「ストレスとは、環境によって心や体に負担が掛かっている状態のことを言う。ストレスの要因により心や体に負担の掛かった状態が生じ、これが色々な反応や症状を起こし、長期に亘ると健康問題に掛かりやすくなる」。ストレスを調べると、こうあります。
生きている以上人間はストレスを全く無くすことは不可能ですし、また自分では中々解消出来ないのもストレスであると、私は捉えています。私は30代の頃、長期に亘りストレスを受けて、健康を害したことがあります。これは後でお伝えしますが、健康やストレスに関して先日興味深いテレビの番組がありました。
NHKBSプレミアム、番組名は「偉人たちの健康診断」、その日のタイトルは“戦艦大和 男たちの健康”でした。以下は、番組の紹介文です。
『太平洋戦争中、「世界一」の巨大戦艦を目指して建造された大和だが、海軍が目指したもうひとつの世界一があった。それは“健康”。残された設計図や元乗組員の証言などから、戦艦大和での生活を健康診断。画期的な水兵用ベッドや艦内エアコン、最新機器を備えた医務室などのハード面に加え、食事や運動など健康管理でも万全の理想を掲げた大和だったが、戦闘が始まると、その理想はことごとく崩れていった』。
「島が動いているようだ!」。極秘裏に戦艦大和は完成され、試運転をしているところを見た人の感想です。全長263m、排水量64,000トンの大和は、当時はそれほど巨艦だったのです。世界で最強を目指して建造された大和は、快適さでも世界一を誇りました。
戦艦大和の兵員室は、駆逐艦と比べ一人当たりの面積が3倍となりました。大のトイレには扉が付きゆっくり用を足せ、船内には売店があってお酒まで売っていました。番組では、戦艦大和の三つの快適装備として、冷房、ベッド、風呂、を取り上げます。
それ以前の軍艦でも、弾薬を冷却するため艦内には空調装置がありました。しかしその冷房を兵員の為に艦内に張り巡らせ、夏期温度をだいたい摂氏27度程度に持ちこたえます。一般家庭でエアコンが普及したのは昭和40年代ですので、これは画期的です。
大和には、三段式の吊り下げベッドが造られました。それ以前のハンモックは、狭いスペースには適していましたが、最大のネックは寝返りが出来ないことです。ベッドであれば寝返りをし、血行障害を防ぎ、腰や首の痛みを解消し、胃腸への負担を軽減します。
そして大和には5~6人が入れる、海水風呂が設置されました。それまでの兵員の入浴は週に一回程度でしたが、大和では3日に1回この海水風呂に入れました。温泉で言えば食塩泉(熱海温泉と同質)であり、非常に体が温まる温泉に入れたということです。
更に健康の源が「大和メシ」です。肉料理も豊富で、栄養バランスが取れた献立が毎日提供されました。麦飯が主食ですが1日720g、大盛りのお椀7杯分に相当します。大和メシの1日のカロリーは、約3000kcalとなります(現代成人の目安2000kcal前後)。
昭和16年12月の日米の開戦直後から、皮肉にも戦いの主役が大和のような戦艦から航空機へと移行したことは、戦史に明らかです。この状況の変化により、大和が必勝を目指していた戦艦による艦隊決戦自体が行われなくなり、出番が少なくなります。
そのような中、徹底した日々の訓練は怠りませんでしたが、フィリッピン近くの洋上で戦闘に備えている時期が長期に及びます。戦わずして洋上に浮かぶ快適な戦艦を、大和は「大和ホテル」、武蔵は「武蔵旅館」と、揶揄してそう呼んだ人もいます。
しかし戦時には艦内は一変します。空調のダクトが空気の通り道となり火災の原因となるので、送風を止めてしまい、蒸し風呂状態となります。被弾に備え兵員は声や音を出せず、無音の閉鎖空間となります。そして大和メシはおにぎりに変ります。兵員はその強いストレスで、免疫力が低下してしまったのです。 ~次回に続く~
勇壮な戦艦大和
生きている以上人間はストレスを全く無くすことは不可能ですし、また自分では中々解消出来ないのもストレスであると、私は捉えています。私は30代の頃、長期に亘りストレスを受けて、健康を害したことがあります。これは後でお伝えしますが、健康やストレスに関して先日興味深いテレビの番組がありました。
NHKBSプレミアム、番組名は「偉人たちの健康診断」、その日のタイトルは“戦艦大和 男たちの健康”でした。以下は、番組の紹介文です。
『太平洋戦争中、「世界一」の巨大戦艦を目指して建造された大和だが、海軍が目指したもうひとつの世界一があった。それは“健康”。残された設計図や元乗組員の証言などから、戦艦大和での生活を健康診断。画期的な水兵用ベッドや艦内エアコン、最新機器を備えた医務室などのハード面に加え、食事や運動など健康管理でも万全の理想を掲げた大和だったが、戦闘が始まると、その理想はことごとく崩れていった』。
「島が動いているようだ!」。極秘裏に戦艦大和は完成され、試運転をしているところを見た人の感想です。全長263m、排水量64,000トンの大和は、当時はそれほど巨艦だったのです。世界で最強を目指して建造された大和は、快適さでも世界一を誇りました。
戦艦大和の兵員室は、駆逐艦と比べ一人当たりの面積が3倍となりました。大のトイレには扉が付きゆっくり用を足せ、船内には売店があってお酒まで売っていました。番組では、戦艦大和の三つの快適装備として、冷房、ベッド、風呂、を取り上げます。
それ以前の軍艦でも、弾薬を冷却するため艦内には空調装置がありました。しかしその冷房を兵員の為に艦内に張り巡らせ、夏期温度をだいたい摂氏27度程度に持ちこたえます。一般家庭でエアコンが普及したのは昭和40年代ですので、これは画期的です。
大和には、三段式の吊り下げベッドが造られました。それ以前のハンモックは、狭いスペースには適していましたが、最大のネックは寝返りが出来ないことです。ベッドであれば寝返りをし、血行障害を防ぎ、腰や首の痛みを解消し、胃腸への負担を軽減します。
そして大和には5~6人が入れる、海水風呂が設置されました。それまでの兵員の入浴は週に一回程度でしたが、大和では3日に1回この海水風呂に入れました。温泉で言えば食塩泉(熱海温泉と同質)であり、非常に体が温まる温泉に入れたということです。
更に健康の源が「大和メシ」です。肉料理も豊富で、栄養バランスが取れた献立が毎日提供されました。麦飯が主食ですが1日720g、大盛りのお椀7杯分に相当します。大和メシの1日のカロリーは、約3000kcalとなります(現代成人の目安2000kcal前後)。
昭和16年12月の日米の開戦直後から、皮肉にも戦いの主役が大和のような戦艦から航空機へと移行したことは、戦史に明らかです。この状況の変化により、大和が必勝を目指していた戦艦による艦隊決戦自体が行われなくなり、出番が少なくなります。
そのような中、徹底した日々の訓練は怠りませんでしたが、フィリッピン近くの洋上で戦闘に備えている時期が長期に及びます。戦わずして洋上に浮かぶ快適な戦艦を、大和は「大和ホテル」、武蔵は「武蔵旅館」と、揶揄してそう呼んだ人もいます。
しかし戦時には艦内は一変します。空調のダクトが空気の通り道となり火災の原因となるので、送風を止めてしまい、蒸し風呂状態となります。被弾に備え兵員は声や音を出せず、無音の閉鎖空間となります。そして大和メシはおにぎりに変ります。兵員はその強いストレスで、免疫力が低下してしまったのです。 ~次回に続く~
勇壮な戦艦大和