梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

30年振り

2008年07月27日 10時00分26秒 | Weblog
このところ本当に暑い日々が続きます。この日も朝からむせ返るような暑さの中、わが社の若手営業と共に横浜都筑区にある会社に伺いました。

第三京浜の港北ICを降りてその会社に向かいますが、この辺は物流倉庫や大小の工場や住宅などが混在している地区です。鶴見川の土手に面したところに会社はありました。川辺にあるだけでも何か涼しさを感じます。

その会社から二週前に切板の見積もり依頼を受けていたのです。その回答は既にしたのですが、新規のお客様でもあり、まだ受注には至っていませんが様子伺いの為初めての訪問になった訳です。

実はその会社の社長の息子さんはお会いしたことがあるのです。しかも30年前に。事務所に入り先ずは社長と奥様に挨拶をしましたが、遅れて入って来た息子さんにお会いして記憶が徐々に甦りました。 

30年前に私が怪我をして、最初に入院した病院では完治しなかったことを最近このブログで書きました。その病院に彼が小学生の頃、隣の部屋に入院していたのです。その時一緒に撮った写真を奥様が出してきてくれました。私がベッドに寝たままの状態で、小学生の彼が横に立っている写真を。

その彼がわが社のホームページから私のブログ見て、私と確信して二週前に電話を下さったのです。たまたまその会社で、使用材料の見直しを考えていたタイミングとも重なり30年振りの再会となったのです。奇遇と言うほかありません。

ある大手の印刷製本機械メーカーの部材をその会社は供給しているとのこと。技術力もあり、自社でマシニング機械を何台も有しあらゆる精密加工をしています。自社の調達材料もこのところの鋼材高騰を受け値上がりしているとのこと。スペックを落とさず最適な材料を考えているようです。

33度を超えそうな外気、ようやく冷房が効いてきた車の中で、ブログによる不思議な再会に思いを巡らせ帰路に着きました。
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若手の会

2008年07月20日 09時08分33秒 | Weblog
何回かこのブログでも出てきます江戸川鐡栄会と言う、江戸川区を中心に鋼材業を営んでいる40社の、団体の会長を仰せつかって二期三年目に入りました。

それ以前は会の財政は赤字でした。入るを計り出を制する施策で、会費収入に見合った事業運営に切り替え、つまり親睦や情報交換の行事の支出は抑え現在収支はバランスしています。

これを達成出来た次の大きな取組みは、若手会を組織し交流の場を作ろうとしていることです。この会には役員が10名程いますが、役員自体の世代交代も今後の課題です。しかし会員40社の中には幸いにも、20名近くもその代表者の同族の後継者がいます。

東京地区の他の8団体に比べ、次期後継者が会社にいる、この比率はダントツに高い筈です。逆に、「息子はいるが厳しい商売は継がせたくない、息子にはしたいことをさせる」鉄鋼業界でもこの様な風潮が主流となりつつあります。

そんな趣旨で7月に第一回目の若手会の開催案内を出したのですが、参加者が少なく失敗に終わりました。役員が手分けして個別に参加を呼びかけ、開催は秋に順延することにしました。

「親父の会社には入ったが、同業との交流は必要もないし忙しい」それが若手の本音だと思います。考えてみれば私自身も昔はそうでした。

しかし私も紆余曲折はあったものの、気が付いたら、会長役員になってしまいました。年齢が増したと言えばそれまでですが、会の運営や会員との交わりの中で学んだことや発見したことも数々ありました。それを最近は貴重と思うようになりました。

真面目な勉強会にするのか飲み会的な親睦会にするのか、この様な会にはこの手の議論もつきものです。こんなことは若手が考えることなのかもしれませんが。

まず参加して集まってみなければ、話は始まりません。 
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歩いて参加

2008年07月13日 06時35分52秒 | Weblog
今大分の中津から東京の三田まで仲間が毎日歩いています。私の母校の大学が今年150周年を迎え、我がクラブワンダーフォーゲル部が中津から三田まで、1500キロをリレー踏破する記念イベントを行っている最中なのです。

母校の創設者ゆかりの地である中津を、既に6月1日出発しました。キャンパスがあるゴール三田には、11月8日到着予定です。その間を八つのブロックに分け、現役50名とOB400名程が分散して参加します。

私の受け持ちは名古屋から木曽までの第6ブロック、その中の第3班です。この第3班は中仙道の中津川宿から野尻宿まで、約35キロを8月14日から16日までの三日間で歩きます。

この日程とコースで、私にとっては大変にラッキーなことが・・・。

この日にちはちょうど旧盆と重なり、会社が休みです。会社を休まなくてもよいのです。この後私は家内の実家酒田に行くことにしましたので、14日前泊の、リレー参加は15日一日だけとしました。

またコース内容ですが14日泊まるのが馬籠宿、15日到着するのが妻籠宿。つまり馬籠宿から妻籠宿までを歩くのです。中仙道でも一番の、皆さんが行きたがる観光名所を歩かせてもらえるのです。

それと歩く距離ですが、この間約9キロ。第6ブロック12日間の行程の中でも一番短い距離です。長いところでは一日20キロ以上歩くコースもあります。足の悪い私には助かります。

昭和50年卒の同期も8名集まります。これも大いに楽しみです。34年卒のOB方々も我が班には多く参加され、色々クラブの昔話しも聞けると思っています。

このイベントはまだまだスゴイ企画が多く、OBの皆さんの知恵に感心しています。私としては普段の仕事の方でもっと知恵を出さなくてはいけないなと、刺激を受けています。
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社内研修会

2008年07月06日 08時39分24秒 | Weblog
「会社の目標を達成して、どうしてもまた海外旅行に行きたい!」研修会が終わり、飲み会に参加した社員の発言です。去年わが社は創業55周年で台湾に行きましたが、60周年の前にもっと豪華な旅行をしたいと言うのです。

先週金曜日の午後浦安事業所で、わが社の幹部管理職を10名集め社内で研修を行いました。目的は去年作った自社の3年後の戦略策定の見直しとその実行について考えることでした。

去年わが社では、初めて所謂中期経営計画を作りました。それまでは一年短期でした。今まで本当に社員を巻き込んで来たのか、その計画は実践されたのか、反省と新たな挑戦への経緯がありました。

今年もまた、わが社の強みと弱み外部環境の脅威と好機を徹底的に認識し、将来あるべきわが社の姿(DESIRE)を明確にしました。個人の願望レベルで、どうなりたいかどうしたいかも強く打出しました。

次の作業となりますが、事業を引っ張る軸となる力(MOBIL ENGINE)や、事業を成立させている基礎(DOMEIN)つまり商品・市場・能力を確定することで、後2年間の戦略を見直します。

一年目この平成20年6月決算では、利益目標は何とか達成出来ました。しかし自助努力ではない部分もあり(国際的鉄鋼需給の異常)、私としては素直には喜べない面もあります。

ある見識者の見方ですが、効果的な戦略を立案しても90%の会社では実行されず失敗に終わっている。また、社員の95%は会社の経営戦略を理解していない、とのことです。

一ヵ月後に今期と来期の利益目標が策定されますが、高い数字になるかもしれません。しかしこの目標は大事にしたいと思います。冒頭の飲み会で管理職全員が熱く語っている姿を見ますと、それは達成できるかもしれないと、不思議と私も思えてきました。
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