梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

雨降って地は2

2010年11月27日 06時16分19秒 | Weblog
彼の会社に行く前に電話で話していたこともあり、冷静に考えたら書面を出していない人も参加している訳ですから、仲間から外れされたと取った彼の一時的感情は、直接会った時にはもう静まっていました。

むしろ彼が本来言いたかったのは、書面を出さない、曖昧な伝達方法について一言いいたかったのでしょう。しかし何があったとしても、次からの会合には出て来るべきで、理性的ではない視野の狭さも感じました。

「思ったことは会に出てストレートに言うのが筋だ」と私が忠告しますと、「そんなことを言うと喧嘩になりますけど、いいんですか。会がどうなっても知りませんが」と彼が言います。そこで私は、「喧嘩になるかならないか言ってみないと分らん」と。漸く彼が、10月の役員会に出席する運びとなりました。 

開催前日、その一方の連絡役の役員から、どうしても出席出来なくなったと連絡が入りました。聞けば、急に地方のお客さんが上京し接待をしなくてはならないと。私はその役員に言いました「あなたが今回出て来なくては、今回の会は意味が無い」と、「遅れてもいいから来るか、来られないなら後日会を開き直そう」と。

結局その役員は遅れても参加することで会合を開きました。一方書面を出さないことで異議を唱えたその彼は「若手会の中には社長で無い人も居る。単なる遊びの会だと出られない人も居るので、書面が必要なのです」と発言しました。まあ、それも一理あります。遅れて参加するはずの役員は、遂に間に合いませんでした。

その日の夜の10時過ぎに私の携帯電話が鳴りました。参加出来なかった役員からです。「会に参加出来なく申し訳ありませんでした」「会が終った数名と合流して飲みました。異議を唱えた彼の意見も聞きました」「会長、心配掛けました」と、そんな内容でした。

一雨降って地固まるです。暑気払いで行き違い、会を遠ざかりかけた彼は、12月の忘年会の幹事として今活躍してくれています。これからも雨は降るでしょう。土俵の上で、正々堂々と互いの意見を戦わせてもらいたいものです。
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雨降って地は

2010年11月20日 11時00分37秒 | Weblog
地区業界団体である江戸川鉄栄会の会員は、今年度に入りまた2社が退会して、現在は31社となりました。私が三年前に会長を仰せつかってから、計8社が退会したことになり、地区の鉄鋼業の厳しが反映されています。

一方で、二年前に若手会が発足して、正式に去年若手会の会長・副会長(二名)も決りました。この三名にはこの一年間、江戸川鉄栄会の現役員と一緒に行動をしてもらいました。毎回の役員会の参加や、行事の補佐など協力を仰ぎました。若手会独自の活動はなかったのですが、当会の実態を把握してもらったと思っています。

そんな中、或る出来事が起き暫らく険悪な状態が続きました。7月に現役役員と若手合同で暑気払いをすることになっていたのですが、当日来る予定の若手会の一人の役員が来なかったのです。

その真相です。6月の会合にて、その場に居た全員が予定出来て場所も決まり、当日参加してなかった若手メンバーには連絡することで、暑気払いが決りました。その彼はその場に居たのですが、改めて書面で案内が送られると解釈して完全に忘れてしまったのです。そして暑気払いが終ってから、それを知り、書面も来ないことで仲間から外れされたと取り、その後の会合も出て来なかったのです。

単なる勘違いによる行き違いです。しかしその根底には、若手の中での心の疎通に問題があるようにも、私は受け止めした。会社の実力や個人の力量の差、好きこのみ、先入観、等など一言では言えませんが、そんなもは全く無いと言うのも無理があります。

連絡役(現役員でもあり若手会でもある)にも、書面を改めて出して募集しなかった、手抜きの責任があります。しかし他の出席メンバーは、書面を出さなくても参加しているので、難しい判断です。

私は10月の役員会が開催されるに際し、事前にその彼の会社を尋ねました。若手会同士で解決する方法もあります。個々のメンバーに当ってみましたが、今一自信が無さそうな感触です。これは私、会長の役目と覚悟しました。  
〔次回に続く〕
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演奏会のお誘い

2010年11月13日 10時37分22秒 | Weblog
前回は、家内と行ったコンサートが終わり食事をした時の話しをしました。今回は同じコンサートでも、来る11月22日品川区にて開催される、皆さんに是非行って頂きたいコンサートのご案内をさせて頂きたいと思います。

このコンサートの作曲を一部され当日フルートの演奏をされる梅谷忠洋氏ですが、昭和54年に小林幸子が歌った『おもいで酒』を作曲した、その方です。クラシック出身の演歌作曲家として歌謡界の注目をあび、日本レコード大賞、有線放送大賞など多くの金賞を独占しました。

その後梅谷氏は、NHKをはじめ各放送局のD・J、司会、音楽講師を務めます。それまでの人生を振り返り、音楽と潜在意識の研究を深め、昭和62年潜在意識開発の為に学校を設立し学長に就任します。芸術を知り尽くしたその感性から多くの企業で講演や社内研修を手掛け、一方で経営者のパーソナル・アドバイザーとして、長年幅広い活動をされている方です。

私はその梅谷氏と三年前に縁があり、出逢い、以来先生に師事しております。先生の主催されている勉強会に毎月参加し、弊社の企業研修なども依頼して、経営者トップの在り方や会社の存在意義や役割など指導を受けております。

このコンサートは、日本人の心の源泉、“武士道の精神”を現代に甦らせる強い想いで毎年開催され、今年は5回目となります。毎回違う歴史上の人物にスポットを当て、その人物の生き方を通して、今この日本が失いかけている精神を気付き、終わった後は心の中には何かが残る演奏会です。

今回の人物・テーマは『龍馬に会いにお出でおせ“武士道”』です。龍馬はピュアな心で色々な人と出逢い、そして日本の将来を真剣に考え、私心を棄て、日本を守る為に正に武士道を全身全霊で貫いた人物です。

和楽器と洋楽器の競演、居合道や柔道の乱取り、そして語りも加わり、幽玄の世界を堪能して頂けるとものと信じております。その柔道では、地元品川区の小学生も参加して、一層楽しい催しとなるはずです。

どうかお誘い合わせの上、多くの皆様にお越し頂けることを願っております。興味がある方は、お気軽にわが社の総務経理部にお問い合わせ下さい。
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何と勘定が!?

2010年11月06日 09時55分07秒 | Weblog
家内の友人から、コンサートのチケットを二枚貰いました。その方が急に行けなくなったと言うことで譲って頂きました。それで先日家内と二人で、JRの千葉駅近くにある会場に出向き、そして一時間半のコンサートが終りました。

夜の8時を回っていました。自宅に帰ると結構遅くなるので、軽く腹に入れて帰ろうとのことになりました。私は今迄この界隈で食事をしたことも無く、土地勘は無かったのですが、コンサート会場の周りは少なからず居酒屋が立ち並んでいました。

コンサートが終った人達が一気に入って来て、お店も混むかもしれないと思い、店構えもそこそこの、一軒のお店に飛び込みました。そして飲んで、食べて(腹7文目でしょうか)、いざ勘定となりました。若女将風の人が会計をしてくれました。電卓をパチパチと叩き、「ハイ、九千幾らです」と言うのです。私は「エ~、九千円!?」と無意識に、言葉が出ていました。

するとその女性はおもむろに、伝票を再度見ながら電卓を叩き直しました。そして「間違っていました。済みません、六千幾らです」とその女性。私、「ご馳走さん」と言いつつ店を出ました。これでこの店での話は終わりです。

店を出た瞬間、家内は「何アレ~!!失礼しちゃうわ」と。更に家内、「私だったらお店に言われた勘定を払ってしまうかもしれない。それにしてもあの態度は許せない!」と。そうです、心からの詫びの言葉は遂に無かったのです。

確かに、お店で提示される金額は、お客は信じてしまうもの。だからその勘定は絶対でなければならず、おかしいと思ってもお客からは言いづらいもので、故に店側は再チェックの必要性があります。その若女将風の人の、その日のコンディションや心持がどうだったのか、その日だけが悪かったのか私には分りません。やけに他の店員さんは愛想が良かったのは印象的でした。私には店員さんが、けな気に至らない彼女をカバーしている風にも取れました。

結局私達がその店に居た時間帯は、私達だけで、他のお客さんは入って来ませんでした。じっと観察していると、その店の普段の状況までもが見えそうな、怖いものがありました。我ながら、自分の腹勘定に自信を持てた出来事でした。
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