梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

見ています

2008年03月30日 08時52分22秒 | Weblog
この1~2週間で、梶さんのブログ見ていますよと意外な人から言われました。


10年前わが社の神奈川県にある取引先で、ナンバーツーでしたが、そこを辞め独立された方がいます。最近わが社に引合いを頂いていますが、わが社で得意な鋼材ではないので取引に至っていません。先日久しぶりにその方と電話で話しをしましたが、「ブログ見てます。あれ以来ブランクはありますが、梶さんの会社を私は身近に感じていますよ」と仰って頂きました。


東京鉄鋼販売業連合会の勉強会の後の懇親会の席で、たまたま隣に座った女性と初対面でしたので名刺を交換しました。名刺には業界では珍しく社長室秘書広報と書かれていましたが、開口一番「社長のブログ拝見しています」。若くてしっかりした女性からいきなりそんなことを言われ、私は舞い上がってしまいましたが、話しの糸口は出来ました。


3月を以って私は、3年半席を置いたある会を退会しました。この会は週報を発行していて、この1年間はその会報の仕事をさせて頂きました。実際は事務局の女性がいてその方が原稿を作成し、私は校正位の仕事で、その方には逆にお世話になりました。最後に挨拶した折「これからも梶さんのブログ見せてもらいます」、見ていてくれたなんで知りませんでした。


ブログは発信者からの一方通行で、見ていると言われない限り、私からは誰が見てくれているのか分かりません。

特に初対面の方が見て下さっていると、私の考えや思いはその方は大よそ見当が付くのでしょうが、私はその方を知りません。計らずしもギャップが生じてしまいます。

しかし、意外な人から見ていますと言われるほど励みになるものはありません。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

社員に伝える

2008年03月23日 10時40分22秒 | Weblog
先日参加した勉強会で、ドイツの心理学者エビングハウスが行った長期記憶の忘却について実験した、忘却曲線(人間の記憶は指数関数的に減少する)と言うのを知りました。

一時間後、一日後、一ヵ月後に人はどれ位忘れるかと言うと、なんとそれぞれ56%、74%、79%だとのことです。ですから人は聞いた話しは、すでに一時間後は6割忘れることになります。

記憶して一日経つと急激に忘れるが、逆にその後はゆるやかに忘れていくと言う結論が導かれ、これを踏まえると一定時間に再学習を重ねると失われる記憶量はかなり減らすことが出来ることになります。

この様にそもそも人は忘れる・覚えてないとの前提に立つと、例えばトップの思いや考えを社員に伝えるのであれば、解りやすく(たくさん話さず)、繰り返し言い続ける必要がありそうです。

わが社には経営方針があります。それを明文化した経営計画書もあります。事業所によって違いますが、月に一度か二度の会議の時や昼礼(最近パート社員の方も参加出来るよう朝礼を切替えました)の時、それを読み上げています。

20頁ほどの内容ですので、2~3頁ずつ、前もって順番を決め持回りで読んでもらいます。その後その人に、その項目の方針について意見を言ってもらいます。折角立てた方針の言いっ放し・やりっ放しを、なんとか避けたいと何年か前から行っています。

前出の忘却曲線の論理からすると、これはトップの思いや考えを繰り返し言い続けることになり、効果があったのかもしれません。

トップの思いや考えを伝えるのは方針書に限ったことでもありません。これは一つの取り組みだと思います。

職場で、一対一で、社員の意見も聴かせてもらい、その上で自分の思いを話す、そんな方法もまだまだあるかもしれません。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旧友と再会

2008年03月16日 07時18分31秒 | Weblog
“昨年一年をかけて、茅葺の母屋と裏の蔵群を改修・整備してまいりました。今春には会員制多目的施設としてオープンさせたいと準備をしております。もしお時間がございましたら是非一度お越しください”

小田原市に住む高校・大学時代の同期の彼から、蔵をリニューアルした写真入の、こんな内容の年賀状が今年届きました。

彼とは社会人に成って一度だけ会い、以来30年会っていませんでしたが、年賀状だけは毎年欠かさずやり取りをしていました。統廃合が続く大手都市銀行を、6年前に退職して実家に戻ったことは知っていました。

看板(写真)の最初のくだりは、『岩瀬邸は、安政4~5年(1857~1858)に建築された建物で、戦後三越の社長として長年財界で活躍した岩瀬英一郎の生家です。この建物は、幕末から明治期の豪農の形態をいまだに残している貴重な茅葺農家造りで、力強い重厚感を持ちながらも、控えめで上品な静かさを感じる建物です』と書かれてました。
 
長い黒塗りの塀をたどり立派な門の前に立つと、こんな看板が目に飛び込んで来ました。英一郎とは彼の祖父でしょう。実家は、小田原市教育委員会の市ゆかりの優れた建造物に指定されているようでした。彼ってこんな人だったんだ。昨日、彼の家を訪れたときの驚きです。

お互いに歳は取り違う道を歩いて来ましたが、30年の歳月は話しているうちに急速に縮まりました。二時間はあっという間に過ぎました。

彼は現在実家の不動産管理の仕事を中心にしていますが、このところやっと自分の方向性を見出したようです。岩瀬家を背負いながらも、母屋と蔵を大改築して新しいことに挑戦する、彼にとっても大きな決断だったように思います。

共通の友人も交え、東京でまた再会することを約束し帰路に着きました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苦難を活かし

2008年03月09日 08時22分41秒 | Weblog
「月の商いが300万円の時、700万円の引っ掛かりが発生してしまいました」「親父の起こしたスクラップ業を鋼材販売業に転換させたものの、18歳の時から一人で始めた商売は、約10年間は苦労の連続で地獄を見ました」

慎重に言葉を選びながら、雄弁ではありませんがとても説得力ある話し方をされる社長の体験談に、我々二人は聞き入ってしまいました。

去年の暮業界団体の集まりで、互いに取引も無く面識も薄かった三名が意気投合し、その一社に二人(私ともう一人)が会社訪問する約束をしていました。その約束を先週果たしました。

何故二人が興味を持ったかと言いますと、その会社はおおよそ鋼板加工で出来ない加工はない、またあらゆる鋼種の加工を手掛けていると言うのです。

「引っ掛からない商売をしよう、名刺を配らない商売をしよう」と自分に誓ったそうです。なぜならば売り込みに行けば既存がやっている価格よりも安くやらない限り新規では入れない。一方お客様から引き合いが来た商談は、こちらのペースで条件が提示出来ると言うのです。

「鋼材を無理に売らない、お客様が現在困っているものを上手く引き出す、これが商売」と考えを変えたそうです。その結果他社が出来ない加工や無理な納期の仕事が徐々に舞い込み、人の真似をしない信念を貫き、必死の努力で取り込んで行ったそうです。

お客様の口コミも多く、現在では約400社が販売先としてあり、その業種はまちまちで景気の波もあまり無いとのこと。10台のトラックのルート配送網があり、社内の受注体制も手厚く、きめ細かなデリバリーと納期対応は他社の追随を許しません。

「あの辛かった10年が無ければ今日のわが社はないでしょう」「子供三人には小さい頃から商売の話をしてました」「娘が二年前から手伝ってくれて、長男は今商社で特殊鋼を扱っていますが会社は継いでくれそうです」社長の嬉しそうな笑顔が強く残りました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

使命感

2008年03月02日 09時47分13秒 | Weblog
先日ある会合の二次会で、とある小岩の地味なスナックに行きました。そこで老夫婦に出会いました。なんと83歳の女性は小児科の、87歳の男性は内科の現役のお医者さんでした。

3人の子供はもとより、孫が6人か7人いて、1人を除き全員が医者だと言うのです。自作の夫婦の歌、それもCDに入っているカラオケで、二人で仲良く唄って帰って行きました。現役バリバリで張切っている、若者には無い何かさわやかな格好よさを感じました。

なぜ自分は生きているのか? 自分は一体何者か? いきなり大きなテーマで、普段あまりこんなこと考える時間は皆さんも無いと思いますが、ちょっと聞いた話しを披露します。

動物の世界では子供を産めなくなった雌の寿命はそんなに長くないが、人間の女性は30年も40年も生きるのは何故か、そんな研究をした人がいて、それはお婆ちゃんになるからだと唱えています。

それは孫に純粋な愛情を注ぐ、孫をあまやかす役割があると言うのです。物欲的なあまやかしはマイナスだけれど、しっかりあまやかされて育った孫は人を人と思う心が育まれ、大成する確立が高いと言うのです。

一方お爺ちゃんの役割は何かと言うと、一言で表すと威厳だと言うのです。最後まで仕事に打ち込んいるとか、何かを極め学んでいるとか、そんな姿を孫や子に見せろと言うのです。それが人間の生き方として大きな影響を与えるのだと説いています。

そんなお年寄りにもそれぞれの使命感があるとしたら、私たちもそこから学ぶものがありそうです。漠然と65歳以降は少しゆっくりした人生を、と考えていた私の将来も色々考えてみる必要もあるのかもしれません。

単に寿命で生きているのではなく使命を持って生きている、くだんの老夫婦はそれを実践しているように思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする