梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

モデルケース

2006年10月30日 19時35分17秒 | Weblog
週3日ほどの千葉工場通いが、相変わらず続いています。私もこれほど一箇所の事業所に集中して詰めているのは過去に無く、今まで見えていなかったものも少しずつ見えて来ています。

現状の千葉工場が、このまま利益が継続し維持され、順調に廻っていくならば、今後のわが社の溶断加工工場として目指すモデルケースになるのではないかと思います。

従来の千葉工場は建築関連の仕事中心で、スポットの受注の連続であり、加工量で稼ぐ体質でした。仕事が多いときは土・日も出勤してもらい、残業も勢い異常な状態の時期もありました。現場職も固定化された作業に追われ、工程管理も唯一工場長の頭の中で把握しているだけで、末端の社員まで情報は行き渡っていませんでした。  

では現在の千葉工場は、どういうことになっているかと言いますと、仕事の先が読め、急ぎの仕事のやり繰りも可能となり、作業時間のコントロールの自由度が上がりました。恐らく全社員が、より働き易くなったのではないでしょうか。

つまりこの一年余りの間に、新規で直需ユーザーとの取引がスタートし、納期が充分ありリピート品の切板が安定して受注出来るようになりました。その様な上位3~4社の仕事で千葉工場の売上が7~8割ほどに達しました。

その結果、ほぼ安定した収益が確保され、納期のコントロールも出来、製品の歩留も向上しました。また徐々に作業員の互いの連携も始まり、仕事の優先順位が自分達で決められ、余裕や余力が出てくるなど相対的に残業も減って来ました。 

このベースにはこの工場で、ガス溶断機とレーザー切断機の併用も大きく寄与しています。薄物しか切断できないが、切断スピードが速く(ただし火口は一本)、夜間無人操業が出来て、製品のバリ取など後処理が不要のレーザーに対し、極厚の切断が可能で、切断スピードは遅いが、火口が多数なので同じ動きで大量に製品が出来るガスとを使い分けることで、生産性を向上しています。

一方わが社浦安工場は、現状は金型関連の仕事が中心で、殆どが短納期でもあり、その日の受注でその日の内に仕上げる作業に拘束されています。多少利益率は高くても、夜中でも仕事が終わらなければ帰れない、精神的には苦しい労働環境が難点です。

同じ会社で対照的な二工場、千葉工場の最近の運営事例は、浦安工場の将来に一石を投ずる可能性が見えてきます。
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越後の秋

2006年10月23日 18時21分12秒 | Weblog
先週の土日(10/21・22)、ロータリークラブの親睦旅行があり、新潟六日町界隈に行って来ました。

初日は「八海山」のお酒で有名な八海醸造を見学し、八海山ロープウエーに乗り4合目まで行き、その夜は六日町温泉の武家屋敷を利用した旅館「龍言」に泊まりました。

翌日はシルバーラインを経て、奥只見湖まで足を伸ばし湖上の遊覧船に乗り、昼食は十日町でへぎそば(つなぎにふのりを使用したそば)を食べ帰路に着きました。

週末は天気にも恵まれて観光客も押し寄せ、八海山のロープウエーも40分待ちでした。ロープウエー頂上は標高1,147mと言うこともあり、色付き始めた紅葉が人々を魅了していました。

私は学生の頃ここ越後三山(八海山と中ノ岳と駒ケ岳を総称し)から、谷川岳まで新潟と群馬の県境の山々を一週間縦走したこともあり、この山はひとしお思い出が深い場所です。

また奥只見湖も、二十年ほど前の初冬に家族旅行した際、当時小さかった娘二人に初めての雪を見せてあげる為に、約20キロトンネルばかりの道をタクシーで往復した懐かしいところです。

昔の感傷にちょっぴりひたり、一時仕事を忘れ、紅葉、地酒と名産、温泉とまさにこの秋を身体で満喫する旅でした。
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色々な集い

2006年10月16日 18時27分43秒 | Weblog
先週は特に集中してしまったのですが、水・木・土・日曜日と社外の集まりが五つあり参加しました。延べにすると130~140名の人と会いました。

業界関係の会が二つ、勉強会が一つ、社会奉仕団体が一つ、大学クラブのOB会が一つという内訳でしたが、それぞれの会の目的や趣旨も異なり、私自身も会の長であったり、会計幹事であったり、メンバーの一員であったり、とそれぞれの役割も違い、五つも出るとさすがに疲れました。

仕事の方が楽であるとはけっして言いませんが、会社とは違いこの様な任意の団体や集まりには、各個人の主義主張があり、微妙な人間関係があり、意見が分かれると調整には苦労します。

写真は日曜日に開催された我が大学の連合同窓会で、この時期恒例で母校のキャンパスが開放され、同窓生及びその家族が芝生に集っている様子です。我がクラブ(ワンダーフォーゲル部)は、数年前からこの芝生に溜まり場を作り、順送りの幹事代を決め、参加できるOB達が集っています。

去年私達の代が幹事代で、今年の幹事代は昭和51年卒でした。下の代の彼らは記念にと、今回中途退部した部員にも声を掛けており、実に33年ぶりの下級生に再会しました。感動でした。

初めはちょっと距離感がありましたが、数分話しているうちに、互いに若かった昔の思い出が蘇りました。やっぱり変わっていない!! 

馴染みの先輩後輩と酒を酌み交わし懐かしい山の話をし、最後は集ったOB全員(正確にはOGもいます)60名程が肩を組み、円陣を作り、山の歌を大合唱しお開きとなりました。まさしく同じ釜の飯を食った仲間。この様な会は、意見の調整など必要ありません。
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先週の千葉工場

2006年10月09日 09時13分37秒 | Weblog
このところわが社の千葉工場(成田)に行く機会が増えています。先週は3日間行きました。この工場の最近の諸事情もあり、特に私が現場を知る必要もあり、作業着を着てほぼ一日現場に詰めています。

基本的にこの工場では何をしているかと言いますと、厚板(素材)から切断加工製品を作っています。形は矩形(長方形)もあれば異形(丸や曲線物)もあり、数は一個から千個単位まであり、一枚当たりの重さは1キロ以下ものもあれば1トン近いものまで、実に様々です。

切断機械としますと、酸素とプロパンガスを混合して燃焼させ切る二台のガス熔断機と、レーザー光線を燃焼させ切る一台のレーザー切断機があり、このレーザー切断機は夜間無人操業が出来ます。どちらもNC制御(コンピューター管理)機器で、殆どが事務所で図面を起こし、そのデータを機械に落とし操業しています。

しかし実際現場では、素材を機械の常盤にセットしたり、出来上がった製品のバリ(製品に付着しているささくれ)を取ったり、製品を積み上げたり等の細かい手作業が多いのも現実です。けして楽な仕事ではありません。

写真はちょうど先週、一台のガス熔断機の火口トーチが従来6本しかなかったものを、二本追加発注したものが取り付けられ、テストランしたところです。今までこの製品を切る時、板取の関係で4本しか使えなかったのですが、8本になり倍の生産性向上となりました。

こんなことも現場にいると、とても嬉しい出来事です。

しばらく千葉工場通いが続きますが、溶断事業の現場を知らなかった素人の私としては、社員とのコミュニケーションを図りながら、今ゼロから学んでいます。
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物事の二面性

2006年10月02日 16時26分36秒 | Weblog
朝私と同じ時間帯に、公道の掃除をするお爺さんがいます。よく注意して見ると、なんと集めた落ち葉やゴミを下水の枡に捨てているので、それとなく注意を促しました。「寄せていてくれさえすれば、それを掃除しますよ!」、「下水が詰まるかもしれませんよ?」と私。 

それに対しそのお爺さんは、「そんなのこの蓋を開けて取ればいいだろう!」。驚きで二の句がつけませんでした。あたかもそんな事は気が付いたあんたがやれよ、とでも言っている様でした。

頑固爺さんの典型、そんな掃除ならやらない方がましと思いました。しかし冷静によく考えて見ると、このお爺さんはどこかで独りよがりになってしまった (他人に耳を貸さず客観性を失い) 訳で、逆に私達の言動でもそんな事はないかと、自らを省みる大切さに行き着きました。

一ヶ月前に友人から薦められて、一頃ベストセラーになった本を読み終えました。藤原正彦著「国家の品格」と言う本です。私としては感動し朝礼のテーマにと考えていたのですが、その本を何処かに置き忘れたのでインターネットで検索したところ、出版元のサブタイトルがやはり出て来ました。

すべての日本人に誇りと自信を与える画期的日本論! 日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。とありました。

しかし同時にネットの検索から、この本がある人のブログ上で採り上げられていて、そこのコメントにはおびただしい酷評が展開されていていました。

教えられることは何もない。「グローバリズム」を批判して日本の「伝統」を大事にすべきだ、という類の議論は目新しいものではない。珍しいのは、数学者が「論理よりも情緒が大事だ」と論じていること位だ。とその一つにはありました。

私としては最近ではよかった一冊であるだけに、ちょっとショックでした。人には実に様々な見方があり、そんな風にまで読み込まなくてはいけないのかなと、考え込んでしまいました。

例えば環境保全や環境問題でペットボトルの回収を考えた時、ある人はペットボトルを再生するのはいいが、回収には凄いコストが掛かるこれが環境破壊に繋がると主張しています。

大切なのは先ず事実認識ではないかと思います。これが間違っていたら全ての考えは意味を失うからです。しかし反面、あまり枝葉末節にこだわると収拾がつかない、最後はその人の培った普遍的な価値判断かもしれません。少なくとも物事の二面性を考える余裕や、頭の柔軟性は持ちたいものであると感じました。
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