梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

介護職研修と介護崩壊!?(その2)

2024年03月30日 05時52分24秒 | Weblog
15回の介護職員初任者研修も後2回となりましたが、総仕上げとしての実技検定やペーパー試験が残っています。私の不得意な実技検定が、明日あります。今回と次回は、研修の生徒側と教師側の観点、生徒間の繋がり、受講内容を通し感じたこと考えたこと、など書いてみたいと思います。何故実技が苦手なのかも説明します。

先ず初めにお伝えしたいのは、この初任者研修は、高齢者介護に就く人も障害者介護に就く人も一緒に受けます。関連する制度や福祉サービスなどは違いますが、介護としての基本は同じだからです。しかし、車椅子利用での移動は高齢者も障害者も共通のものの、ベッド利用の日常となると高齢者が圧倒的に多くなるでしょう。

例えばベッド上で、パジャマやゆかたの脱着の介助があり、研修実技でそれを行います。今私が働いている障害者施設では、そのような介助は100%ありません。しかしトイレや入浴や食事などの一部介助は行われています。我われの施設はデイサービス介護ですが、高齢者は24時間介護の所も多くありますので、自ずと介護の質も頻度も違ってきます。

さて何故私が、実技が苦手なのかの説明です。15日間の研修は、おおよそ座学が3割で実技が7割です。座学は一方通行で受講しているので、理解したかの検証はありません。だだし、問題集に答え後日提出する形の通信教育でのフォローアップはあります。一方実技は、講師が手本を示しその直ぐ後に生徒が演習を行いますので、習得の度合いはつど試されてしまうことになります。

講師が手本を示した後、グループ分けしてあった生徒達が、実際にベッドや車椅子を出して、介護者と利用者(要介護者)の役割を変えて実技を行います。講師もそれを見守っていますので、緊張します。若者は直ぐ実技の実践ができます。私は座学に関して問題ありませんが(知識習得意欲はまだあり)、反面このような実技にすっかり苦手意識がすりこまれてしまいました。
 
一つの事例課題で「利用者は何をしてもらいたいか」を、グループで話し合い発表する時間もあります。グループも再編しますので、研修を重ねると、ある段階から生徒同士互いに打ち解け、教室の雰囲気も和んできます。若者はシャイなのか、グループの話し合いの司会になりたがりません。そんな時は、私がまとめ役を買って出ることがあります。実技の消極性を払しょくするために、敢てそうしています。
 
生徒を教える講師とすれば、実技指導はこの方法しかないのかもしれません。実技の実例は写真入りでテキストにも載っています。その場で習得できなければ、自宅で練習すればいいのです。実際の介護現場では、頭より体です。しっかり身に付いたものでなくては、介護の実践は不可能です。

講師は複数の方達です。一回きりで来ない人、何回か続けて来る人。実技が多い時は二人(サブとしてもう一人)で行うこともあります。講師の方達は現役で介護の仕事に就いている方が殆んどです。長年のキャリアがあり職場では責任職にあり、そして研修では教える側に立っていますので、話も分かりやすく説得力があります。

一人ちょっと上から目線の女性講師がいました。講師が実技で使う椅子を、私が邪魔だと思って、気を利かし片付けてしまいました。するとその講師は利用者を演じて「私の椅子を取らないで!」と。生徒はどっと笑いましたが、私にしてみれば、そこまできつく言われなくてもとの気持ちになりました。

次の回もその講師でした。講義の合間に自分の体験談を話されました。まだ若い時、訪問介護で利用者に余計な言葉を発してしまい、その利用者から施設に連絡が入り、二度とそのヘルパーを派遣しないでと、お叱り電話があったそうです。とてもショックだったそうです。以来、無駄なことは言わないことに徹したそうです。

自分はそう思っても、利用者にとっては違った意味にとってしまうケースがあるので、利用者の意を汲む努力はするものの、誤解を招く話はしないようにした。その話を聴いて、苦い経験を生かしている講師に好感が持てました。他の講師も色々な経験を積まれていて、講義が脱線しない程度に話してくれます。その講師の生き方や人間性や、我々後進に指導する使命感まで伝わってくる瞬間です。   ~次回に続く~

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介護職研修と介護崩壊!?(その1)

2024年03月23日 04時39分57秒 | Weblog
新たな仕事として私が障害者介護施設で働くようになって、10カ月が経ちました。仕事はだいぶ慣れましたが、今までとは違った視点での課題も見えてきました。その課題の一つが資格取得でした。去年このブログ上でもお伝えしましたが、「介護職員初任者研修」を現在受講中です。

この仕事に従事してから、介護分野の現状に、否応なしに関心を持つようになりました。新聞には介護保険・報酬の矛盾や介護職員不足・低賃金の問題が、頻繁に掲載されています(次年度国の介護報酬改定直後でもあり)。ある雑誌には『介護異次元崩壊』と題し、特集まで組まれています。以前の私とは違って、そのような記事を熱心に読むようになりました。

研修会を受講し、参加者を通して、今介護職に取り組む人達から伝わることがあります。また、私が研修会で学んだことを職場に持ち帰り、利用者さんとの関係で新たに感じることがあります。記事などで介護業界の実態を知れば知るほど、業界はこの先けっして明るくないことを思い知らされます。このような事を含め、今回書いてみたいと思っています。

現在の職場は初任者研修の資格はなくとも、補助スタッフとして働くことは可能でした。資格がなくても長くこの仕事に従事し、施設にはベテランの域に達している職員もいます。介護職員初任者研修(旧ホームヘルパー2級)とは、厚生労働省認定の公的資格ですが、国家資格ではありません。介護を行う上で必要な知識・技術を身につけて、介護をより高いクオリティで行えるようになるための資格です。

厚生労働省が示す介護職キャリアパスのスタート資格でもあるため、キャリアアップを目指している人や、これから介護の仕事に携わる未経験の人が最初に取得することが望ましいとされています。この上の資格に実務者研修、更にその上級に国家資格である介護福祉士があります。

私は働き出して、見よう見まねで介護の仕事をすることに、ある段階から限界を感じました。また資格が無いベテランの職員の介護のやり方も、一旦検証してみたいと思うようなりました。高齢の私が採用させてもらったところが、結果的に介護職だったのです。その介護の基礎知識や基本動作を、学ぶ必要性を感じるようになりました。

そのような経緯から、専門学校で介護職員初任者研修を受けることを決めました。指定されたカリキュラムに従い、130時間の講義と実技の履修となり、朝から夕方までの授業で15日間になります。私は仕事で平日は行けませんので日曜日限定のコースで、去年12月中旬にスタートし今年4月上旬で終了するものを選びました。そして千葉駅近くにある校舎(雑居オフィスビル内)に通うことになりました。

千葉校でこのコースを受講している生徒は14名。女性10名(内2名は外国人)と男性4名、年齢層はまちまちですが私が最年長です。既に介護職に就いている人、これから介護職を目指す人、身内に介護を必要とする人、受講目的は様々です。

15回のコースで、5回目までは座学講義、それ以降は実技実習となります。5回目までの講義内容について、自宅でテキストを確認しながら問題集に回答する通信課題があります。最終回の15回目は、修了試験があります。

多様な介護サービス、介護職の仕事内容や働く現場、介護保険制度と障害者総合支援制度、介護職の職業倫理、介護におけるリスクマネージメント、認知症を取り巻く環境、高齢者と健康、介護におけるコミュニケーション、老人や障害者の生活と家事、等々が5回までの講義内容です。

移動と移乗(この二つは要介護者の生活の基本。身体を移動させる、ベッドから車椅子に移乗させる等)、身じたく、食事、入浴・清潔保持、排泄、休息・睡眠、人生最終段階のこころとからだの介護、総合生活支援技術、等々が6回目から14回目までの実習内容です。

現在研修は12回目を終えて、あと3回を残すのみとなりました。日曜日が全部埋まって体は正直きつかったですが、率直な感想は研修を受けてよかったと思っています。介護の意味も意義も学びました。介護職の基本姿勢は、要介護者の尊厳保持と自立支援です。更に好機だったのは、初任者研修を受講し介護職を目指そうとされている人達に接して、自分の取り組み方も再認識できました。    ~次回に続く~
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企業統合とM&A(その10) ~総論として~

2024年03月16日 06時10分26秒 | Weblog
先ず、二つの会社が一緒になったことによって、現在のわが社がどのような方向性をもってきたのかの話しから始めます。それはある方が書いた本の中にヒントがありました。「日本が成長社会から成熟社会への転換を経てビジネスの変革が起こっている」との、概念を理解する必要があります。

その本は『成熟社会のビジネスシフト』、作者は並木将央さん。中小企業診断士、経営管理修士(MBA)などの資格を持ち、経営関係のコンサルティングをされています。このブログ上でも登場してもらった方です[テーマ名:プラス・ワンのその後(その4)/2023年3月投稿]。現在、わが社のプラス・ワン事業のコンサルタントとしてアドバイスを受けています。

本の論主は次のようなものです。戦後からバブルを経て人口増加が止る2008年くらいまでを成長社会、以降を成熟社会と定義。成長社会は、大量生産、大量消費が大前提であった。成熟社会では技術発達がさらに進み、情報も氾濫し、ビジネス環境は全く変化した。会社が存続するためには、経営の対処法を変えなくてはならない。

成長社会は、必要な物が明確だった。ニーズがあれば製品が増え、競争が激しくなりもっと良いものと、メーカーは競いそして技術が進化して市場が活性化する時代だった。成熟社会は、ものが満ち足り誰も困っていない。人口減は労働力も減り消費者も減り、大量生産・消費が通用しない供給過多に陥り、ひとり一人別々の価値や共感を求めるような時代に変わった。

つまり成熟社会においては、従来の成長社会の営業力では物は売れず、売れる仕組み(マーケッティング)を作らない限り物は売れない。今は舵取りが難しく、どれを選んでも正解が見えないが、逆にどれも正解になり得る。人口が増えている時代は、企業は判るからやる。人口が減っている時代は、欲しい物が消費者も分かっていないので、企業はやるから判る。

わが社の商売に置き換えてみます。問屋業は成長社会の象徴だったのです。鉄鋼需要が伸びているから、メーカーから有利に素材を買って、在庫すれば儲かったのです。その転換期は、2008年とのこと。S社と合併したのは2003年、その5年後に鉄鋼流通業界はビジネスシフトを迫られていたことになります。幸いにも、溶断加工に進出したことは突破口になりました。この概念昇華がなかったら、現在のわが社がどのような方向性をもってきたのか、未だに理解できなかったことでしょう。

次に、二つの会社が一緒になったのは結果的にM&Aだったのかの議論です。そもそもこの問い掛けは、当時仕入れ先の商社の担当だった方が「梶哲さんが行ったことはM&Aだったのではないですか」、との指摘です。ではその私の見解ですが、21年前の合併で本来のM&Aと決定的に違うのは、事前の計画性もなく仲介会社も介さないオーナー同士の取り決め事でした。M&Aだったのかどうかは全て後付けの論で、実際は綱渡りの連続で、売り手と買い手が客観的に冷静に選択・判断できるようなM&Aではありませんでした。

しかしここで仮説を立ててみると、一変します。売り手:S社が、いずれどこかに会社を買ってもらいたかった。買い手:梶哲商店が、相手先はともかく溶断業に進出するため先々M&Aをせざるを得なかった。としてみると、共に必然性があり、二つの会社はM&Aを行ったのだと、断定できます。 

S社の社長は当時高齢ではなかったものの、身内に後継者はいませんでした。千場工場を取得して機械化や社員の若返りは図りましたが、それでも自社の溶断業に経営不安がありました。手形不渡り事故を起こす数カ月前から、会社のお金を簿外にして社長の懐に入れていたとの噂も後から聞きました。財務諸表を一切表に出さなかったのも事実の隠蔽、計画倒産を考えたことは想像に難くありません。M&Aではなくとも、簿外にしたお金で、S社社長はそれなりに持ち株分の代金は手に入れたことになります。

わが社にしても正式にM&Aを行うのであれば、ある程度大きな投資が必要です。今回S社の事業を継承することで、S社に対するわが社の売掛債権の未回収金が発生しましたが、M&Aの場合ならこれが投資額だと納得できます。この投資が高いのか安いのか、溶断加工事業をS社から買い取った価値の大きさは今まで述べてきました。仮説が正しければ、わが社が成長社会から成熟社会に脱皮できるきっかけを持てたのは、二つの会社のM&Aによるものです。

近年仲介会社を通さず、売り手と買い手が直に話を進めるM&Aもあるそうです。わが社とS社のケースは事故が機縁でしたが、その魁だったのかもしれません。10回に亘りこのテーマで書いてきて、過去を思い起こし、色々なことを再認識しました。




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企業統合とM&A(その9)

2024年03月09日 06時02分30秒 | Weblog
⑸ マーケット開拓
厚板の流通を簡単に示すと、鉄鋼メーカー→商社→問屋→溶断加工業者→アッセンブリメーカー→ユーザー、となります。素材を造る川上から加工品を使用する川下へ流れる中で、我々中間流通業(店売り市場)は大事な存在となります。川下の中小の最終ユーザーから、日々発注される小ロット・短納期の物件に対応するのが我々の役目となります。
鉄鋼メーカーに素材を発注(先物契約)しても、出来上がるのは一カ月以上先。従って市中の溶断加工業者からきょう・あす、一枚・二枚の材料が欲しいと言われれば、問屋は現物を持たなくてはなりません。鉄鋼メーカーに先物契約し、市中の溶断加工業者向けに、現物を提供することによってビジネスチャンスが生まれます。
近年国内鉄鋼需要が減る中で、問屋の販売先である溶断加工業者も減り、問屋がマーケットの占有率を争う時代ではなくなりました。勿論溶断加工業者も、取り巻く厳しさは変わりませんが、川下を相手にしている加工業者は、やり方によってはまだ手の打ちようがあるように思われます。問屋業であった梶哲商店にとってみると、S社と合併したことは、結果的に新たなマーケットを開拓したことになります。よりユーザーに接近することで最終需要家に近い情報が入ってくることになりました(選択肢がある)。鋼板販売の最盛期が過ぎ去り、現在この事業はわが社の大黒柱となっています。

~M&A上の解釈~
業界紙に最近、次のような記事が掲載さました。『中部地区の鋼材流通加工業、オーナー系でM&A・提携広がる。コスト高、需要環境変化、物流問題、人手不足などがある。単独で対応が難しい課題、解決の手段にも』『中部地区は自動車関連産業など需要家に近い位置で、それぞれ独自の特徴や機能を持ったオーナー系鋼材流通加工業が多いといわれるが、それでも外部環境が激変している中、一社単体では対応が難し課題解決のためM&Aを含めたさまざまな連携・協業体制を検討する動きが増えてくる』と、新聞は伝えています。他地区に比べ末端のマーケットを押さえている中部地区業者でも、ユーザーニーズの変化の中で、扱い鋼種を拡大したり付加価値のある加工に挑んだり、その対応は一社では限界があるとのことを物語っています。大企業に限られていた昔のイメージから脱却して、今や我々クラスの鉄鋼流通企業同士を提携・統合するために、M&Aはその一端を担う時代になったようです。
M&Aの利点は、ある程度時間をかけて相手先を選べるところにあります。それは売り手も買い手も同じです。仲介会社が間に入りますので、当事者が直に会って交渉する必要もありません。梶哲商店のケースは突発的に相手の会社と統合することになったので、M&Aと違って相手を選べなかったことです。しかしそれが、新たなマーケットを開拓する結果となり、選ばなかったことが大正解だったと、今は考えています。
現在M&A仲介事業者は全国に600社あると言われていますが、近い将来1000社を超す勢いのようです。当然その事業者の良し悪しも、今後問われることとなります。最近わが社にも仲介事業者からM&Aの打診の問い合わせが増えてきました。わが社にまでどうしてと思いますが、不特定で多くの一般企業に接触しているのでしょう。事業継承においても事業変革においても、M&Aは売り手と買い手の積極的なニーズを結び付ける、たしかな役割を担ってきたのだと捉えています。

次回は~総論として~と題して、私見を述べ、今回のテーマを終えます。今まで実際に起こったわが社の事象を、⑴金銭収支、⑵資産取得・処分、⑶人材確保、⑷技術取得、⑸マーケット開拓、の項目に分け、次にそれぞれの項目ごとに~M&A上の解釈~として、比較検討してきました。二つの会社が一緒になったのは結果的にM&Aだったのかの懸案の見解も含め、現在のわが社がどのような方向性をもってきたのかもここで再認識して、最終回でまとめたいと思います。    ~次回に続く~

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企業統合とM&A(その8)

2024年03月02日 06時15分37秒 | Weblog
⑶ 人材確保
 S社が手形不渡り事故を起こし、事実上倒産。一週間後に事業を継承することを決めたわが社ですが、その社員をどう雇用するのかも最大の懸案でした。従来のわが社とS社は、給料体系も勤務体制も違いました。給料の制定によっては、共倒れの危険すらありました。事業を継承して再スターとするまでの一週間、S社の社員と給料や処遇について何回か話し合いの場を設けました。いずれしっかり人事評価をして、将来わが社の給料体系に一本化することを約束して、当面は減額になる案で協力を得ました。
 S社の社員は23~24名、ほぼ全員再雇用することとなります。21年前当時の梶哲商店の社員は約15名前後でした。元S社の社員、従来の梶哲商店の社員、その後入社した社員、との言い方も今日では違和感があります。合併した当時の社員がベースとなったことは確かで、次世代に向けて若返りを図ってきたわが社です。懸案であった賃金体系の一本化は10年を費やしました。賃金問題に限らず、互いの風土・社風の相違もありました。S社は社員に経営状態を知らせていませんでした。わが社においては、従前からの年一回の経営計画発表や毎月の営業実績の開示などを実行し、全社員に浸透するのには更なる年月が必要でした。

~M&A上の解釈~
 M&Aを行う大きな目的の一つは人材確保です。しかし前回の簿外債務と同様、スタート時点で顕在化していない人材要因は、合併後離反・流出の恐れがあり、経営危機を招きかねません。S社社員は自分たちの会社(職場)が無くなってしまう危機感や絶望感もあり、わが社の申し入れを承諾してくれ、給料処遇面では協力的でした。また風土・社風の違いも大きな障害で、それこそ長年の共通言語も無いスタートでした。
 いきなり会社の都合で、千葉工場を閉鎖して強行的に浦安に集約したら、当地に通っている社員にとっては行き場が無くなります。もっともその緊急性も必要性もなく、当面は現状維持のまま試行錯誤しながら、当地で事業継続を模索しました。懇親会も浦安の社員が出向き、千場工場の近くで開催し全社員の融合も図りました。最後は浦安集結の決断となりますが、残念だったのは浦安まで通勤出来ない社員が何人か出てしまい、地元の同業者にお願いして再就職先として受け入れてもらったことです。集結したシナジー効果は明らかとなりましたが、合併した社員同士の融合は時間を掛けなくてはならない大切さを、振り返ってみて実感しています。

⑷ 技術取得
 鋼板販売事業と違い溶断加工事業の方は、技術力は不可欠であり、現場職員が一人前の仕事が出来るまで何年も要します。ガス溶断の技術とは、板厚によっての火の作り方やトーチの高さ調整や走行スピードの的確さなどが挙げられます。過去のデータでセッティングの再現は可能ですが、同じ板厚でもメーカーが違うと、条件出しを微妙に変える勘のようなものも欠かせません。素材を熟知し、加工経験に伴い、技術が磨かれます。
 同業者では溶断の新鋭の機械化が進み、汎用化されたNCガス溶断機から、ファイバーレーザーやプラズマ切断機の導入が主流となりました。しかしながら、ガス溶断技術が鋼板切断の基本です。新鋭の機械は、熟練工の腕に頼らず自動化や夜間無人操業などは果たせましたが、現在板厚40ミリ以上はガス溶断に頼らざるを得ません。プロ技術を習得した社員を抱えて、退路を断たれた状況の中で、溶断加工事業が梶哲商店に開花しました。このような技術をわが社は取得したことになります。
  
~M&A上の解釈~ 
 M&Aでは、横軸の統合と縦軸の統合との表現を使います。横軸とは同業企業を指し、縦軸とはサプライチェーンの中で川上か川下かの企業を意味します。言葉を変えれば、縦軸の統合とは仕入先か販売先かを買収することになります。わが社の場合はこの縦軸で、一つ先の川下の販売先を統合したことで、そこに溶断の技術者が存在したことになります。
 一般的な人材確保の面であれば、横軸統合の方が即効性はあります。買い手側の企業に生産能力や販売力があり、人手不足であれば、同業他社の要員は即戦力になります。買い手側の企業で欲しい、売り手側の企業に必要とする資格取得者等がいれば、尚更相乗効果が期待できます。一方の縦軸統合の魅力は、全く異なった技術を持った社員(主に川下統合)が確保できることです。仕入れ先や販売先を買収する場合、既に取引があれば、その先を理解しているので、横軸での未知の同業他社よりもリスクは軽減されます。
 わが社の場合、色々障壁はありましたが、販売先を統合したことは、次回説明しますが新たなマーケットを開拓したことに繋がりました。結果論になりますが、わが社が川下の溶断会社と統合したことは、加工会社の経営が内側から見られ、鋼板販売先の与信管理の面でも溶断業の実態をより理解するメリットが生まれました。   ~次回に続く~
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