や継続力があるとすれば、父親によって授かったものとも言えます。

現在私の勉強仲間の中に、父親の会社に入り活躍している若手が何名かいます。はっきり言って父親が外部の勉強会の意義を認めず、そんな軋轢に苦しんでいる人もいます。その父親をも包容する、そんな余裕を持って、その外の文脈をも大切にする視点を持って、進んで行かれることを願うばかりです。
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