梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

山登りの誇り(その1)

2018年05月26日 06時29分04秒 | Weblog
山の遭難にまつわる話です。中高年の山のクラブで、17~18人のパーティを組んで、山梨県にある山に登りました。季節は冬で、標高は1000m前後の山々です。特に高山でもなく、登るのに難しい山でもありませんが、尾根には雪が付いていましたので、全員登山靴にはアイゼンを装着していました。そして、尾根を一列縦隊で登って行きます。

リーダー格の男性が、地図を読もうと広げた時です。バランスを崩し、雪で足元をすくわれ、瞬く間に谷底に向かって滑落してしまいました。パーティからは、その男性の行方は確認できません。残された人達は、登山の経験が浅い人も、経験を積んだ人もいましたが、即座にリーダーシップをとる人が現れません。

ようやく一人の男性が、自分が探しに行ってもいいとは言ったものの、見るとアイゼンの紐が緩んでいたり歳も取っていたり、とても任せられない状態です。そこに一人の女性が、自分が救出に行くとのことで、急斜面を降りていきます。二重遭難になる危険もありましたが、他の男性が行動に移さないのを見て咄嗟の判断だったのです。

150m下った処でその男性を発見し、大声で尾根にいる人達に、男性二人が降りてくることを要請しました。降りて来た二人が遭難者を抱えることで、その男性には尾根まで自力で歩いてもらいます。尾根に残ったパーティより既に119番に通報がされていて、救助ヘリが到着し、地元の救急病院に搬送することができました。

結局、その男性は肋骨が三本折れていて、その内の一本が肺に刺さっていましたが、命には別条ありませんでした。大掛かりな手術にならずに、緊急処置をして、しばらく入院して退院の運びとなりました。150m下った処で、木の根元に両足で跨るようになって止まったので、それがなければ更に下へ滑落していたかもしれません。

後日談です。「遭難に遭った男性を、意識があるからといって歩かせて良かったのか」の議論が、登山会の中で持ち上がりました。何も行動を起こさず、傍観していた人からの後付けでの意見です。件の女性はその後、専門家などに意見を聞いて自分の行動の検証をしました。ケースバイケース、難しい選択であると認識はしましたが、相談した誰からも、早い救出が奏功したことを評価されたようです。

この女性は私の姉です。中・高女子校時代から、山のクラブである、ワンダーフォーゲル部に所属していました。大学には進まず、わが家で家事手伝いをしていましたが、社会人の女性だけの山のクラブに入ります。結婚してからも山登りは続け、68歳になる現在も、千葉県の地元の中高年の山のクラブに入り、登山は姉のライフワークになりました。

私が大学でワンダーフォーゲル部に、迷わずに入部したのは、この姉の影響です。その経緯は次回にお話することにします。その私の大学のワンダーフォーゲル部のOB・OGの山登りのプランが、5月19日の土曜日に行われました。

春と夏と秋には日帰りの山行、冬にはスキー合宿と、四季を通じてOB・OG達が親睦を深めてきました。19日に行われたのは、春の日帰り山行です。ファミリー向け、一般向け、健脚向けと、2時間から5時間のコースで、11パーティに分かれました。最後はBC(ベースキャンプ)地に全員が集結、参加者は総勢130人になりました。 ~次回に続く~

 BC地にて
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運動は脳によい!?

2018年05月19日 05時12分13秒 | Weblog
運動不足を認識して、朝は車で息子と会社に来て、帰りは私一人でバスや電車を利用して駅を一つ飛ばすなどして、最近は歩くようにしています。往復車で自宅と会社を行き来して、特に外出がなければ、一日数百歩も歩いていないでしょう。

量の程度にもよりますが長年アルコールを飲み続けると、肝臓に支障をきたし、脳も萎縮すると言われます。毎年の健康診断で、肝機能関係の数値が異常ではないことをいいことに、中々休肝日を多く設けることが出来ない私がいます。

年々確実に物忘れは進んで記憶力も低下していることを自認していますが、これが単なる老化によるものなのか、病気の前兆(痴呆症等)なのか判断は難しいところです。そのような中、頭脳と運動との関係を明確に示してくれる本に出合いました。脳にとって運動が良いとの内容で、運動することの必要性を強く感じました。

本のタイトルは“一流の頭脳”、著者はアンダース・ハンセンという人です。スウェーデンのストックホルム出身で、精神科医です。スウェーデンのノーベル生理学・医学賞の選定機関、その世界最高峰の研究機関しか知りえない、秘められた脳のデータを初公開した本でもあります。以下、本の要約です。

私達人類は1万2000年前とほとんど変わっていない。しかし現在の私達と、主に狩猟をしていた1万2000年前の原始人と根本的に違うのは、はるかに動き回っていたこと。つまり私達の原始の身体は動くのに適したつくりになっているのに、生活様式はここ100年前だけを見ても激変し、人間は動かなくなった。脳のつくりも例外ではない。

狩や新しい住みかや環境を探すことによる運動は記憶力や集中力を高めるが、携帯電話やパソコンをして座ってばかりいると、それを新しい体験だと捉えずに、脳がその必要性がないと判断して退化する。脳も身体が動くことで活性化している。

ストレスを解消し、集中力を高め、記憶力が増し、アイデアが湧く、やる気が起き、学力を伸ばせる、そして一流の頭脳を作る。これ等は単に運動するだけで実現化する。その運動は、できればランニングを週3回、45分以上。ウォーキングでもよい。筋力トレーニングも脳によい影響を及ぼすが、持久力系の運動つまり有酸素運動を。

多くの実験結果やデータを示した上での、おおよそ本の論旨はこのようなものです。その運動はハードなものは全く必要ではなく、極論すれば、例えわずかな一歩でも脳のためになるとのことでした。

この運動なら私にもできると確信しました。ただしジョギングは、40年前の足の怪我の後遺症があり、工夫と努力が必要です。ハードなジョギングは、痛みが残るのではないかと無意識に避けてきたのです。

本を読み終わった直後から、早朝30分ほど、ウォーキングと軽いジョギングを織り交ぜての運動をスタートしました。様子をみながら、ジョギングの比率を上げていきたいと思っています。

このブログ上で書くことは、人前でのアファーメーションとなり、途中で止める事が出来なくなりそうです。他人に話す前に自分で試せ、です。いずれにしましても、この本と出合って、理にかなった運動が出来ることを嬉しく感じています。

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物の価値・物の整理

2018年05月12日 09時51分57秒 | Weblog
前回の続きのようになりますが、家内が酒田にある実家を処分することに関する話しです。義母が亡くなって14年間、家内は両親が残した物をほぼ一人で整理してきました。家内が4~5日前に一人で先に実家に行ってその作業をして、私は後から行って1~2泊して、家内と一緒に帰ってくるといった、このようなことが恒例となりました。

処分する物は実家でゴミとして出し、まだ使える物や形見として遺したい物は、私達の自宅に持ち帰ってくる。そのようことを繰り返してきました。今回家を処分するに当たり、私は改めて家の中にある物を全て見て、驚きました。

私から見ればですが、まだ多くの物が残っているではありませんか。一つひとつ丁寧に見たい、両親が大事に残した物を一気に処分するのは忍びない、今まで実家を処分することを考えていなかったから、これからも時間は有る。恐らくこれが家内の思いであり、多くの物が残っているのは、それらを考えると無理もないことです。

最近は“親家片(おやかた)”との言葉まであるそうですが、意味は年を取った親の家の片づけをすることです。インターネットで調べてみると、実際にこれを行うと親子双方に大きなストレスを抱えると書かれています。ある記事には、親家片をする前には3つのポイントがあると言っています。

一つ目は、急に家を片づけられる親としては、自分の死を待っているのではないだろうかと心を閉ざすので、快適な生活を送る為の前向きな作業であることを伝える。二つ目は、例え親子であっても価値観が違うことを理解する。三つ目は、残しておいた物がゴミのように思えたとしてもそれを否定しない。

そして親家片を行うことのメリットとしては、身の回りの物を整理すると家の中も綺麗になり気持もスッキリとして爽快な人生を送れる、また生前に整理をしておけば遺す物がハッキリとして親の意思を家族に伝えることが出来る、等を挙げています。

家内の場合は、この親家片は両親の死後になってしまいました。実家は幸か不幸か、家は物を置けるスペースが多くありました。そして両親の世代は、物を大事にしたい、物を簡単に捨てられない価値観を持った世代です。

義父はカメラが好きで義母との夫婦旅行も頻繁に行っていて、それらの思い出の写真集も含め、百冊以上のアルバムが残っていました。贈答品としてもらった多くの物も殆ど手付かずで、押入れに仕舞ってありました。

今回の3日間の実家滞在で、アルバムからは大切な写真は極力抜き取りました。14年間私達の家に持ち帰った以外、実家に残した物は、解体する際全てを産廃業者に処分を委ねようと割り切りました。

わが家には長年酒田から持ち帰った物と、私達が前から持っている物(現在は使わないが捨てるにはもったいない物・大切に遺そうと思っている物)とが混在しています。

また価値観が違う私達の子供達に、それを整理させるのは酷な話となります。それを考えると、先の事だとの気持を排除して、体が動ける内に、そろそろ物の整理を真剣に考えなくてはなりません。
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家内の決心

2018年05月05日 09時42分26秒 | Weblog
山形県の酒田には車で高速道路を使って、渋滞が無くても約7時間は掛かります。東京から片道520キロほどの距離となります。酒田市の隣は鶴岡市、主に二つの市を併せてこの地域を庄内地方と言い、山形県の内陸地方とはまた異なる文化や風土があります。

庄内は、東に月山・湯殿山・羽黒山からなる山岳修験の聖地出羽三山、南に朝日連峰の奥深い山々、北に出羽富士と称されるこの地のシンボルでもある雄大な鳥海山、西は日本海に面し、四季折々の山の幸・海の幸に恵まれた自然豊かな土地柄です。

このような酒田に家内の実家があります。家内の両親は既に他界し、現在は空き家となっていますが、家の中の換気をしたり遺品の仕分け・整理をしたり、酒田に両親のお墓もあり、年に最低一回は私も家内と一緒に行くことにしています。

その酒田に連休の前半を利用して行ってきました。しかし今回は従来と違って、実家を売却すべく、地元の不動産会社と打ち合わせをする目的がありました。義父が先に逝き、続いて14年前に義母が亡くなって、その直後は家内も家をずっと残すつもりで、実家に寝泊りして遺品などを整理していました。築50年を迎えている家は老朽化が進み、掃除だけで初日時間を費やされ、4年ほど前から宿泊は近くのホテルとなりました。

家内の実家に同行する私の一つの楽しみは、庄内の歴史や文化や風土に触れる事です。江戸時代、北前船の交易によって「西の堺、東の酒田」といわれるほど繁栄を極めた湊町酒田です。酒田からは米、内陸から京友禅に欠かせない紅花などが上方向けに運ばれ、これによって酒田の商人は多大な富を築きます。日本一の大地主で豪商「本間家」、廻船問屋「旧鐙(あぶみ)屋」、今でも米蔵として使われている「山居(さんきょ)倉庫」、これ等の建物は往時の文化や栄華を今日に伝えています。

また酒田は、日本の原風景が残る地域でもあり、映画やドラマのロケ地として注目を集めています。NHK連続テレビ小説の『おしん』や、アカデミー賞外国語映画賞や日本アカデミー賞最優秀作品賞などを受賞した『おくりびと』は、酒田が舞台となりました。

一方お隣の鶴岡市、江戸時代は出羽国田川郡であり、譜代庄内藩がおかれた処でした。現在の山形県の大半を領有していた最上氏が1622年に改易され、信濃国松代藩の藩主酒井忠勝が13万8000石余で入部し、庄内藩が成立し、その後明治維新まで酒井氏12代が続きました。
今年のNHK大河ドラマは『西郷どん』です。明治元年9月、庄内藩は戊辰戦争で新政府軍に降伏します。しかし、3日間駐留した官軍約1万5千と庄内藩士との間で小競り合いは皆無でした。これは西郷隆盛の計らいで処罰が寛大だったお陰によります。後にこれを知った酒井忠篤藩主らは薩摩に行って西郷に学び、西郷の死後遺訓に心酔した元庄内藩士が、あの「南州翁遺訓」の書をまとめます。西郷どんと庄内はそのような関係にあります。

家内の話に戻ります。家内の父方の先祖は酒田の商家で、家内の母方の先祖は鶴岡の武家です。結婚した当初、同じ庄内でも気質も言葉遣いも違うので戸惑ったと、義母は語っていました。酒田と鶴岡の距離は30キロ弱、車で40分も掛かりませんが、特質は違います。

「私が処分を決心しなければ、子供たちはもっと出来ないので、委ねるのは酷かもしれない」。想い出が沢山ある実家を、ようやく処分する気持になったのは、時間の経過がそうさせ、歳を取ってその先を考えたからかもしれません。

山居倉庫
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