梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

社長の発言と発信

2013年04月27日 09時43分42秒 | Weblog
経営者である社長が、社長として接する局面とすると、大よそはお取引先や社員であると思います。そしてそれはほとんどが対話をする形式となります。しかし社長が自分を発信する手段とすると他にもあります。

このように書いているブログはその一つの手段ではありますが、内容は私が決めて一方的に書いている訳ですので、必ずしも読者の方が興味を持って読んで頂けているかどうかは分かりません。

また朝礼などで話していることも、本来対話形式ではなく、内容は私が決めて一方的に話しているのですから、社員が関心を持って聞いてもらっているかどうかは分かりません。

会社のホームページはどうでしょうか。大体は扱い商品やサービスがメインで、そこの社長の挨拶程度は載っていますが、考えや想いなど、いわゆる社長の顔が本当に分かるものではありません。

実はある会社から取材を受けました。各地の社長だけを取材して、動画でインターネット配信をすることを業とする会社からの申し出がありました。承諾して、先日社長インタビューも含め約二時間の社内取材を受けました。

私は業界紙の取材を受け記事を載せて頂いたことはありましたが、今までテレビ風の取材を受けた事等勿論ありません。質問される内容をあれやこれや想定をして、それだけに、取材を受ける直前までは緊張をしました。

前段で書いてきた従来の発言や発信の手段と何が違うかと言いますと、質問にはとっさに答え、やり直しがきかないことです。政治家や芸能人はこのような経験を常にしているのだと、この時ばかりは妙に感心してしまいました。

出来栄えは自分では全く見当が付きません。三週間後に編集された動画を持参して下さり、それでよければ配信となります。しかしまだ確定した訳でもないので、何処でどの様に配信されるかお知らせする段階ではありません。

初めての体験となった、約一時間半のインタビューもあっと言う間に終わり、自分の隠れていた想いはむしろ引っ張り出されたような感じを受けました。
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わが社の新卒採用

2013年04月20日 06時17分49秒 | Weblog
大学生の就活解禁を三年生の12月からとしている今のルールを遅らせ、2016年卒から三年生の3月からとすることを、政府が各経済団体に要請する。そのような記事がこのところ新聞紙上を賑わせています。

学生の本分は勉強にあり、少しでも落ち着いて勉学に励む環境を作る意味では、経済界も理解を示しています。もっとも私の大学生の時は、確か四年生の10月からだったと思います。

当時の私はというと、三年生の夏休み頃に就職先は決定していました。父親の会社に、です。その私は大学卒業後に他の会社に修行などにも行かずに、直ぐに梶哲商店に入社しましたので、新卒で入った第一号となります。

その後わが社は新卒者を採用したことは無く今日に至っています。しかし最近わが社は、去年の10月に21歳、今年の4月に20歳の社員を採用致しました。年齢的な観点ですと、新卒者の採用と言えます。

過去には、中途採用で20代後半の社員の採用もありました。しかしこれ程の若さの二人がほぼ同時期に入ったのはわが社の歴史でも無いことです。現在製造現場で頑張ってもらっていますが、確実に会社のムードも変わって来ています。

先日わが社に訪れた中堅の商社の方が話されていました。約三千人の応募者の中から15名ほどに絞り込む採用で、面接において担当になったそうです。最近の大学生の一つの特徴は、多くの人がボランティア活動をしているとのことでした。

しかし面談をして感じるのは、ボランティアの本質を知っているのかどうかは彼等からは伝わらなかったと、そのような話をされました。就活の有利な条件として、流行で活動を行っているのでは、全く意味がないことは明白です。

何年か前からわが社では、私は社員採用には実質タッチしていません。採用する部署の役職者が直接面談をして選考します。私はその判断を尊重して、最後に面談をします。

わが社の採用基準は、今現在の人物本位です。過去のキャリアはあまり問うことはありません。
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大番頭さん

2013年04月13日 09時32分00秒 | Weblog
今では番頭さんという言葉は死語になりかけています。しかし正にその番頭さんを地で行った方がおられます。その務めた会社を10年前に勇退されて、今は悠々自適の生活を送られていますが、その方がわが社を訪ねて来られました。

今から15年ほど前と言えばその方は60歳代、私は40歳代。当時わが社は端板の在庫販売をしており、扱いの最盛期は過ぎたものの在庫を毎週リストにしてお客様に送付していました。それを活用して、その方の会社に買って頂いていました。

実際はその会社が自社使用するものではなく、長年付き合いがある会社に転売をして下さっていました。しかしその後わが社は端板販売を撤退し、商売も消滅して、その方も会社を退職され年賀状だけの挨拶となり、会う機会が無くなりました。

業界でもその会社は老舗です。昭和30年に大卒で入社され、創業者から代々の社長に仕え、草創期は経営者と寝食を正に共にされたとのことです。ご本人は業界に長くいただけと仰いますが、業界の生き字引と称され、余人をもって代え難い存在の方でした。

再会させて頂き驚いたのは当時と全くお変わりがなかったことです。「私はこの歳になっても何でも興味があり、退屈することはありません」。若さの秘訣です。

定期的に奥様とは旅行をされ、二人の息子さんのご家族も近くに住んでいるそうで、お嫁さんお孫さんの話しなども聞かせて頂きました。幸せなご家族です。

「この業界で二人の恩人がいて共に80歳を過ぎているが、久しぶりに近い内に会ってみたいと思ってます」。「自分の今までを振り返ってみると、実に不思議な巡り合わせの連続でした」。しみじみと語っておられました。

あっという間の二時間でした。「ああそう梶さん、その転売先の社長が今度よければ会いたいと言っているんだけれど、どうですか」。「是非とも、よろしくお願い致します」。その様な会話となりお別れをしました。

翌日早速連絡を頂き、その機会を作って下さいました。時間軸を超えた縁が、続いて行くことに期待が膨らんでいます。
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会社は違っていても

2013年04月05日 21時50分49秒 | Weblog
「本当に製品の切り口が綺麗です」、「この様な溶断の技術を大切にしている梶哲さんは凄いと思います」。お褒めの言葉を頂いたのは、わが社の元社員からです。今務めている会社を平日休んで、自分の原点を確認しに来てくれたのです。

「今の会社は、従業員にここまでの精度や綺麗さを要求しません」、「鋼種も少し違う(硬く切りにくい)し、納入先の納期に追われていることもあります」。彼は愚痴を言っているのではなく、会社方針の違いを冷静に判断していました。「でも、僕は梶哲さんで身に付けた切り方を発揮したかったのですが・・・」。

その彼とは、わが社が二年前に成田の工場を閉鎖して浦安に集約する際に、通勤問題などで、残念ながら退職した社員です。わが社で近くに在った同業者に声を掛けてみたところ、幸いにも、彼を採用してくれることとなりました。

現在のわが社には、ガス溶断の経験者は30年を超える者が二人おり、工場長と業務課長(二年前は浦安の工場長)です。しかし後の6名は、長い者でも5年程の経験しかありません。

現在は、このベテラン二人は後進の育成指導しかしておらず、実際には切断作業を行ってはいません。つまり現状の梶哲の製品は、最近は、後の6名が切断していることになります。

「工場の誰が切ったかなのではなく、梶哲製品として切ったものが世間でどう評価されるのかが大切である」。工場長は以前からこれを目指すと言っていたことを、元社員の訪問で、私は改めてしっかりと認識を致しました。

その彼の会社の職場で、最近変化があったようです。東京下町で、長年溶断業を営んできた会社が廃業しました。その社長が、彼の会社に顧問的な存在として入って来たとのこと。「彼だけは、梶哲さんで覚えた技術で切らせたらどうか」、と会社側に進言をしてくれたとのことです。

「叶うかどうか分からないけれど、会社で許しがもらえたら、職場の人を梶哲さんに連れて見学に来たい」。その様な言葉を残して彼は帰って行きました。

彼の真剣な眼差しは、何かを掴んだようで、私には頼もしく映りました。
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