梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

現場に宿る神(2)

2007年06月24日 09時45分06秒 | Weblog
先日ある大手の溶断業者を尋ねました。目的は開先(かいさき)の切断を見せてもらう為でした。我が社では現在この開先加工は出来ません。

開先とは、普通の切断品は火を上から下に入れ垂直に切っていくので、当然切断面は直角になるのですが、一旦直角に切った後それを斜めにそぎ落としていく二次加工のことを言います。主に溶接する為には必要な工程で、機械で削る方法と、ほぼ手作業に近い溶断機(ポータブル溶断機)で切り取る方法とがあります。

その現場の責任者の方が、懇切丁寧に、一時間半も付きっ切りで説明してくれました。一言一言その方の話は、実直でいて無駄が無く、現場一筋の長年の経験がにじみ出ていて、技術面では素人の私でもとてもよく理解できました。

驚いたのは、その方はポータブル溶断機を目測だけで切っているのです。本来は切る製品に前もって罫書きを入れて、そこに火を入れ切るのですが、その方は目で見ただけの感で切っているのです。10ミリを残す開先でしたが、その製品にはほぼ0.5ミリ以下の狂いしかないのです。

今まで色々な加工を手掛けたけれども、誰もやったことが無いものは先生もいなかった。失敗と工夫の連続だったけど何とかやり遂げたと、その方は言いました。職人の魂を感じました。

機械を発注するのも、市販のものだけでなく特注品もあるそうです。作れるか作れないかの発想ではなく、あくまでもこんなものがあれば便利、こんなものが欲しいの発想で、メーカーに無理難題を押し付けるそうです。過去メーカーが作れなかったものは、あまり無かったそうです。

正に、「仕事に対する誰にも負けない強い情熱や深い思い入れがあり、現場を素直な目でじっくりと観察し、耳を傾け、心を寄り添わせるうちに、製品から語りかけてくれる声を」その方は聞いているのでしょうか。

現場に宿る神を、その方は知っているようでした。問題の鍵は現場にありを、その方は実践しているように思えました。
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現場に宿る神(1)

2007年06月17日 06時38分24秒 | Weblog
京セラの創業者で、現在は名誉会長をされている稲盛和夫の『生き方』という本を読みました。

文中には、あきらめずにやり通せば成功しかありえないとか、寝ても覚めても強烈に思い続けることが大切とか、随所に含蓄のある言葉が出てきて、それを実践されて来た人だけに、書いてある内容は大変説得力がありました。

稲盛氏が、多くの有名な事件の弁護団長を務めた中坊公平氏に会った時、事件に取組む上でもっとも大切なことは何かと尋ねた経緯の話が書いてあり、中坊氏は「事件の鍵は全て現場にあり、現場には神が宿っているのです」と答えたそうです。

京セラの作っているセラミックという製品は、粉末状にした金属の酸化物をプレスして成型しそれを高温の中で焼き上げるのだそうです。しかし電子工業向けなので極めて高い精度を要求されるそうです。

創業間もないころ、ある製品を試作したのですが、実験炉の中で焼くとスルメをあぶったように反ってしまい、粉末の密度を一定にしたり、焼き具合を観察する為に炉にのぞき穴を開けたり、何回やっても結果は思いを無視するかのように反り返ってしまったとのことでした。

ある時お願いだから反らないでくれと、のぞき穴から千何百度の炉に手を入れて、製品の上から押さえつけたい衝動に駆られたそうです。この上から押さえたいとっさの衝動が、解決策に繋がっていったとのことで、その後製品の上に耐火性の重しを乗せて焼いてみたところ、反りの無い平らな製品が完成したそうです。

このことについて稲盛氏は、答えは常に現場にある、その答えを得るには、仕事に対する誰にも負けない強い情熱や深い思い入れが必要であると考えたそうです。そして物理的には、現場を素直な目でじっくりと観察し、耳を傾け、心を寄り添わせるうちに、初めて製品から語りかけてくれる声を聞き、解決策が見出せると語っています。

思いの深さと観察力の鋭さが、無機質であるはずの現場や製品にも生命が宿り、無音の声を発する、いわば心に物がこたえる瞬間を経て、物事は成就するものであると言っています。

我が社にも現場や製品があります。感銘深い本でした。
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父より息子へ(2)

2007年06月10日 06時54分40秒 | Weblog
私には中学生の息子の他に、大学生の娘が二人います。ある時期は(中学生後半から高校生の時)会話らしきものはほとんど無かったのですが、最近はよく話す機会があります。

話題は、就職のこと、所属するサークルのこと、時によっては異性のことなど。私としては、彼女たちがそんなことで悩むような年頃になり、また身近に相談する人がいれば、
親の意見も聞きたいと、そんな心境の変化だと捉えています。

相談されれば、親父の出番です。声が掛からなければ、寂しいものですが、私から無理に突っ込むこともないと思っています。いわばピンチヒッターのようなものです。男親は、いざという時に活躍できればよいと思っています。

私は社会人として、会社では経営者として、未だに新しいことを経験し学んでいます。親としては子供に伝えたいものは沢山あります。しかし子供の受け皿が無いうちは、しつこく伝えても逆効果になるケースもあります。

出来るだけ学校の行事には参加し、今息子とは遊びでも、勉強以外で通じ合えるものがあればと、ベースの関係は構築しておこうと思います。

息子に伝えたいことで敢えて言葉に表せば月並みですが、素直でいつまでも学ぶ心を忘れずに、世の中で役立つ人間になって欲しい言うことです。

本当に理解し合えて、親子が係われる年数は少ないと思います。ある人が究極的に言っていましたが、死んでから初めて親父の評価は出るものだと。そうかもしれません。私の父についてもある部分そうです。死んでから父の見方も更に変わりました。

残せるものは残しておこうと思っています。将来このブログを息子が見た時、どう受け止めてくれるでしょうか。
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父より息子へ(1)

2007年06月03日 10時23分35秒 | Weblog
「ビジネスマンの父より息子へ」という題で寄稿依頼がありました。

依頼主は大学時代のクラブの後輩ですが、彼は二年前に転職し、現在は大手生命保険会社の営業をしています。この度季刊新聞を自分で出すとのことで、今まで色んな分野で係わった人に原稿を依頼していくとのことでした。

彼にこの題で頼まれたのは、このブログに関係があります。半年前に彼が私を訪ねた時に、私がブログを始めたことを話しました。その時、私はこのブログを将来息子も見てくれればと、そんな思いを伝えました。

私は父の文章を、読んだことがありません。読んだことが無いと言うより、父は文章らしきものを残しませんでした。日記などもありませんでした。膨大なメモは取っていましたが。しかし私は父の会社に入り、16年間父と商売で日々接していましたから、父の考えることは大よそ理解出来ました。

私の40歳の時に生まれた息子は、まだ中学生です。彼が社会人になって(一応世間が分かるのは30歳位になるかもしれません)、ビジネスの世界で私、親父を見るときは、私は引退している可能性もあります。

家に帰り食卓を囲み、会社の出来事を話すこともたまにはありますが、それを全部理解することは息子には無理でしょう。彼は彼なりに、学校のことを精一杯やっているはずです。家庭では、彼の話を聞くのが先決となります。

私の日々の思いや考えの記録が残るブログは一つの貴重な手段になる訳で、そんな意味もありブログを始めました。

世の中の殆どのお父さんは、外にいる時と家にいる時は、態度は違うはずです。私も外の疲れを取る為、だらしない格好で家では過ごします。そんなお父さんを、息子は真似ます。そんなお父さんしか、普段子供たちは見ていません。

将来このブログが、このギャップを少しでも埋めてくれればと、願うばかりです。
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