前出の写真は南相馬の海岸で撮ったものです。海岸にある松は、津波が引いて行く際に瓦礫でもぎ取られ、ある一定の高さ以下の枝が全くありません。そんな松と無残な瓦礫が、静寂の中で、津波の恐ろしさを物語っています。今回の写真は原町火力発電所のものです。やはり津波により甚大な被害を受けて、現在も復旧の目処が立っていません。
原町の街は、海岸線から3キロほど内陸にあり津波の被害も無く、地盤も強く殆ど地震による家屋の被害はありません。彼の実家も店舗も大丈夫でした。幸いにも近い身内では、怪我をしたとか亡くなった方もいませんでした。
三年ぶりに再会した彼は元気に振舞ってくれました。家族も無事で自宅やお店も残り何とか生活はしていける、ただし原発の不安が払拭せず家族もバラバラで将来の不安は絶えることは無い、と心情を吐露してくれました。「この歳で何が起こるか分からない。人生って何だろう」とは、彼の本音です。
ポケット線量計を彼は常に持ち歩いていました。二時間半の原町滞在中、それを私達に貸してくれました。街の中心地から車で南下して原発に近付くと、すぐそこは立入り禁止区域となりますが、その計測器は正確に高い放射線量の値を示しました。
帰り東北自動車道に出るのであればと、最短の道があると、分かりやすい分岐点まで、彼は車で先導してくれました。これから先の私の車の燃料まで気にしてくれて、何回もその先の道を説明してくれました。いつか必ず東京に出て来てもらい、仲間と再会することを約束して彼と別れました。
友人を通してこの大災害の凄さを刻みました。正直言って、被災地の惨状を野次馬的な気持ちで見てみたかった下心もありました。しかし友人と会ってそんなものは吹っ飛びました。実際に現地に行って、そこで自分の目で見ないと感じないものがありました。
帰り道のこの県道12号線は、報道でよく出てくる飯舘村を東西に横切る道路です。通行止めではないのですが、この地域は計画的非難区域で、基本的には住民は住めない所です。こんな場所もしっかり見て行ってもらいたいと、友人の意向が伝わってくるようでした。