その日の朝、私は風呂でシャワーを浴びていた時のことです。福島県沖で地震が発生しまた。ラジオからは「皆さん、五年前を思い出して下さい!津波が来ます、今直ぐに海岸から離れ高い処に避難して下さい!」、そんな言葉が繰り返されていましたが、関東では大事には至りませんでした。11月22日は、そこからスタートしました。
その日梶哲商店にとっては、特別な日です。わが社は、先代の梶哲が個人として昭和27年の11月に創業しました。そして三年前のこと、創立60周年として記念式典及び祝賀会を行いました。その行事を行った11月22日を、わが社では創立記念日と定めました。
その日は二年前から、ちょっと豪華なお弁当をお昼に社員全員で食べ、その後会社の表に置いてある三年前に創った記念のモニュメントを皆で綺麗にすることとしました。朝まで降っていた雨はすっかり上がり、三年前の様な好天に恵まれました。
そのモニュメントは一体何なのか。私の祖父が戦前シャーリング業を営んでいて、その時使っていた鋼板剪断機のフライホールです。しかし戦争の激化によって昭和16年には、祖父は会社をたたむことを決意して、機械も工場ごと同業者に売却をします。
戦後私の父が新たな鉄の商売で起業します。スケール回収業で再創業した先代は、その後スクラップ処理業へと事業を展開します。昭和57年に至って、スクラップで買い付けた中に、なんとこのフライホイールが偶然にあったのです。先代はその大きさや特徴ある傷を見て、間違いなく祖父の時代に使っていたものであると確信し、その事実に驚愕します。
先代がスクラップ事業に進出しなかったら、そのフライホイールとは出逢ってはいなかったでしょう。またわが社は14年前に、鋼板素材の販売先が破綻して、溶断事業に進出することとなりなりました。祖父が一旦閉鎖したシャーリング業を、私の代で、それも偶発的に再開するに至った経緯は、何とも不思議な縁の巡り合わせです。
わが社では、そのフライホイールを“奇跡の生還”と称して、自社の勢いの象徴としたいと思いモニュメントを造りました。しかし過去は、40年振りにわが社に生還したフライホイールも、暫くは邪魔もの扱いにされて、倉庫の片隅で眠っていました。60周年を契機に、ようやく表舞台に立つことが出来ました。
最近私は神社のお守りが、自分達を守ってくれるのではなく、私達がそのお守りを汚さないよう守るものだという衝撃的な見方を学びました。正に昔の軍旗はそうであったと。皆で守るものがあれば、その集団は強い。
今やその60周年行事も知らない、入社間もない社員がいます。このシンボルを社員が大切にして守ってもらう。この奇跡が会社の軌跡となって、不屈のカジテツ精神が引き継がれることを願います。
その日梶哲商店にとっては、特別な日です。わが社は、先代の梶哲が個人として昭和27年の11月に創業しました。そして三年前のこと、創立60周年として記念式典及び祝賀会を行いました。その行事を行った11月22日を、わが社では創立記念日と定めました。
その日は二年前から、ちょっと豪華なお弁当をお昼に社員全員で食べ、その後会社の表に置いてある三年前に創った記念のモニュメントを皆で綺麗にすることとしました。朝まで降っていた雨はすっかり上がり、三年前の様な好天に恵まれました。
そのモニュメントは一体何なのか。私の祖父が戦前シャーリング業を営んでいて、その時使っていた鋼板剪断機のフライホールです。しかし戦争の激化によって昭和16年には、祖父は会社をたたむことを決意して、機械も工場ごと同業者に売却をします。
戦後私の父が新たな鉄の商売で起業します。スケール回収業で再創業した先代は、その後スクラップ処理業へと事業を展開します。昭和57年に至って、スクラップで買い付けた中に、なんとこのフライホイールが偶然にあったのです。先代はその大きさや特徴ある傷を見て、間違いなく祖父の時代に使っていたものであると確信し、その事実に驚愕します。
先代がスクラップ事業に進出しなかったら、そのフライホイールとは出逢ってはいなかったでしょう。またわが社は14年前に、鋼板素材の販売先が破綻して、溶断事業に進出することとなりなりました。祖父が一旦閉鎖したシャーリング業を、私の代で、それも偶発的に再開するに至った経緯は、何とも不思議な縁の巡り合わせです。
わが社では、そのフライホイールを“奇跡の生還”と称して、自社の勢いの象徴としたいと思いモニュメントを造りました。しかし過去は、40年振りにわが社に生還したフライホイールも、暫くは邪魔もの扱いにされて、倉庫の片隅で眠っていました。60周年を契機に、ようやく表舞台に立つことが出来ました。
最近私は神社のお守りが、自分達を守ってくれるのではなく、私達がそのお守りを汚さないよう守るものだという衝撃的な見方を学びました。正に昔の軍旗はそうであったと。皆で守るものがあれば、その集団は強い。
今やその60周年行事も知らない、入社間もない社員がいます。このシンボルを社員が大切にして守ってもらう。この奇跡が会社の軌跡となって、不屈のカジテツ精神が引き継がれることを願います。