梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

会社の広報とは

2006年04月24日 16時04分00秒 | Weblog
私が江戸川鐡栄会の会長に選ばれた記事は、業界紙にも載りました。
(4/17の鉄鋼新聞、4/18・19の産業新聞)
瞬時にして広く知れ渡り、その記事を見て即声を掛けてくれる人、暖かく見守ってくれている人、様々であると思います。

想像以上に世間では、見て下さっているかもしれません。

本来私は、自らマスコミに出る事はあまり好きではありません。
しかしながら、取材依頼があれば自然体であろうと思っています。

ところでブログはそんなマスコミ嫌いな私を、少しずつ変えようとしています。
日々簡単に更新(訂正)できる、その主導権が自分である事など、人が見ていようが見ていまいが書きたい事を書く手軽さがそうさせているのかもしれません。

そもそも広報とは、大企業においては会社の情報を戦略上、外部に公開する上では大変重要な役割を担っています。中小企業においはトップが自ら広告塔となりますが、うまく広報を活用しているところは少ないのが実態ではないないでしょうか。

そんな中、近々わが社が本に載ります。中小の会社で広報を活用している事例として紹介され、著者と私が一問一答形式で書かれている内容の本です。

例のごとく最初は本能的に取材をお断りしました。自分自身広報をうまく利用していると思っていないからです。それは読者が判断すること、ありのままを書きますからとの著者の言葉で、承諾しました。因みにその本には、総合トラックも紹介される予定です。

このブログも先ずは、社内の意思疎通を図る意味でスタートしています。
(わが社には事業所が三つあり、私も常に全ての事業所を行き来できる訳でもないので、社員が先ず見てくれればと思っています)

今後も派手にせず、お金をかけず、実態をありのまま伝える広報に専念するつもりです。

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選ばれました

2006年04月17日 17時32分50秒 | Weblog
先週末に江戸川鐡栄会総会があり、私この度正式に会長に選ばれました。

当会は江戸川区中心に鉄鋼材料販売業及びこれに準ずる者を以って組織する団体で、今年創立40周年を迎え、加盟企業は現在40社です。

上部団体としては東京鉄鋼販売連合会があり当会を含め9団体、加盟企業は約350社にも及びます。上部団体共々、会員相互の親睦と会員の事業の発展を期する事を目的としています

会長職を依頼された経緯ですが、去年の年末交告会長、橋本副会長、宇田川相談役より話がありましたが、私自身その器でない事は一番自覚していましたので一旦はお断りしました。 

実は過去3年ほど役員を任命し、その後色々私の事情もありほぼ10年間当会からは少し距離を置いてしまいましたので、実はその後ろめたさもありました。

しかし今回考えた末、受けさせてもらう事にしました。

その理由としては、交告会長が五期10年勤め上げこれ以上負担をお掛けするのは忍びないこと、また永年会に所属している限り役員の話があった場合はやはり義務として、と言うことでした。

新任の抱負としては、歴史ある会ですので従来の伝統を守りつつ、新世代に向け開かれた会の運営に努力したいと思います。
 
幸いにも当会には若手二世後継者も多くいますので、彼等にバトンを良い状態で手渡す事が私の使命であると思っています。
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尊敬できる人

2006年04月11日 10時31分38秒 | Weblog
南葛西で開業している歯医者さんですが、その生き方に感銘を受けました。

三年前、私は誤って箸を強く噛んでしまい前歯が欠けたので、会社の直ぐ近くの歯医者へ。以前からの不正咬合の治療を含め、結局8本の治療を終えました。その後治した歯の根元が歯肉炎に。

そんな折、ロータリークラブで知り合ったその南葛西の歯科医に相談し診察を受けました。結果、微妙に偽歯が肉に食い込んでいて、前の歯科医の実に雑な治療が判明しました。

前の歯科医院は数をこなす治療をするだけ、そこは患者自身の歯のメンテナンス指導に重点をおき医院に来なくて済むようにする、全く違う価値観です。

その彼は広島の町工場経営者の次男に生まれ、子供の頃の遊び場は工場、工具類が遊び道具。現場から会社を見ていた。サボっている工員さんをつかまえ「お前は首だ!」生意気な子供でもあったとか。

最終的にはその会社は長男が継ぐが、彼が大学二年生の時に親父さんが過労死。親父さんとの約束で歯医者になる。一時期大学病院にいたが転任で大手製鉄所の診療所へ。福利厚生の改善をその会社のトップに直訴し、正義をもって戦う・・・武勇伝もたくさん。

その後独立開業するが、彼の目的は金が目当てではないので、色々苦労もあり辞めようと思ったこともあったとか。彼の信念は、「患者の患は!心に串が刺さった状態」心に傷を負っている、それを取ってやるのが私の仕事と言い切ります。

そんな信念で必死にやって来たなか、患者さんが決めた!いい病院という本で、歯科部門で関東第五位となる。

何回か診察を受け職場での彼の働きを見ていると、正に指揮官率先、日々スタッフの指導教育に情熱を注いでいます。休みの日も返上し、患者さんの治療方針に一人悩む時もあるとか。 

我われの身近に一見普通の人でありながら、実に立派な人がいる。
そんな事を昨日の朝礼で、社員に話しました。
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私の今の仕事

2006年04月03日 14時15分17秒 | Weblog
ほぼホームページの更新も終わりました。

ところで、わが社には三つの事業部門がありますが、その一つの溶断加工事業について今学んでいます。

自分の会社の事業について学ぶと言うのもおかしな話しですが、私自身溶断加工業は素人です。梶哲商店は三年半前まではこの事業を行っていませんでした。破綻した販売先の事業をわが社は継承した、そこが溶断加工事業者だった訳です。

つまりわが社は素材販売業者として永年その様な加工業者に鋼板を販売してきた訳ですが、私も昭和50年に父の経営するこの会社に入り鋼板販売の経験や、一時期関連の物流会社を任されていた事はあっても、今経営している加工事業は正直肌から伝わるものがありません。

わが社としての溶断加工事業もここにきて将来の展望も見えてきましたので、一から勉強のつもりで学ぼうと思っています。
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