梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

何を目指すのか(その2)

2013年07月27日 06時43分09秒 | Weblog
件の部長から先月の初め、「6月が決算月となりますが、今月は極端に鋼板素材の販売が落ちています」「ついては少し価格を対応して、売り上げを上げたいと思いますがどうでしょうか」との相談がありました。

具体的にはどうするのかと聞いたところ、「買って頂けそうなところに限定して、量がまとまるのであれば値段を下げて話をしたいと思います」とのことでした。営業を統括している立場ゆえの意見であるとは、私は受け止めました。

昔取引をしている銀行の営業の方から、銀行の3月の決算期や9月の中間決算期に、手形の割引を多めにして頂きたいと申し入れがありました。支店の実績にしたいとのこと。

「それって、わが社にその必要がなければ、余計な割引料が発生することになりますね」と尋ねましたが、明解な答えは返ってきませんでした。恐らく上の方からの指示なのでしょう。

決算月にわが社が行おうとしていることはわが社の都合で行うことで、お客様にとってみると値段は少し安くなるでしょうが、無理なお願いになることは明らかです。

お客様ってどのような存在なのか、利益ってどう考えたらいいのか。必要な時に必要なだけ買われるのがわが社の大半のお客様です。わが社の行為は、銀行の行為と大して変わりありません。“自分にされて嫌なことを人にするな”という教えがありますが、その教えに私は共感します。

6月に売れなかったのは、5月に売れたその反動なのか。ここ数か月仕入れ価格が上がってきているので、販売価格を上げてきたわが社です。その価格自体の設定が早かったのか遅かったのか。しっかりと冷静に分析する必要もあります。

6月に無理やり売り上げを上げれば7月にはその反動があるかもしれません。決算だからと言う発想は足元しか見ていないことになり、それで一喜一憂しても無意味です。

わが社は何を目指すのか、部長とはそのようなことを話し合いました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何を目指すのか

2013年07月20日 09時47分01秒 | Weblog
わが社の溶断加工の販売先A社に、同業他社のB社が売り込みに来ています。A社から結構な仕事量をわが社は頂いています。B社とはわが社は、過去取引はありましたが現在はありません。B社はわが社がA社と取引をしていることを知っていると思われます。

 
「価格は幾らでもいいから仕事を出して下さい」。B社の営業はそう言い残して帰ったそうです。A社の担当者は、「困ったことだ。一応のレベルの会社なので仕事はやるだろうし、わが社も厳しいので社内で黙ってはいられない」と。

その担当者の方の立場も分かります。その結果A社は、B社に試しに仕事を流してみるのか、あるいはわが社に値引きの要請を迫るのか、A社と今まで信頼や信用を築いてこられたのか、真価が問われる場面です。

わが社の営業部長から、そのような報告と相談を受けました。「ところで、わが社はB社のように、価格は幾らでも良いから仕事を下さいと新規を回りますか」と部長に聞いてみました。「絶対にそれはしません」と答えが返ってきました。

価格で勝ち取ったお客様は価格で負ける。つまり安値だけで攻めて行ったところは更なる安値で他社に奪われてしまうと言うことです。世間ではそのような戒めがあります。わが社の方針を部長に尋ねたのです。

仕事量はどこの会社でも欲しいのは当たり前です。しかし安値で取ることだけをどこの会社も求めてしまったら、業界全体が陥没することになり、結局自分の首を自分で締めることになるのではないでしょうか。 

社内で販売する価格を安くする努力は常に大切ですが、価格以外で勝負する気概も必要です。価格以外となれば、製品の精度なのか、納期対応なのか、その他の人的な対応力なのか、わが社において磨いて行く以外に道はありません。

新規のお客様を開拓することはわが社でも行っています。しかし価格だけで攻めていかないとなると、本当に地味な努力が必要です。幸いにも最近はホームページから引合いを頂いたり、紹介で取引が繋がったりするケースもあります。 

“人の振り見て我が振り直せ”ではありませんが、わが社は何を目指すのかです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全体を見失うことなく

2013年07月13日 10時51分16秒 | Weblog
東鉄連の刷新や改革が進む努力をしています。このブログで前々回、現在抱えている東鉄連の問題を書かせて頂きました。その後も正・副会長が討議の場を作って、今後について更に話し合っています。

「東鉄連が何をしてくれるかの前に、東鉄連の構成員である私達が、今何が出来るのかを質すべきである」。何となく、東鉄連イコール事務局とする発想を転換しなくてはなりません。事務局に任せきりだった運営を、我々理事がこれまで何も出来なかった、その反省に立って見直しています。

既設の経営情報と事業企画は、今まで委員会活動をしてこなかったことを踏まえ、早々に委員会を開催して活動方針を出すようにしました。また事務局と我々理事の役割を明確にして、相互の調整役として総務委員会を新設しました。

東鉄連は過去の鉄鋼景気の浮き沈みで、最盛期五百社超えた会員が現在約三百社になり、近年ではリーマン・ショックがあり追い打ちをかけるように東日本大震災によって、行事は縮小均衡しました。マイナス思考になっていたのかもしれません。

漸く今回改革気運が盛り上がったと言うことは、逆に言えば今まで東鉄連をより良くする努力を役員が怠っていたのかと問われるかもしれません。私自身、副会長を既に四年も務めましたので、その責任を追及される一人です。

ここで話しは変わりますが、前回同じくこのブログで書かせて頂いたことです。幕末明治維新に向かう最中、前後の流れは割愛しますが、「禁門の変」で京都御所に発砲した事件により、長州藩が初めは朝敵とされていました。

それが一変し会津藩が朝敵となってしまったのは、簡単に言えば、朝廷を掌握したのが幕府側から討幕側に移ってしまったと言う事実です。勝てば官軍負ければ賊軍、つまり事情と見方が変ってしまうとそれほど異なると言うことになります。

今までを弁護する訳ではありませんが、東鉄連の趨勢は、ここまでに至る一定の時間は必要だったのであって、機が熟したのかもしれません。今期の理事の方々には参画意識を感じます。

この改革の手は緩めず継続して行ってこそ成果は出るのであって、評価は数年経ってから問われるものであると思います。歴史と同じく、一部だけをその時点で見るのでは無く、流れの中で全体を見失ってはいけないと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

会津の魂

2013年07月06日 08時11分10秒 | Weblog
 
NHKの大河ドラマ『八重の桜』は、視聴率が低迷しているそうです。歴史を忠実に描き過ぎるとドラマとしては面白くなくなり、史実とは少し違っても物語として面白ければ視聴率は上がるものだ。そのようなことを、民放でかつてお正月の大河ドラマを制作した人から聞いたことがあります。

八重の桜の視聴率低迷の理由がそうなのかどうかは分かりませんが、思想や政治や外交においても日本の歴史を大きく変えた、その動乱期をもう一度学ぶ為に、私は大変興味をもって毎回欠かさず観ています。

その舞台となった会津若松を訪れました。家内の実家、山形酒田に行く途中に立ち寄りました。今年五月の連休中には行かなかったこともあり、今年のお盆の時期にも諸事情で行けそうもないので、時間を作って家内と次女とで出掛けました。

実は去年の11月にも、ある勉強会で会津若松を訪れました。勉強会では、その土地のお寺に頼んで座禅をさせもらう目的もあり、去年から話題になっていた当地を選びました。勉強の一環として、会津の歴史が刻まれた鶴ヶ城や飯盛山なども見て回りました。

東京から行った勉強仲間の一人が、ロータリークラブ繋がりで会津の地元の方を知っていましたので、その方が合流して色々と案内を受けました。帰る際にはその方から、地酒や馬刺しを全員が頂戴して、大変お世話になってしまいました。今回はその方にお礼も兼ねて伺った次第です。

家内と次女を連れて、今回も鶴ヶ城や飯盛山に行きました。しかし去年の感覚とは全く違い、私の中にはしっかりと八重の桜が入り込んでいます。テレビのシーンも重なり、その時代を垣間見た様な気になりました。

朝敵とまで言われ、江戸幕府の恨みを一身に背負ってしまった会津藩。まさに、勝てば官軍負ければ賊軍。道理はどうあれ勝った側が正義であるという、この理不尽さを会津の人達は内に秘めてきたのです。

会津藩は京都守護職、家内の実家が在る庄内藩は江戸市中取締を命ぜられ、旧幕府の要職にありました。会津藩と庄内藩はともに朝敵とされたことから、戊辰戦争のさなか会庄同盟を結成しますが、会津若松はその凄まじい戦場となったのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする