梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

諸説あり!?

2016年09月24日 10時44分31秒 | Weblog
NHK大河ドラマ“真田丸”を、毎週欠かさず観ています。この脚本を書いている三谷幸喜さんの描き方は、とても奇抜で面白味があり、あの天下分け目の戦いである関ヶ原の合戦の場面は、数分で終わってしまいました。

その関ヶ原では、東軍の勝利となります。直前の、所謂第二次上田城の戦いで昌幸と信繁(幸村)は、実質的には徳川秀忠を敗北に陥れたにもかかわらず、石田三成の西軍についた真田親子は、徳川に降伏します。

一方東軍についた信繁の兄信幸は、家康へ必死の助命嘆願をします。そして二人は死罪を免れ、高野山への流罪と決まります。信幸が父と弟に対して、「高野山が女人禁制ゆえ、麓の九度山に屋敷を建てました」との台詞が入り、9月18日に放映された内容では、その九度山村に直接入るシーンで終わりました。

この場面を観て、私は疑問を感じました。実は今年一月に、“二ヶ所の和歌山”と題してアップしたブログに、「真田昌幸・幸村の父子は初め高野山の蓮華定院に入りますが、寒さの厳しい高野山から20kmほど離れた麓の九度山に居を構えることを許されます」と、書いていたからです。

もう一度インターネットなどで調べてみました。「室町時代の1523年に、長野の小県・佐久地方の豪族と宿坊契約が結ばれたと言う記録がある。その縁で、海野家の一族でもある真田昌幸は蟄居の際この蓮華定院に滞在した」との記事があり、他に調べた範囲では、九度山に直に入った記述は出て来ませんでした。

複数の記述から、幸村の正室や侍女達は、やはり高野山は女人禁制の為に九度山に始めから住みつき、真田親子は蓮華定院に滞在したのはそれほど長くなく、二人は許可を得て後に山を降りることになった、とこのようなことが再確認出来ました。因みに、その蓮華定院は現在も宿坊として存在しています。

調べれば調べるほど、「諸説あり」の世界に入って行きます。父昌幸は九度山11年目にして、死を迎えます。幸村自身も大阪冬の陣の出陣まで14年間そこで蟄居生活をしたこととなり、過ごし方にしても諸説は当然あると思われます。

大河ドラマ“真田丸”は歴史検証番組ではありませんので、あくまでもドラマなので、三谷幸喜さんの簡潔な描き方に、私はなんら異論ありません。むしろ毎回の斬新さやユーモアに、私は惹かれてしまいます。

溢れているインターネット上の記述の真偽も、見定める必要があります。もっと根本的な問題は、「歴史は勝者によって書き換えられる」との言葉もあります。常にその視点で観ることが大事に思います。
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一人での外食

2016年09月17日 06時14分37秒 | Weblog
先日外で、一人だけで食事をしました。ある集まりがあり、終わって既に夜の9時近くです。電車で家に帰ると10時を回るので、家には外食してくることは伝えてありました。お腹も空いていて、特にお店を選ぶこともなく、目に入ったその居酒屋に飛び込みました。

お刺身、串焼き、餃子など注文しました。私は小食なので量が多いのは苦手です。それにしても、値段にしては、お刺身の量が少ないです。一番がっかりしたのは、どの料理も味は今一でした。餃子は少し形がくずれ、わざわざ美味しくなく焼き上げていました。

週初めで時間も遅いので店内は閑散としていましたが、それでも何組かは居ました。仕切りがあって隣のお客さんの顔は見えませんが、でも聞こえてくる話は下品な話ばかりです。聞こうともしていませんが、一人の私にはそんな会話が耳に入って来ます。

お客さんが店を選ぶ基準とすると、味、値段、お店の接客や雰囲気などでしょう。店員さんの対応は可もなく不可もなく、です。ビジネス街のど真ん中にあるので、流行っている時間帯もあるのでしょうが、私は再びこのお店に行きたいという魅力は感じませんでした。

やはり一人で、新幹線に乗って車内で食事をする時の話しです。例えば大阪から東京に帰る時、夕方になり食事をするなら、所要時間もたっぷりあり、お弁当を買って車内で食べてもいいでしょう。しかし最近私は、乗る前にほぼ食事をしてしまいます。

前にお伝えしましたが、私は新幹線の席を予約する際は、3人掛けの通路側、つまりC席を確保します。混雑してなければ、隣のB席が大体空いているからです。その分ゆったりと座れます。その席で、お酒でも買ってお弁当を食べてもいいのです。

車内でお弁当を広げなくなった理由です。私の食べる時間は遅く、他人の3倍位掛かります。良く噛んで味わって、お酒と共に食事を楽しむことをモットーとしているからです。すると自意識過剰かもしれませんが、A席の人がそわそわし出すのを感じてしまうのです。

食欲は人間の本能ですから、お腹が空いてようが空いてなかろうが、隣で食事をだらだら食べていれば気になるはずです。従って、新幹線に乗る前に少なめの食事を済ませ、後は缶ビールとつまみを買って、静かに余韻を楽しむことにしています。

外で一人だけで食事をすると、見えて来るものがあります。複数で食事をすると隣の人達は気にならず、関心もそこへは向かいません。一人で食事をする時は、人間を観察する良い機会だと思っています。

新幹線の席には仕切りがありません。居酒屋に仕切りがある席があると、安心して、大勢が酒の勢いで、隣の人に迷惑を掛けているかもしれません。では、私自身大勢で食事をする時どうなのか。“人の振り見て我が振り直せ”これを忘れないようにします。
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再会と変遷

2016年09月10日 09時31分47秒 | Weblog
わが社で在庫して素材のまま販売する鋼板にしても、自社で溶断加工する鋼板にしても、仕入先の鉄鋼メーカーは複数に及び、その高炉メーカーと電炉メーカーとのお取引もそれぞれに長い歴史があり、また扱い量なども変遷がありました。

わが社は直接そのメーカーからは仕入れることは出来ませんので、メーカーとわが社の間には、所謂商社が介在することとなります。基本的には商社が全て窓口となるのですが、メーカーの営業の方とは、直接情報交換をしたり商談したりすることもあります。

最近、その何社かのメーカーの担当の方が、わが社を訪ねて来られます。通常の話しであれば、わが社の営業を統括している常務が対応いたしますが、特に今回は私の都合に合わせて訪問日を設定されました。

現在鉄鋼メーカーは販売価格の値上げを打ち出しています。原料である鉄鉱石や石炭の輸入価格が高騰しているので、製品に転嫁をせざるを得ないとの理由です。しかし国内鉄鋼需要は、東京五輪の特需がいずれ波及して仕事は出て来るとはいうものの、足元は一向に勢いが無く、我々流通はその値上げを簡単に受け入れることに抵抗があります。

担当者の方々とお会いして、そのような値上げの話が出て来ると思いきや、そうではありませんでした。今回訪問されたメーカーの営業の方は、以前厚板部隊に所属していて、暫く違うセクションに移っていて、久しぶりに厚板に戻って来られた方が、たまたま二社あり、それぞれ懐かしさもあって訪ねてくました。

過去の話しで盛り上がりました。当時厚板のマーケットは健全で、我々の二次問屋の店売りの商いも現在よりはるかに活況を呈していました。メーカーから仕入れられれば、それなりに売れた時代でした。しかし現在、わが社の素材の販売量はその頃からすると激減しています。

話しが更に進んで行く中で、昔の店売りの数量を復活したいとの、担当者の想いが伝わってきました。メーカーにしてみても、今後の輸出については数量減の懸念を持っていて、国内販売を建て直したい意向が根底にあるようでした。

わが社にしても過去の素材販売の数字は復活したい想いはありますが、厚板店売りのマーケット自体が縮小変化した昨今、その流れに抗うことは出来ません。そしてわが社自体がこれから目指していく方向は、鋼板加工が基軸となり、よりユーザーに接近することが最大の課題となります。

説明を尽くし、メーカーの担当者の方には、過去と現在のわが社の変化をお伝えしました。量的には過去の数量は買えない、わが社は量ではなく質を追求していきたいとの会社の方針を話す中で、取りも直さずわが社が変ったのだとの再認識をしています。
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富士火力演習

2016年09月03日 05時25分45秒 | Weblog
陸上自衛隊による国内最大規模の実弾射撃訓練『富士総合火力演習』が28日、東富士演習場で一般公開されました。敵部隊が占拠した日本の離島を奪還するため、陸海空自衛隊が統合作戦を行うとの想定の下で隊員約2,400名が参加して、入場者数は約27,000人にものぼったとのことです。

その前日の27日内容は全く同じで、主に自衛隊関係者を入場対象とした演習が行われましたが、幸いにも私はそれを観覧することが出来ました。午前10時から始まる演習場に、御殿場駅からシャトルバスに乗って一時間前に到着し、遂に胸高鳴る演習のスタートです。

前段演習では、陸上自衛隊の火力を主要装備ごとに遠距離火力、中距離火力、近距離火力、ヘリコプター火力、対空火力及び戦車火力の実弾演習です。後段演習は、統合運用による「島嶼部における攻撃への対応」として重要な三段階である、「部隊配置」「機動展開」「奪回」」の作戦が展開されました。

目の前で繰り広げられているのは、正に戦場のシーンです。過去の演習を何回か動画で見た事がありますが、迫力は雲泥の差です。爆音や爆風といった、衝撃波が体に突き刺さるようでした。表現としては、五感や全身で否応なしに感じた、としか言いようがありません。
    

会社においても、規律とか訓練は必要です。しかし、今回の演習を観て自衛隊の規律や訓練は質が違うと、衝撃を覚えました。その違いは「命が懸かっている」か、です。いざ本番であれば、命をも落とす危険があり、その想定の下で自衛隊員は演習を行なっていると感じました。

当日は朝からどんよりした曇り空でしたが、11時に終わった前段まで雨は降ることはありませんでした。休憩を挟んで11時20分から始まった後段の途中から、雨が降り出しました。演習が終わった頃には、大降りの雨に変りました。

後段未だ雨は降っていない時です、私の直ぐ傍にいた警護をしている一人の自衛官が、にわかに雨具を装着しました。何とその3分位後に雨が降り出したのです。絶妙なタイミングに感心しましたが、その自衛官は何かを見てまた感じて判断したのだと、私は頭を切り替えました。

自衛隊員は常に実習の訓練をしています。その訓練は、認知、判断、操作であると聞いたことがあります。恐らく、これが即座に一気通貫になるまで訓練を繰り返しているのでしょう。認知不足、判断ミスによっては、戦場では命取りになりかねません。

自衛隊の実弾射撃訓練をこの目で観て、日本の国防とは何かを考える良い機会にもなりました。
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