梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

社長とは(その3) 

2020年02月01日 06時37分25秒 | Weblog
唐時代(618~907年)の第二代皇帝太宗と臣下たちとの言行録が、“貞観政要”です。「貞観」とは当時の元号(627~649)であり、「政要」とは政治の要諦のことです。臣下の諌めを受け入れ、民の為の皇帝として尽くした太宗は、貞観の治と呼ばれる平和な時代を築き、名君として名を馳せました。

丹羽宇一郎著“社長って何だ!”の中に、この貞観政要が登場して、諫言の士の大切さが書かれていたことは前回お伝えしました。この本を読んでいる最中タイミング良く、「NHK100分de名著」で、1月の番組として貞観政要が採り上げられていました。早速、番組の解説書も取り寄せました。これからは、この貞観政要の話が中心となります

貞観政要は、その太宗(李世民)が、臣下(魏徴など)と理想の皇帝像を模索した問答集ともいえます。一国の皇帝まで上り詰めた人なので、普通なら李世民には、臣下とそのような耳障りな問答を行なう必要がありません。しかし、それには二つの理由がありました。

一つは、その前の時代に中国を統一していた隋の滅亡です。大運河を造るなど土木事業を盛んに行なって民衆を疲弊させたり、周辺国への遠征に失敗したりするなど、失政が続いていた為人々の反乱が起こり、隋は僅か38年で滅んでしまいました。

もう一つは、李世民が皇帝になった背景です。唐は世民の父、李淵が建国します。世民は次男ではありましたが、李淵に挙兵を勧め、自ら軍隊を率いて敵対勢力を平定し、建国間もない唐を軌道に乗せる重要な役割を果たしました。

しかしそんな世民の活躍を快く思わない人物が、兄の李健成でした。皇太子の地位も弟によって奪われかねないと危惧した健成は、四男と図って、世民の殺害を計画します。その動きを察知した世民は、先手を打って臣下らと謀り、兄と弟を殺したのです。

李世民には、恐ろしい国の滅亡を何とか回避したい、兄弟を殺して帝位を奪ったとてつもない汚名を返上したい、このような願望がありました。世民が出した答えは「優れた皇帝になること」でした。正しい政治を行い、部下の言うことを聞いて、人民の為に尽くし、贅沢をせず、業績を多く残し皆に認めてもらう。これしかない、そう考えたのです。

ここで私の解釈です。諫言とは本来、社長が部下の意見を聞くとのことです。人から意見を聞くことの大事さをいうのであれば、社外であれば幕賓的な人から、社内であれば会長からも、厳しい意見を素直に受け入れることに繋がります。

しかしそれを部下から聞き入れることに、私は意味があると思っています。部下は、トップに比べると弱い立場にあるからです。トップより会社の実態を知っているからです。トップになると、正しいことを自分の権力で歪めて取ってしまいがちです。傲慢さを排除し謙虚になることが、トップは常に求められます。

貞観政要の中身に入って行きます。解説書を読み始めて、最初にショックだったのが、『君主は寄生階級にすぎない』との項目でした。「君主の道は、必ずぜひとも人民達を哀れみ、恩恵を施さなくてはならない。もし(重税を取立て)人民を苦しめて、君主の身(の贅沢な生活)にあてるのは、ちょうど自分の足の肉を割いて自分の腹に食わすのと同じである。満腹した時には、その身が死んでしまう」。その内容の一端です。

当時の根幹となる産業は農業でした。しかし太宗は自ら畑を耕し収穫を行なっていたわけではありません。つまり、人民が生産階級だとすれば、君主(トップ)は人民に頼るしかない寄生階級なのです。人民が弱れば、寄生する自分もいずれ死ぬ。太宗はそのことを良く分かって、人民が気持ちよく働けるゆとりを奪わず、重税を課すことはしませんでした。

部下からの諫言を聞き入れることに意味があると、私が解釈したのは、このことだからです。会社を良く知っていて社員を代表して諫言してくる幹部の意見に、社長が耳を貸すことは、会社を存続する為に最も必要なのです。社長は現場で働いている社員からすれば、恐ろしいかな、寄生階級なのです。  ~次会に続く~


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