梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

業界団体新年会

2012年01月28日 06時08分15秒 | Weblog
毎年恒例の江戸川鉄栄会の新年会を開催致しました。従来は『東京ディズニーシー ホテルミラコスタ』にて行って来たものを、今年は場所を変え新浦安の駅に直結している『オリエンタルホテル 東京ベイ』にて執り行いました。

今年はミッキーやミニーのキャラクターの登場が無かったことや、週中の開催ということもあってか、お子様の参加も若干減り昨年の100名参加に比べ少ないものでしたが、それでも70名の参加を得ました。

このような行事はプロがやるのではないので、完璧はありません。今回の反省点としては、食事のボリュームが少なかったことです。注文量とその時の参加者の食欲によって、食べ物を余らすことも逆のケースもどちらもあります。

幾ら準備は周到にしても、多少の失敗は覚悟して当たらないと、団体の役員が手作りでする意味や意義がありません。失敗を通して、次回修正していけばいいのではないかと、私は思います。

年々会長としての私は楽をしています。若手会の会員が殆どセッティングをしてくれました。それだけ若手が育ってきて感謝しています。企業もこのような団体においても、後継者が育ち、皆が協力し永く存続するのが一番大事です。

余興はTV等で今活躍中の女性たちだけのマジシャン『プリマベーラ』による、斬新なマジックショーを楽しみました。三人の若い女の子が最後は、踊りそして歌を披露してくれて、会場は一気に熱気に包まれました。

そして締めはビンゴ大会です。ビンゴを出した人は舞台に上がって、景品を受け取る際に、司会者が所属の会社名を聞いていきます。どこの会社の社員が、どんな景品をどれだけもらうか、さしずめ会社対抗景品争奪戦となります。

ななっなんと私の家内が一番で上がり、一等賞を獲得しました。景品はニンテンドーの3DS。貰うべきではない人が獲得してしまいました。わが社の社員のうらやむ目もあり、会社に持ち帰り、もう一回抽選会でもしようと思います。

そんなハプニングもあり、終始楽しい会となり、ここに載せるべき携帯の写真も撮ることも忘れる始末となりました。
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慣れて自然体に

2012年01月21日 11時17分22秒 | Weblog
取引をさせて頂いている、鉄鋼メーカーの新年賀詞交換会がありました。このメーカーの製鉄所は名古屋にあるのですが、販売先はほぼ全国に亘り、東京地区での毎年恒例の賀詞交換会です。

招待されている参加者は同業者も多く、わが社と取引があったり、無くとも顔見知りの方が多かったり、そのような会合です。業界紙の記者の方々も取材に来られており、皆さん知っている方でした。

以前にも、このブログ上で書いたかもしれません。所謂パーティー形式の会合について、最近感じることなどを。

元々私はこのようなパーティーは苦手でした。知っている人と話をしている間はいいのですが、そのような人が途切れてしまうとどうしてよいか分らないので、ただ時間が過ぎるのを待っていた。そんなことも多々ありました。

慣れとはよく言ったもので、場数を踏むことに勝るものは無いのかもしれません。それと徐々にですが、顔見知りの方も多くなったのも事実です。ある時点から、壁際でマイナスのオーラを出していた自分を認識し、自然体でいればいいのだということに気が付きました。

未だに難しいのは、会話をしていてどこで話しが終り、切り上げるかです。先方の方を独占してもいけませんし、あっさり過ぎても失礼になります。むしろ先方の方が切り上げてくれれば、私は理想です。ただこれも、互いの絶妙なタイミングがあります。

挨拶したい人お話をしたい人と、必ずしもチャンスがあるとも言えません。話し合っている人を両方知っているケースであれば、黙って傍にいて暫らく会話を聞いていると、こちらに話を向けてくれることもあります。

それでも空白の時間が来てしまったら。私は食事を堂々とすることにしています。その内近寄って来て、話しかけてくれる人もいます。

今回終ってみると、挨拶したい人お話をしたい人とは会話が出来ました。そして食事も美味しく食べることが出来ました。主催者様に、心より感謝致します。
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正月の習慣とは

2012年01月14日 04時51分16秒 | Weblog
新年を迎え、様々なことが行なわれます。家族で新年を祝う、年賀状を出す、初詣をする、大切なところへ年始の挨拶に伺う、会社において社長が年頭の所感を表明する、業界においては賀詞交歓会に参加する、親しい人と新年会をする。

かくいう私も、ほとんど行っています。これは単に習慣として行なっているのか、意味や意義を感じて行なっているのかどうか、難しいところではあります。

正月4日に幹部社員と私と二人で、取引先のメーカーさんと仕入れ窓口の商社さんを回って来ました。いつものことながら、先方も同じく挨拶に出掛けられていて、ほとんどが皆さん不在で名刺を置いて来るだけです。

特に5日や6日位までは、先方も同じ様な会社を挨拶回りしているので、出先でバッタリ出会うこともしばしばです。また会社に帰ってみたら、伺って不在だったその会社の方が、わが社に来られていて、相打ちのような場面もあります。

年賀状のルーツを調べてみたところ、「年始の挨拶回りが簡略化されたもの」となっていました。平安から江戸時代にかけては、お正月の1日から15日までに、お世話になった主君や師匠、父母や親戚、ご近所などの家に挨拶に回る習慣があったとのこと。

いつの頃からか、一部それが新年の祝いの書状に代わり、1月2日の書き初めの日にしたためるものになったようです。明治6年に郵便はがきが発行されたことを機に、はがきで年賀状を送る習慣が急激に広まったのがその歴史です。

今ではごくあたりまえの年賀状も、文明の開化により、その風習が簡略化になったということです。ということは、私達が今行っている大切なところに直接年始の挨拶に伺うことは、それが本来であり、日本の昔からの伝統を守っていることになります。

年賀状にしても、去年までお互いにやり取りをしていて、突然来なくなる人に来年はどうしようかと迷うことがあります。昔の風習に従えば、挨拶をしたい人には、相手がどうであれ、自分から出すことが肝要だと思いました。
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会社の神棚

2012年01月07日 12時18分40秒 | Weblog
昨日江東区門前仲町にある、成田山東京別院深川不動堂に行って来ました。家内と一緒に護摩祈祷に参列して、お護摩札を頂いて参りました。正月も松の内、さすがに多くの人が参拝に来ていました。

成田山新勝寺ご本尊「不動明王」を江戸で参拝したいという気運が高まり、江戸町人を中心に、元禄16年に江戸での本尊の出張開帳(江戸出開帳)が、この地で行なわれたとのこと。今年が開創310年となり、その記念事業の新本堂は、昨年建立されたばかりです。

今は一人で出歩けない母親が元気な頃、毎年正月には、ここのお札を取ってきてくれたのが縁で、わが家の神棚にはそのお札が飾ってあります。護摩祈祷している最中に、祈祷料を納めた個人や企業の名前を読み上げてくれます。その中に大企業の名も多く、江戸商人の信仰心が今も残っているかのようです。

昔葛西に本社営業所があった頃は、両親の自宅が併設でしたので、神棚は自宅のものだけでした。7年前に葛西から浦安に移転して新社屋を建てた時、神棚は作ったもののお札などは置きましたが、正式な飾りはしてきませんでした。

昨年末幹部社員から、今年わが社は創業60年を迎え先代の23回忌にも当たり墓参りをしたい、ついては神棚も毎日礼拝して正式な飾りもしたらどうか。そんな提案がありました。私が同意したことは言うまでもありません。

「神様の存在は本当にあるのか」との問い掛けに、或る人が、こんなことをして見せました。お酒を供え拝んで暫らくして、供えていないお酒と飲み比べをしてみる。私も含めそこに居た人皆が、味が違うと答えました。

これを信じる信じないは、人にもよります。味か違うにしても、科学的に立証出来ないかもしれません。その人が、感じるか感じないかの問題なのかもしれません。

神棚に礼拝をするにしても、お願い事をすることが本来とは、私は思いません。健康であること事故が無いことなど、日々当たり前が成り立っていることに感謝出来るか、そんな偉大な自然を感じることが大切であると最近は思います。

今年も週一回のブログの更新を続けていきますので、どうぞよろしくお願い致します。
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