梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

経営理念について(その2)

2011年10月29日 06時30分39秒 | Weblog
今回はわが社の経営理念の中で“会社や我々はどうありたいか”について掲げている、もう一つの言葉の説明です。それは『良樹細根』ということです。イエローハットの創業者鍵山秀三郎氏の著書で度々目にする言葉で、私は共感し、この考え方を会社の風土としたいと思いました。

良い樹とかよく育った樹には、必ず細い根が大地にしっかりと生えている。地上の枝葉や花も大切だけれど、それを支え地中から栄養をしっかり吸収している下の根っこも重要だとの意味です。

それを転じると、人は目に見えているものに関心は行くけれど、目に見えないものの存在は無視したり、ないがしろにしたりしてしまう傾向が強いとのことです。

卑近な例ですと、お客様に見えているは、その会社の商品やサービスとかになり、我々はそれ自体を良くし売り込むことには努力しますが、それでは何の為にどんな心構えでそれを提供しているのかということはあまり深く掘り下げてはいません。

ただ儲けたい、儲けて楽をしたい。はっきり言ってそんな自己の利益だけを求める会社から物を買うお客さんはいません。お客さんの利益や利便性を常に考えなければ商品は継続して売れませんし、その儲けたお金を何に使うのかを明解にしておかなくては、それは単なる金の亡者です。

根回しという言葉をよく耳にします。由来や語原、解釈も色々あります。大木になればなる程、その枝の末端まで下の根が横に這い回っていて、そうでないと木は倒れてしまう。下の努力と、上の成果とがつり合いが取れているのか。

目先の商売を追い求め、見掛けの商品やサービスを幾ら磨いても、扱う人間の心が貧弱だとするといずれそれは崩れてしまう。良樹細根も根回しもそうですが、要はバランス、私はそのように受け止めています。

会社が正常に運営され存続している。当たり前と思わず、そんな日常に感謝出来るか。心の中の、そんな紙一重の積み重ねは大事だと思っています。

<前回「泥の中にも蓮の花」のところでコメントを下さった方、ありがとうございます。この経営理念を作ってもう12年、その間この言葉についても色々な解釈を繰り返し今日に至っています>
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経営理念について

2011年10月22日 10時01分02秒 | Weblog

先日の昼礼(朝ではなくお昼時間に行なっているので)で私は、経営計画書に既に明記してある、わが社の経営理念について話しをしました。その話に少し付け足して、改めて書いてみたいと思います。

“何の為にわが社は存在するのか” つまり目的と、“会社や我々はどうありたいか”つまり理想を、経営理念として掲げています。会社や我々はどうありたいかの中で、二つの言葉が出てきますが、その具体的な内容です。

先ずその一つ、『泥の中にも蓮の花』についてです。これは仏教から引用した言葉です。法華経の経文の中に「不染世間法 如蓮華在水」とあり、「世間の法に染まらざること、蓮華の泥水に在るが如し」との意味です。

人のあるべき姿を示した法華経の教えで、蓮の華が濁った泥水の中にあってこそ清らかで見事な花を咲かせるように、私たち人間も世俗を生きていく上で、世間の汚濁に染まらず正しい道を極めていかねばなりません。とのことで、日蓮宗で唱えるお題目「南無妙法蓮華経」に、蓮華の言葉が入っている所以です。

余談ですが、江戸川区葛西に本社があった昭和三十年代は、周りは一面の蓮田でした。農家の人達は、真っ平らで底が浅い特殊な船を使って収穫したレンコンを、正に泥沼の中を運んでいました。そして白やピンク色の蓮の花が咲いていました。

恐らく泥沼のその泥は、茎の中まで詰まっているはずです。しかし蓮は、本当に美しく艶やかな花を咲かせます。その有り様は心を打つものがあります。

人間はどうしても嫌なことや苦しみがあると、人のせいにして自分を返り見ません。そして人間は逆境にあると、自ら立てた志や良心を貫く努力を放棄したり、曲げたりしてしまいます。蓮華はその愚かさを、無言で人間に語っているように見えます。

「清濁併せ呑む」という言葉があります。善でも悪でも分け隔てなく受け入れ、心が広く度量の大きいことの例えです。清廉や潔癖だけでも、人間としては弱さや偏りがあるかもしれません。蓮華の教えと通じるものがあります。
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秋の恒例行事

2011年10月15日 09時26分48秒 | Weblog

地元鉄鋼流通団体の江戸川鉄栄会で、恒例の秋の慰安行事を行ないました。会員の従業員と家族の皆さんが参加出来る当会の目玉の行事です。一日バスを貸し切り、昼食を挟んでお子さんとも遊べる行楽地に行くのが、例年の企画です。

しかし今年は、オープンして10周年を迎えたディズニーシー終日遊園と、隣接するホテルミラコスタで食事をするという豪華な内容にしました。参加者を募って当日集まった人数は、過去最高の186名となりました。

計画を立てお世話をする役員の側からの悩みを、ここで申します。もう何年も恒例となっていますので、殆ど関東の日帰り行楽地は行き尽くした感があります。新たな観光スポットを探しても、遠くになればなる程早朝の出発になり、帰りの時間も気になるところです。

例年は80~100名の参加となり、バス二台で分乗して行きます。世話役の役員の仕事としては、車中でのお菓子や飲み物の事前の買出しから、当日は集合点呼に始まり車中及び現地でのホスト役にしても、結構大変な仕事量です。そんな役目を今まで役員の方々は快く引き受けてくれました。

最近若手の役員が積極的に意見を出してくれて助かっています。今回このアイデアも若手からの発案です。やはり皆が意見を出し合って、その中で智恵を絞ることがマンネリ打破に繋がっていきます。

今回この開催日は三連休の初日10月8日でした。ホテルミラコスタの宴会場に午前9時30分、少し早い集合でしたが、着席ブッフェスタイルの食事をとりました。さすが二百名近い人数は圧巻、さながら結婚披露宴のような様相でした。

一時間半の食事が終り自由解散、それぞれ参加者はディズニーシーに勇んで向かいました。わが社からは今回約30名の参加となり、殆どがお子さん連れ。なごやかな社員の顔も普段とは違います。

園内は人ひと人でごった返していました。しかし秋の天気にも恵まれ、皆さん一日楽しんだことでしょう。事前にホテル側との交渉やチケット配布の仕事はありましたが、お陰様で当日何もすることが無い役員は楽をさせて頂きました。
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その後の体は

2011年10月08日 07時03分51秒 | Weblog
三週間前にこのブログ上に『体を考えてみる』と題して、ある本を読み、健康な体や食事について考え直したことをお話しました。その本で指導している食事について、その検証を始め出したこともお伝えしました。

先ず朝食を変えました。従来ご飯を主食としていたものを、果物だけにしました。そして牛乳は飲まない、油を使ったものや白砂糖は極力口に入れない、肉を食べる時は野菜を沢山食べる、等などもなるべく実行しています。

その結果です。その朝食に変えてから一ヶ月半は経ち、体重が1.5~2.0kg減りました。果物の摂取が午前中の体の排泄機能を妨げず、体に溜まっている老廃物が順調に出て行っている証拠であると、受け止めています。

体の浄化を感じるような自然な便通が毎日続き、何しろ午前中は胃には負担が全くかからず、お昼頃になると程よい空腹を感じます。朝果物を多少食べ過ぎたとしても効率の良いエネルギーに即変化するようで、果物の不思議な効果を実感しています。

元々私は果物を自分から好んで食べる習慣はありませんでした。これをを始めることは、従来の朝食が取れないことであり、これからの人生で三分の一の食事を放棄することに等しく、むしろ抵抗がありました。

考えてみると65歳で亡くなった私の父親は、今までの暴飲暴食がたたって早死にをしたようなものです。父親は若い時から牛肉が大好きで、そしてグルメで、果物や野菜を食べていた形跡が少ないのですから、大腸癌は避けられなかったと思います。

私はここ数年前からですが、牛肉を食べると、何故か胃がもたれ数時間体がだるくなる感覚を持っていました。食事をするとその消化吸収に莫大なエネルギーが消費され、特に肉はそうだとされています。もう若くない私の体は正直に反応していたのでしょう。

体を適度に動かすことも大切ですが、その体に入れる食事は、どんなものをどれ位何時食べるのかも更に大切だと思って、出来ることを実践しています。
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先代の葬儀

2011年10月01日 10時13分13秒 | Weblog
今週は鉄鋼業界で亡くなられる方が続き、通夜に二日間参列させていただきました。どちらも後継者はいらっしゃいます。享年88歳で逝去された方には56歳のご子息が、享年72歳で逝去された方には33歳のご子息が、社長を継いでおられます。

お若い方の社長は、幸いにも、数ヶ月前に社長就任を終えたばかりでした。人間の寿命は誰にも分かりませんが、後継者を前もって決めてそのポストに就任してもらうことは人間の意志で出来ます。

かく言う私の場合は、父親の享年は66歳、私は38歳で、バトンタッチをしました。私はその当時は副社長ではありましたが、父親にしてみればいずれ正式な交代は考えていたのでしょうが、それ以上に自分の寿命がこれほど早く来ることは考慮に入れてなかったと思われます。

当然のことながらバトンタッチの時期は、引き継がれる側の年齢や経験や器の問題もあり、引き継ぐ側の年齢や体力・気力や会社の経営状態などによって左右され、会社によって千差万別です。

但しこうも考えられるのは、半分は運命なのではないかということです。バトンタッチが早いか遅いかによる、メリット・デメリットはそれぞれあります。しかしどちらにしても、問題が生じてもそれを乗越えるところに、大きな意味があるのではないかということです。

そして会社関係の葬式は、大事な儀式にもなります。特に後継者が未だ若い場合は、先代の意志をどのように継いでいくのか、後継者はどう経営していくのか、そのようなものが問われる場ともなります。

またそこで社員のまとまりや結束を試され、今後その会社とどう関っていくのかの取引先が多く参列するのですから、遺族の悲しみとは別に、対外的な側面があることは否めません。

そんなものが一気にその後継者にのしかかってくるのも葬式です。私も昔を思い出し、先代の死は自分の退路が絶たれ、その中で自分の新たな自覚が芽生えたと解釈すれば、とても大きな節目であったことは間違いありません。
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