梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

シンボルを守る

2016年11月26日 05時59分51秒 | Weblog
その日の朝、私は風呂でシャワーを浴びていた時のことです。福島県沖で地震が発生しまた。ラジオからは「皆さん、五年前を思い出して下さい!津波が来ます、今直ぐに海岸から離れ高い処に避難して下さい!」、そんな言葉が繰り返されていましたが、関東では大事には至りませんでした。11月22日は、そこからスタートしました。

その日梶哲商店にとっては、特別な日です。わが社は、先代の梶哲が個人として昭和27年の11月に創業しました。そして三年前のこと、創立60周年として記念式典及び祝賀会を行いました。その行事を行った11月22日を、わが社では創立記念日と定めました。

その日は二年前から、ちょっと豪華なお弁当をお昼に社員全員で食べ、その後会社の表に置いてある三年前に創った記念のモニュメントを皆で綺麗にすることとしました。朝まで降っていた雨はすっかり上がり、三年前の様な好天に恵まれました。

そのモニュメントは一体何なのか。私の祖父が戦前シャーリング業を営んでいて、その時使っていた鋼板剪断機のフライホールです。しかし戦争の激化によって昭和16年には、祖父は会社をたたむことを決意して、機械も工場ごと同業者に売却をします。

戦後私の父が新たな鉄の商売で起業します。スケール回収業で再創業した先代は、その後スクラップ処理業へと事業を展開します。昭和57年に至って、スクラップで買い付けた中に、なんとこのフライホイールが偶然にあったのです。先代はその大きさや特徴ある傷を見て、間違いなく祖父の時代に使っていたものであると確信し、その事実に驚愕します。

先代がスクラップ事業に進出しなかったら、そのフライホイールとは出逢ってはいなかったでしょう。またわが社は14年前に、鋼板素材の販売先が破綻して、溶断事業に進出することとなりなりました。祖父が一旦閉鎖したシャーリング業を、私の代で、それも偶発的に再開するに至った経緯は、何とも不思議な縁の巡り合わせです。

わが社では、そのフライホイールを“奇跡の生還”と称して、自社の勢いの象徴としたいと思いモニュメントを造りました。しかし過去は、40年振りにわが社に生還したフライホイールも、暫くは邪魔もの扱いにされて、倉庫の片隅で眠っていました。60周年を契機に、ようやく表舞台に立つことが出来ました。

最近私は神社のお守りが、自分達を守ってくれるのではなく、私達がそのお守りを汚さないよう守るものだという衝撃的な見方を学びました。正に昔の軍旗はそうであったと。皆で守るものがあれば、その集団は強い。

今やその60周年行事も知らない、入社間もない社員がいます。このシンボルを社員が大切にして守ってもらう。この奇跡が会社の軌跡となって、不屈のカジテツ精神が引き継がれることを願います。

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認知症の知識(その2)

2016年11月19日 09時34分53秒 | Weblog
老いに対する不安や、将来認知症になったらどうしようかとの恐れは、誰しもが持っていると思われます。しかし今回この講演会に参加して、そして熊谷先生が理事をされている日本慢性期医療協会のブログサイトも見てみたことで、私自身のそれらに対する漠然とした心配はかなり解消されました。

つまりもの忘れ自体が必ずしも認知症に繋がるものではない。老いは人間誰しもあるが、その老いに打ち勝って、何にでも興味を持って日々アクティブに行動することが、むしろ認知症の予防に繋がっていくのだとの見方です。

「私は50代前半ですが、頭を洗っている時にシャンプーを何回付けたかが分からなくなることがありますが、それは認知症ですか?」。講演に参加されたある方が先生に質問しました。その方の言動も判断した上でしょうが、「それはその時に違うことを考えていて、頭を洗うことに集中していなかったからですよ」、との先生の回答でした。

新聞や本を読んだりすると中々頭に入って来ないことを、このところ私は感じていましたが、最近両目で見られる拡大鏡を使ってからそれが解消しました。実際私も、字が小さくて見えづらことが、意識の集中の妨げになっていたことを認識しました。

今や医療は急性期から慢性期の時代を迎えたと、先生は仰います。50年前の平均寿命は65歳だったのもが、現在は85歳になった。医療も救急優位だったのもが、今は高齢者医療や慢性期医療が主流になり、治る病気から治らない病気が多数派になってきている。その慢性期の病気の代表が、認知症であると言われました。

この慢性期医療の最大の目的は、もっぱら苦痛の除去とADL(Activities of Daily Living:日常生活動作)の回復だと。この苦痛は身体的な痛みだけではなく心の痛みも含み、この除去によってADLはかなり改善するのだと説かれます。

その先生の祖父と父親が医者で、自分は三代目だとのことです。始めから慢性期医療が専門との明確な使命を持っていたわけではなく、町医者に生まれ育ち自分も医者になり、紆余曲折色々な変遷があって、時代の方も変化して、この道に携わることになったそうです。

実はこの先生と私は同じ高校で同期でした。東鉄連から講演の案内をもらって、認知症については関心がありましたので即申込みました。開催日当日案内の略歴を見直して、ひょっとしたらと思い、高校の卒業アルバムを引っ張り出してきて、同期だと判明して、びっくりした次第です。勿論、講演後に挨拶をして、先生もびっくり。不思議な縁を感じます。

講演の後質問を募ったところ、食べ物の話に集中しました。何を食べたら認知症にならないかとの内容です。先生は一つ一つ丁寧に見解を述べられましたが、私はそのような質問自体にちょっと違和感を覚えました。

何を食べるかで認知症の予防になるのは、それはそれで良いことです。しかし何歳になっても、何かをしたいという熱意を持つことが先決だと思います。認知症以前の問題で、高齢化による身体の衰えで、活動範囲が狭まり消極的になることを先生は警告されました。
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認知症の知識(その1)

2016年11月12日 10時00分07秒 | Weblog
東鉄連の教育事業委員会が主催する講演会に出席しました。今年4月に東鉄連の理事を退任してから、久しぶりに東鉄連の企画する行事に参加して、懐かしい顔の方にもお逢いすることが出来ました。

講演のテーマは“認知症はなっても○、防げば◎”、講師は医学博士の熊谷賴佳(よりよし)先生でした。今や認知症は予備軍も含め65歳以上の4人に1人と言われ、仮に認知症になったとしてもむやみに恐れるだけではなく、防げればなお良しとの主旨でした。

先ず初めに認識すべきこととして、認知症とはもの忘れが始まる頃より何十年も前から密かに発症しゆっくりと進行する病気だと。そしてもの忘れは認知症の一つの症状ではあるが、もの忘れイコール認知症ではないと強調されました。記憶力や計算力の低下があまり顕著でないにもかかわらず、仕事がうまくやれない日常生活に支障を来すことこそが、認知症の症状だと言われました。

例えば10年前から健忘症が始まったとしても、半分は認知症になる可能性があるが、残り半分は認知症にはならないと。認知症は遺伝的になる人もあって稀に10代から始まるケースもあるが、その他で認知症になる大きな要因は生活習慣であるとも言われました。

また、認知障害と認知症とはイコールではないとも断言されます。どちらも神経認知機能に異常をきたした状態であるけれど、認知障害の原因は高齢化に伴う経年変化と色々な病気によるものであるが、認知症の原因は今の処はっきり解らないと言われました。

高齢化に伴う認知障害とは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、温痛覚・触覚が衰えることです。つまり外からの入力情報が不足し、体力的な出力運動も精神的な意欲も低下してしまうと、認知症以前の問題ですが、活動範囲が狭まり消極的になると警告されます。

では認知症の具体的な症状としてはどんなものなのか。病気の進行に伴って患者に見られるその中核症状としては、1記憶障害、2見当識障害、3理解判断力障害、4実行機能障害、この四つを挙げています。以下それぞれの主な事例です。

1記憶障害:何時も同じ話題を繰り返す。日付を忘れる約束をすっぽかす。会話で人や物の名前が出て来なくなり「あれ」「それ」を繰り返す。 2見当識障害:自分が置かれている状況が分からず大勢の中で大声を出す。横断歩道を渡る時進退の判断ができず立ち往生する。閉まりかけの電車のドアによく挟まる。 3理解判断力障害:買い物の手順が悪くなり一品二品忘れる。レストランのメニューから選ぶ物を絞り込めない。机の中や部屋の片付けが出来ず使わない物を溜め込む。 4実行機能障害:今まで達筆だった字が乱れる。いつも綺麗にしていた身支度が乱れる。トイレ使用後洗い流さない。

講演の中盤からは、認知症になってしまった人の行動や心理症状、そして熊谷先生自ら経営されている認知症介護専門の病院の話しとなりましたが、ユーモアを交え噛み砕いた事例を織り込んで、質疑応答も含めた二時間はあっと言う間に過ぎました。 
 ~次回に続く~

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自身への問い

2016年11月05日 10時14分56秒 | Weblog
世の中の人からすると気には止めないことでも、私の中ではちょっとしたことでも拘って見過ごせないことがあります。それを突き詰めていくと、自分の修正もあり、また違った考え方が見えて来ることがあります。

最近、その気になってしまうことです。個室のトイレに入った時、使い終わったトイレットペーパーの芯がそのまま残っていることです。外出先での一般のトイレのケースは除きますが、会社のトイレや例えば勉強会の合宿先のトイレで、こんな現象に出合ってしまう時のことです。

つまり、これは前に使用した人が後始末をしなかった訳です。これらの場所のトイレは、いわば仲間同士で使用しています。特定は出来ないけれど、その仲間の誰かが片付けなかったのです。その誰なのかも気になります。

このペーパーの芯を残して行った人の心を考察してみます。始末しようと思っていたが何か考え事をしていてついつい忘れてしまった。大半がそうであって欲しとは思います。しかしご丁寧に芯だけをペーパーホルダーの上に載せて出て行ってしまう。こんな光景見ると片付ける意思がないと受け止めざるを得ません。

恥をさらけ出すことになりますが、会社のケースであれば、そのように仕向けていないわが社の教育がなっていないとなるでしょう。勉強会のケースであれば、自ら学びに行って幾ら大切な勉強したところで、心ここに在らず、その勉強は身には付かないだろうと私は解釈してしまいます。

整理・整頓・清潔・清掃・躾と、わが社においても何年も前から5Sを励行してきています。ゴミが落ちていたら気が付いた人がその場で拾う、汚れていたら気が付いた人がその場で綺麗にする、これも社員は知っているはずです。

しかし厄介なのは厳しく注意をしても一時的には直るでしょうけれど、言われたからやる、言われなければやらない、その繰り返しを植え付けてしまう恐れがあります。叱ったとしてもその人の行為を完全に正すことは難しいこととなります。

「片付けなさい!は言ってはいけない」。片付けが出来ない子供に親がこのように叱るのは逆効果である、との記事が最近新聞に載っていました。片付け方を知らないので、ちらかすだけで終わってしまう。親が一緒に片付けることから始めなさいとの主旨です。

今の私の拘っている問題解決に通じるものがあるように思います。言葉で注意しても、何故それが大切なのか伝え切れていなければ、根本の解決にはならないかもしれません。

先ずは黙ってペーパーの芯を片付ける。目の前の光景は、私を試している、何かを問い掛けているように感じます。犯人捜しをするのではなく、会社で仕向けられなかったことを素直に認め、改善しなくてはなりません。
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