梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

若さの保持(その1)

2019年07月27日 05時47分06秒 | Weblog
わが国の65歳以上の所謂「高齢者」は、総務省統計局の調べ(平成28年9月現在)では、3461万人となり総人口に占める割合は27.3%と、共に過去最高になったとのこと。また平成27年の高齢者の就業者数は12年連続で増加し、730万人と過去最多となっているとのこと。高齢者割合も高齢者就業者数も、共に主要国では最高です。

この数字を見て、日本の高齢者の人口が増え続け、高齢者でも仕事に就いている人が年々増加していると改めて認識しています。高齢者にとって、病気にならずに健康で何か仕事をしたいと思うのは当然のこととなり、若さを如何に保つかが最大の関心事となっているのは明らかです。

若さを保つには、食事・運動・睡眠に留意しメンタル面も管理する、などが浮かびます。私は既に高齢者に達しています。家内は私と同じ歳ですが、家内はこのところ目や耳などに違和感や不調を訴えて病院通いをしています。今私は医者の世話にはなっていませんが、若さを保持する秘策や秘訣があるのなら知りたいところです。

たまたま新聞で雑誌の広告が目に止まり、買い求めたのが、雑誌プレジデント8月号“20歳若くなる最強メソッド『若返り入門』”です。「誰でも変身!頭が良くなる、モテる、死ぬまで現役の秘訣」「ふつうの人とどこが違う?経営者トップ120人私生活調査〔なぜ、そんなに元気なのか〕」。冒頭からそのようなタイトルの記事が並びます。

「老ける・老けないは、日々の生活習慣で決るという。では老けないためには、どんな習慣が効果的なのか、食事、運動、睡眠、目・耳トレ、性生活・・・、を徹底取材した」。このような、20歳若返る名医のアンチエイジング法をまとめた記事が続きます。

若さを保つ為に私が考えていた項目について、重なるものはありましたが、どのようにすべきかは、考えさせられるところがありました。今回この雑誌の特集を読んで、新たに得た知識や興味を持った内容について、少し紹介したいと思います。

「脳科学の世界では知能を、経験とは無関係な『流動性知能』と経験を積むほど高まる『結晶性知能』とに、大きく分ける。前者は計算力、暗記力、思考力、集中力など、後者は言語的知性とされ過去の得た知識や経験がベースになる。例えば語彙力は後者で、67歳がピーク。これは平均値であって日頃から文章を書いたり読んだりしていれば70歳を過ぎても上昇する」。とあり、70歳でも知能は伸びるのだと知りました。

「血圧や肝臓など健康診断の数値には一喜一憂する一方、歯のケアに関してはあまり気を使わない人が少なくない。だが、口の中から発生する歯周病菌が血管に侵入して全身を巡り、脳や心臓や血管などに重大な病気を引き起こす可能性が高い。痛みを伴うむし歯と違い、歯周病は初期段階では自覚することは困難。長生きしたいなら医者より歯医者を大切に」。とあり、歯のケアをサボると命に関わることが分かりました。

記事の中でもとりわけ私が興味を持ったのは、櫻井秀勲(ひでのり)という方が書いた文章です。この方は、31歳の若さで女性誌「女性自身」の編集長に抜擢され、100万部発行の人気週刊誌に育て上げた人です。女性誌キャリア30年のノウハウの蓄積を理論化した著書や講演には定評があり、運命論や宗教に関する造詣も深い方です。

「男女を問わず、幾つになっても異性との付き合いは大切です。自分とは違った視点に触れることができ、知らなかった情報を得ることができるから。それがないと思考の柔軟性が失われ、若々しさを保つことができなくなる」。その方の文章の書き出しです。

櫻井氏の記事のタイトルは「88歳『恋愛の神様』の長生きの秘訣」です。そうなのですこの方は88歳で、写真が掲載されていましたが、とてもそのようなお歳に見えません。ご自身でも体力が有りあまっていると感じていて、今年だけで単行本を6冊書く予定だそうです。

「体力温存は逆効果、惜しみなく、恋愛でもすべし」と書いてあります。先ほどの「70歳でも知能は伸びる」どころではありません。櫻井氏は7年前80歳になってから、企業して出版社を立ち上げました。自らアンチエイジングを実践されている櫻井氏をもっと知りたくなり、その方の著書を買い求めました。  ~次回に続く~


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無くせなければ

2019年07月20日 09時30分36秒 | Weblog
現場における労働災害は一瞬にして起こります。ちょっとしたミスでも、悪条件が重なれば大怪我や生死までも分けます。事務所でのミスは起こしてもよい、には繋がりませんが、身体的災害には至りません。従いまして企業としても、現場での労働災害は日頃から発生を回避する努力は怠れません。

わが社の仕入先の鉄鋼商社が、その得意先を集めて講習会と懇親会を行なっています。毎年一回行なっていて今年は四回目となりますが、先週わが社の本部長と一緒に参加しました。鉄鋼商社側で、我々鉄鋼流通業に相応しい講義を都度用意してくれますが、今回は“安全配慮義務とヒューマンエラー”とのテーマの講習がありました。

その講師は、中央労働災害防止協会の方でした。この団体は、事業主の自主的な労災防止活動を促進し、企業の安全衛生の向上を図る目的で、労災防止団体法に基き昭和39年に設立された厚生労働省の所轄する特別民間法人です。

「電動カッターのチェーンにより手の指が第一関節から三本切断されている」写真。「鋼材が落下して足のかかとからざっくり割れて骨が見えている」写真。冒頭より講師の方は、配られたパンフレットのこの二つの写真を、私達に見ることを促しました。このような写真を掲載してもいいのかと思われるほど、生々しい写真です。以下は講義内容です。

労働災害の発生で問われる企業の責任です。社会的責任(企業の信用低下・存在基盤の喪失)、刑事責任(労働安全衛生法違反・業務上過失致死傷罪)、行政処分(作業・使用停止、指名停止等)、補償責任(労基法・労災法による補償)、民事責任(安全配慮義務違反による損害賠償)。

何故起こるか災害発生のしくみです。物的原因と人的原因、この二つが重なり約90%の労災が発生する。物的原因とは、作業方法・物の置き方・作業場所・防護装置の欠陥、等の『不安全な状態』です。人的原因とは、誤った動作・危険場所への接近・機械装置の点検・修理の不履行、等の『不安全な行動』。

この不安全行動とはヒューマンエラーです。知識・技量の不足や身体能力の限界、思い違い・勘違いの偏見を生む能力の特徴、等はヒューマンエラーが起こる主な要因。ヒューマンエラーは無くせない。しかしその発生は減らすことは出来るし、ヒューマンエラーが起こっても事故や災害に繋がらない為の工夫や設備対策の充実が必要。

以上の内容が印象に残り、45分程の講義が終わりました。安全配慮義務をないがしろにすれば、当然のことながら企業の責任は問われます。企業の安全配慮や保持はコストではなく、企業が存続する為の投資と考えて下さいと、講師は話されました。

この講義を受けて、わが社の大いなる反省があります。過去現場で労災が発生して、一時期は安全衛生の意識は高まりましたが、その後大きな怪我も無かったことから、現場の危険管理の継続を怠っていました。今回を契機に、危機管理の体制を見直します。

因みに中央労働災害防止協会では、個別の企業を支援する事業を実施しています。安全衛生の専門家が職場に出向き、労働現場や作業の問題点を明らかにして改善のアドバイスを行います。労働者が100人未満であれば無料とのことです。わが社の本部長に、個別支援を受けるかどうか判断を一任しています。

その講義の最後で、30秒間で“お”という字を間違いなく出来るだけ多く書いて下さいとの課題が出されました。実際やってみて何個も書き続けると、途中で“お”という文字がこれでいいのかと一瞬迷いました。終わった後で、何個書けたかは別として、間違いなく“お”を書き続けられた人はどれ位いますか、挙手をして下さいと声が掛かりました。

この例で分かるように、上司が口頭で「事故を起こすな、ミスを犯すな」と幾ら言っても間違いは起こします。「ヒューマンエラーは無くせない」と、講師が伝えたかった本質です。その前提に立った上で、しかしその発生は減らすことは可能、ヒューマンエラーが起こっても事故や災害に繋がらない工夫や対策の必要性を、改めて感じました。



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不滅の法灯

2019年07月13日 09時32分34秒 | Weblog
比叡山延暦寺の根本中道には、不滅の法灯があります。西暦788年に天台宗を開かれた最澄が、この根本中道の前身である一条止観院を建立した時に、本尊の薬師瑠璃光如来の宝前に灯明をかかげて以来、消えることなく輝き続けている尊火です。

最澄は、“明らけく後の 仏の御世までも 光りつたへよ 法のともしび”と、詠まれました。「仏の光であり法華経の教えを表すこの光を、末法の世を乗り越えて弥勒如来がお出ましになるまで消えることなくこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らすように」との、願いを込めたと伝えられます。

7月7日、京都の宇治にある心華寺(しんげじ)に行ってまいりました。当日、『不滅の法灯ご分灯20周年記念法要』が行なわれ、それに参列するためです。比叡山の尊火が、心華寺に20年前に分灯されたのです。毎月一回1泊2日で行なわれる勉強会に私は10年ほど参加していますが、このお寺がその勉強会の会場になっていて、住職はそのスクールの理事長です。

住職の和尚様は山形県の出身で、比叡山に19歳で入山され10年間の修行を積みます。下山され縁があり心華寺の住職となりますが、ゼロからのスタートを決意し、一週間に渡る断食・断水の修行を12年間、50日間毎日33kmの徒歩懺悔行を6年間続けられました。

当日は、その和尚様からご分灯された蝋燭の灯りを、数名の檀家代表に繋げ、更にその方達を介して会場に居た約350人に灯りが行き渡り、真っ暗な会場は光の海となりました。1200年以上前の空海が点した灯りが、時空を超えて、今私の目の前にあるのだと思うと不思議な感じに誘われました。

会場で分灯のリーディングをされていたのは、スクールの学長です。灯りをそれぞれの手で消すに際し、「目の前の灯りは見えなくなりますが、その灯りを消すことなく、心にしっかりと留めて下さい」との誘導です。それは心華寺の名前の由来「心に華を咲かそう」でもあり、和尚様が提唱されている最澄の教え「一隅を照らす(今あなたがいるその場所でベストを尽くす)」にも通じます。

比叡山からの分灯は、簡単に許されるものではありません。全国でも数箇所のみです。その中に山形県の通称山寺「立石寺」があります。長い歴史の中で、1571年に織田信長による比叡山焼き討ちがありましたが、それ以前に立石寺に分灯されており断火を逃れます。江戸時代になり比叡山の再興に伴い、分灯の明かりも無事に戻されたと言います。現代風にいえば、万一に備える、リスク分散だったのかもしれません。

現在も比叡山では菜種油を燃料にして、灯芯が浸り、火が点るという原始的な構造の灯篭内で燃え続けています。毎日朝夕の2回、菜種油を絶やさないように僧侶が注ぎ足し続けています。気を抜くと燃料が断たれて火が消えることから、「油断」の語源になったとも言われています。

「心華寺に不滅の法灯を分灯する理由はない、しかし分灯しない理由もない」という、当時の延暦寺執行大僧正による摩訶不思議な英断により、奇跡の分灯となりました。心華寺も比叡山と同じように、毎日人の手によってその灯は点され続けています。

ジャーナリスト池上彰氏の新聞のコラムには、「機会費用」なる言葉が使われていました。一つの選択は、他の可能性(利益)を諦めていることになるとの説明です。選択には、得るものと失うものがあるとの意味のようです。だから選択したものを活かしなさいと。

心華寺の分灯の選択は、灯りを絶やさない努力は大変なものがあります。普段当たり前のように行うこと、日常生活に溶け込んでいること、慣れていることだからこそ気を引き締めて行ないなさい。その選択はそのような解釈が出来ます。

幻想的な光の海
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試されている

2019年07月06日 09時34分10秒 | Weblog
中小企業向けに投資育成をしている会社の営業担当が、わが社に来社されました。そことの取引はありませんが、以前訪問された方の後任とのことで挨拶に来られました。わが社の業態や取り組みなど、担当者は熱心に私の話を聴いてくれました。その会社はコンサルテーション事業も手掛け、社員育成・研修もされているとのことでした。

翌日先方より訪問御礼のメールが届きました。わが社の取り組みは、私が師事している先生の指導によるところが大です。その会社が社員育成・研修をされているのならば何か役に立たないか、と返信のメールの中で、その勉強会(夕方の時間帯)の詳細も伝えしお誘いをしました。

お誘いした5月は、その方にとって期近に迫っていたこともあり、次回の6月の会には参加したいとの返答を受けました。そして6月の勉強会開催の2日前に私の方から確認をしますと、「自分からお断りをしなくてはならないところ、他の企業の総会なども重なっていて、参加できなくて申し訳ありません」との、その方の返答でした。

本人からしたら「ついうっかり忘れていた」ということもあるでしょう。一方相手からしたら「じっと対応を待っていた、様子を見ていた」とのこともあり得ます。最初から疑うことはよくありませんが、相手は試している場合もあり、試されているとなればその怖さはあります。

韓非(紀元前200年代)は中国戦国時代の思想家であり、その韓非が著したのが“韓非子”です。「人を信ずれば人に制せられる」との言葉に代表されるように、徹底した人間不信の立場に立ち、その上で理想的な法律や統治について説いた書であり、ゆえに「非情の書」とも呼ばれています。

秦の始皇帝はこの書を高く評価して厳しい法律による国家運営を実現し、三国時代の蜀の参謀・諸葛孔明が劉備の後継となる幼帝の座右の書に指定したほどの重要古典です。またこの書は、いかに国を治めるべきか、君主はいかにあるべきか、どのように臣下を掌握すべきか、といった点が論じられていますので、経営者の必読書ともいわれる所以です。

その韓非子の中で“内儲説”があります。トップの心構えや統治に関して説かれていて、その統治術「七術」が記されています。一から四までの術は、臣下の言動を検証し不一致がないかの判断、必罰、信賞、情報は自分の耳で判断し臣下の伝聞に頼らない、このようなことが書かれています。

五つから七つです。「疑詔詭使す」不可解な命令を与え臣下を動揺させそれを試す、「智を挟(さしはさ)みて問う」知らないふりをして質問し相手の知識や考えを観察する、「言を倒(さかさ)にし事を反す」思っていることの逆のことを言って相手の反応を見る。

一から四までは常識の範疇かもしれませんが、五から七は恐ろしいものがあります。韓非は孔子の弟子でありながら、性悪説を唱えた荀子に師事し、戦国時代の弱小国韓にあって祖国が滅びゆくのを見据えた人物です。組織を保持するための徹底した方策を探究したのです。しかし、あまりにも本音を貫く姿勢が恐れられ、始皇帝の側近にそねまれ刑死させられます。

私は、人をあざむいてまで試すようなことはしたくありませんが、人を冷静に観察することは必要だと思います。待ち合わせの時間に来ない、書類が期限に提出されない、自らやると言ったことをやらない。これら、本人はそれほど重要ではないと考えていても、周りに試されている側面があります。

件の営業担当者ですが、私としては事前に連絡が入れば問題はありません。こちらから確認をされてお断りをしてしまうと、恐らくその方は、次回のわが社の訪問は敷居が高くなってしまうことでしょう。私は全てを受け入れようと思いますが、最近は少しひねくれ思考も持ち合わせてしまっています。
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