梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

東京スカイツリー

2011年02月26日 12時53分28秒 | Weblog
東京で今話題を集めているものと言えば、『東京スカイツリー』があると思います。自立式電波塔としては世界一を目指し634mの高さになります。建設中のスカイツリーは現在590mを超えていますので、東京近郊からでもかなり目立つ存在になって来ました。

先日このスカイツリーに関して、その建築関係者に話を聞くチャンスがありました。そこで、この塔の中央部に鉄筋コンクリート造の円筒の心柱(しんばしら)なるものがあることを知りました。第一展望台の上まで造るとのことですから、375mもの高さの心柱となります。

日本の伝統的建築の代表である五重塔は、心柱を中心として各層が独立した構造となっており、地震や強風時に各層との間に生じる相互作用により揺れを低減する役割があり、スカイツリーの構造にこの五重塔にみられる制振システムを最新の技術で再現しようとするものです。

この話を聞いて、どうしても私は会社に置き換えて見てしまっています。心柱は社長、その外の塔体構造は社員です。スカイツリーの足は三本あり、四天王にはなっていませんが、さしずめ各分野で守りを固める幹部社員です。

スカイツリーのその心柱ですが、下から1/3は心柱と鉄骨造塔体は鋼材により固定、その上の2/3は心柱と鉄骨造塔体の間はオイルダンパー(油圧式の吸振器)で接続しているのです。従って、1/3の固定域とは会社の理念や目的の確固たる共有、2/3の可動域とはそれに基づく社員の応用・自由裁量との解釈になります。

心柱は外から見えません。社長は出しゃばったり中途半端な口出しをしたりしてはいけないと言う意味にとれます。外から見える塔体は景観美であり機能であって、それは社員であって、あくまでも会社は社員が主体です。

そしてその心柱の中は空洞ですが、第一展望台からの緊急時の避難階段があると言うのです。会社がいざと言う時は社長の出番で、危機管理は社長の大きな役割です。心柱の高さが当然塔の高さに関係する訳です。従って社長の器がその会社の大きさになると言われていますので、ここまでくるとこじつけになるかもしれませんが、私から見ると何故か符合して来るのです。
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自分の恥部を

2011年02月19日 06時57分19秒 | Weblog
訪問介護サービスを行なっているある大手の会社の社長を囲んで、数名でその社長の話しを聞く機会がありました。その会社はスタッフの人数が約7500名、拠点数が約360ヵ所、年間売上が約200億円とのことですから、この業界では最大手になるのかもしれません。

その社長の歳は私より一つ下ですから、57歳です。大分以前、実はこの社長とは、ある勉強会で知り合って名刺交換をしたことはあるのですが、じっくり話を伺ったのは今回が初めてのことでした。

この仕事を始めようとしたきっかけは、経営雑誌で訪問入浴サービスの記事を見た瞬間、殆どひらめきで、これを自分の仕事としようと決めた。まあ、凄い方です。それも昭和58年と言いますから、この仕事が世の中で未だ認知されていない時代だったと思います。

それからがまた凄いのです。創業から9年間は赤字だったそうです。しかしさすがにご本人もギブアップし、友人にその仕事を辞めることを打ち明けたそうです。その友人曰く「ここで辞めたらこの仕事で、二度と成功することはないぞ。それでいいのか」と言われ目覚め、迷っていた自分を吹っ切れたそうです。

それから紆余曲折、艱難辛苦はあったことと思いますが、その時の決意が今日この様な会社にまで発展したのですから、諦めないことの計り知れない底力を、その社長を通して目の当たりにしました。

しかしその社長が更に熱く、本音で語ってくれた内容に、私は変な競争心を捨てました。自分のこれまでの人生は、『失敗と、恥と、人の出逢いである』と。実に人間臭く、この人が大企業の社長なのかと思える程の親しみが湧いてくる社長でした。

『どんな経験をして来たかではなく、その体験を自分がどう受け止めてどう行動したかが大事で、それが無くして何を体験したかは無意味である。息子を亡くし、あの赤字があったから、今の自分と会社があり、逆境が自分を育てた。願いは叶う、それも将来ゲットした完了形で想い続けなさい』。その社長の教訓は書き切れません。しかしこれ程自分の恥部を人前で話せる方に、私は会った事がありません。
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超能力鍋とは

2011年02月12日 10時30分21秒 | Weblog
三連休の前日会社で社員の研修会ありましたが、終ってから、かねてより鍋を作り食べることにしていました。その名前は“超能力鍋”。

この料理は当日研修会の講師である先生が、テレビドラマの脚本家やエッセイストであり、若くして台湾での飛行機事故で亡くなった、あの向田邦子から直々教わったと言うものです。その先生が、この鍋の指導をしてくれました。

先ずは鍋に水を張り沸騰させます。そこにニンニクと生姜を入れてぐらぐらと煮立たせ、そのお湯の量が半分位になるまで煮詰めます。そのニンニクは一人当たり一房の目安ですので、相当な量です。お湯が半分になったら、そこに同量の日本酒をどばどばと入れます。これでだし汁のベースが出来上がりです。

後はしゃぶしゃぶの要領です。豚肉の薄切りを入れて、赤身が無くなったら、ポン酢醤油で食べるのです。更に、ほうれん草、豆腐、お餅、葛きり等が具となります。ニンニクはこの頃になると、ホクホクになっています。具を全部たいらげた後は、その中でインスタントの塩ラーメンを作って食べます。

生姜と豆腐を切る位で他は包丁を使わず、ホウレン草は手でちぎります。簡単ですので、料理慣れしていない男性でも出来ます。むしろ男の料理です。

しかしポイントは火加減です。具を入れてからは、絶対に煮立たせてはいけません。ほうれん草も青さが残っている位で上げないと、えぐみが出て来てしまいます。4グループに別けて、それぞれの鍋が出来上がりましたが、その出来具合は違ってしまうのです。

終始私は横からじっと観察していましたが、皆の働きもまちまちです。班長さんを決めましたが、采配の仕方もその人の個性が出ます。グループの協力具合も違います。後方付けまで、今の会社の協調体制が反映しているようです。課題もあるかもしれませんが、いずれにせよ皆でワイワイガヤガヤ楽しい超能力鍋でした。

さ~て、肝心の味の方は。私の表現力は乏しいものですから、こんなに簡単に作れますので、興味のある方はご自身でトライして見て下さい。お勧めです。
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習慣を変えて

2011年02月05日 11時04分19秒 | Weblog
前回のブログに書いたことですが、長年の習慣として来た、朝誰よりも早く会社に行くことを止めて一週間が経ちました。長年の習慣を切り替えるのは容易ではありませんが、それでも少しずつ体が順応しています。

出勤時間を遅くして、一番心配したのが朝の車のラッシュです。私の市川の自宅から、一旦国道14号線に出て湾岸道路に向かうのですが、この国道に出るには、何処をどう通ろうが京成電鉄の踏み切りを越さなくてはなりません。この渋滞がネックなのです。

早朝で渋滞が無い時に比べ、15~20分時間が余計に掛かりますが、これも想定内とせざるを得ません。週一回の幹部会がある時は8時10分とし、後は全て9時ちょっと前として大幅に出社時間を変更しました。

今週は特に三回もお客さんとの飲み会がありました。以前であれば、どんなに前日遅く帰宅したとしても、翌日は早起きして会社に行っていたのですが、これを切り替えて確かに体は楽です。当たり前のことですが、相応の睡眠が取れれば確かに体は違います。

実のところこの習慣を切り替えた理由は、ある幹部の一言だったのです。「誰も社長の朝の時間には勝てない。何をされようが社長の勝手だが、社員としてはやる気を失いかねないことなのです」との、そんな意見でした。

そんなことを言ってくれて有り難い、そのようなこともズバリ言ってくれる人間関係になれたのかと嬉しく思う反面、こんなことまで拘束されてしまうのかと正直ショックでした。そして暫らく悩みました。

自分だけの問題だと思っていた行為が、威圧的な率先垂範を無意識にしていた、そんな自分が見えて来ました。心の底では変えた方がよいのかなあと考えながらも、もう一つきっかけが無かったのです。そこに、寝込むような風邪が見舞ってくれました。

長年やって来た習慣においても、ある価値観で固定化さて来たものもあります。この様なことも、視点を変えてみる、応用力の訓練の一つと思っています。
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