梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

企業統合とM&A(その7)

2024年02月24日 00時35分23秒 | Weblog
21年前突発事故によって、二つの会社が一緒になったのは結果的にM&Aだったのかを考えるにあたり、これまで次の視点で整理してきました。⑴金銭収支、⑵資産取得・処分、⑶人材確保、⑷技術取得、⑸マーケット開拓。これからは順を追って、既にお伝えした項目をまとめ、その次に~M&A上の解釈~として、比較検討してみました。

⑴ 金銭収支
 事故直後わが社にはS社の預かり材があり、それを総売掛債権額の回収の一部として相殺しました。S社の銀行債務や労働債務を除く負債としては、その他の一般債務(わが社からすると一般債権)です。S社から同社の売掛金債権譲渡の承諾を得て他債権者同意の下、回収した配当はその債権額に相応して分配しました。
 債権譲渡でメイン先は抑えたものの、小口の売掛先も多く全て網羅できず、回収率は70%弱に留まりました。一般債権回収は目減りしましたが、わが社は預かり材の相殺入金もあり、ピークの売掛金債権額から約6割は減らすことができました(未回収分は4割)。
 事業を再開してからの費用としては、S社の二工場の賃料と、機械設備及び材料在庫の買取です。二工場は格安の賃料で、機械設備と在庫は低額で、コスト(イニシャルとランニング)はかなり抑えることができました。これらは仮計上しただけで、つまりお金が流出せず会社を回すことが可能になったことになります。

~M&A上の解釈~
 M&Aは契約・取引によって成立しますが、二つの手法があります。一つは株式譲渡で、売り手の株主が株式を買い手に売却して経営権を譲り渡すことです。もう一つは事業譲渡で、株式は譲渡せずに事業に関連する資産(あるいは生み出す企業価値)を譲渡するものです。
 今回のケースはこのような選択や、金銭的査定はありません。売り手をS社、買い手を梶哲商店としてみます。梶哲商店からS社へに渡ったお金は、売掛金債権の未回収分となります。⑵で説明しますが、資産のやり取りではプラス・マイナスゼロでお金は流出していませんので、M&Aであれば、事故による売掛金未回収4割の相当額を投資したことになります。通常M&Aは、仲介事業者に依頼して行われるので仲介手数料も発生します。
 
⑵ 資産取得・処分
 S社のメインバンクからわが社は訴えられます。S社とわが社が「金融債権を切り離し一般債権者だけで回収・配当を行い、その後有利に事業を運営。その経営者と結託して会社の再生を謀った」との理由で、わが社に逸失債権に対して損害金を支払へとの内容でした。  
 裁判の決着は和解でした。信用金庫側から損害金が提示され、わが社で払える和解金を払いました。裁判から半年後、その争った信用金庫から千葉工場(担保不動産)を処分売却したいとの申しれがあり、わが社の提示価格が通り、千葉工場はわが社の所有となりました。結局、千葉工場は浦安営業所に集約することになります。空き家になったその不動産を仲介する会社に相談しつつ、わが社も独自に売り手を探します。独自に動いた先で買い手が現れ成約しますが、後に一方的に破棄されます。件の仲介業者と面談して一年後、そこを通し買い手が現れ、先に成約しキャンセルされた金額より高く売却できました。
 この資産取得での出金は、係争費用と和解金。一方資産処分での入金は、土地の売買譲渡益金。正確には、売り買いの代金の差額から、更に譲渡益課税と土地仲介手数料を差し引き、その残りが正味の入金です。出金と入金はほぼ同額。つまり損も儲けもなかったことになります。 

~M&A上の解釈~
 買い手が簿外債務のある会社をM&Aしてしまった場合、多額の損失を被るばかりか破綻するリスクすらあります。簿外債務とは貸借対照表に計上されていない債務のことです。退職給付引当金、賞与引当金、未払残業代、未払社会保険料、計上漏れ買掛金、などがそれです。本来払うべきものを払っていない、引当金として計上していないことです。偶発債務も簿外債務の一種で、将来的に債務となる可能性のあるもので、例えば第三者への債務保証や訴訟による損害賠償請求などが挙げられます。
 今回のケースでは、損害賠償で訴えられた訴訟と、目減りする可能性があった資産が、簿外債務に該当します。訴訟は思いもよりませんでした。しかし他債権者には、そう捉えられ発生しうるリスクだったのです。資産の取得・処分にしても、想定すらしていませんでした。訴訟の流れで千葉工場の土地を取得しますが、その後合理化の一環と浦安への一体化の流れで、利用を断念しそして売却します。長期に亘り売却出来なかったり安くしか売れなかったり、大きな損を出す危険性があったのです。  ~次回に続く~

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企業統合とM&A(その6)

2024年02月17日 05時53分36秒 | Weblog
⑸ マーケット開拓
厚板の流通を簡単に示すと、鉄鋼メーカー→商社→問屋→溶断加工業者→アッセンブリメーカー→ユーザー、となります。鋼板を造る川上から加工品を使用する川下へ流れる中で、我々中間流通業(店売り市場)は大事な存在となります。生産計画がしっかりある自動車メーカーなどは、鉄鋼メーカーと直取引が可能です。中小の最終ユーザーから、日々発注される小ロット・短納期の物件に対応するのが我々の役目となります。

鉄鋼メーカーに素材を発注(先物契約)しても、出来上がるのは一カ月以上先で、またワンサイズ一定のロットも必要です。従って、市中の溶断加工業者から今日・明日、一枚・二枚の材料が欲しいと言われれば、問屋は現物を持たなくてはなりません。ある程度の規模の溶断加工業者なら先物契約も可能となりますが、問屋は一カ月・二カ月先の販売予測を立て、鉄鋼メーカーに先物契約し、市中の溶断加工業者向けに現物を在庫することによってビジネスチャンスが生まれます。

改めて問屋の機能は何かとなると、現物在庫、小口配送、販売先の情報収集、立替金融、与信管理などがあげられます。商社が介在出来ない機能でもあります。しかし、かつて商社が現物在庫を持っていた時代もありました。さらに、鉄鋼メーカーが製鉄所の中で現物を管理してEコマースを活用して販売していた時期もありました。現在は鉄鋼メーカーの一社だけが、ほぼ現物即納に応じるのみとなりました。

商社や鉄鋼メーカーが現物販売から撤退した原因は、マーケット(店売り市場)の縮小です。かつてこの市場には外国材(無規格として)の使用も盛んでしたが、材質や納期問題もあり、国内メーカーの規格材に集約されてしまいます。当然のことながら、厚板専業問屋の扱い量の激減もあらわとなりました。少子高齢化の日本において、箱物と称する鉄鋼構造物も、今後需要は増えることはないとされています。

このような状況下、問屋の販売先の溶断加工業者の廃業・倒産も増え続けてきました。廃業の理由は、経営者の高齢化、後継者不在、機械の老朽化、従業員の高齢化、等々です。従業員の高齢化に対処するため新鋭の機械導入の検討をしようとしても、販売先の先々の動向がつかめない。工場の土地が経営者や会社の所有であれば、売却するなり賃貸するなりして、マイナスにならずに店仕舞いが可能なので、廃業に拍車が掛かったことは否めません。

マーケットの縮小や先行きの経営に苦悶する溶断加工業者として、S社も例外ではありませんでした。S社の八広工場の切板の向け先が金型向けとの話を前回伝えました。わが社が21年前引き継いだ当時、八広工場は素材に石筆で寸法を罫書いて、ポータブル溶断機で切断するような、前時代的な人海戦術で加工していました。合併した後、中国などから安い金型が入るようになり、ある部分は日本に戻らなくなりました。わが社も残業改善の目標を掲げ急オーダーを是正することになり、最盛期月数百トンあった金型向け切板は、引き継いでから10年くらいで全くゼロになりました。

一方、千葉工場は省人力と機械化を進めていました。二代目のS社社長は、先代から引き継いだ八広工場が手狭であり、新たに千葉に広い土地を求め、未来への道筋を求めていた功績は認められます。大型のNCガス溶断機や業界でもいち早くレーザー切断機も導入して、建築構造物関係の切板を手掛けるなど、若者も働ける環境は整えようとしていました。しかし同業他社も多いのが溶断加工業者の実情です。稼働を維持するのに他者が安値を出せば、いずれマーケットに悪影響を及ぼします。S社も苦戦している一社でした。

店売り市場がシュリンクすれば、鋼板問屋も溶断加工業者も一心同体なので、共にどこに活路を見出せるかが大きな課題となります。問屋の販売先である溶断加工業者の母数が減る中で、問屋が無理にマーケットの占有率を争う時代ではなくなりました。勿論溶断加工業者でも、取り巻く厳しさは変わりませんが、やり方によってはまだ手の打ちようがあると捉えることができます。

問屋業であった従来の梶哲にとってみると、S社と合併したことは、結果的に新たなマーケットを開拓したことになります。川下の方へ一歩進むことは、よりユーザーに接近することになり、加工事業を手掛けることで、ユーザーに近い情報が直接入ってくることになりました。鋼板販売の最盛期が過ぎ去り、現在この事業はわが社の大黒柱となっています。
~次回に続く~


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企業統合とM&A(その5)

2024年02月10日 06時32分56秒 | Weblog
⑶ 人材確保
S社が手形不渡り事故を起こし、事実上倒産。一週間後に事業を継承することを決めたわが社ですが、その社員をどう雇用するのかも最大の懸案でした。S社の社長から社員の給料台帳をもらいましたが、現場職の賃金は基本給としては安いものの、総額では高かく、その根源は多くの残業代でした。

特に墨田区にあった八広工場で、残業時間が何故多いのかの説明です。同工場の切板の向け先は数多くの特殊鋼屋さんでした。その特殊鋼屋さんの向け先は主に金型を製造している会社でした。金型の刃(直接打抜く部分)となるのは特殊鋼で、それを支保するものが普通鋼でした。八広工場で加工していた普通鋼切板の素材はわが社が全面供給していました。特殊鋼屋さんからの注文は急オーダーが多く、極端なものは当日午後5時まで受けたものは翌日朝一配達のものまであり、その日の内に切らざるを得ません。従って夜の10時近くまで毎日残業をしていたのです。

従来のわが社とS社は、給料体系も勤務体制も違いました。経費の中でも人件費の支出は大きく、給料の制定によっては、下手をすると共倒れの危険すらありました。事業継承して再スターとするまでの一週間、S社の社員と給料や処遇について何回か話し合いの場を設けました。いずれきちっと人事評価をして、将来わが社の給料体系に一本化することを約束して、当面は減額になる案で協力を得ました。

S社の社員は23~24名、ほぼ全員再雇用することとなります。21年前当時の梶哲商店の社員は約15名前後でした。梶哲商店はその時、本社機能は江戸川区葛西にあり、主たる事務所及び倉庫は浦安にありました。S社は八広工場と千場工場でしたので、二つの会社が合併することで、わが社は営業所が四カ所になります。その後四つの営業所は、浦安に全て一カ所に集約することになり、通勤の問題で退職した社員、定年で退任した社員はいましたが、都度新たな社員を採用してきました。

元S社の社員、従来の梶哲商店の社員、その後入社した社員、との言い方も今日ではふさわしくなくなりました。合併した当時の社員がベースになっていることは確かですが、次世代に向けて若返りを図っているわが社でもあります。懸案であった賃金体系の一本化は10年を費やしました。賃金問題に限らず、互いの風土・社風の違いもありました。S社は社員に経営状態を知らせていませんでした。わが社に於いて、年一回の経営計画の発表や毎月の営業実績の開示など、社員に定着するのには更に年月を費やすこととなりました。

⑷ 技術取得
今回の合併は、鋼板販売事業と溶断加工事業の一体です。鋼板販売事業の方には、仕入れ政策や、在庫管理や、倉庫運営のノウハウ的な知恵は必要ですが、それは技術とはいえません。溶断加工事業の方は、技術力は不可欠であり、例えば現場職員が一人前の仕事が出来るまで何年も要します。

ガス溶断の技術とは、板厚によっての火の作り方やトーチの高さ調整や走行スピードの的確さなどが挙げられます。過去のデータで再現は可能ですが、同じ板厚でもメーカーが違うと、条件出しを微妙に変える勘のようなものも大事です。出来上がった切板も、切断面の直角、バリ、ソリなどが留意点です。原板への火の入れ方から出方を計算に入れないと、鉄は熱が加わると鉄鋼メーカー製造過程での残留応力で歪が生じるので、熱を上手く逃す方法も習得しなければなりません。素材を熟知し、長年の加工経験の上に、技術が伴うのです。

溶断の新鋭の機械化が進み、同業者は過去汎用化されたNCガス溶断機から、ファイバーレーザーやプラズマ切断機の導入が主流となりました。しかし、ガス溶断技術が鉄板切断の基本と私は捉えています。新鋭の機械は、熟練工の腕に頼らず夜間無人操業などは果たせましたが、現在でも板厚40ミリ以上はガス溶断に頼らざるを得ません。

かつて、わが社はガス溶断事業に参入したことがあります。廃業した会社のガス溶断機を買い取り、素材はわが社販売用の仕入れ安値を駆使して挑戦しました。しかしながら、それは片手間の事業で終わりました。今回プロ技術を習得した社員を抱えて、退路を断たれた状況の中で、必死に溶断事業に取り組み、初めて事業が開花しました。このような技術をわが社は取得したことになります。   ~次回に続く~

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企業統合とM&A(その4)

2024年02月03日 05時52分28秒 | Weblog
⑵ 資産取得・処分 ~前回の⑵からの続き~
わが社を訴えた信用金庫は、S社に融資をする補償として千葉工場の土地を担保提供させていました。金融機関からしたら、一般債権者だけでS社の売掛債権を回収・配当してしまったのは「けしからん」との主張です。しかし我々一般債権者は金融機関のような担保は無いので、自力で回収するしかありませんでした。金融機関を一般債権者に入れてしまうと、その担保土地の売却処分の時間ロスも生じます。

うがった見方をすれば、金融機関は官僚的な仕事をするところですので、不作為を許せない体質なのでしょう。債権回収は全額でなくとも、その努力の足跡を残し、申し送りをするのも、与えられた任務なのかもしれません。今だから、冷静に判断すればそのような考えも容認できます。それはともかく、お互いの主張は裁判で戦うしか方法はなかったともいえます。そして、当該信用金庫と対決することになりました。

裁判の決着は、和解でした。信用金庫側から逸失債権に対しての損害金が提示され、わが社がある範囲で応じる形で和解金を払いましたが、この接触が後に生かされます。裁判から半年後、千場工場はわが社の営業所として運営していたところに、その信用金庫から土地を売却したいがどれくらいの評価が出来るのか、わが社に打診がありました。他にも当たっていた様子ですが、売りあぐねていたのです。八街にある千葉工場は、第三者からしたら二束三文に近い土地であり、わが社が溶断事業をしているから活用されていたのです。

結果は、今回はわが社の指し値がほぼ通ります。賃料は発生するも仮計上で実質金銭の支出はないものの、わが社が取得することも考えていたところです。わが社はS社に土地代金を支払い、S社から信用金庫へ入金する方法で、金融担保は解除され、わが社の名で登記するに至りました。

その後紆余曲折はあったものの、千葉工場は浦安営業所に集約することになりました。今回の事故が起こる数年前、わが社は長く居た葛西の土地を売却し浦安に土地を購入し、主に販売用の鋼板在庫を置く専用倉庫を新築していました。徐々に鋼板販売も落ち込んで来ていた時期でもあり、スペースも確保されて、八広工場は浦安にいち早く集約していました。千場工場を浦安に移転して、一か所で結束し、鋼板販売と溶断加工する事業体制が出来上がりました。新たに浦安に土地を求めなかったら、これは実現していなかったことになります。

しかし問題は、八広工場は借りていた建屋を返すだけでしたが、移転で空き家になってしまった自社所有の千葉工場です。他者へ賃貸はせずに、売却することに決めました。そう決めたものの、簡単に転売できるものではなく、件の信用金庫の苦しみをここで思い知らされます。そこでメインの取引先銀行に相談したところ、グループで不動産を仲介する会社があるとのことで、紹介を受け相談することにしました。

「簡単に事は運ばないかもしれません。条件が合わずに、場合によっては数年掛かるケースもあります」と、言われます。仲介手数料は成約して発生するとのことなので、わが社でも独自に売り手を探すことにしました。私の知り合いに話したところ、数カ月経って、買ってもいいとの会社が現れました。こちらの希望価格から先方の値引き要請をのんで成約(口頭)しますが、後に一方的に破棄されました。先方の言い訳は、新たな事業計画が頓挫したとのことでした。

仲介業者と面談して一年後、突然連絡が入ります。買い手が出てきのです。新木場で在庫を抱えて、新たな倉庫を探していた材木屋さんです。相手の価格条件を引き出すと、なんと最初に成約しキャンセルされた金額より、高くなっていました。つまり、そこに断られて大正解だったのです。不動産の売買は一対一のその場限りの勝負で、後から選択して遡及できません。結果は良しでしたが、先に成約していたら。今回、貴重な経験をしました。

資産取得での出金は、信用金庫への係争費用と和解金ということになります。一方資産処分での入金は、土地の売買譲渡益(安く買い高く売れた場合の差益)です。正確には、材木屋さんへ売った代金と信用金庫から買った代金との差額から、更に譲渡益課税と土地仲介手数料を差し引き、その残りが正味の入金となります。私の記憶では、出金と入金はほぼ同額だったと思います。損害も儲けもなかった。これが土地資産取得・処分の結末となります。   ~次回に続く~
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