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梶哲日記

鉄鋼流通業相談役の日々

DIE WITH ZERO“ゼロで死ぬ”(その4)

2025年07月12日 05時25分09秒 | Weblog
今回は、ブログの投稿の終活です。結論から言いますと、今回の投稿が最後で、長年続けたこのブログですが、ブログ仕舞いをいたします。その一つの切っ掛けが、皆さんがご覧になっているブログの上部に赤い帯で、そこをクリックすると、一二カ月前から以下このような文章が掲示されていたからです。

“goo blogサービス終了のお知らせ/この度、2025年11月18日をもちまして、goo blogはサービスを終了することとなりました。これまで私たちは、「みんなの好きを応援する」ことを大切に、みなさまの想いが世界中に届き、読者の心を動かし、共感を呼ぶ─そんな場を目指して運営を続けてまいりましたが、この度サービス終了というお知らせをすることとなり、心よりお詫び申し上げます。2004年3月のサービス開始から21年にわたり、ご愛用いただき誠にありがとうございました”

今年3月に『1000回を振り返り』のタイトルで、その時は更に続ける想いで、梶哲日記を回顧しまた。そこに私のブログの初回投稿日が2006年2月と書いてありますので、goo blogがスタートして二年後だったことになります。私のブログも、goo blogと19年共に歩んできたことになります。今回のgoo blogの質疑応答には、他社ブログサービスに引っ越しも可能との案内もありました。しかし、私はそれを選びませんでした。

終活とは、「人生の終わりのための活動。人間が自らの死を意識して、人生の最期を迎えるための様々な準備や、そこに向けた人生の総括を意味する」との言葉です。死を意識してとか人生の最後とか、縁起が悪いと思われるかもしれません。しかし仏教的な言い方をすれば、生まれたものは必ず死ぬ、死んでいく命を引き継いで生きるために、人は生まれてきたのです。そして生まれた以上は死ぬように、人はできているわけです。ですから死は忌み嫌うものではないのです。

そして終活で大事なのは、生前に為すべきことを為すです。このブログも私に突然何かが起こり、ある日から配信が途絶える可能性もあります。他の誰かが引継いで発信してくれることはありません。ブログをあの世に持って行き、あの世から発信することもできません。DIE WITH ZERO。それ従って、今回このような考えに至りました。このブログも、介護の仕事と同様にここでゼロ・リセットになります。

ブログの最終投稿日(本日7月12日)の夜、二つの終活の記念会を行います。自作・自演・自腹で、家族を集め浦安のホテルで開催します。ブログは本日の投稿で終わりですが、介護の仕事は今月の31日まであります。しかし7月に入り、週の出勤の頻度がだいぶ減りました。私達夫婦を拒絶し続けた彼が、精神医療専門の病院に空きができ急遽入院しました。彼は少なくとも7月中にはGHに戻って来ません。お陰様で、穏やかに仕事を終えることができます。

皆様にはこのブログに長くお付き合い頂き、感謝の念に堪えません。
あらためて、ありがとうございます。
妻にも感謝です、19年間私のブログを事前にチェックしてくれました。
皆様のご多幸を心からお祈り致します。
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DIE WITH ZERO“ゼロで死ぬ”(その3)

2025年07月05日 05時32分01秒 | Weblog
今回と次回は、私の二つの終活の話題です。その終活とは、一つは介護の仕事で、もう一つはこのブログの投稿です。「突然にどうして終活!?」と驚かれるでしょう。しかし私としてはここに至るまで、冷静に物事を受け止め落ち着いて判断したつもりです。短期間でそれが決まりここに公言しますが、私自身その決定に後悔はありません。

今回は、介護の仕事の終活です。結論から言いますと、グループホーム(以下GH)施設の代表が一人の利用者をとるか職員の私をとるかの状況に追い込まれて、利用者を優先した形となりました。そして私と妻は退職することになりました。

当GHには四人の利用者がいて、その内の一人が24歳で強度行動障害者(※欄外に注釈)です。彼の病名は統合失調症ですが、排泄・入浴・食事等の支援は必要なく、普段の生活では自立しています。しかし構音障害があり睡眠障害(10時間近く寝ても睡眠不足を訴える)があり、時々幻覚や幻聴があるようです。

前にもこの話はここでお伝えしましたが、彼は自分では朝起きられず毎朝職員を手こずらせます。他三人の利用者の朝食時間は7時、彼の場合は8時過ぎになってしまいます。それこそ朝食もとらずに、デイ介護の送迎車が来る9時台までギリギリ寝ていることもあります。GHが開設してから一年経過しますが、当初から彼を入居させる計画で、定員が満たない段階でこのような利用者を容認し、特別扱いしてしまった事実は否めません。

彼は母子家庭で育ち、母親は金銭感覚に疎く長年国の生活保護を受けていて、彼の障害者年金を当てにしていた様子です。彼のわがままや身勝手がエスカレートしたのが今年始め、その母親が自己破産したことが切っ掛けとなります。それを理由に、彼は母親から実質縁を切られた形となりました。その恨みや腹いせが、GHで料理を作っている私の妻に向かいました。「女の手料理に下手な愛情は要らない」「梶さんの奥さんは嫌いだ」と、あからさまに言い出し、妻の料理を食べず拒否が始まりました。

母親への歪んだ憎しみが、私の妻へ向けられたのです。妻からしたらとばっちりです。縁もゆかりもない彼から、誹謗・中傷を受けたのです。そして3月代表が仲介に入り、彼の態度は収まったかのようにみえました。しかし、それが4月頃から再燃します。説得→しばらく収まる→また再燃、それが5月頃まで繰り返されます。繰り返す度に、その反動・反感が更に妻に襲い掛かるのです。「俺が、代表に説得・説教されているのは彼女の存在だ」。と、恐らく彼はそう考えたのでしょう。

「他の職員の方が提供する食事なら問題なく食べるし、私が作って残すのであれば食費が無駄になる」とは、妻の主張です。「拒否が続くなら、GHから自分が身を引いた方がいい」と、6月代表に申し入れをします(実質退職)。その時の、妻のくやしさや落ち込みは大きいものがあました。

私はそれに相前後して、現在の勤務を半減して欲しいことを代表には伝えていました。この夜勤を週3回続けることは、これからずっとは無理であり、長く務めさせてもらうなら、ペースを落としてもらいたいとの意向でした。そして代表はそれを受け入れ、私の後を埋めるために、新たに職員を募集し幸い二人の採用を決めることができました。

妻が去ってからです。彼の矛先は私に向かってきました。私が作った食事も何回かに一度、拒絶するようになりました。その背景は、私が他の職員と違ってきちっとGHのルールに従わせようとするので、彼にとってみると自由勝手ができないのです。彼にとってみると、自分がしたいことをさせない、排除したい人物、生贄・ターゲット探しです。

代表は4月頃より、このような問題が続くのであれば、彼を精神医療専門の病院に入院させ、医師に治療を任せ薬の調整等をしてもらった方がいいかもしれない、との見解を示していました。強度行動障害者の場合、入院治療調整後またGHに戻る、このようなケースがあるそうです。しかしそれは、実行されませんでした。代表に「私が関与する限り食べない・起きないは、彼にとっても得策ではないのではないか」と伝え、私自ら辞退を伝えました。その策しかなく、それはそれで納得した対処です。

代表から「梶さん夫婦には、精神的に強い負担をかけてしまい申し訳ない」との謝意があり、「彼は学生の頃から知っていて、情が入ってしまったことは間違いない」との弁明がありました。もっと早期に入院が実行できていれば今回の結果にはならなかった、との私たちの思いです。そして後任への引継ぎもあり、私の退職は7月末で決まりました。

決して恨みやつらみではなく、事実を書きました。私をこの歳で雇ってくれた代表や施設に対する恩義は変わりません。しかし夫婦でここまで頑張ってきたのに残念なこの結末、今は少し放心状態です。時を経て、また別の仕事をするかどうか分かりませんが、しばらくはリセットに専念します。   ~次回に続く~

※ 強度行動障害とは(国における考え方)  
自傷、他害、こだわり、もの壊し、睡眠の乱れ、異食、多動など本人や周囲の人の暮らしに影響を及ぼす行動が、著しく高い頻度で起こるため、特別に配慮された支援が必要になっている「状態」とされている。なお、強度行動障害は医学的な診断名ではなく、その人の行動の状態を表す行政的な用語と言われている。

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DIE WITH ZERO“ゼロで死ぬ”(その2)

2025年06月28日 05時51分01秒 | Weblog
ここで“DIE WITH ZERO”の著者ビル・パーキンスのプロフィールです。1969年テキサス州、ヒューストン生まれ。現在は、アメリカ領ヴァージン諸島に拠点を置くコンサルティング・サービス会社のCEO。アイオワ大学卒業後、ベンチャー・キャピタル、エネルギー業界を専門に金融業界で活躍。ヘッジファンドマネージャーとして大成功を収める。49歳でミリオネアに。その氏の著書にあり前回予告しておきましたが、~子供には死ぬ前に与える~と~タイムバケットの利用~の話を致します。以下、要約です。

~子供には死ぬ前に与える~
“ゼロで死ね”と聞いた時、子供に何も残さないのか、と思った人もいるかもしれない。そうではなく、子供に与えるべきお金を取り分けた上で、残りの自分のためのお金を生きているうちに使い切るべき。そして子供には、あなたが死んだ時の遺産として財産を残すよりも、死ぬ前に財産を与えるべきだ。アメリカのFRB(連邦準備制度理事会)の調査によると、人が遺産を相続する平均的な年齢は60歳だそうである。晩年になってから相続をすることが多いということだが、これでは子供たちは受け取ったお金を最大限に活用できるタイミングを逃している。子供がお金を最も必要とするのは、一般的に26~35歳くらいで、それを過ぎるとお金の絶対的価値はどんどんと落ちていく。子供に財産を分け与えたいのなら、金額のことだけではなく、できる限り最適なタイミングを考えるべきだ。

~タイムバケットの利用~
人生のステージの有限性を意識するためのツールとして、タイムバケットがある。方法としては先ず、25~29歳、30~34歳というように、時間で区切り(バケット)を作る。そこからあなたが死ぬまでに実現したいと思っているリストを書き出し、それぞれを実現したい時期のバケットに入れていく。するとリストの中には、人生の特定の時期に行なった方がいいものが見えてくるはず。登山をしたり、ロックコンサートに行くなら若い時の方が楽しめるし、古典小説を読んだりクルーズ船での旅行などは、歳をとってからでも楽しむことができる。期間を明確にすることで、同じ期間に同時にやるのは難しいことや、具体的に段取りを組まなければ実現が難しいものがあることにも気づく。例えば、家族を持ってからでないとできないことや、独身の時の方がやりやすいことが明らかになれば、それぞれの人生のステージにおける優先順位が変わってくる。タイムバケットを作ることで、漠然と死ぬまでにできたらいいなと思っていたことを、現実的な問題として捉えることができるようになる。

私自身の話になります。私は7年前に遺言書を作成して公証役場へ届けました。それは、死んでから子供たちに与える形でした。長男が梶哲商店で働いていて、将来代表となり会社を継ぐことを考え、それなりの相続の想定をしました。娘が二人いて家庭を持っていますが、相応の相続を考慮したつもりです。この度その内訳を前倒しにして、「子供には死ぬ前に与える」、を始めました。そして私の今までの生き方は、長期旅行や他やりたいことは漠然とイメージしたくらいで計画性はなく、お金・健康・時間もバランスを意識して過ごしたとはいえません。またタイミングについても、いつかは賞味期限切れになることも考えずに時間を無駄にしてきた感が強くあります。この度それらを改善しつつ「タイムバケット」を作成しました。この二つを実行してみて、今までが一変し、様変わりしていく感じを覚えます。

更に「子供には死ぬ前に与える」について、です。今私が所有している財産の中には、直ぐ現金化出来ない物もあります。この際、出来る物は現金化します。孫への教育費であれば、金額や条件の制約はありますが、無税で贈与出来ます。いずれ手元に入る、このお金を生前贈与することを娘二人には伝えました。今後の生活設計が立て直せると、娘から感謝されました。「子供がお金を最も必要とするのは、一般的に26~35歳くらいで、それを過ぎるとお金の絶対的価値はどんどんと落ちていく」。本にあっ主張を実感しています。「旬」という言葉がありますが、元々の意味は月の内の10日間単位のことです。正にタイミングとは、ピンポイントなのです。

更に「タイムバケットの利用」について、です。自前のタイムバケットを作ってみて、色々気が付きました。現在私は72歳ですが、80歳まで一年単位で枠を設けそこに何をしたいかを書き入れ、歳相応のやることが明確になりすっきりしました。2029年私たち夫婦は共に76歳となり、結婚50周年を迎えます。またその年は、社長退任10周年でもあります。何か記念すべきことを成そうと思っています。実は、今年7月に長く続けてきたことをこの度終えます(二つの終活)。それに際し、本の影響を受け、自作・自演・自腹で家族を集め祝賀会を催します。その二つの終活について、次回話をさせてもらいます。   ~次回に続く~
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DIE WITH ZERO“ゼロで死ぬ”(その1)

2025年06月21日 03時50分11秒 | Weblog
今回から、私のグループホームでの勤務時間の短縮(働くことの意味)の捉え方にも大きな影響をもたらした、最近読んだ一冊の本の話しとなります。“DIE WITH ZERO”がその本のタイトル、“ゼロで死ね”との意味です。当然、お金に関する話も多く出てきます。

しかし本書は、お金の稼ぎ方や増やし方などのよくあるマネー本ではなく、逆に「お金の使い切り方」をテーマとした、少し変わった本です。必要以上のお金を貯め込むことを良しとせず、経済的な価値以上の本当の豊かさを追求することを目的としなさい、との内容です。お金と時間を賢く使い切って死になさい、との示唆が含まれています。

その本の『まえがき』に、イソップ童話の「アリとキリギリス」の話が出てきます。夏の間、勤勉なアリたちは、冬の食料を蓄えるためにせっせと働いていましたが、キリギリスは自由に遊んで過ごしていました。その結果、やがて冬が来た時にアリは生き残れましたが、キリギリスは飢え死にしてしまう話です。この寓話の教訓は、「人生には、働くべき時と遊ぶべき時がある」ということです。しかし、キリギリスの結末はもちろん悲惨なものでしたが、アリは果たして幸せだったのでしょうか。短い生涯で働き続け、楽しい時間を一つも持つことなく、アリがそのまま死んでいくとしたら、それが幸せだったと言えるのか。との、新たな見方が書かれていました。以下、“DIE WITH ZERO”の内容を、四つにまとめた要点です。

~1.人生の大事~
人生で一番大切な仕事は、思い出作り。喜びを先送りにしてはいけない。限られた時間の中で幸福を最大化するためには、人生の早いうちに良質な経験をすることが大切。最後に残るのは、結局思い出だけ。人生の充実度を高めるには、その時々に相応しい経験すること。富の最大化ではなく、人生の喜びの最大化をするための方法を探す。経験の価値を信じる。節約ばかりしていると、その時しかできない経験をするチャンスを失う。その結果、世界が必要以上に小さな場所になってしまう。人生は経験の合計だから。

~2.お金の使い方~
今しかできないことにお金を使う。どんな金持ちも、あの世にお金は持っていけない。だからこそ死を意識し、「ゼロで死ぬ」を実践すべきだ。私たちは、喜びを先送りし過ぎている。手遅れになるまでやりたいことを我慢し、ただただお金を節約する。大切なのは、自分が何をすれば幸せになるかを知り、その経験に惜しまずお金を使う。考えているより、老後のお金はかからない。過度に貯蓄せず、早い段階で有効に使う。

~3.金・健康・時間のバランス~
人生をより良いものにするには、お金、健康、時間という人生の3大要素のバランスを、いかに取るかが重要。時間はお金よりもはるかに希少で有限。時間をつくるためにお金を払う方が人生の満足度は上がる。「老後のために貯蓄する」と言っていた人も、いざ退職したらそのお金を十分に使っていない。お金から価値や喜びを引き出す能力は、年齢とともに低下する。身体は間違いなく衰えていく。お金があっても、子供と一緒に過ごせず、経験の共有ができないなら、子供から大切なものを奪っていることになる。お金の価値は、加齢とともに、低下する。人は終わりを意識すると、その時間を最大限に活用しようとなる。

~4.賞味期限/チャンス~
物事には賞味期限がある。そのチャンスを逃さないためにも、大胆に行動すべきだ。リスクを取らないリスクを過小評価してはならない。リスクを取るなら早い段階が良い。また、行動しないというリスクを無視してはならない。子供やパートナーと過ごせたことに後悔する人はいない。多くの人の後悔は、「勇気を出してもっと自分に忠実に生きればよかった」「働き過ぎなかったらよかった」などである。働きすぎで後悔する人は多いが、子供やパートナーと過ごせたことに後悔する人はいない。

番外編として、~子供には死ぬ前に与える~と~タイムバケットの利用~とがあります。これは、次回話をさせてもらいます。

この本との出逢いは、高齢者専門の精神医の和田秀樹さんの書いた本を読んだことからです。氏には「○○の壁」の題名で多くの著書があります。タイトル名は忘れましたが、その一冊に“DIE WITH ZERO”が少しだけ紹介されていました。時間があったら読んでみようとメモしました。実際に読んでみて、大袈裟な表現ですが、この歳で人生観が変わりました。   ~次回に続く~ 


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縁と外国人就労(その9) 

2025年06月14日 03時49分10秒 | Weblog
「実は私一ヵ月前に、施設の代表に今の勤務を半減して欲しい旨を申し入れしました。この経緯は次回詳しく説明いたします。その私の補充をするため、代表は求人サイトの利用を試みました」。と、前回この一文を入れました。その説明をさせてもらいます。

6年前私は梶哲商店の社長を退任し、代表取締役会長となりました。それから2~3年間は、後任の社長を補佐しながら伴走してきました。その後は徐々に身を引く形で、去年代表取締役の任も解いて相談役となりました。45年間鉄屋一筋で仕事をしてきた私にとっては、その他の経験は全くしておらず、違う業界の知識も何もありません。

60歳後半、現役からリタイアして、社会と関わる仕事をしない選択肢もありました。一昔前の世相ではそれも当たり前でした。しかし私の中では、「自分は一体何者か」「鉄以外何ができるのか」との疑問が湧き上がり、収めることができなくなりました。その様な課題もあり、他人の話を真摯に聴く、傾聴のセミナーに参加し、一時期はそれに関する仕事に従事することも考えましたが、長続きしませんでした。

3年前の事、地元のハローワークを訪れました。求職者登録をして、この年齢で働ける仕事を探す為です。そしてハローワークから紹介されたのが、今の職場つまり介護職でした。従って自ら介護職を選んだのではなく、私を選んでくれたのが障害者介護の仕事でした。2年間は利用者の生活介護(昼間の仕事)に従事し、1年前からグループホーム(夜間の仕事)に従事してきました。

グループホームの勤務は、16:30から翌9:30まで、これが週三回あります。生活介護の母体である施設が1年前グループホームを新設し、私はそこの責任者として任命され、立ち上がりから色々な経験をさせてもらいました。妻も食事提供の仕事に巻き込んでしまいましたが、共々何とか一年体調を崩すこともなく勤務できました。

「自分は一体何者か」「鉄以外何ができるのか」との疑問にある程度の回答を与えることができた、とも言えます。これから先何年この仕事ができるのか。自分の体力・気力との兼ね合いとなります。長く続けるのであれば無理は避けた方がいいでしょう。そこで、施設の代表に今の勤務を半減にして欲しい旨を申し入れするに至った、のが経緯です。

現段階で私の勤務の半減については、まだ具現化していません。代表は複数の求職者と面談し、二名採用予定で絞り込んでいる最中です。いずれ補充要員が決定すれば、私の仕事以外の時間が増えます。そうなったら何をするか、今から楽しみにしています。さしあたり妻と長旅をしたいと思っています。後任が定着するまで、私の申し入れの期限は設けず、代表に一任しています。私を雇ってくれた恩義があります。

今回がこのシリーズの最終回となります。今回のテーマは、「縁と外国人就労」です。一つの縁が、私の介護職場の勤務状態を半分にしてもらうことに役立つ可能性があるとは思いもよりませんでした。恐らくKさんの紹介するベトナム人留学生をバイトで採用するまで至らないかもしれませんが、先々の選択肢として代表は認識してくれました。

今梶哲商店はKさんが仲介してくれたベトナム人、三人(いずれも二十歳代)と面談しています。二人を採用したいとのとのことです。その二人は現場職で、切断加工機械のオペレーションを担当させるようです。従来現場に従事していた社員は、外交営業に回す可能性も出てきたようです。将来を見据えて、適材適所の配置転換も視野に入れられます。
 
縁とは何でしょうか。初めて会った人と、その後生かされる縁も、一方消えてしまう縁もあります。縁とは実に不思議です。Kさんを私に引き合させたのは、職場同僚の飲みにケーション仲間です。二人で居酒屋で飲んでいた時、喫煙室からKさんを引っ張って来たのがその同僚です。

その同僚は、グループホームの要員となり一時期まで勤務していましたが、事情があって退職しました。接着剤は消えましたが、その縁は発展的に継続しました。一枚の名刺交換からです。この歳で縁はもう増えません。亡くなる方もあり、縁は減る一方です。今回の縁は、外国人就労を共通項として、私の枠を超えて広がっています。嬉しい限りです。

次回は、グループホームでの勤務時間の短縮(働くことの意味)の捉え方にも大きな影響をもたらした、最近読んだ一冊の本の話しをしたいと思います。すこし大袈裟ですが、この歳で人生観が変わりました。

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縁と外国人就労(その8)

2025年06月07日 04時47分47秒 | Weblog
さて、Kさんの仕事の話に戻します。Kさんとの縁が更に広がっています。一つは梶哲商店、具体的にはこれからですがベトナム人を1~2名受け入れることを決めました。もう一つは私が働いている介護施設も、ベトナム人採用を検討する可能性が出てきました。いずれもKさんを介してです。梶哲商店では若手の現場作業員が足りていません。私の勤める介護施設では、グループホームの夜勤職員の補充が必要となりました。

我が介護の職場に関連する、目にした新聞の二つの記事を紹介します(いずれも一般紙5月掲載)。一つは『ハローワークで採用低迷/昨年求人9割マッチングせず民間サービス利用は増』と題したもの、もう一つは『介護M&A 3割増で最多/昨年人件費負担重く経営悪化』と題した記事です。以下、要約を引用します。

『ハローワーク』に関する記事
 企業がハローワークに求人を出しても大半が採用に結びついていない。厚生労働省によると2024年は採用割合が11.6%と過去最低で、求人のおよそ9割が空振りだった。民間の人材サービスの拡大に加え、企業と求職者の間のミスマッチが広がっている。近年の低下傾向は景気以外の要因も絡んでいる。「民間のサービスを使って職探しをする人が増えている」と厚労省の担当者はみる。
 失業給付を受け取る場合はハローワークに求職者の登録をする必要があるものの、転職者を含めて民間サービス経由で仕事を決める例は多いとみられる。厚労省の雇用動向調査によると、2023年に新たな職に就いた人のうち、ハローワークで仕事を見つけた人は全体の13.9%だった。この10年間で割合は10.5ポイント下がった。最も多かったのは民間サービスの41.9%で、ハローワークは縁故の22.6%も下回った。
 インターネットやスマホの普及で民間サービスの利用は伸び、ハローワークに行かなくても手軽に職探しができるようになった。特定の業種に特化したサービスもあり、利便性は高い。手数料を支払える企業が求人を出しており、賃金水準も高いとされる。ハローワークは民間の人材サービスと比べて見劣りする面が少なくない。
 ハローワークは誰でも無料で使える雇用のセーフティーネットの役割を担う。同時に、日本の代表的な経済指標のひとつである有効求人倍率の算出のベースになっている。その機能低下は労働者の安全網と経済データの信頼性を揺さぶりかねない。

『介護業界M&A』に関する記事。
 介護業界の再編が進んでいる。2024年のM&A(合併・買収)は23年と比べて3割増え、過去最多となった。東京電カホールディングスや積水化学工業などが事業を売却した。人手不足から人件費の負担が重く経営環境が悪化、採算を確保する為統合によって効率を高めようとしている。
 介護サービスの有効求人倍率は4.25倍(24年12月)と全職業の1.22倍を大きく上回った。人件費の上昇が各社の収益を圧迫している。福祉医療機構の調査によると、23年度に赤字だった施設・拠点は養護老人ホームで55%、訪問介護で46%となっている。
 経営の悪化を受けて、介護業界のM&A仲介業者に、売却に関する相談が増えている。M&Aの買い手は規模拡大などで収益の改善を図ろうとしている。複数の買収先の施設・企業をグループ化して経営を効率化、収益性を高めたることを想定している。倒産も増えている。東京商エリサーチによると、24年は倒産が172件と前年比41%増加、休廃業も612件と20%増え、いずれも過去最多となった。
 介護保険制度は導入から25年目を迎えた。高齢者人口は増加を続け、報酬単価の大きな引き上げも望みにくい。全国の介護サービスを維持可能にするには、25万を超す施設・事業所を効率的に運営するための再編や大規模化が欠かせなくなっている。

以上ですが、中規模以上の介護施設・事業所であればM&Aが行えて効果的かもしれませんが、それ以下の規模ではその選択肢はほぼありません。自立・自活していくしかないのです。職員の募集においても、我が施設でも、お金が掛からないハローワークを長年利用してきました。

実は私は一ヵ月前に、施設の代表に今の勤務を半減にして欲しい旨を申し入れしました。この経緯は次回詳しく説明いたします。その私の補充をするため、代表は求人サイトの利用を試みました。当然それなりの費用は負担した様ですが、かなりの反応があったようです。

それでも決まらないようであればと、仲介手数料があまり掛からない、Kさんの紹介するベトナム人留学生(週28時間のアルバイトOK)を検討してもらう提案をしました。コンビニに勤務している留学生も多いとのことですので、グループホームの夜勤は留学生も働きやすい職場かも知れません。  ~次回に続く~
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縁と外国人就労(その7) 

2025年05月31日 05時02分29秒 | Weblog
前々回と前回で、山岡鉄秀著『シン鎖国論』の中にある、章「移民解禁という愚かすぎる政策選択」の要約を紹介しました。正式なルートではない外国人就労問題。国がその対策を間違えると、「日本の自死」を招くという内容でした。

 埼玉県川口市や蕨市での異常事態であるクルド人増加の問題。何故彼らは日本にやって来るのか。理由はトルコで暮らすよりは、まだ経済的にはマシだと考えるから。日本とトルコとの関係は歴史的に良好で、これを背景とし両国の間には「90日以内の滞在であればビザを免除する」という協定が結ばれている。この「ビザなし」の条件を使ってトルコ国籍のクルド人が次々と来日。
 移民政策について考える際、我われの目の前にはすでに先例というか巨大な失敗例があり、ヨーロッパ諸国がそれ。欧州各国がイスラム系移民や難民の過剰な受け入れによって、白人の比率はどんどん低下、人口動態に不可逆的な変化をもたらし、国の在り方まで変わりつつある。ヨーロッパ文明の変質と崩壊に繋がる『西洋の自死』といわれている。
 ヨーロッパは第二法大戦後、労働力不足に対応するために移民を大量に受け入れ、やがて移民なしではやっていけなくなり、望んでも流入を止められなくなった。政策の失敗によって自動的にイスラム化してしまう、といわれている。しかし奇妙なことに、白人系ヨーロッパ人たちはそれに対して毅然たる対応を取らず、曖味なままにしている。一体何故か。ヨーロッパ人は自らに課したポリコレ(政治的正しさ)によって自死を選んでいる。つまり、白人はかって植民地を支配し、有色人種を差別し、迫害し搾取した罪があり、イスラム教徒を批判するのは宗教差別だ、といった観念に自縛されているとの見解。
 川口市や蕨市のクルド人たちは難民でも移民でもなく、90日間のビザ免除が悪用され、いつの間にか住民登録もないクルド人の人口が膨れ上がり、治安の悪化という深刻な社会問題を起こすに至っただけである。国が問題先送りで済ませてきた杜撰な入国在留管理が招いた結果にすぎない。制度的な不備を放置し、こういう事態に至っているだけである。

あらためて、このような主旨でした。5月26日付けの朝日新聞には、第一面に“難民受け入れたドイツ10年後の逆風”と題した記事が載っていました。ドイツの町で町長になったシリアのボート難民を紹介しつつも、メルケル元首相の人道的な評価は当時世界から評価されたが、それから10年その評価は揺れ動き、ドイツの政策は逆方向へとかじを切っている、との内容でした。さらに新聞の第二面には、“反移民閉じゆく欧州「自国ファースト」右翼台頭”との記事も載っていました。それに付随したコラムですが、“移民 有権者の不満そらす「スケープゴート」”と題し、上智大教授(国際政治)岡部みどり氏が書いたものを、以下引用します。

 欧州社会への難民の「統合の失敗」とも言われる最大の原因は、一度に大量の人を受け入れたことだ。人道目的とはいえ、制御できないほどに受け入れれば結果的に「統合」は阻害される。
欧州連合(EU)が昨年、大幅に受け入れを減らす方針にかじを切ったのは、「望まれる外国人」を選別するためだ。EUは、過去数年間に経済移民しか出していない国をリスト化し、そもそも難民申請できないようにスクリーニングする規則を導入した。
 日本同様、人手不足の欧州では今後、高技能人材は積極的に獲得する一方、スキルが無い人には厳しい対応が取られることになる。それは、本来であれば難民資格が無いのに、不法入国をあっせんする悪質なブローカーの「人道ビジネス」を根絶する意味合いもある。
 「反移民」を掲げる極右政党などのポピュリストたちにとっては、中央政府が本当に移民を管理できているかどうかは、あまり重要ではない。移民が、有権者の不満などをそらすための「スケープゴート」として使えるか否かということだ。

コラムは以上ですが、『シン鎖国論』通じるものがあります。『西洋の自死』に向かわないように、かじ取りをしているのが今の欧州の姿なのかもしれません。江戸時代の鎖国とは、幕府が国を選んで抑制したのです。宗教的な制圧や、植民地化される恐れがある国は排除したのです。一方で、日本の国に必要な知識や富をもたらす国とは、限定し交易し交流を図った。と、私は解釈しています。

「移民は経済成長のために必要だ」とか、「高齢化社会では移民を受け入れるしかない」とか、「移民は文化を多様で豊かなものにする」など、ヨーロッパを移民社会に進ませたのと同じロジックを、日本は避けなければいけません。移民一人ひとりを国がルールに従わせるべく統制力を発揮することが前提で、移民導入政策への安易な移行は自死に向かわせます。現在の外国人就労制度を、我々も身近な問題として見守って行かなくてはなりません。身近な課題として、私も考えを新たにしています。次回、それらをお伝えします。   ~次回に続く~


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縁と外国人就労(その6) ~『シン鎖国論』の要約(2)~

2025年05月23日 23時28分49秒 | Weblog
クルド人が従事している解体業や産廃物処理業は、労働集約型でもあり、正直言って最近の日本人がやりたがらない、厳しくキツイ仕事です。クルド人経営者は、不法滞在のクルド人を使うことによって人件費(コスト)を極端に抑え、格安料金で仕事を請け負うことができます。また、解体した資材の一部が(コスト削減のために)非合法に廃棄されているのではないかとの疑念もあります。

いずれにせよ、日本で日本人がやりたがらない仕事に就くことによって、トルコの寒村で農業をしている時よりもずっと高い収入を得ることができるからこそ、90日間のビザ免除を使って次から次へとクルド人がやってきているというのが基本図式です。少し俯瞰的に考えてみると、ここから今の日本社会が直面している構造上の問題が見えてきます。「労働者不足」を今後どうしていくかという問題です。とくに、労働集約型の事業形態の仕事では、現状でもかなり外国人労働者に依存しています。

技能実習制度が、実際には奴隷制度に近いような劣悪な労働環境で運営されているとか、賃金の未払いや運配があるといった問題もかなり指摘されています。労働集約的で、かつ請け負い価格で叩かれる仕事を、外国人労働者に依存せずに回していけるかどうかというのは重要な問題です。岸田首相は2023年7月の令和臨調において「労働力人口が減るわけだし、人口減少問題はすぐに解決できないので、大幅に政策的転換をして移民を積極的に入れ、日本らしい共生社会の道を探っていく」という趣旨の考えを発表しました。さらに、「特定技能2号」の対象業種も驚くほど拡大する方向に向かっています。

移民政策について考える際、われわれの目の前にはすでに先例というか巨大な失敗例があります。ヨーロッパ諸国がそれです。なぜそれに気づかないのか、不思議でなりません。イスラム教徒は概して多産ですが、西側先進国では既にイスラム系移民の人口が急増し、白人の比率はどんどん低下しています。西洋のイスラム化が加速度的に進んでいるのです。このヨーロッパ文明の変質と崩壊に鋭く警鐘を鳴らしたのが、『西洋の自死』を著したイギリスのジャーナリスト、ダグラス・マレーでした。

原著は2017年刊ですから、今から6年前のヨーロッパ社会を分析した論考です。マレーは、イギリスを中心に、欧州各国がイスラム系移民や難民の過剰な受け入れによって、人口動態に不可逆的な変化をもたらし、国の在り方まで変わりつつある事実を赤裸々に描写しました。ヨーロッパは、第二法大戦後、「労働力不足に対応するために移民を大量に受け入れ」、やがて「移民なしではやっていけなくなり」、「望んでも流入を止められなくなった」と明確に書かれています。そして、「政策の失敗によって自動的にイスラム化してしまう」と、ほぼ断定しています。

しかし、奇妙なことに、白人系ヨーロッパ人たちはそれに対して毅然たる対応を取らず、曖味なままにしている様子が『西洋の自死』には描かれています。いったい何故でしょうか。マレーによれば、ヨーロッパ人は自らに課したポリコレ(Political Correctness=政治的正しさ)によって自死を選んでいるというのです。つまり、「白人はかって植民地を支配し、有色人種を差別し、迫害し、搾取した罪がある」「イスラム教徒を批判するのは宗教差別だ」といった観念に自縛されていると。

もうひとつ注目すべきは、この本の日本語翻訳書の巻頭で“解説”を書いている中野剛志氏による「はなはだ遺憾ではあるが、我々日本人は本書を『日本の自死』として読み換えなければならなくなった」との厳しい指摘ではないでしょうか。「移民は経済成長のために必要だ」とか、「高齢化社会では移民を受け入れるしかない」とか、「移民は文化を多様で豊かなものにする」など、ヨーロッパを移民社会に進ませたのと同じロジックを、まさに今の日本も大声で広めようとしているように思えます。他国の失敗例から何一つ学ばぬまま、日本も「自死」に向かうつもりなのでしょうか。

日本在住の外国人は、2000年の時点で131万人だったのが、2022年で300万人。この2年半はコロナ禍で外国からの流入を止めていたわけですが、それでも2~3倍ほど増えています。川口で起きていることに象徴されるような、遵法意識ゼロのまま日本に不法滞在しているクルド人たちの問題を前に、「クルド人は可哀そうな人々だ」と叫び、具体的な問題を指摘すると「人種差別だ」と騒ぐ左翼活動家団体が存在し、それらと連携することで相互に便益を受けているクルド人グループがあります。外国人への生活保護費負担や医療費、社会保険料負担もかなり大きくて、そこには典型的な「弱者ビジネス」が成立していて、現状を看過するなら、日本国民が今後継続的に重い負担を強いられるようになると考えなければいけません。

川口市で起きているクルド人問題は一つのモデルケースではないかと思います。クルド人たちは難民でも移民でもありません。日本とトルコとの友好関係に基づく90日間のビザ免除が悪用され、いつの間にか住民登録もないクルド人人口が膨れ上がり、治安の悪化という深刻な社会問題を起こすに至っただけです。国が「問題先送り」で済ませてきた杜撰な入国在留管理が招いた結果にすぎません。不法滞在者に厳しく対処せず、難民申請を無制限に受け付けるなど、制度的な不備を放置するようなだらけたことをしていたから、こういう事態に至っているだけです。

日本に来ているクルド人たちは、ほとんどトルコ国籍なのですから、トルコ政府と相談して、ビザ免除を廃止すればいいと思います。日本人がトルコに行きたくなったらビザを取ればいいだけのことです。不法滞在者は摘発して強制送還し、違法操業をしている業者は摘発して解散させればいい。問題はシンプルだと思います。正当な理由を持ち、合法的に生活できる人、日本社会に馴染もうとする善良なクルド人だけを残します。それだけのことです。

自民党の炭木微充幹事長は、日本を多民族国家に改造したいそうです。しかし、海外(オーストラリア)に長く暮らした立場から明言しますが、多文化主義も異文化共生も、移民一人ひとりを国がルールに従わせるべく統制力を発揮することが前提となって初めて成立することを理解せねばなりません。「シン・鎖国論」の観点から言って、移民導入政策への安易な移行はNO!です。私は、移民に対しては国の門を閉ざすことを原則とし、戦略的取捨選択としては、まずもって出入国在留管理を厳格に運用することが大前提であると提言します。   ¬~次回に続く~


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縁と外国人就労(その5) ~『シン鎖国論』の要約(1)~

2025年05月17日 05時34分29秒 | Weblog
今までKさんの仕事を通して、外国人就労を正規のルートで見てきました。最近読んだ本で、正式なルートではない外国人就労問題を知りました。著者山岡鉄秀『シン鎖国論』。国がその対策を間違えると、「日本の自死」を招くという内容です。第一章「移民解禁という愚かすぎる政策選択」、少し長いのですが、2回に亘ってその内容を要約・引用したいと思います。

自宅の敷地内で外国人同士が殺し合い。乱闘をしていたのはクルド人(トルコ国籍)たちで、原因は男女関係(不倫)を巡るトラブル。突然暴走したクルド人の運転する車が飛び込んできて、1階の自宅がメチャクチャになってしまった。市民は普通に生活する権利が脅かされています。連日深夜近くになると、街の主要道路を違法改造車や、大音量を誇示し猛スピードで爆走する車が列を連ね、住民たちの安眠を妨げます。日本人女性を見かけたら執拗にナンパを繰り返す。これが埼玉県川口市や蕨市でたった今起きている現実なのです。クルド人問題、日本社会が初めて直面する異常事態となっています。

正確な全体像は把握されていませんが、クルド人たちは2023年に入って倍増し、4000人くらいいると言われていて、そのうち3分の2以上は、住民登録がない“不法滞在者”ではないかと推測されています。クルド人とは基本的にはイスラム教徒とのことですが、総じて敬虔ではなく(飲酒の習慣がある者も多い)、日本社会とのトラブルは宗教的生活様式に由来するものではなく、遵法精神が皆無で日本の法律や最低限の常識的なふるまいを一向に理解しようとしない点にあるようです。彼らは、大小複数のクラン(一族郎党)ごとに団結し、利害が一致しない部分ではいつも抗争を繰り返しています。

クルドはトルコ、イラン、イラク、シリアの山岳地帯の住民族で、人口は3000万人~4000万人とされ、歴史上一度も「独自の国家」を持ったことはありません。第一次世界大戦でオスマン帝国が消滅した後はトルコ政府に同化政策を強いられ、従わない場合には抑圧されたため世界各国に難民として逃げ出しているというイメージがありますが、1990年代にトルコがEU加盟のために社会・司法制度を変更して以降、現在は同化政策や死刑も廃止され、差別政策は行われていないとされています。トルコにおいては人口の2割弱に当たる1500万人がクルド人です。

なぜ彼らは日本にやって来るのでしょうか。理由は、それでもトルコで暮らすよりは“まだ経済的にはマシ”だと考えるからです。トルコでも貧しいという彼らがどうやって日本まで渡航して来て、どのように生計を立てているのか。過去に来日し(合法的に入国しているかどうかは人による)定住しているクルド人の中には成功者も現れました。具体的に言うと、解体業、産廃業、ケバブショップの経営などで利益を上げている人たちです。

そもそも、日本とトルコとの関係はたいへん良好で、とびきりの友好国だと言えます。一つはエルトゥールル号遭難事件がその契機になっているでしょう。明治23年に、本州最南端の和歌山県串本町沖で、オスマン帝国の軍艦エルトゥールル号が折からの台風の影響を受けて座礁、機関が爆発して587名が死亡するという大変な海難事故がありました。このとき串本町の人たちが命がけで救助作業に当たり、69名を助けたのです。そして明治政府は生き残った乗組員たち全員を2隻の軍艦に乗せ、無事にオスマン・トルコまで送り届けたのでした。トルコ政府はこの救難活動を行ってくれた日本に対して深く感謝し、小学校の教科書にも載せているため、トルコ人で親日感情を持たない人はほとんどいないのだと聞きます。

一方、1980年に始まったイラン・イラク戦争がエスカレートして都市攻撃戦が始まった1985年に、現地駐在や出張でイランにいた日本人を救ってくれたのがトルコでした。3月17日、イラクのフセイン大統領が突然、「今から48時間後より、イラン全土上空を『戦争空域』に指定する」、つまり、軍用・民間の区別なく、イラン上空を飛ぶ飛行機は無条件に攻撃すると宣言したため、各国政府は自国民をイランから脱出させるために、大慌てで救援機をイランに飛ばしました。しかし、あろうことか当時の日本政府は「安全が確保できない」「自衛隊機を外国に飛ばすのは憲法に抵触するのでは?」と、救援機を出さず自国民を見捨てたのです。イラン国内には当時215名の日本人がいましたが、出国できないと聞いて絶望していたところ、タイムリミットが刻々と迫る中、テヘランのメヘラバード空港にトルコ航空の特別機が2機着陸します。邦人たちは全員このトルコ航空機に分乗し、無差別攻撃が開始される直前、無事にイランを脱出してイスタンブールに到着することができたのです。当時の駐日トルコ大使、ネジアティ・ウトカン氏は、「私たちは、エルトゥールル号の借りを返しただけです」と答えたそうです。

こうした歴史を背景として、日本とトルコの間には「90日以内の滞在であればビザを免除する」という協定が結ばれています。この「ビザなし」の条件を使ってトルコ国籍のクルド人が次々と来日してくるわけです。90日が経過した後、一旦出国してから戻る者もいれば、そのまま不法滞在を続ける者、さらには難民申請をする者もいます。2023年6月にようやく入管法の改正案が参議院本会議で可決、成立しました。従来は、「難民認定の申請中」であれば送還が認められていませんでしたが、今回の改正によって、3回以上難民申請をした人の送還が可能になりました。それまでは、難民でない人が送還を免れるために申請を繰り返す「濫用」が頻発しており、実際に難民申請を繰り返すことで20年以上滞在しているクルド人もいるそうです。

日本に来ているトルコ国籍のクルド人たちは難民ではないし、移民とも違います。川口市に集住しているクルド人たちは、経済的理由で日本に来て、入国後は不法滞在を続けているケースがほとんどなのです。今回の入管法改正に関して、「日本は諸外国と比較して難民認定率が低い」とか、「難民申請中の送還は国際法違反だ」という批判もありますが、難民保護の問題と外国人の不法滞在に伴う社会問題の多発という問題を同列で語ってはいけません。川口のクルド人問題は、一つは出入国管理の運用の失敗であり、もう一つは、日本社会における労働集約型産業をどう維持していくかという構造上の問題に繋がっていきます。 ~次回に続く~
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縁と外国人就労(その4)

2025年05月10日 01時11分30秒 | Weblog
外国人の人材派遣会社のKさんに同行して、弟は3回ベトナムに行きました。その内の1回に私の知人(KMさん)も加わっていました。KMさんも運送会社を経営していて、後にKさんの会社から3名ベトナム人を採用することになります。今回はKMさんと私の出逢いからスタートします。
   
そもそも私とは、KMのお父さんとの縁が始まりです。28年ほど前ですが、お父さんが梶哲商店に突然訪ねて来られます。昭和40年代、わが社の運転手を製鉄所で見掛けて、感動したというのです。制服やヘルメットをきちっと身につけてテキパキと構内で作業をしていたわが社の社員に刺激を受け、いつかは会社を訪ね、梶哲の社長に会いたかったとのこと。

当時わが社は、関東一円の電炉メーカーの構内に入りミルスケール(※欄外注釈)を集荷していました。私の先代は戦時中、大学生の時に志願して海軍に入隊していたので、その軍隊教育を会社に持ち込んだのでした。KMのお父さんは昭和40年代、白ナンバーで運送の仕事をしていました。いずれ運送会社を自分で興して社員を抱えた時、わが社を見習いたいと長年思っていたそうでしたが、中々足が向かず意を決しわが社を28年前訪ねてくれた時は、先代は既に亡くなっていたのです。

お父さんは東北岩手県の出身。地元の中学を卒業して直ぐに、15歳の春集団就職で上京します。最初に就いた仕事が、自転車でのデパートの商品の配送でした。運転免許を取得してトラック運送の道に入り、念願の運送事業の許可の申請をして、ようやく受理されます。そこまでの道のりだけでも並大抵の苦労では無かったようです。良い荷主にも恵まれ、社員も100人を超えて、運送業界では中堅クラスまで一代で築き上げます。

私の先代に会いたいと突然来社された、KMさんのお父さんとはそれが切っ掛けとなり、折に触れお会いすることとなりました。お父さんが主催する会合に呼ばれたり、わが社の経営計画発表会に来賓として出席してもらったり、私より5歳年上のお父さんからは、人生の先輩として、色々な体験や世の中の摂理を勉強させてもらいました。

現在50歳半ばの息子さんのMKさんとは、勿論お父さんとの縁からで、彼が20代から知り合っています。MKさんは30歳でお父さんから社長のバトンを渡され、今日に至るまで立派に後を継いでいます。私が長く続けていた勉強会に、KMさんをお誘いした経緯があります。ある事情があって私はその勉強会から退きましたが、社外の師から学ぶ意義を理解してもらい、KMさんはずっと継続されています。

お父さんは今から22~23年前に私塾を立ち上げました。元々社員教育には熱心な方で、社内で礼儀・作法を運転手に学んでもらっていました。ある時期は採用した社員の定着や躾に相当苦労されていました。運送会社だから運転手だからと、社員教育を諦めませんでした。その長年の積み重ねを、外部の人にも広めたいとの思いが私塾の設立に繋がりました。

私は開所と同時に声を掛けられ、3年前お父さんが亡くなるまで20年近く、塾に通わせてもらいました。参加者は、社内の幹部社員も含め外部の人も入れて、最盛期10名を超えていました。その塾で行われた内容は紆余曲折もあり、毎週末の座禅会へと定着していきました。お父さんが他界した後、KMさんが塾を引き継ぎますが、私はお父さんが他界したタイミングで卒業させてもらいました(KMさんがやりづらいと感じ)。私の代わりに梶哲商店の社長が、現在メンバーとなっています。

この塾の関係者6~7人で、忘年会、新年会、暑気払い、座禅研修旅行等々が開催されてきました。私はこのような集まりには、都合が付けば参加させてもらっています。この集まりに件のKさんを、一年前に、皆さんの了解を得てお誘いしました。皆さんには気持ちよく受け入れてもらい、Kさんもすっかり溶け込んでくれました。以来Kさんは、その集まりに度々顔を出すようになりました。

そのような関係が出来た上で、弟関連の契約の進み具合を見て、改めてKさんをKMさんに単独で引き合わせました。KMさんの会社が運送業の他ロジスティクス事業も展開していることは先述しましたが、整備工場も運営しています(自社トラックだけでも100台を超えているので)。実は今日本では、社会問題になりかけていますが自動車整備士が不足しています。

話しは急展開します。技能実習生や技・人・国の形態ではなく、KMさんの会社は、既に日本で就職経験があるベトナム人の整備士2人と構内作業員1人を、Kさんの会社から採用することになりました。   ~次回に続く~ 
 
※ミルスケール
熱間圧延加工で作られた鉄鋼材料の酸化被膜(酸化鉄)。鉄分が70%以上あり、当時市中から集まったミルスケールは高炉メーカーの鉄源として使われていた。
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