梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

決算書の報告

2012年09月29日 11時03分51秒 | Weblog
毎年この9月は、取引金融機関や主な仕入先商社にわが社の6月期の決算書を持参して、概況を説明することが恒例となっています。少なくとも先方から催促される前に、わが社から出向くことを心掛けています。
 
金融機関から融資を受けていない、仕入先から材料を現金で購入しているのであれば、その必要はあまり無いかもしれません。しかしそうではなく、信用を供与して頂いている限り、経営や財務状態を報告するのはわが社の義務です。

ここ数年は私一人ではなく、金融機関には総務経理部長と、仕入先には営業部長と同行することを常としてします。決算報告はあくまでこの二人が主体となってもらい、私は横から口出すことを極力控えます。
 
二人の工夫もあり、説明も最近はより立体的になっているように思います。今期と前期を併記して推移を理解してもらうために百万単位の簡易決算を作成して、数字の裏付けなども資料を見ずに覚えてしまい、相手の理解度を確認しながら説明をしています。また新年度の方針や利益目標なども開示して、直近の月次決算も報告しています。

昔私はメインの仕入先商社に出向き、大恥をかいたことがあります。持参した決算書を渡し通り一遍の説明をしてそれで終りかと思っていたのですが、事細かに内容の質問を受け、答えられないことが多く持ち帰ったことがありました。

先代が未だ元気な頃、関連の運送会社から戻った直後の話です。自社の決算書を自分のものとしていなかったのです。その指摘して頂いた担当者に、今では心より感謝しています。

長い年月の間業績も年度によっては良い時悪い時とがあり、特に近年ではリーマン・ショック後の想像を絶する落ち込みは、自力ではどうしようもない現象でした。そして二期連続大幅な赤字となりましたが、それもその時、持っていた実力の範囲での結果です。

例えば不良債権など悪い情報は、事前に報告をして、隠し事は排除する姿勢を貫かなくてはなりません。ありのまま正確に、誠意を持って、今後とも臨むつもりです。
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映画のロケ地葛西

2012年09月22日 06時08分09秒 | Weblog
1970年というと、私が18歳で高校三年生の時であり、会社と自宅が同じ敷地にあり江戸川区東葛西に住んでいた頃です。その前年に、東陽町から西船橋までの地下鉄の工事が終わり、東西線が全線開通しました。

その頃の葛西は、未だ民家も少なく田んぼも多くあり、のどかな田舎の風景が残っていました。それが地下鉄東西線の開通と、その後の環状七号線の道路の完成で、葛西は一気に都市化へと進んでいきます。

WOWOW放送で黒澤明監督による『どですかでん』の映画を観ました。この映画の封切りが1970年、昭和45年なのです。色々調べてみるとこのロケ地が、江戸川区南葛西だったことが判明しました。

ゴミ捨て場の中にあるバラック小屋に住み着く人間味溢れる住人達。毎日決った時間に他人には見えない路面電車を運転している知的障害のある少年。貧しくも精一杯生きている、そんな小市民の日常を明るいタッチで描きながら、また時には幻想的な場面も出てくる、そんな内容の映画です。

撮影は南葛西の一万坪もある実際のゴミ捨て場で、廃材で建てた小屋を使って行われたそうです。黒澤明監督を始めとして出演した有名な俳優が、葛西に来ていた訳ですから、ちょっとした感動を覚えました。

当時を思い出してみると、南葛西の一部は人が寄り付かない、言わば無法地帯でした。家庭から出てくるゴミや産業廃棄物を許可無く投棄していた頃であり、ロケ地はそんな場所を利用したのでしょう。

一方わが社といえば、ミルスケール(粉状の鉄)の集荷業の最盛期でした。その十年前に江東区亀戸から葛西に引っ越して来たのも、亀戸が手狭な場所だったこともありますが、ミルスケールが飛び散る近隣への配慮もありました。

葛西に来てから、周りの人から見ればそのスケール業も訳が分からない廃品回収業と映ったのかもしれませんが、少なくとも昭和40年代までは近隣に民家もあまり無く、迷惑を掛けなくてすむ時代でした。

当時の、自分の心境やわが社の商売や葛西の土地柄などが重なる映画でした。
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成田工場のその後(その2)

2012年09月15日 09時58分55秒 | Weblog

閉鎖した成田工場に行ってきました。その工場を誰かに借りてもらうか取得してもらうか現在公募をしていますが、その関係で工場を見たいとおっしゃる方がいて、立ち会って案内を致しました。

前にも書きましたが、閉鎖して一年半も空き家になってしまい、空気がよどんで暗い感じがして、完全に片付けも済んでいないことから、この一ヶ月の間に三回ほど清掃をしました。3人から4人で午後遅い時間から行いました。

幹部社員が率先して掃除を行ってくれました。想像した以上に大変な仕事になりました。工場や倉庫のコンクリートの床を箒で掃いたのですが、電気は止めていましたのでシャッターも開かず、この猛暑の中、汗とホコリまみれになりました。

三回やりましたが、掃除をする箇所がまだ残っています。写真は、先日工場を見たいとおっしゃる方をお連れした際に撮った、綺麗になった工場内です。倉庫と事務所と敷地内の片付けと掃除が、後三回分位は優にありそうです。

今回とても嬉しい話がありました。成田工場を浦安に移転集約するにあたって、通勤問題で浦安まで通えず、わが社を退職した社員が何人か出てしまいました。その一人が毎週このブログを見ていて、今回のことを知って、清掃を手伝いたいと申し出てくれたのです。何と奇特な人でしょう。

会社のおかれている環境を熟慮した上で、二つの工場は不要であると判断し、存続する為には集約しか選択肢は無いと、苦渋の決断・決行でした。しかしそれは、辞める社員を出してしまうという残念な結果にもなりました。

当日は、電気設備の修復で、その見積もり依頼もあり、地元でお世話になっていた電気業者さんにも来てもらっていました。その社長は、わが社の工場の前を通る度に、何か異常がないかと気にしてくれているとのことでした。

このような方達に見守られているとは、本当に有難いことです。こんなことを踏まえると、わが社の普段の行いや、経営姿勢を自ら正して行くことの大切さを改めて感じました。
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時間と心の余裕

2012年09月08日 11時16分39秒 | Weblog
最近ちょっと不思議に感じていることがあります。全く関連性の無い本や雑誌を読んでいて、共通した話題が出てきたり同じ人名が出てきたりして、これは繋がっている、そんな不思議なことが多々あります。

私は半月前から、自分の時間の余裕が持てるようになりました。買い求めて中々読めなかった本や、人から頂いて積んだままにしていた雑誌など、じっくりと今読めています。

例えば、夏目漱石、鴨長明、V・E・フランクル(ユダヤ人の精神医学者で第二次世界大戦中にナチスによって強制収容所に囚われ、その過酷な経験を基に生きることの意味を解き明かそうとした)、など等。そんな人名がダブって出てきました。

本や雑誌の題名や内容は省略します。しかしそれは関連性を意図して揃えたものではありません。それが新聞やテレビからの情報、人との会話まで広がっているのですが、この現象は何なのか分かりません。

例えば、ある人と国の年金制度や生活保護を受けている人の話をしていると、数日すると新聞にその解説の記事が載っているのです。また、ある人とスマホの操作の話をしていると、翌日スマホのイライラ入力を解消する仕方が新聞の記事として出ているのです。

ちょっと話は変わりますがテレビで映画を観ると、最近は必ずインターネットでその作品を調べます。再度あらすじを確認して解説を読んで、他者の感想なども聞いてみると、見落としたところや新たな発見があり結構面白いものです。

日本映画で、それもちょっと古い作品を観た時に、興味を持って時代背景も掘り下げていくと、作品の作られた意図も理解出来ることがあります。

ものごとを多方面から見ることは大切なことです。色々な切り口で見れば、立体化されその実体に近づくことが出来ます。しかし時間を費やしますし、飽くなき探究心も必要になります。

その前提として心の余裕や心のゆとりが必要なのかもしれません。不思議な現象がいつまで続くかは別として、心の余裕やゆとりは持ち続けたいと思います。
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