梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

夢は実現する

2010年12月25日 09時57分13秒 | Weblog
余すところ今年も僅かとなりました。お客様の所に年末の挨拶に伺う時期となり、前もって時間をとって訪問させていただきたい会社に、先日行って来ました。

この会社にとって今年は特別の年となったことは間違いありません。何故ならば、念願のあらたな工場を取得したからです。それも出来合い、つまり既存の物件ですが、ほぼ理想の工場(立地や規模)を絶妙のタイミングで手に入れたのです。

既にこの会社は複数の工場や倉庫を持っています。業容の拡大と共に、地道に着実に増やして行ったのですが、何年も前から新たな大きな工場用地を物色していたことも事実です。

今年の2月に或る大手の鉄鋼流通会社が、そこの加工営業所を閉鎖して他に移転・集約する情報がその社長に舞い込みました。多少の紆余曲折はあったようですが、その話はあまり公にならずに、売り手と買い手が充分納得した形で進んだと言います。

はっきり言ってこんな時期ですから、鉄鋼業でこのような物件を買える所は、稀の稀です。売り手としても、鉄鋼業以外に売却するにしても貸すにしても、費用は掛かることは確かです。撤退した会社の一部機械や設備まで、この会社が活用出来たようですので、この会社がこの物件を取得した、不思議な必然性がここにあります。

この会社の社長は、並大抵の努力家ではありません。恐らく寝ている時でも、夢の中でも会社が出て来ているはずです。真夜中に目が覚め、会社の経営で気になると、メモを取りながら考え抜き、朝が明けることが度々と言います。

その社長にお会いして何時も感心させられるのは、ご自分の会社の未来像を鮮明に持っておられることです。創業して今日まで、将来の明確なイメージを持ち続け、これが物凄いエネルギーとなり、会社を変えて来られました。

普通の人は明確な未来像さえ無いかもしれません。夢にまで出て来るイメージが持てれば、縁をも呼び寄せてしまうことを、私はこの社長に感じました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

喧嘩の極意は

2010年12月18日 06時25分36秒 | Weblog
私は高校の体育の時間に柔道を、大学の夏期スポーツの選択で剣道をやった位で、本格的に武道や格闘技を習ったことはありません。子供の頃、何回かは兄弟で取っ組み合いの喧嘩はしたことはありますが、外で殴り合いの喧嘩をしたことは皆無です。

従って私は喧嘩においては、臆病であり恐怖心があります。今まで話しを伺った人の中で、その喧嘩が強いであろう(実際見た訳では無いので)お二人の方がいます。そのお二人に共通点があることが分かりました。

元々気が弱く、決して最初から強かった訳では無かった。でも強くなりたい一心で武道を修得した。仕掛けられた、つまり売ってこられた喧嘩に対処する過程で、怪我や傷を負って度胸が付き強くなった。そんなことが挙げられます。

例えば先手必勝とか、逃げるが勝ちとか、色々な戦いの時の常套句となっている論理も、百戦錬磨で身に付いている様子です。しかし微妙に相手の心理を読んだり、冷静な状況判断もしていたりする、喧嘩が出来ない私でもそんなところは非常に興味があります。

喧嘩の相手が、武器を持っていたりオーバーアクションをしていたりする人ほど、気が小さくて威嚇している証なので、意表を突いて武器を落としてしまうと簡単に決着が付いてしまうとのことです。

鍛錬を積んで胆力をつければ、相手の動きがスローモーションのように見えると言うのですから驚きです。そうなると、自分の懐に引き寄せ、溜めを作ってから攻撃が仕掛けられるので、とても有利だと言います。

その一人の方が粛々と言いました。でも一番強いのは、つまり相手から見て一番手ごわいのは、例えば子供をかばう捨て身の親だそうです。それこそその親が凶器などを持っていたらこれほど怖い者はないと言い切りました。思わず、うなずいてしまいました。

喧嘩とか戦いは、ビジネスにも置き換えられます。挑んで来る相手の立場や心理が読めて、己を統制出来れば、つまり“彼を知り己を知れば百戦危からず”となることは疑う余地がありません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

忘年会の後は

2010年12月11日 12時02分13秒 | Weblog
江戸川鉄栄会役員の忘年会が過日、市川行徳の料亭で行なわれました。若手会合同で12名が集まりましたが、何故か皆のテンションが高く、盛り上がりました。

OBとして3代前の会長も参加され、その前日若手会の中で社長に就任したてのメンバーもいて、この会の昔の四方山話や若手会の今後の抱負やら来年の新年会の話など、話題は尽きること無くあっと言う間の二時間でした。

昔はこの会の中でも派閥がありました。取引が有るとか無いとかで、次期会長候補を支援するとかしないとか、会にまとまりを欠く時代もありました。また会員同士の取引において、商道徳を外れた行為により不良債権を掴まされたこととか、会がギクシャクした時期もありました。少なくとも現在はそんなことはありませんが。

上部団体の東京鐵鋼販売業連合会には、江戸川を含め9団体があり、その内7団体に二世会とか若手会が存在しています。この若手会同士の交流は、現在のところありませんが、次世代のこの業界を背負って立つ自覚が芽生える為にも、今後そんな交流が活発になってくれればと願っています。

特に盛り上がったのは新年会の話しです。会員の家族参加を主体にした恒例行事ですが、やはりこんな時節でもあり参加者が少なく、マンネリ化の課題も抱えています。二年前から東京ディズニーシー・ホテルミラコスタで開催していますが、ミッキー・ミニーのキャラクター・グリーティングは子供達に大好評です。従って、彼等のギャラはとても高額なのですが、これは外せません。

後半はビンゴ大会で締めとなるのですが、今回はその替わりに“たいらいさおコンサート”を開演することにしました。NHK子供番組の『おかあさんといっしょ』の3代目うたのおにいさんを務め、その後は数多くのアニメの主題歌や童謡を歌い精力的に活動されている方です。その方のお兄さんは『バスストップ』のヒットで知られる平浩二さんです。

一昨年が70名、去年が80名前後の参加者でした。同じ処で同じ様なスタイルでの新年会ですので、今年の参加者数はどうなるか気になるところです。100名達成を目指し、総決起集会的な忘年会のお開きとなりました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

袖振り合うも

2010年12月04日 12時06分34秒 | Weblog
とある土曜日の夕方、葛西から錦糸町に行く用事があり、地下鉄葛西駅始発の都バスに乗りました。私は左足が悪く股関節も曲がらないので、ゆったりと座れる一番後方の座席を確保しようとバスの後方に向かいました。

家内も一緒でした。私が奥に座るか、家内が奥に座るかもたついて、後ろの人を待たせてしまったので、その人に「すみません、お待たせして」と声を掛けました。そして、その人は私の隣に座りました。

バスが発車して間もなく、その人が私達に話しかけてきました。ちょっと酒臭かったのですが、顔立ちはきりっとしていて坊主頭で、私と同年代でしょうか、一見するとお坊さんにも落語家にも見えました。

それから約40分の間、その人が亀戸で降りるまで会話は続きました。その人の人となりです。出身は青森津軽、八人兄弟の末っ子。二十歳前から上京して、土木関係の現場労働を一筋にして来た。ご自身の家族は、今は居ない様子。3年ほど前に葛西に住んでいたが、亀戸に引っ越した今でも馴染みの葛西の居酒屋に通っている。その店主には、声が大きく他のお客さんに迷惑だからとか言われ、いつも喧嘩している。そんな人物でした。

当然大学は出ていないのでしょうが、何しろ経験や知識が豊富でした。政治、経済、科学、その他一般教養等など。学校では教えない、社会勉強を長年して来たのでしょう。一々もっとも、その話に納得してしまいました。現場での人の使い方や、人間関係もその人なりの哲学がありました。

“袖振り合うも多生の縁”を辞書で調べると、「道の行きすがりに、袖が振れ合うというような、偶然でほんのささやかな出会いであっても、それは前世からの深い緑で起こるのです。多生は、仏教用語で何度も生まれ変わること。他生とも書く」と書いてあります。

その人が亀戸で降りました。「又会いましょう!」と言ってバスを降りて行きました。なんと清々しい、なんとほのぼのとした言葉でしょう。その人との再会は二度と無いでしょう。何よりも嬉しかったのは私達に警戒心も無く、色々と語りかけてくれたことです。その人と、来世でまた逢うかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする